いざ、遠くへ! 前編
バスに揺られるさんにん。風景画が入っている包みを持つ兎獣人のイミラと、それを見ている人間の咲夜歌、窓の外を見て本物の風景に見とれているのが犬獣人のグラスだ。今、最北端の半島、ヴァルダド半島へ向かっている。ヴァルダド半島は、咲夜歌が住んでいるこの異世界で、唯一そういう名前がある。あとは、ただの半島だったり、名無ししかない。
「…結構遠いわね。あの…ヴァルダド半島っていうの。」
「まあな。」
咲夜歌が呟くと、イミラはそれに答えた。さんにんは、最南端にある半島から、1時間かけ都会へとやってきた。そのあと、バスで何度か経由し、今やっとヴァルダド半島行きのバスへと乗ったのだ。
残念ながら、電車というものはこの異世界にはないようね。
咲夜歌は、イミラの持っていた風景画から目を離し、すっかり暗くなってしまった窓の外へ視線を移した。遠くから、都会の光が微かに見える。
…むしろ、なぜ魔法を使えるのにこんな現代的な移動なのかしら。
そう思ってすぐ、咲夜歌は赤の館に住むエリサから聞かされた話を思い出す。
『使えるやつなんて世界中でも三割くらいしかいない。』
とは言っても…その魔法で便利な乗り物なりなんなり創ればいいじゃない。
咲夜歌は溜息を吐きながら、そう思った。それと同時に、まぶたが重くなるのを感じる。朝からここまで寝ずに来たのだ。空はもう青黒く染まり、遠くからの星々がこの世界を微量に照らす。
「イミラ、寝ていいかしら?」
「…勝手にすれば。」
「ありがと、着いたら起こしてね!」
そう言って、咲夜歌は窓向きに顔を傾け、目を瞑った。イミラの溜息が聞こえた。バスの揺れがゆりかごのような役割を果たし、数分後には咲夜歌は、眠りに落ちていた。
*
隣にいるサヤカが、目を瞑って静かに寝ている。俺はサヤカの顔を見て寝ているのを確認すると、後ろを向いて、窓の外を見つめている兄貴に目を向ける。外は暗く、何も無いように見えるのに、それでもなお兄貴は外に釘付けになっていた。俺は声を和らげて兄貴に聞く。
「何見てんだ?兄貴。」
「ん~。…星!」
「星?」
予想外の返答に、思わず聞き返す。
「うん。星をね、数えてたんだ!」
兄貴は、変わらず、明るい声で言った。
「どれくらい数えたんだ?」
視界の隅に、サヤカが映る。
『…いっぱいあるから、数え切れないや。』
俺は、その台詞を聞いて、少し俯く。それでも、努めて、笑顔に、声も和らげ、
「…そうか。」
と、出来れば兄貴に聞こえるように囁いた。そうしてまた口が開く。
「…眠かったら寝ていいからな。」
「ん…大丈夫だよ。」
そう言う兄貴は、少し半目になって、その目を優しくさすっている。ヴァルダド半島は、あともう少しはずだ。俺は前を向いて、持っている風景画が入った包みを持ち直し、眠らないようにバスに身を任せた。
*
雨の降る音が聞こえる。その音のぶつかる窓に叩き起される。ゆっくり目を開けると、明るい車内の電気が目に入って、眩しい。窓側に目を移すと、相変わらず風景は黒く、一歩下の茶色の泥を含んだ道しか見えない。私の白い髪が視界を遮ると、手を出してそれを取り払う。隣の席を見ると…
「あ、やっと起きた!」
イミラではなく、私の、親友がいた。人間の。艶やかな茶髪を後ろで束ねて、私をこげ茶色の瞳で見ている。
「え…?桜ちゃん?」
「どうしたの?寝不足?夜更かしは体に悪いよ~。」
そう言って、隣にいる桜ちゃんは人差し指で私の頬をつつく。
「わ、わかってるわよ。わかってるけど…。」
それを取り払って、車内のほかの席を見る。そこには、クラスの生徒全員が座っている。状況を飲み込めず、私はまゆを顰める。今までのは…全部夢?いや、そんなわけ…
…待って、これ、どっかで。
私は、身を乗り出す勢いで桜ちゃんに聞く。
「ねえ!これどこに向かってるの!?」
「え?旅館でしょ?」
「名前は?旅館の名前!」
桜ちゃんは、怪訝そうに顔を傾ける。そうして、このバスの終点をその口から吐き出される。
「東空百合ノ花旅館。」
*
「……!」
寝ていた咲夜歌は、突然目を見開く。急いで周りを見ようとする。しかし、既にここはバスではなかった。左頬に、温かくもふもふとした感覚が伝わる。
「あ、やっと起きた!」
「!!」
グラスの言葉に反応するように、顔が青ざめる。しかし、まわりの暗い風景を見ると、段々と状況を理解していった。
私、グラスちゃんに背負わされてるのね…。
「イミラがずっとサヤカを起こしてたよ!でもなかなか起きなかったから、僕が背負ってバスを降りたんだ。」
「そ…そうだったの。」
咲夜歌は申し訳なく思いながら、グラスからゆっくり降りる。
「まったく、眠りが深いやつはこういう時に困る。起こしてと言っていたのに。」
イミラは包みを持ちながら、嫌味を言う。
「…ごめんなさい。」
「!」
咲夜歌は、ふたりに遅れないように脚を動かしながら俯いてそう言った。その言動に、イミラは違和感を覚えるように、いつもの半目が少しだけ開いた。
「にしても、暗いね!ここ!モンスターも、家も、木も、なんだか全部暗い!」
そんな違和感を拭うようなグラスの明るい声に、咲夜歌もほんの少しだけ元気を取り戻す。辺りは、確かに暗い色が多い。雪が積もっている最南端の半島とはまったく別であった。家々やどんな建築物も黒色のように暗い。それだけではなく、ここにいるモンスターも九割黒い服を来ていたり、体が黒いモンスターもいた。すべてが黒で統一されたこの場所では、ここへ来たさんにんが特に目立って見えた。
「…ここだな。」
少し歩いて着いた先は、重々しい雰囲気の漂う建物。イミラは重い足取りのまま、そこへ入っていく。ふたりもその後を追った。自動ドアを抜けて、咲夜歌は息を飲んだ。
内装は、外のように暗くなく、むしろ明るかった。白を基調としたこの明るさで、咲夜歌は真っ先に思いついた。
ここは、病院。
「すみません、こちらにルクシアムさんはいますか?」
「ルクシアム・ダーマーさんですね。あなたは、ルクシアムさんの…」
受付の方で、イミラと体が真っ黒で後に触手を持ったモンスターが話していた。
「私はルクシアムさんから風景画を持ってきて欲しいという依頼をされてやってきました。」
「あ…では、お名前は?」
「イミラです。」
「…わかりました。少々お待ちを。」
そう言いながら、真っ黒なモンスターは奥の扉へと消えていった。咲夜歌とグラスは受付にいるイミラに近寄る。
「ここって、病院よね。」
「そうだな。」
真っ黒なモンスターが数多くいたが、形は様々だ。タコのようなモンスターがいれば、球体のモンスター、中には、人間の形に近いようなモンスターもいる。
しばらく待っていると、真っ黒なモンスターが奥の扉から戻ってくる。
「イミラさんですね。ルクシアムさんから聞きました。病室は205号室です。」
そう言うと、イミラの横にいるふたりに目が向く。
「そちらの方々は?」
「ただ連れてきただけです。行きたいとうるさくて。」
「あ、そうですか…。」
真っ黒なモンスターは少しだけ考えた様子で顎に手を置くと、たちまちイミラ以外のふたりに向く。
「すみませんが、おふたりさまはここで待っていただけませんか?なるべく入れたくないので…。」
それを聞いたイミラは、ふたりに目を向ける。
「ここで待ってくれ。これ、渡すだけだから。」
咲夜歌は、少し寂しく思って、真っ黒なモンスターを一瞬見てからイミラに向き直る。
「…わかったわ。」
「イミラ、行ってらっしゃい!」
イミラはふたりの返事を聞いたあと、205号室へ向かっていった。咲夜歌は、一つ溜息を吐くと、
「さ…グラスちゃん、あそこで座ってましょうか!」
と笑顔になってふたりで座るよう提案した。グラスは、うん!と頷き、尻尾を振りながら咲夜歌について行った。
*
俺は、205号室と書かれた部屋にたどり着くと、風景画を持ち直して、扉を横に引いて開けた。そこには、たった一人、痩せた山羊獣人が毛布を下半身までかけてベッドに座っている。この人がルクシアムさんだろう。近づくと、その人はこちらに気づいて、近くの机からメガネを取ってかけた。
「君がイミラさんか?…ありがとうな。」
意外にも声は若かった。恐らく俺とそんなに年は離れていないだろう。俺は、包みに入っている風景画を慎重に取り出した。
「ルクシアムさんですね。こちらが依頼した風景画になります。」
「うん…。ありがとう。」
ルクシアムは、その風景画を両手に取り、前にかざして見る。
「よく描かれてる。…水面が綺麗だ。本当にそこにいるみたいだ。旅をしてる気分になれるよ。」
「ありがとうございます。」
俺は、少し嬉しくなって、微妙に笑う。そして、ある疑問を持った。
「…なぜ、風景画を?」
ルクシアムは、こっちを見ると、再び風景画を向き直って、ゆっくり口を開いた。
「いや…ね。もう短い命だから、少しでもこうやって、旅をしたくてね。」
「…そうですか…。」
俺は少し目を伏せて、何かをごまかすように自分の足元を見た。ルクシアムは、ベッドに座った姿勢はそのままに、棚から何かを取り出そうとしている。
「そうだ。お金がまだだったね。」
それを聞いて、俺はすぐに言う。
「お、お金は要らないです!」
「な…なぜだ?」
ルクシアムは、既に手にある何枚かの紙幣を持ちながら怪訝そうに聞く。俺は、少し眉を顰めて、俯きがちに返す。
「…言っては…あれとは思いますが、病人からお金を受け取るのは…」
「…さっきも言っただろう。」
ルクシアムは、俺の言葉を気にせずに、紙幣を前に差し出す。
「もう短い命なんだ。何も残さずに逝きたいんだよ。おつりもいらない。」
「……。」
俺は差し出された紙幣をゆっくり受け取った。この何枚かの紙幣だけでも、三ヶ月も、節約していけば倍の六ヶ月は生きていけるくらいの量だ。
「…ご家族の方は?」
「もういないよ。」
ムクシアムは、目がうつろになるのが見えた。途端、光を取り戻し、真っ暗な窓の外を眺める。俺は、今の答えを聞いて、バカらしい疑問が浮かび上がった。
「影族…というわけではない…ですよね?」
外を眺めていた目が、俺に向く。少し含み笑いをして、
「いや、違うよ。僕は獣人族さ。ちゃんと家族もいた。」
「ですよね…。」
ムクシアムは、ため息をひとつ吐くと、風景画を近くの机に置く。そして、上半身だけ俺のほうへと向いてくる。
「素敵な風景画をありがとうな。」
「…こ、こちらこそ、こんな風景画を受け取ってくださり、ありがとうございます。」
俺はそう言って、深くお辞儀をする。
「ははっ。こんな、なんて言わないでくれ。もっと自信を持っていいんだぞ。僕より若そうに見えるし。」
「…ありがとうございます。」
お辞儀から直ると、俺は努めて笑う。それに気づいた相手も、同じく楽しそうに笑う。
「それでは。」
「ああ。ありがとうね。」
俺は、名残惜しく感じながらも、この病室から出て行った。
*
咲夜歌は、特になにかやることも無く、ただただグラスの筆のような尻尾を触り続けていた。グラスもそれを了承して触らせてもらっている。お互い座りながら、咲夜歌の片腕はふさふさ尻尾を触っていた。
あ~、最高。最高。最高よ…。
咲夜歌は目を瞑って、手から伝わる感覚に浸っていた。
「な に し て ん だ お ま え 。」
「ん?」
いつの間にか、目の前にはイミラが立っていた。持っていた風景画は無くなり、代わりに何枚かの紙幣が握られていた。
「あ、おかえり!」
「おかえり~!」
グラスは純粋な笑顔で言う。咲夜歌も、目を開け微笑んでイミラの帰還を祝った。尻尾を触る片手を動かしながら。
「もう一回言うぞ何やってんだお前。」
「あ、大丈夫大丈夫。ちゃんと触っていいか一回聞いたから。」
「そういう事じゃねえんだよ眉間に人参刺すぞ。」
イミラは睨むように咲夜歌を見る。そうして、苦笑いをしながらグラスの方を向く。
「兄貴もこんなやつの願いなんて聞かなくていいんだぞ?」
「ん~…でも、触ってほしそうにこっちを見てたから…。」
そうグラスが言った途端、再びイミラは睨みながら咲夜歌に向く。
「テメェなに兄貴に脅迫してんだオイ。」
「してないしてないってかすごい捉え方ね!!見てるだけで脅迫ってあなた」
イミラの行き過ぎた認識に苦笑いの咲夜歌は、後半は早口でそう言った。それと同時に、グラスの尻尾から手を離す。
「ったく…帰るぞ。」
イミラはぞんざいに言うと、早足で病院の出口へと足を進める。咲夜歌とグラスも立って、遅れないように着いていく。ただ、グラスが何やら不満げな表情だ。自動ドアを潜りながら、グラスはイミラにうしろから言う。
「もう帰るの~?」
「あぁ…なんか行きたいところがあるのか?」
イミラは、和やかにグラスに問いかける。そしてそこに、目を輝かせた咲夜歌の横槍が入る。
「ねえねえ私ご飯食べたい!」
「お前には聞いてねえ黙れ。」
咲夜歌の身勝手な自由奔放さに、怒りが触れたのだろうか、イミラは低く、いわゆるマジトーンというもので咲夜歌を黙らせる。しかし、グラスは咲夜歌の言葉に同意するように、うん、と頷く。
「確かに、僕もなにか食べたいよ!疲れたし、ここまで来る時にご飯なんてあんまり食べてこなかったじゃん!」
「そ…そうか。」
不意をくらったように、イミラは少し驚いてゆっくり視線を下に向ける。
「せっかくだから、ここでしか食べられないのを食べてみたいなぁ。」
グラスの真っ当な意見に、咲夜歌は声には出さずに小さく何回も頷く。イミラは、誰も気づかない小さな息を吐くと、わかった、とグラスを向いて言った。
「やったぁ!」
グラスは小さく飛び上がって喜ぶ。
「どの店がいいかは兄貴が決めていいからな。」
そのふたりの様子を見て、咲夜歌はぽつりと呟く。
「この扱いの差ね。」
「お前はちゃん付けしない事と俺と兄貴にベタベタ気持ち悪く触ってくる事と自分勝手に行動する事を無くせ。」
「わー注文がいっぱいぃ…。無理ぃ…。」
咲夜歌は両手で顔を覆って絶望するふりをする。だがイミラはそれを見てもなお歩く速度は変わらない。むしろ早くなる。仕方なく咲夜歌は両手を下ろして、遅れないように歩く。思ったよりも楽しそうに会話するさんにんは、どの店で料理を食べようかと考えながら足を進めた。