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雨の日の図書館にて

 

 静かな空間の外に、降り注ぐ雨。かなり強い雨だ。図書館の屋根が上から叩かれる音がよく聴こえる。


 さて…どうしましょう…。


 朝…と言ってももうすぐで昼だったが、その時は晴れていたのに、家から離れた都会の図書館に来てしばらく本を読んでいれば、この有様。傘なんて持ってきていない。

 どんな事も楽観的に考えようとする咲夜歌(さやか)も、この予想しない出来事に、ページを抑えた両手はそのまま、頭を抱えて悩んでいた。ついには、テーブルに突っ伏して、苦いものを食べてしまったかのように顔を顰める。


「帰れないぃ~…。」


 今読んでいる本はもう読み終えてしまった。棚から新しく本を持ってくるのも考えたが、この椅子から動きたくない。決まって雨の日というのは頭が痛くなる。少しだけだが。


「……。」


 溜息をひとつ漏らす。


 もう吹っ切れて、びしょ濡れになって帰ろうかしら…。


 咲夜歌は見上げて、この図書館の天井を見つめた。拍子に、肩に乗っかった咲夜歌の白髪がゆらりと降りる。そして、選択肢を決める。


「本…探そっかな。」


 咲夜歌は、こめかみを右手の中指で抑えながら席を立った。中央の螺旋階段から、二階へ上がる。相変わらず、この図書館の木の匂いは落ち着く。木製であるため、古くからある図書館である故に、その匂いは顕著に表れている。


 小説という本棚の欄に再びやって来た。持っていた本を本棚に戻すと、隣から順にタイトルを目で読んでいく。咲夜歌は気になるものがないか探しているが、なかなか見つからない。


 そんな時、一番上の段に気になるタイトルを見つける。咲夜歌はその本に手を伸ばそうとして、背伸びをする。

 しかし、届かない。指に背表紙は付くものの、隣同士が隙間なく本で埋まってあり、取り出すことは容易ではない。


 もう一回背伸びをして、手を伸ばした時、白い手袋をしたモンスターが取ってくれた。


 咲夜歌は本を取ってくれたモンスターの方へ視線を移した。


「あ、ありがとうございま…」


 驚いて、言葉が止まった。このモンスターは…


「いや、いいんだよ。」


 カボチャの頭。落ち着いた声。それだけでもう咲夜歌は驚く。頭を巡らせ、記憶の中のカボチャを探す。


「演奏会の時の…えぇと、ナイーダさん!?」


「あー…最後の『ダ』しか合ってないなあ。」


 目の前のカボチャが笑いながらそう言った。演奏会の時とは、雰囲気が一段と違う。衣装を来ていないからだろうか?唯一、とんがりボウシだけが演奏会の時に着ていた衣装と合致する。


「俺はカルダだ。ちゃんと覚えてくれよ?」


「ああぁ!す、すみません…」


 咲夜歌は申し訳なく思って、俯いてしまう。それを見て、カルダは首を振る。


「はは、いいんだ。覚えられないのは仕方ないからな。」


 そうカルダは慰める。咲夜歌は俯いた頭を少し上げる。そのまま、見上げるようにカルダの顔を見た。それから、カルダから取ってもらった本を咲夜歌にあげる。


「にしても奇遇だね。ここで会うなんてさ。やっぱり本を読むためかい?」


「あぁ…はい。そうですね。」


 カルダは再び笑って、話題を転換した。咲夜歌もそれに乗る。


「ん~…ここで話すのもあれだし、下に降りるか?一階なら兄弟のナインドとアル、…アルタルスがいるはずだ。」


 カルダが、兄弟の名前を言って、下に行かないかと咲夜歌に提案する。


「…はい。わかりました!」


 咲夜歌は本を抱えると、その提案に乗った。カルダが、うん、と頷くと手すりに手をかけて一階を見下ろす形で覗く。

 咲夜歌はカルダへ近づくと、カルダは下のある長いテーブルの椅子に座っているあのふたりのカボチャを、わかりやすいように指さす。


「大きい方がアルタルス、小さい方がナインドだ。こんな感じだな。」


 カルダは自分が持っていた本を一瞬見やると、咲夜歌の方を向く。


「とりあえず一階に行こうか。兄弟が待ってる。」


「はい!」


 カルダが螺旋階段へ向かっていった。咲夜歌もそれについて行く。降りていって、すぐだった。大きい方であるアルタルスは静かに本を読んでいる。小さい方であるナインドは、ルンルンと楽しく読んでいる。そんなふたりのカボチャのもとへ、カルダと咲夜歌が来る。


「ナインド、アル、演奏会の時によく話したお客さんと出会ったよ。」


 ナインドとアルタルスが、見ていた本から目を離し、咲夜歌を見る。


「ん?…あ、あの時のか!?」


「……。」


 ナインドはすぐに思い出した。一方、アルタルスは咲夜歌を凝視したまま、怪訝そうにカボチャ頭を傾ける。思い出せないのだろうか?それに気づいたカルダはアルタルスに聞く。


「あれ…会ってた、よな。ふたり。」


「ああ、覚えてるさ。だが、名前を聞いていない…。」


 それを聞いたカルダは、咲夜歌を見る。


「あ…確かに聞いてない…。」


「そ、そうでしたっけ?」


 咲夜歌は、言ったような気がする、と思って、カボチャ兄弟に聞く。


「まあ、客に名前を聞くなんて今までなかったしな。よく話したと言っても。」


「言われてみれば…。」


「そうかもしれないのだ…。」


 半目でにやけているアルタルスの言葉に、ふたりのカボチャは目を合わせて同意する。そしてカルダは再び咲夜歌を見る。


「…じゃあ、お客さん、名前はなんて言うんだ?」


「さ、咲夜歌です!」


 名前を聞いたカボチャ三兄弟は理解するように頷き、お互いに顔を見合わせる。


「初めて聞くな。」


「聞くのだ。」


「ああ。」


 そして、お互いに納得しあう。ナインドとアルタルスは席から立つ。カルダは咲夜歌の方を向いて、片手を出した。


「よろしく、サヤカさん。」


「……。」


 咲夜歌はカルダの出した白い手袋がはまった手と顔を交互に見る。そして、その白い手袋がはまった実体を持たない手にゆっくり触れて、握手をした。


「よ、よよろしく…。」


 咲夜歌は、表では努めて落ち着きを装っている。が、心の方はかなり取り乱している様で。



 はああぁ、触っちゃった!硬い!無いのに透明なのに硬いよほんとに手があるみたい!いや手なんだけど!え中これどうなってんの!?すごいんだけどこれ


 白い手袋と袖の間から微かに見える裾の中をバレない程度に咲夜歌はそこを覗く。


 うん。何にもない。何にもないよ!これすごい!


 咲夜歌は思わず赤面する。相変わらず、オンとオフの差が激しい上に、いつこの暴走が作動するかもわからない。頭が痛いから、遂にネジが一本、いや二、三本くらい取れたのだろうか?


 カルダは、赤面する咲夜歌を見て、ただ首を傾げるだけだった。手を離すと、小さい方のカボチャ、ナインドが咲夜歌に純粋な笑顔で近寄ってきた。そしてカルダと同じように片手を前に出す。


「よろしくな!サヤカ!」


「……!」


 咲夜歌は、鼻血を出して仰け反る。


 という妄想を咲夜歌は炸裂させて、出された片手にゆっくり触れて握手をする。


「よ、よろ、すく…。」


 咲夜歌のぎこちない返事をしたのにも関わらず、ナインドは笑顔のまま頷いた。あ、ダメみたい。咲夜歌は、これ程までにないくらい赤面する。


 あああぁぁあ!?カワイイんだけど!カワイイんだけど!?私を、私を萌え殺す気なの!!?


 むしろ、こんなにも心の中でだが本音を勢いよく並べているのに、口から出ないというところを評価したい。顔には出ているが。


 ナインドは咲夜歌から手を離す。なんだか様子がおかしい、とナインドは思ったのだろうか、少しだけ首かしげる。しかし、再び笑顔になってカルダの近くに寄った。次はアルタルスだ。案の定、咲夜歌の前に片手を出す。


「よろしく。」


「……。」


 カルダより大きいアルタルスの手を見ながら咲夜歌は思う。…また、咲夜歌の暴走が来る。


 ああ、ああ!この低音ヴォイスいいわあぁ!!しかもなんか常時にやにやしててカワイイんだけどホントこれがギャップ萌えってやつマジいいわああぁ!!!


「よよろしく…。」


 アルタルスの手を取ってゆっくり言った。この口数と本音の差。もうこいつ天才ね。もちろん悪い意味で。アルタルスから手を離すと、カルダが何気なく呟く。


「にしても図書館で自己紹介だなんて、なかなか無いよなぁ。」


「なあなあ!サヤカの髪白いのだ!」


 ナインドは小さい体を伸ばすように背伸びをして、咲夜歌の肩までさげた白髪をさらさらと触る。


「あ、ああはは、まぁね~。」


 咲夜歌は、ナインドが触りやすいようにしゃがむ。白髪は珍しいのだろうか。さらさらと触るナインド以外に、カルダも咲夜歌の髪色に興味を持っているかのように彫られた目で見つめている。


「まぁ…よく話した客と、縁があったって事だろうな。」


 アルタルスはそう(くう)に発して、咲夜歌の白髪を触るナインドを見ながらカルダに近寄った。咲夜歌は、髪を弄られていながらも、楽しそうに微笑む。その様子を見ていたカルダも同様に表情が微量に変わって微笑む。


「かもなぁ。…アル、お前狙ってみろよ。」


 思いついたかのようにそう言い、カルダはにやけて肘でアルタルスをつつく。


「そろそろ異性と関わりたい時期だろ?」


「いや別にどうでもいいんだけど。」


 対してアルタルスは、カルダに一歩離れて嫌そうにカルダを睨む。


「なんだよ。そろそろ恋をしろよお前はぁ。」


「兄さんだって恋をしていないのに。全く説得力がないぞ。」


 アルタルスはそっぽを向いて、持っていた本を見つめるように下を向く。カルダは、納得のいかないような顔をすると、髪を弄って遊んでいるふたりを横目に見てから、アルタルスを見据える。


「アル、頼むから趣味だけじゃなくて、異性にも興味を持ってくれよ。お前はいつも家にいては演奏の練習だったり、ゴロゴロと寛いだりで、俺達以外でお前が誰かと話しているところなんて見た事がないんだ。

 俺とナインドは買い物先とかでよく話したりする。だがお前は、俺が見た限り異性はおろか、家から出て誰かと話すという事すらやってないんだ。演奏会の大勢なお客さんのあいさつは除いてな。」


 カルダは彫られた目の中の赤い瞳と共に、口でアルタルスを諭していく。


「俺は兄として、お前の事を心配しているだけなんだ。…わかってくれ。」


 カルダは、それ以上何も言わなかった。ただ、今も尚そっぽを向いているアルタルスを、心配した目で見つめているだけだ。たちまち、アルタルスはカルダの方をゆっくり振り向く。


「……。」


 アルタルスは紫色の瞳で、カルダを睨みにも似た半目でじっと見つめていた。そしてすぐ、諦めたかのようにため息を吐いた。


「わかった。」


「よし!」


 アルタルスの言葉に、カルダは嬉しく感じて笑顔になる。アルタルスの肩に手を回して、耳の近くで呟く。…もちろん、カボチャに耳は無いため、人間に例えその部分の近くにあるところを耳とした。


「あとは俺に任せとけ~。サヤカさんと近づけるように仕向けるからな。」


「は?」


「おい、ナインド。」


 怪訝そうに見るアルタルスをよそに、カルダは咲夜歌の髪で遊んでいるナインドに近寄る。


「ん?なんなのだ?」


「そろそろいい時間だから帰ろうか!だが、アルはまだ読みたいらしいから、先に俺達は帰って晩御飯を作ろうぜ。な!」


「む?アル、そうなのか?」


 ナインドは、アルタルスに疑問を投げかける。


「あぁいや、」

「そうそう、そうなんだよな。アルが俺に言ってたから確実だ。」


 否定しようとしたのか、アルタルスは答えようとしていたがカルダに邪魔をされてしまった。


「そうなのか!なら仕方が無いな!」


 納得するようにナインドは頷く。咲夜歌は弄られていた髪をある程度直すと、立ち上がってカルダの方を向いた。


「帰るんですか?」


「まあな。アル以外。」


「おい俺は」

「じゃあ行こうか!ナインド、こっち!」


 カルダはナインドと手を繋ぐ。


「じゃあサヤカさん、じゃあね!アルも頑張れよ!」


「あぁ!サヤカ、またなー!」


 ふたりはこっちを向きながらそう言って、出口に向き直っては図書館の出口へ早歩きで進んでいった。


 取り残されたカボチャと人間。ふたりは顔を見合わせて、ほぼ同時に出口を見やる。

 再び、顔を見合わせる。戸惑いの色を見せる咲夜歌と、合わせた目を外しながらため息を大きく吐くアルタルス。その目はテーブルに向く。


「…あ~…座るか?」


 咲夜歌は、テーブルの椅子を見る。微妙に苦笑いをする。


「…はい。」




 *




 隣合う人間とカボチャは、どちらも気まずそうに、コクッ、と黙っている。咲夜歌のお得意の饒舌な絡まりは、知り合いには発揮しないようで。


 心ではあんなに本音を並べてはぶちまけていたのに、今の咲夜歌は右往左往に動く瞳以外は石像のように動かない。その右にもいるアルタルスも、咲夜歌をじっと見つめては、時折大きく息を吐いた。図書館という事もあり、静かな空間がふたりを包む。


 すると、この空間に嫌気がさしたのか、アルタルスは遂に口を開けた。


「…ほ、本は好きか?」


「え?」


 突然、質問を投げられる。咲夜歌は驚いて、少し見上げるかたちでアルタルスの橙色の頭を見る。


「す、好き、ですけど…。」


「……そう、か。」


「はい…。」


「…。」


「…。」


 また、静寂が支配する。丸まった紙を平たくしても丸に戻るように、会話があまりにも広がらない。決して話題が悪いわけではない。

 流れを作ることが未熟な咲夜歌と、会話を展開させていく事を知らないアルタルス。このふたりのせいで、話が進まないのだ。


 そして今度は、咲夜歌が、アルタルスの靴先からとんがりボウシの先っぽまで眺めてから口を開ける。


「…アルタルスさん、でかいですよね…。」


「え?あ、あぁ…ああ…。」


 予想外なことを言われたからだろうか、不意を突かれたようにアルタルスは返事をした。咲夜歌はもう一度、アルタルスの下から上まで見つめる。そこで、ずっと気になっていたことを思い出した。


「アルタルスさんは、三兄弟のうちのどこ、なんですか?」


 身長で考えれば、明らかに長男はアルタルスのはずだ。


「俺は…三男だが。」


「え」


 意外な事実が発覚した。咲夜歌は目を見開いて、口を片手で塞ぐ。身長だけで考えるのは安直すぎたようだ。


「ナインドが次男で、カルダが長男だ。」


 やはり、人は見た目で判断してはいけないようだ。この場合、人ではなくモンスターだが。


「ア、アルタルスさんが、一番下なんですか!?こんなに、その、大きくて、背も高いのに?」


 興奮気味に咲夜歌は言葉を投げる。心の内側が若干外に漏れ出しているようにも見える。


「ま、まあ、そうだな。」


 アルタルスは、恥ずかしくなったのだろうか、そっぽを向いてカボチャ頭の頬をゆっくり掻く。そして、掻いているその白い手袋をした手に、咲夜歌の目が捉えて、演奏会の事を思い出した。


「アルタルスさん、ピアノ担当でしたよね!すっごく上手かったです!」


「あ、あぁ…。」


 咲夜歌を見てアルタルスは驚く。さっきまでの静寂から一転、隣のやつが本性を微妙に現して、煩くなっていた。

 図書館の出口から右真ん中に位置する場所にふたりはいるため、本を読むのを止め、こちらに注目するモンスターも少なくなかった。


「あの、その手!触ってもいいですか!?」


 左頬に止めていた片手を指さしながら咲夜歌は言う。


「…うん…。」


 戸惑いながらも、アルタルスは承諾する。咲夜歌は、その片手を両手で顔の前まで持ってくる。そして包み込むように、触り始めた。途端、咲夜歌は満面の笑みになる。


「おぉほぉ!柔らかい!」


 カルダと比べれば、それ程硬くはなかった。むしろ、柔らかかった。ちゃんの中の骨格に触ってる感覚はあるのだが、体が透明なため、骨格なんてあるのかどうかわからない。


「ふふ、カワイイ!」


「な、か、かわ…。」


 咲夜歌の唐突のカワイイの言葉に、アルタルスの橙色の頬は赤くなって、もう見るまいと、咲夜歌の方を見ない。


「やっぱり、ピアノをやってるから柔らかいんですかね?私もピアノはやった事あるんですが…。それにしても、難しいですよね、ピアノ!最初の頃は全然弾けなかったですし。」


 暴走とまではいかないようだ。ごく普通の言葉を早く紡ぐ咲夜歌は、ただアルタルスの手を見ているだけ。この饒舌になるトリガーはどうやって発動するのだろう。

 すると、咲夜歌は顔を上げて手に持っていた白い手を離し、そっぽを向いたアルタルスの頭を見た。


「そうだ!よければ今度、良いピアノの弾き方を教えてください!」


「……あ、あぁ。」


 ゆっくり咲夜歌のほうを向いたアルタルスは頷く。さらに咲夜歌は、あっ、と気がつくように笑う。


「あ、あと!___」




 そうして、咲夜歌の一方的な会話が続いた。アルタルスは、ただ肯定しては苦笑いするだけ。時折、咲夜歌の本性の垣間見える言葉を聞いて、頬を赤らめたりもした。こんな静かな図書館で、何やってるんだか。



 *



 楽しい時は、時間はあっという間に過ぎていく。反対に、つまらない時は、時間が経つのが遅く感じる。俺の場合は、後者だ。

 サヤカと名乗ったモンスターは、隣で笑って、一方的に会話をしてくる。俺はただただそれに相槌を打つだけだった。


 こんなにも、サヤカさんはおしゃべりなやつだったとは。


 とはいえ、あの黙りこくった気まずい空間になるよりかは、遥かにマシだ。


 自分自身でも、他人との会話が難しい事を理解していた。重大な事だというのも理解しているつもりだ。


 俺は、そっぽを向いた拍子に、濡れた窓の外を見た。空を覆っている雲は、微妙に赤みがかっている。叩きつけるような雨は、相変わらず降っている。

 きっと、夕方くらいなのだろう。なんだかんだ言って、俺もこの時間を楽しんでいたのだろうか。無意識に。


 そろそろ帰らなければ、と思っても、隣にうるさいヤツがいる。どう会話を終わらせようか、と頭を巡らせても、いい案が浮かばない。

 もう、ストレートに言ってしまったほうがいいだろうか。そう思って、サヤカの口にストップをかける。


「な、なあ。あ~…ほら、もう、夕方だ。俺は、そろそろ帰ら、ねえと。」


「あ、そ…そうですか…。」


 稚拙ながらも止めることができた。止められたサヤカも、我に返ったように縮こまって、テーブルに片腕を置いた。

 俺は、なんだか申し訳なく思ってしまった。が、時間は止まらない。早く帰らないと、兄弟に怒られるかもしれない。特にナインドから。あいつは心配性だからな。あんな感じでも。


 俺は椅子から立ち上がって、テーブルに置いていた本を元にあった本棚に魔法で戻して、サヤカのもとへ戻ってくる。

 サヤカは、なんだか困っているように、頭を腕で支えて、ぼう、と虚空を見つめている。たちまち、窓を見て溜息を吐く。


「…どうかしたのか?」


「え?あぁ…。」


 俺は、思い切って聞いてみた。サヤカは少し戸惑ったように、俺を見る。


「傘を、持ってなくて。」


「ああ、そういう事か…。」


 平凡な答えで安心した。俺は出口に向かいながらサヤカに言う。


「傘ならあげる。」


「え、でも!」


 サヤカは立ち上がって、俺の元へ走って着いてくる。俺は、調子が良いのか、少し口が回って来たようなのが気がする。

 出口まで来ると、俺は立ち止まってサヤカと向き合う。中で聞こえていた雨の音は、外では一層強く叩かれているのが聞こえる。俺は服の内ポケットに手を突っ込んで、傘を取り出した。そして、サヤカに差し出す。


「ほら、俺の。」


「え、でも…アルタルスさんのは?」


 サヤカは取るのを躊躇する。心配してくれているのだろうか。その必要は無い。


「俺は魔法でまた創り出せる。なんの問題もない。」


 そう言うと、サヤカの顔がみるみる輝いていく。そうして笑顔で、


「ありがとうございます!」


 と言ってくれた。差し出した傘を、サヤカは借りて、開いてみる。するとサヤカは、問題なく開いた傘の柄を見て、クスリと笑う。


「かぼちゃ柄なんですね!カワイイ…!」


 俺は、照れ隠しのつもりで傘を魔法で創り出した。柄のない紫色の普通の傘を。パッ、と開いて雨の中を歩く。サヤカも慌てて着いてくる。


「…サヤカさんは、道はどっちだ?」


 俺は横目で聞く。


「あっち、ですね。」


 サヤカは、俺が行く道の反対を指さす。俺はそれを確認すると、足を止めてサヤカのほうを向く。


「…じゃあここでお別れだな。」


「あ…違うんですか。」


「…ああ。」


 目の前のサヤカは、少し悲しそうにした。途端、気づいたように目を見開く。


「あ!この傘は…?」


「ああ、いいんだ。今度返してくれればいい。」


 俺はそう言って、できる限り微笑んだ。でも多分出来ていない。


「……アルタルスさん、いつもにやけてますよね。」


 サヤカは笑って、傘を持ち直す。やっぱり。微笑むことができてなかった。カルダやナインドだってあんなに笑えるのに、なんで俺だけニヤけっぱなしなんだよ…。


「…そう…だよな。」


 サヤカに向けたこの言葉は、恐らく雨によって打ち消された。俺は、控えめに手を挙げて振る。


「…じゃあな。またいつか。」


「あ、はい!また今度!」


 サヤカも、手を振り返した。俺は、それを確認して、少し躊躇した後、濡れる地面を踏んで家へと歩いていった。



 *



「ええ!?カボチャの三兄弟と会った!?」


「まぁ…偶然だけどね。」


 玄関まで来てくれた犬獣人のグラスが、驚きを隠せない様子で叫ぶ。そしてその隣には、兎獣人のイミラ。この話題には興味ないのか、話の輪には入ってこずに本を読んでいる。

 咲夜歌はアルタルスから借りた傘を閉じて、玄関外の傘集めに入れる。そうして、中に入った。


「いいなぁ~サヤカ。僕も一緒に行けばよかった…。」


「まあ、でも。外に、特に都会へ行けばすぐに会えると思うわよ。いざとなったら、カボチャ三兄弟の家に行けばいいのよ!」


 咲夜歌は茶色の履き慣れた革靴を脱ぎながら、リビングの方へ歩く。


「ええ、でもそれはちょっと…う~ん。」


「…じゃあ今度、私と一緒に、あのカボチャ三兄弟の家に突撃しちゃう?傘を借りた借りもあるし、何より、今度ピアノの練習しに行くっていう話も取り付けたし!」


「う…うん!サヤカと一緒なら、多分大丈夫だ!」


「その場合、俺も一緒に行くからな。」


 グラスの横にいるイミラが、本から視線を離さずに言った。それを聞いた咲夜歌は、うん、と頷く。


「いいんじゃない?…やっぱりイミラちゃんもカボチャ三兄弟の事そうとう気になってるんだ〜?」


「お前…本当に…。」


 本を持つイミラの手が、わなわなと震えだす。


 あっと、煽りすぎちゃったかな。でもちゃん付けするくらいで怒るのもどうかと思うの。


「イミラも一緒に行こ!今度!」


「まあ、人数は多いに越したことはないし、来ればいいと思うわ。」


「なんでお前そんなに上から目線なんだよ。」


 咲夜歌は心から、ふふっ、と笑う。


「もう、いいじゃない。さてさて、今日のグラスちゃん特製晩御飯はなんでしょうか〜?」


「あ、今日はね!……」


「……ったく、こいつは。」



 さんにんが紡ぐ、前までになかったいつも通りの日常。叩きつけるような雨なんかが降っていても、咲夜歌は家の暖炉と共に、特にふたりの言葉で、心の芯まで温かくなったような気がした。




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