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転移

 


《もしも人外好きの美少女が異世界に転移したら》




「うぅ…?」


 背中に伝わる冷たいものに、咲夜歌(さやか)は目を開ける。最初に目に入ったものは、星々が瞬く夜空だった。咲夜歌の目に似ていて、所々に雲も見える。後頭部がズキズキと痛む。体が重く感じつつも、地面に手をつき起き上がる。咲夜歌の白髪が、ひらりと靡く。


 その時、手のひらから冷たいものが伝わる。少し驚いて地面を見ると、雪が積もっていた。純白のそれは、地面だけではなく木にも積もっている。どうやらここら一帯は雪が積もっているようだ。まだ少し重い体を立ち上がらせると、咲夜歌は複数の違和感に気付いた。


「どこ…ここ…。」


 違和感その一。全く知らない場所で寝ていたこと。

 こんな所で寝てしまったら風邪を引いてしまう。しかし、咲夜歌の体調はそれほど悪くなかった。


 違和感その二。制服を着ていること。

 家で寝るときはいつもパジャマを着て寝るのである。間違っても制服のまま寝る事はない。しかし、現に今制服を着ている。


 最後の違和感。星々が瞬く夜空の事。

 咲夜歌が住んでいる地域では、こんな綺麗な夜空を見ることは不可能だ。今気がついたが、咲夜歌は雪が降る地域に住んでいる訳でもなかった。とはいえ、雪はそんな珍しいものでもない。


 咲夜歌は、頭に一つの単語がよぎった。


 異世界。


「い、いや…そんな事あるわけ…。きっと夢か何か…。」


 咲夜歌は、絵や小説などで異世界の知識を取り入れていた。幻想であったことはわかっていたが、それでも読む事は止めなかった。


 そんな、だとしたら…私が主人公…?

 なんて咲夜歌は思った。


「…何考えてるの…。こんなのただの夢じゃないの…。ほんっと…都合のいい方ばっか考えて…。」


 しかし、夢であっても少し興味があった。夜空が綺麗な場所である此処が。


 …夢なら、何をしたって構わないよね?


「…夢だし、少しくらい…ね。」


 咲夜歌はこの夜空の中を飛ぼうと思い、思い切りジャンプする。しかし、それだけだった。咲夜歌の体はそのまま足から着地する。雪が、衝撃で、ふわっと飛ばされる。


 …あれ


 咲夜歌は何度も飛ぼうと試みるが、結果は失敗に終わった。もしかして想像力が足りないのかも、なんて思って、自分が飛ぶ想像をしながら飛んでも何も変わらなかった。


「ふんっ!!やっ!!」


 何度も飛んでいるうちに、夢じゃないのかもしれないという感覚が色濃く現れる。それでも、咲夜歌は何かを否定するように飛び続ける。

 ポスッ、ポスッ、と柔らかい雪に着地する音が鳴る。


「えぃ!!」


 ポスッ


「やぁ!!」


 ポスッ


「うぅ!」


 ポスッ、ポスッ


 …あれ?…音が重なってる?着地する音が…。


 ポスッ


 ここで咲夜歌は気づく。飛んでいないのにも関わらず、咲夜歌と同じ着地する音が聞こえたのだ。それも、後ろから。


 咲夜歌は、誰かいる、という恐怖に襲われ立ちすくんだ。それと同時に、同じ場所を何度も飛ぶという奇行をし、恥ずかしさも込み上げてきた。


 それでも、確認しない訳にはいかないわ……。


咲夜歌は、そう思った。後ろの相手が敵意を持っているなら背後を取られるのは咲夜歌にとってまずい。


 恐怖心と好奇心と共に、思い切り振り返った。


 そこには…


「あれ?もう飛ばないのー?」


 子供のような声色。薄茶色の毛並み。人間が着ていそうな服を身につけている。


 いわゆる、獣人…という生き物だ。実際二本足で立って、喋っているのだから違いない。背の高さは咲夜歌とほぼ同じくらい。目の前にいる獣人を種族で分けるとするなら、犬獣人が妥当だろう。その中でも、柴犬が一番近い。

 咲夜歌は目を見開き、口を手で塞ぐ。


 え?なんで?本当に?嘘…えぇ…!?


 咲夜歌は頬を抓ってみる。痛い。今度は地面の純白に顔を埋める。冷たい。獣人の方を見る。いる。もう一度埋める。痛い。もう一度獣人の方を見る。


いる。そこにいる…! しかも、夢じゃないわ!!


「…どうしたの?」


 目の前のさらなる奇行を目の当たりにした犬の獣人は純粋な目で引き気味に質問した。咲夜歌はその質問に応えず、立ち上がって犬の獣人を見据える。


 心臓の鼓動が早くなり、それを抑えるように一回深呼吸する。そして、一歩一歩踏みしめてゆっくりと近づく。雪を踏む音が聞こえない。鼓動が邪魔をしてるみたい。犬の獣人は、少し後ずさった。


 その瞬間、咲夜歌は、そいつに向かって




 パフッ




「可愛いいぃぃっ!!!」


 抱きついた。


「ちょっ、ちょっと!?何して」


「ああぁ!!モフモフッ!夢じゃないっ!可愛いっ!あああああぁ」


 驚く犬の獣人を置いていくように、咲夜歌はいつもより高い声で言葉を紡いでいく。犬の獣人は、訳が分からないとでも言うように、ただただ目の前の残念な奴に身を任せる他無かった。


 一方、残念な方は片手を犬の獣人の頭に置き、なでなでしながら襟元から少しはみ出た首元の白色の毛並みに顔を埋めていた。

 途端、埋めていた顔を上げる。


「っ!」


「…??」


 犬の獣人は、頭を下に向け、咲夜歌と目が合う。咲夜歌が顔を上げた意図が分からず、困惑する。咲夜歌は、その獣人の頭を観察した。

 優しく輝く緑色の瞳。

 薄茶色と白色の毛並み。

 ピコピコ動く耳。


 …


「あああぁぁ!可愛いのっ!!」


「っ!!」


 咲夜歌が突然叫びもう一度顔を埋める。それに驚く犬の獣人。

 すると突如、咲夜歌の頭に、ゴンッ、と鈍い音が響く。そのままゆっくりと倒れ、頭は温かい毛並みから冷たい純白へと埋めた。


「何してんだよ。」


 聞こえたのは、犬の獣人とは違う声。低い声色であり、男である事は間違いなかった。


「ちょっと…イミラ、やり過ぎだよ…!」


「いや、俺はただ初対面で兄貴に抱きつく無礼者に制裁を加えただけだ。やり過ぎてない。そいつがやり過ぎてる。」


「いや…でも、この人」


 犬の獣人は倒れた咲夜歌を指さす。


「…動いてない…」


 そう言った瞬間、咲夜歌の頭がガバッと勢いよく上へと上げる。


「…動いた…。大丈夫…?」


 咲夜歌の視界に映ったのは、犬の獣人と、その横にいる雪のような白い毛並みの細い兎の獣人が立っていた。同じように人間が着る服を着ている。


 ピンク色のパーカーだろう。ポケットに手を突っ込み、半分開いた目から目の前の倒れた奴を軽く軽蔑する様な冷気を感じる。


 咲夜歌はそう頭の片隅で考えながら、雪の床に手をつき足をつま先立ちにし、一瞬にしてクラウチングスタートの様な形をとる。

 イミラといった兎の獣人は、咲夜歌が何をするか悟った。




 ヴゥゥンッ!!




「兎さんだああぁぁ!!!!」


 音速の様な速さでイミラの方へと飛ぶ。

 抱きつこうとした瞬間、



 スッ



 イミラは瞬間移動したように簡単に避ける。

 咲夜歌はそのまま雪へと飛び込んだ。

 兎に抱きつけられなかったが、咲夜歌はどこか惚けた顔をしたまま夜空へ見上げる。


「はぁ……ここ、天国なのかな…。」


「…こいつどうすんだ?兄貴。」


「え!?…えぇ…と…。」


 犬の獣人は、少し困ったような顔になって首を傾げる。


「とりあえず、連れて帰ろっか…?置いていくのもちょっと…。」


「……分かった。」


 少し納得のいかない顔をするが、イミラの立場からすれば、逆らう訳にはいかないのだろうか。


 イミラは苛立っているのか長く白い耳をピコピコと動かしながら咲夜歌の方へと向かう。


「ほら、早く立て。あぁ…」


「…咲夜歌です!」


「サヤカ、早く立て。」


 咲夜歌の名前を言い、手を伸ばす。その白い毛並みに包まれた手に、咲夜歌も同様に手を伸ばし、イミラの手を取る。そうして立ち上がると、咲夜歌は二人の獣人を交互に見る。


「…イミラだ。」


「僕はグラス!」


 咲夜歌から見て左にいる兎の獣人がイミラと言い、右にいる犬の獣人がグラスと言った。

 咲夜歌は、次第に満面の笑みになり、二人の手を取り合う。


「二人とも、よろしく!よろしくね!」


「……あぁ。」


「サヤカ!…よろしく!」


 グラスは生き生きと返事をした。イミラは対照的に、どこか不満げに小さく頷く。

 そうして、咲夜歌は二人に連れられ夜空の星々で輝く道を歩いて行った。



 *



「そういえば、サヤカはなんであんな所にいたんだ?」


 雪道を歩きながら、グラスは咲夜歌に質問する。咲夜歌はまだ興奮したまま、んー、と夜空を見上げながら答える。


「わかんない!」


「…は?なんだって?」


 予期しない言葉に、イミラは思わず聞き返す。咲夜歌は不思議に思ったが、今度はイミラに聞こえるようにもう一度言う。


「わかんない!」


「聞こえた。なんでわかんないんだって言ってんだよ。」


 咲夜歌の言葉にイミラは食い気味に突っ込む。咲夜歌はちょっと驚いたが、すぐに気を取り直して笑顔になる。


「えぇーと…わかんないものはわかんない!」


「……。」


 イミラは呆れたように片手で頭を抱えながらため息を吐く。一方、グラスは何か考えていたのか、顎に手を置いていた。そして、はっ、となにかに気づいたのか咲夜歌の方を向く。


「わかった!きっと、この綺麗な夜空に導かれたんだね!」


「ワー!ロマンチックね!私もきっとそうだと思うわ!」


 咲夜歌とグラスは、いえーい、とお互いの手を合わせて叩いた。


「…何言ってんだか。」


 二人の楽しそうな会話を馬鹿馬鹿しく思うイミラ。咲夜歌の興奮は、まだ収まりそうにない。



 *



「着いた!ここが僕達の住んでる街!」


 二人に案内され、着いた先がこの街…。咲夜歌の知識の範囲内のもので近いもの、それは外国などでよくある、レンガ製の家を挟んで道が作られている形だろうか。


 鉄製の吹き抜けた門を抜け、目に入ってくるのは家から漏れる光。それに照らされた道や家、行き交う人…ではなく、人の形をした何か。


 よく見てみれば、獣人たちやスケルトン、その他よく分からないモンスターだらけであり、人間の姿は一向に見えない。比率で考えれば、寒い地域に住んでいるためか、獣人たちが多い。


 普通の人間が見れば、恐れおののくかもしれない。しかしこの咲夜歌、普通ではない。異端な趣味を持っているが故に、目の前の光景を見て別の意味で震えている。


 口角が上がる。口を手で抑え、それでも抑えきれないそれは、言葉となって口から出る。


「…これが、最高ね…。えぇ…最高。」


 イミラは、もう、色々な意味で諦めていた。こういう奴もいるんだな、という思考を通り越し、何だこいつと思わせる咲夜歌の行動。もう取り返しがつかないようであった。


 興奮が最高潮まで達した咲夜歌に気付かず、家に連れ帰ろうとするグラス。咲夜歌の手を取って街の中を歩き始めた。


「もうすぐ家に着くから!」


 グラスの大きな声にさえ反応を見せない咲夜歌。なにせ、通りがかるモンスター達を忙しい程見ていたのだから。この咲夜歌、普通ではない。


 窓から漏れる家の光に包まれ、すべてが色づいて見える。もしかしたら、こんな気持ちになったのは初めてかもしれないわ。これが幸せ、というものなの…?



 *



「ここが僕達の家!」


 そう言われ、着いた家はなんら変わりのないレンガ製の家。ちょっと街から外れているのが気になったが、それほど重要なことではなかった。


 二階にある窓が、夜空の星を反射させ見上げた咲夜歌の目に入る。


 なんとも、普通の家だ。何ら変哲もない普通の家。このような家を絵で描いた事が何回かある。咲夜歌にとっては見慣れてはいたものの、どこか新鮮さを感じる。


「どうぞー!入ってー!」


 グラスに招かれ、玄関前の階段を駆け上がる。咲夜歌はそのまま家へと入って行った。勿論、


「お邪魔しまーす!」


 と、最低限の礼義を踏まえて。


 中は、これまた外国などにありそうな内装であった。どれも咲夜歌の偏見で思ったことであったが。

 玄関からすぐリビングへと通じている。玄関側から見て左側に火の灯った暖炉があり、部屋の中央に吊るされた明かりと共に部屋全体を照らしている。


「サヤカ、お腹は空いた?今から料理を作るんだけど、食べる?」


 咲夜歌を台所近くの椅子に座らせてからグラスが言った。テーブルには何も置かれていない。

 咲夜歌はどうしようか迷った。別にお腹も空いていないのだ。ならば断ればいい、と思うが、何かと断ることの出来ない性格の咲夜歌は、二人に迷いを見せないまま肯定しようと頷く。


「ええ、でも…そうね。どうせだから一緒に料理を作りましょう!」


「いいのか?やったぁ!一緒に作るぞー!」


 グラスは、嬉しそうに咲夜歌の手を合わせて叩く。咲夜歌は椅子から立ち、台所へ向かう。


「…厚かましいな。客は客らしくおとなしくしていればいいのに。」


 一方、もうひとつの椅子に座っていたイミラは、いつの間にか手に持っていた本に目を落としながらそう言った。


「こう見えても料理は得意ですからね!私の包丁さばきをとくと見るがいいわ!」


「よーし!じゃ、一緒にシチューを作るぞ!」


 二人は、おー!、と大きな声を合わせた。



 *



「ふっふっふ…ついに私の出番ね!」


 兄貴の隣にいるバカがそう言う。片手には包丁を持ち、まな板の上に置いた人参やジャガイモなどの材料を見据えている。


「サヤカ!ガンバレー!!」


 兄貴がそう励ます。バカはそれに応えるように頷き、材料に包丁の刃先を置く。そこで一呼吸すると、凛とした顔になる。さっきまで、わかんないわかんないと連呼していたやつがそういう顔になり、俺は顔には出さなかったが驚いた。


 へぇ、やる時はやるタイプの奴か。出来ればその歯車を常時回す状態を維持してればいいのだけど。


 俺はそう心で呟いた後、遂に凛としたバカが材料に包丁を入れた。材料を切っていく。角切りだろうか。テンポよくリズムを刻み、一寸の誤差も許さない。切り終えた頃は、どの角度から見ても違和感なくすべて綺麗に切られているように見えた。


「出来た!どうです?上手いでしょ!!」


「わぁ!すごい!サヤカすごいよ!」


「こんなの、朝飯前よ!」


 あいつは、腰に手を回し威張るように笑う。


 …動作がいちいち余計なんだよ。


 あいつは包丁を置くと、既に沸騰した鍋の水に、切った材料のうち人参だけを入れた。それを見た兄貴が疑問を持つ。


「あれ、なんで全部入れないの?そっちの方が楽じゃんか。」


「あら、グラスちゃん、もしや知らないのね?」


 おい兄貴をちゃん付けすんじゃねえこの野郎。


「人参ってね、熱を通しにくいの。だから最初に人参を入れて、後々他の材料の熱を均一にするのよ。」


「わぁ…すごい!すごいです!先生!」


 おい兄貴そいつを先生って呼ぶなよ。


「ふふん、なんか照れちゃう。先生って言われると。」


 あいつが頬を染めながら笑って言った。


 …今思ったがかなり綺麗だな。あいつ。


 俺はそう思って、思い止まる。


 おいちょっと待て今俺何考えた?綺麗?あいつが?


 俺はもう一度あいつの顔を見る。


 そいつが俺の視線に気づくと、笑ってこっちに向く。


「イミラちゃんも待ってね!美味しいシチューをすぐ作って」


 ズグオォォンッ!!


「……え?」


 あいつの顔の横に、魔法で人参を投げつけた。投げたそれは、後ろの壁を突き刺して直立状態で動かない。

 俺は、今までの無い怒りを感じた。兄貴は状況が飲み込めず、あいつとイミラを交互に見る。俺は、睨んだ目であいつに言う。


「俺に"ちゃん"を付けんじゃねえ…次言ったら眉間にぶち抜いてやる。」


「………ふぁい…。」


 あいつは、泣きそうな顔で頷いた。


 …あぁー…やり過ぎたか…?


 *



「さ、出来ました!」


 咲夜歌はコンロの火を止め、出来上がったシチューを満足した様子で眺めた。やっぱり結構いけるわね、と心の中で思う。


「うわぁ…美味しそう!サヤカ、さすがだよ!僕はこんなに上手く出来ないよ!」


 グラスが横から感嘆の声を漏らす。尊敬の眼差しで咲夜歌を見つめいるようだ。


「ありがとう!その、私もこんな上手く行くとは思わなかったの。」


 咲夜歌は人生の中で料理は数えられるくらいしかやっていない。数をこなさずに、こんな上手く出来るのは天賦の才なんだろうか?なんて咲夜歌自身でも思ってしまう。


 さ、後は…


 咲夜歌は椅子に座り、卓上を見渡す。三人に、均等に分け与えられたシチューが、それぞれ前に並べられている。暖かそうに湯気を立たせ、色とりどりの材料に思わずすぐに食べてしまいそう。


 しかし、その前に…


 咲夜歌は前に手を合わせ、前にあるシチューにお辞儀をするように体を倒す。そして、一言。


「いただきます。」


 咲夜歌はスプーンを手に取り、シチューを食べ始めた。一方、今の行動も奇行だと考えた二人は、ついに咲夜歌に聞いてみる。


「今の、何?サヤカ。」


「ん?」


 咲夜歌は、シチューに向かって前かがみの状態から二人を見る。


「あぁ、いただきます、ってやつ?」


「…あぁ。」


 イミラも興味を持ったのか、咲夜歌の返事に応える。グラスも気になって仕方がないとでも言うように尻尾をブンブンと振る。


 咲夜歌は前かがみから姿勢を正す。スプーンを置き、二人を見る。咲夜歌の顔は、いつにもまして穏やかだった。


「いただきます、っていう言葉にはね…どう言ったらいいんだろう…料理に対する敬意って言うか、こういう食事が毎日あるから生きていける。だから、それを感謝の気持ちを表して、いただきます、っていうの。…まあ、合ってるか分からないけど。」


 咲夜歌の説明を聞き、二人は二つの意味で驚いた。いただきます、という言葉にそんな意味が込められているのか。そして、性格に似合わずこんな真面目な事を言うのか、と。


「へぇ…そういう意味があるんだね…。」


「えぇ。…みんなはしないの?」


 咲夜歌の質問に、二人は首を傾げる。


「しないも何も、俺らはそういう事は今までしなかったと思うぞ。もしくは、俺らが知らないだけか。」


「え、そうなの!?」


 今までしなかった、という言葉に咲夜歌は口を手で抑えて驚愕した。二人は目を合わせてから咲夜歌に向かって頷く。


「…そう。」


 驚きを隠せないまま、スプーンを掴む。


 …さすが異世界。私の常識さえも通じない。というか通じないより、そういう事が今まで無かった、と言った方がいいわね…。


 咲夜歌はそう思いながら、シチューに手をつけようとした。その時、


「いただきます!」


 隣から聞こえた。グラスだ。一部始終しか見ていなかったが、手を前に合わせしっかりをお辞儀をしていた。


「…いただきます。」


 次に、前から聞こえた。イミラだ。グラスに乗じてやったようだ。しかし、雑にはやらずにグラスや咲夜歌と同じように手を合わせお辞儀をしていた。…小さい声だったが。


 その様子を見た咲夜歌は、心から何か溢れそうだった。そして、すぐに笑顔で


「…ありがとう!」


 と言った。

 グラスは照れながら咲夜歌と共に笑った。イミラも、咲夜歌の事を変だと思いながら、馬鹿なヤツではなさそうだと思った。



 *



「ごちそうさま!」


 シチューを食べ終えた咲夜歌がそう言いながら再度手を合わせお辞儀をする。二人はまた奇行をしたのかと思ったが、さっきの事を考えるとすぐに違うと考えた。

 それを踏まえ、グラスは


「ごちそうさまっ!」


 と大きな声で言った。次いでイミラも


「ごちそうさま。」


 と小さな声で言った。


「私が片付けるわ。」


 咲夜歌はそう言って二人の空になった皿を集めようとする。しかし、グラスが


「あ!僕がやるから大丈夫!」


 と、咲夜歌を制した。


「そう?」


 皿を集めようとする手を止め、グラスに確認した。


「うん!大丈夫!」


 グラスは譲らず、そのまま皿を集めて重ねた。そしてそれを台所の方へと持って行った。


「そう"言え"ばお前、"家"は何処なんだ?」


 不意に、イミラが話しかけてきた。咲夜歌は答えようとすると、あることに気づき笑ってしまう。


「ふふっ、ダジャレのつもり?」


「よく気づいたな。ってかそうじゃねえ普通に聞いてんだよ。」


 イミラは、咲夜歌に指摘され初めて自分の言った言葉がダジャレだと気づく。咲夜歌は、はぁ、と笑顔になりながらため息を吐く。


「家はわからないわ!…あぁいえ、知らないの方が正しいかしら。」


「…は?」


 イミラは咲夜歌の放った言葉で、信じられない、とでも言うように眉を顰める。しかし、咲夜歌はそれを別の意味に捉える。


「家はわからないわ!…あぁいえ、知らないの方が」


「聞こえた。コピーして二回も言わないでいい。」


 イミラの鋭いツッコミが咲夜歌に突き刺さる。だが、咲夜歌はそれをものともせず、むしろつっこまれて嬉しそうであった。


「ふふっ、イミラ、ツッコミ上手なのね!嬉しい!」


「…そろそろそのわがままな口を捻じ切ってやろうか?」


 イミラに脅されるように言われ、咲夜歌は口を尖らせそっぽを向いた。


「ああー…でも、言葉の暴力が酷いわね。もう少しオブラートに包んでよ。」


「お前の口を捻じ切ってやる。」


「直球じゃないの!どストライクね!私の助言はどこに行ったのよ。」


「ねぇ!喧嘩はダメだよ!」


 グラスは喧嘩している二人を制して、咲夜歌に向かって驚くべき事を聞く。


「サヤカ、家が分からないならここに住む?」


「……え!?」


 咲夜歌は一瞬の間を置いて驚いた。途端、嬉しそうに笑顔になる。


「いいんですか!?」


「もちろん!」


 グラスも笑って頷いた。嬉しそうに尻尾を振る。一方、イミラは顔に手を当て納得のいかない顔をしている。しかし、ここでは何も言わなかった。


 グラスは、暖炉の横にある階段へ向かう。それにつられて咲夜歌は席を立つ。


 階段を上がると、二つの扉があった。階段からすぐ分かれるように廊下が作られている。そこから二つの扉が見えたのだ。グラスは左の方へ行き、前の扉へ入るかと思ったが、その左に扉があることに気付く。二階には合計で三つの扉があったのだ。


 扉を開けて電気を点ければ、何やら様々なものが置かれている。物置だろうか。隅にベッドもある。窓もあり、その先に小さい光の筋が幾つか見える。…夜空ではなかった。


「部屋が無かったから、物置だけど…いいかなあ?」


 グラスは申し訳なさそうに言う。しかし、咲夜歌は


「いいの、大丈夫よ。こういう所に住んでみたかったの。」


 と、優しそうに笑顔で返した。全くの赤の他人であるため、さすがの咲夜歌も人の部屋で寝るのは、ただ申し訳ないと思った。そろそろ、咲夜歌の興奮も収まってきたからだろう。さらに、


「それに、その…自分でも本当に住むとは思わなかったから。…本当にごめんなさい。」


 と、付け加えた。冷静になった頭で改めてそう考えた。とはいえ、やはり住まない、という選択肢は無かったようだ。


「大丈夫!気にしなくていいよ!」


 グラスは、笑顔で返した。咲夜歌から見て、その笑顔は眩しすぎて。


 また、冷静が崩れる。


「……っ!…っ!!!」


 だが、咲夜歌は我慢し、なんとか暴れる自分を踏みとどめた。


 ああ、でも、少しだけ。少しだけ言わせて欲しい。


「…かわいい。グラスちゃん。」


 咲夜歌は務めて無表情のままそう言った。そして、グラスの方を見たまま部屋に入っていき、扉を閉めた。グラスは、咲夜歌の意図が分からず、首をかしげるが、普段通りの顔に戻ってそのまま一階へと向かった。



 *



 二階から戻ってきた兄貴は、いつもより上機嫌だった。リズミカルに階段を降り、俺の視線に気づくと、笑って見せた。俺は疑問に思ったことをそのまま兄貴に聞いた。


「なんで兄貴はそんな…お人好しっていうか、簡単にこういう事をするんだ?」


 すると兄貴は、んー、と少し考えてから


「だって、家がないひとに住むところを分け与えるって普通だと思うよ?」


 と、悪意無き純粋な気持ちで答えた。


「僕は…そのさ、イミラみたいな困ったひと達を助けたいからさ…一人でも多く、ね!」


「…そうか。そりゃ、いい事だな。」


 俺は遠い目で言った。俺は兄貴の優しさは痛いほどわかると思っている。実際助けられた身でもあるのだ。そのおかげで、旧友にも逢えたうえ、心にも幾分か余裕もできた。


「兄貴」


「ん?」


 俺は兄貴を呼ぶ。天を仰ぎ、虚空を見る。


「…無理すんなよ。兄貴は、他の奴らより…その」


「わかってるよ!」


 グラスは笑ってみせた。疲れを見せない無垢の色。


「ほんとさ、イミラって心配性だからー!」


「……あぁ…。」


 俺は小さく頷き、2階の部屋へ歩いていった。振り向かず、前を見ながら。



 *



 クローゼットにあった適当な服に着替え、ベッドへ飛び込む。


「あああああああぁぁぁっ!!!」


 咲夜歌のその叫び声は小さかった。電気を消した、部屋の中。本性を現した心をベッドの毛布に抱きつく事で抑制する。


「ここは夢!?夢なの!?なら覚めないで!ああぁあぁ、ああぁあ、もうっ、最高じゃないの!!此処はあああぁ!」


 …あぁ。疲れたわ。叫びすぎた。


 咲夜歌は毛布に抱きついたまま眠ろうと目を瞑った。


 ああ、なんだか、もう、最高。


 咲夜歌の興奮は眠りに落ちるまで静まりそうにないようだった。そんな中でも、咲夜歌は頭の片隅で思った。




 私は、これからどうすればのかしら。



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