上 闇の開闢
「ねえ、ミッチー。人を殺すことって、いけないことだと思う?」
路傍、美渚凪が僕に言った。
「絶対にいけないことだと思うよ」
僕は即座に否定した。
「即答だね。でも、うん。一般人に聞けばそういう答えが返ってくるのが当たり前だけど、それがミッチーの口からも聞けるとは思わなかったな」
「確かに、僕は普通じゃないよ。君ほどじゃないけどね」
「ふふ、何を言っているの?あなたも私も同類なのに」
「同類って言うな」
「あら、まさにその言葉がぴったり来ると思うんだけど」
「まあ、ね」
僕は素直にそういう。凪は笑う。
「あなたのそういうところは、魅力の内に入ると思うわ。素直って、いいことだもの」
僕がそうだとは思わないけどね。
「ええ、そうかもね」
こやつ。
ふふ、と彼女は笑った。
「でも、あなたのそういうとこ、嫌いじゃないわ。殺すのが惜しいくらい」
ああ、あれは空耳じゃなかったんだ。
「そうよ。れっきとした宣言、約束。……いいえ、契約、かしらね。とにかく、十三人目に、あなたを殺す。これは私の中では、もう規定事項なんですから」
そうか、と僕は人事のように口元をゆがめた。その顔は、他人から見ると、多分、笑顔に見えるんだろう。
僕は、ミッチーだとか、みーちゃんだとかみーだとかいろんなあだ名があるけど、そんなことはどうでもいい。彼女は、その名を美渚凪という。名前こそ美しいものの―顔も綺麗だけどね―ずばり、連続通り魔事件と銘打たれた連続殺人事件の犯人、すなわち殺人鬼である。
何も、僕がそれを知らずにこうして歩いているわけではなく、それを痛いほどに了解している。
交わされた約束は、昔の罪と同じように消えないものであって。
全ては、あの夜に。
………………
七月十三日、金曜日。キリスト教徒どころかカトリックとプロテスタントの違いもわからない僕にとって、その日は十五日の日曜日と同じくらい無意味な日だ。つまりは平日と同じ扱い。それに、その日が十三日の金曜日だと知ったのも、あれから少ししてからだ。
その日の真夜中、二時ごろ。
あまりの熱帯夜に、僕は散歩を決意した。
夜、あまりに満月が綺麗な中、僕は外に出た。
なんてことはない、ただの気まぐれだ。
生ぬるい風を受けつつ、しばらく、気持ちに任せてぶらぶらしていた。
と。
背筋が、
凍った。
脊髄に液体窒素をぶち込まれたような、日常の中に消えていった悪寒。
まずい。
この類の寒気は、
必ずといっていいほど、悪い思い出とともに記憶に刻まれていた。
僕が、はたと足を止めた。
その誰かも、足を止めた。
僕が歩く。
気配も歩く。
僕が止まる。
気配も止まる。
僕はわざと大きくため息をついた。
これはあれか。流行の通り魔ってやつか。まさか自分が被害者になるとは思ってもいなかった。圧倒的多数の人間に群れることによって失う危機感。それを僕は久しぶりに味わっていた。
僕は一つ深呼吸をし、手を大きく上げ、静止の合図を出した。殺気立った気配が、ぴたりと止まる。
そして、手だけをクイクイ、と曲げた。着いて来い、の意思表示である。
彼、ないし彼女は了解していたようで、ナイフを鞘に戻す音が聞こえた。
ここでは、周囲に人目がある。
どこか、人がいないところがいい。
僕はそこに、川原の河川敷を選んだ。殺人としては絶好の場所。
なるべく人通りの少ない道を選び、そして目的地、橋の下までやってきた。
ここで、初めて僕は後ろを振り返った。
そこに、何かが立っていたのは見えたけれど、姿かたちまではわからなかった。
「あなた、慌てないのね」
凛とした声が聞こえた。女だ。体も小柄。こんな人が犯人だなんて、僕には、少しばかり意外だ。
「今まで幾度となくこういうことはやってきたけれど、こんな反応をしたのは、あなたが初めて。……つまんない」
「それは、たぶん他の人は正常者だったんだろうね」
「そうに違いないわ。あなたはどこかおかしいもの」
「かもね」
「……一つ、聞かせて」
「なに」
「もしかして、あなたは現状を理解していないのかしら?」
してるとも。これで悟らないやつはただの馬鹿だ。
「そう、じゃあ、なんであなたは、ここを選んだの?」
それはつまり、なんでわざわざこんな人気のないところを選んだか、と言うことか。そんなの、簡単だ。
「ここなら、迷惑かからないからね」
「それは、どういう意味?」
「そのままの意味さ。僕の死体が路傍に転がっているなんて、気分悪いじゃないか」
それは、多分本音だった。
「……そう。じゃあ、もう一つ」
「一つじゃなかったっけ」
「もう一つ聞かせて。なんで、今、あなたはそうやって平然としていられるの」
「なんでだろうね。」
それさえもが本音であった。そんなときでさえ、僕は無感情であった。
「……あなた、名前は?」
「ミッチーって呼んでくれ」
「……あなた、本当に変わってるわね」
「君に言われたくないよ。……君は?」
「私は、美渚凪」
彼女は、見惚れてしまいそうな雅さで、大きなナイフを取り出した。
「ミッチー、か。多分、あなたのことは一生忘れないでしょうね」
そうか。
「じゃあ、ほんの一時だったけど、楽しかった。じゃあ―」
サヨナラ。そんな声が届いたか、届かないかの間に、美渚凪は、僕との距離を零にした。
「!」
早い。僕は思い切って横へ跳んだ。数瞬遅れて、彼女のナイフが、僕の首筋があったところを一閃する。
「へぇ」
彼女は、僕を見た。
「早いのね」
「……君にほめられたくはないね」
「そう」
彼女はもう一度、ナイフを構えて突進を敢行した。
もう一度横跳び。しかし、何度も引っかかるような彼女ではなかった。彼女は横薙ぎした。
「お」
すんでのところでかわす。
そして、彼女の乱舞が始まった。
僕に、ナイフでの乱れ突きを繰り返す。
それを、僕はかわし続ける。でも、僕は武道の達人でもなんでもない、素人だ。前の二回は、断言しよう。偶然だ。
僕はやがてバランスを崩し、地面に仰向けに転ぶ。
好機、とばかりに彼女はナイフを突き出し、刹那。
『……。』
時が、止まった。
お互い、ぴくりとも動かない―いや、違う。お互いによって、お互いが動けない状態にされていた。
彼女のナイフは、僕の頚動脈の、薄い皮膚を破る一歩手前で止まっている。
僕の指が、彼女の目の前で止まっている。彼女の目は、見開かれていた。
今の彼女なら、皮膚を貫き頚動脈の流れを絶つことなどたやすいことだ。だが、その時間は、僕が指を彼女の目の中に入れ、二度と光を見られないようにするには十分すぎる時だ。
僕の命と、彼女の目玉、二個。重みは歴然としているが、僕にとってはどちらにせよどうでもいいものだ。ただ、せめてもの死への抵抗活動として目潰しくらいはしてやろうじゃないか。
「ふふ」
彼女は笑って。ナイフを投げ捨てた。僕も、指を引っ込める。
「引き分け、ね」
彼女は笑うように言った。
僕は荒い息を整えるのに必死だったが、彼女は平然としている。
「あーあ、仕留めそこなっちゃったな」
本当に、つまらなそうにそう言うのみであった。
「うん。私、君のこと気に入ったわ、ミッチー」
冗談ともつかぬ事を言い、彼女はくるりと背を向け、暗闇に消えて行った。
「お……おい」
僕は虚空にそう言った。
ただ月だけが生きているような、塗り固められた闇の中。僕はそこに一人で立っていた。
いつか、あなたのことを殺してみせる―
そんな声が聞こえた。
これが、僕と、美渚凪との出会いであった。
………………
殺人鬼は続ける。
「でも、ね。人を殺すことって、案外簡単なのよ」
「そんな知識が実証されることがないといいけど」
「そうね。あなたの場合は。私は、もうだめ。血の匂いに、憑かれてしまったもの」
そう嘯き、彼女は雅な動きで指を動かした。殺人鬼ってのはみんなそういうものなのかな。
「それって私のこと?」
「そうかもね」
「失礼ね。私は殺人鬼じゃありません」
「人を八人も殺しといて、今更何を言う」
「殺人鬼って言うのは、ほら、すなわち殺人快楽者、殺人嗜好家のことでしょう?」
凪は違うのか。
「違いますとも。私は、殺すことに何も感じません」
じゃあなんで殺す。自分と同じ人間を。
なんでする。人間として最も禁忌の極みに入るものを。
「あら、今、禁忌の極みって言った?それは殺人じゃなくてよ?」
そうなんだ。
「じゃあ何?」
「自殺。それが、人間として……いえ、生き物として一番してはいけないことなの」
断定か。
「そうよ。……あのね、自殺の定義って知ってる?」
自分で自分の命を絶つことだろ?
「まあね。あと、人間は生まれながらにして罪を背負ってるって話、聞いたことある?」
キリスト教か。
「そんなのあった?まあいいわ、とにかく、人間ってのは存在自体が罪なの」
つまりは人類みんな死ねと?
「それじゃ意味ないの。そしたら、背負っていた罪はどうなるの?その罪を背負った自らの結末を見ないで、いなくなっちゃうんじゃあその罪は永遠に消えないものでしょう?ほら、ここで自殺のもう一つの意味が見えてくる」
「意味、とは?」
「一言で言うと、『逃避』でしょう。自らの罪からの、贖罪からの逃避。返すべきものを返さないで、死んでしまうだなんて、それこそ最高の罪だわ」
じゃあ殺人とは?
「そんなのまだまだ可愛いものよ。人の命を絶つんでしょう?そりゃあ、その人の罪の返上を不可能なものにするわけだし、未来への扉を閉ざすことになるのだから、悪いことよ。でもね。殺人って、することで背負う罪があるわけよ」
「殺人罪じゃなくて?」
「ちがうの。そんなものじゃなくて。あのね。要するに、殺人ってのはその人の罪も一緒に背負うことになるの」
僕は反論を試みる。
「でもさ、そんなのは罰にはなってないじゃないか。そんな罪は、ただの空虚な妄想だと考える人のほうがむしろ多いはずだ。そういう人にとって、そんなものはぜんぜん大した事ではないはずだよ」
「罰と罪は違うわよ。その罪で背負う罰は、そう、罪悪感。これが究極的な罰かしらね」
「それだって、何も感じない人もいる」
「そんな人はいないわよ。多かれ少なかれ、誰もが罪悪感というものは持つもの。それは、今後の自分の行動を妨げたり、立ちはだかったりするわけ。贖罪の労力が増える、ただそれだけの話よ」
「じゃあさ、贖罪ってのは究極的にどういうこと?」
「そんなの簡単よ。死ぬこと」
矛盾だ。
「ちがうの。これは、天寿を全うする、ってこと。苦しんで、苦しんで生き抜いた末に、自らの人生を省みて、自分の全ての結末を受け入れる。これが、完全な贖罪よ」
「つまり、自殺ってのは罪を途中で投げ出してしまうことか」
「そういうこと」
「じゃあさ、例えばいじめにあったとしよう。それがどうしようもなく辛いものであって、逃げる術もない、苦しんで苦しみぬいた末に自殺を選択した人がいた場合はどうなるんだ?」
彼女は言う。
「どうだろう。例えば、誰かがインフルエンザの一億倍くらいの感染力と、最強の致死性を誇る病気にかかったとしよう。その人が生きているだけで、周りの人々は死ぬ。もしそんな状況に陥ったら、普通の人は、まず間違いなく死を選ぶ。周りから見れば、それは英雄的なものと評価されるだろう。でも、それはやはり精神が弱いからなんだ。死ぬほうが、生きるより千倍楽だものね。でも、やはりどんな状況に陥っても、生きて生きて、それで自らの結末を受け入れるべきなの」
なるほどな。
「なんとなく、分かった気がしたよ」
「そう、よかった」
彼女は、そして微笑む。この笑みが、凄惨なものになるところは、あまり想像したくない。
ふと視線を前にやると、そこはもう僕の目的地、高級住宅街の一角を占めるマンションであった。
「じゃあ、僕はここらで」
「そう、じゃあ、バイ」
そう言って、彼女は背を向けて歩き出す。歩き出したはずなのに、そこにはもう何もなかった。
「ふう」
僕はため息をつき、本来の目的を果たすことにした。そう、もともとあんな殺人鬼―凪と話す予定はなかったのだ。ばったり、偶然出会ってしまったばかりに、ああしてくつわを並べていただけだ。
そんな言い訳をしつつ加賀峰凛のマンションの、カメラ機能付チャイムを押す。
ピンポーン、と流れるような電子音が聞こえ、程なくして返答が帰ってくる。
「はーい、あ、みーちゃん?待って、今開けるー」
僕に一言も発する暇も与えずぶちり、とチャイムの切れる音がし、カシャン、とオートドアが開いた。ここら高級住宅ではこれが当たり前だそうだけど、玄関の時点ですでに我々庶民との違いを見せつけられてしまい、どうしても、僕はこの地に足を踏み入れるのを躊躇してしまう。
さて、僕がなぜこんなところにいるのか。理由は簡単。クラスメイト、数少ない友人の一人である加賀峰凛が、ここ一ヶ月間学校に姿を現さないのだ。よって、この手にぶら下げたハーゲンダッツ(ストロベリー)からも推測できるであろう、いわゆるお見舞いってやつに参上仕ったわけだ。……溶けてないといいけど。
僕がエレベーターの超高速上移動に頭をくらくらさせつつ、最上階を告げるアナウンスに促され、僕はエレベーターを出、すぐ真向かいの、加賀峰凛の家のドアへと歩み寄った。
ここでもチャイム。√3秒ほどの間の後、ドアが勢いよく開く。おかげで、チャイムを押した後、自然とドアから遠ざかる習性がついてしまった。
「やーみーちゃん!おはよー」
相変わらず、こんなに暑いというのに黒いコートを着て、マックススマイル、マックステンションで加賀峰凛が姿を現した。太陽が傾きかけているこの時間におはよう、というのはこいつとつるんでいればそう抵抗を感じることではなくなる。
「ん、さては寝てたね」
彼女の挨拶は、彼女が起きてからどのくらい時がたったのかに反映される。おきて三時間経つ前は「おはよー」で、それ以上は「こんちわー」、さらに六時間が経つと「こんばんわー」である。こいつは変なところで几帳面なのだ。寝癖も治さない、几帳面。うん、貴重かも。
「ううん、大丈夫、もう起き掛けてたから」
「そうだ、はいこれ、冷蔵庫」
そう言ってビニール袋を手渡す。
「わー、なにこれー。うおー、ストロベリー!」なんて声を尻目に、僕は部屋へお邪魔した。お邪魔しますを言わないのは両者間の暗黙の了解だ。
僕が凛の私室に入り、彼女が遅れて入ってくると、ふとその目の片隅に怪しいオーラがむんむんする板状の物が入ってきた。
「なにそれ」
「ウィジャ盤」
即答。って。……はい?
「シーカー朝のころかな」
とまで駄目押しをくれた。
「……シーカー朝って初めて聞いたけど」
「えー、みーちゃんちゃんと授業受けてるー?言ってたじゃん、センセー。」
「記憶にないな」
これは後日談だが、こんなのは全国トップの大学の世界史で名前だけ出てくるような、そんなマニアックな王朝であった。貧弱大学に通う僕らには無縁な話であり、やはり先生はそんなこと言ってはいなかった。
「うにー、まあいいや」
そういってにへらっと笑う。言うまでもないが、この天然少女は名前を加賀峰凛という。黙っていれば普通に可愛い奴なのだ。が、あまりのハイテンションに、美人ポイントは激減の目を見ている。まあ、それはそれでまた違う趣があるけど。ちなみに、僕と同じ大学に通う学生である。とてもそう見えないのは何もその体の小柄さだけではあるまい。いつも楽しそうにしているが、彼女は決して幸せというわけではなかった。それ以外の感情を知らないのかもしれないと思い始めたのは最近のことだ。
それは別に家が貧しいというわけではない。むしろ彼女はものすごいお金持ちだ。
ただ、両親、親族、その他がいないだけで。
彼女の両親は情報機器かなんかですごい発明をしたらしく、現在進行形で、ものすごい量のお金が入ってくるため、彼女は一生働かなくてもすむだろう。三十回の人生を遊んで暮らしてなおお釣りが来る様な、僕ら庶民には思いもしない大金であることは確かだ。
しかし両親は交通事故で―意図的なものな―死んだという。そのあたり、僕とは似ているため、こうしてつるんでいるのかもしれない。
……いや、そんなのは逃げ口上だ。ただ、僕は、何も隠さず開けっぴろげに感情表現できる彼女がうらやましいだけなのかもしれなかった。
話を戻そう。僕の両親は、通り魔によって惨殺された。九歳のときだったか。そして僕はおじの家に引き取られたが、そのおじも僕僕が十五歳くらいのときに事業に失敗し、多額の借金を背負って自殺してしまった。当然、返済の義務は僕に帰結し、払いきれないような額のお金を要求された。それを肩代わりしてくれたのが、他ならぬ加賀峰凛である。当時のクラスメイトで、僕の数少ない友人の一人であった彼女であったが、暗い顔をしているところを巧妙に嗅ぎ取られ、僕から全てを聞き出すと『よっしゃ、じゃあ私が肩代わりしたげる!』なんて言い放った彼女でもある。……いや、そんなことはどうでもいいのだ。
僕は小さいころから、人よりずっと多い人の死に立ち会ってきた。合計すれば、間違いなく五は下るまい。僕の記憶力の悪さには定評があるので、正確な数はわからないけど。
……何か、感じなかったかって?
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
何も、感じなかったさ。
なぜか、なんてわからない。ただ、両親が通り魔に惨殺されたと聞いたときも、おじの自殺を聞いたときも、友達の家に遊びに言ったらその友達が両手足をばらばらに切断されたのを目にしたときも、涙ひとつ、嗚咽ひとつ漏らさなかった。―漏らせなかった。
ただ、死体を見たという気持ち悪さだけ。
何よりも気持ち悪いのは自分自身だというのに。
現実だと認識できなかったわけではなく、むしろ葬式場に集まっていた誰よりも、現実をしっかりと捕らえていたと思う。
ただ、本当に、本当に何も感じえなかったのだ。
今も現に、ほら。僕はこんなことを思い出しつつも、なんとも思っていない。
ぼくは、無痛症の精神バージョン、いわば無感症なのかもしれないと思い始めたのはそう最近のことではない。
「欠陥人間」。造語、by僕。
何をしようが、何をされようが、どんな精神的感情も巻き起こらない。自発的な感情さえもが稀少で、滅多にそういうものは現れず。
愛というものなんて、この世の中に存在する超能力者と同数、すなわち。ゼロに近い。
だから、僕は人に好意を抱く以上に抱かれるほうが苦手である。
その好意が重ければ重いほど、僕は困惑する。
その好意に、応えられる感情がないから。
そして、良心の呵責。しかし僕の心は無反応。
そして、今僕は、この純粋で天然な少女に対して、何を思っているのだろうか?
何を抱いているのだろうか?
理解できる日は、いつか来るだろう。
その感情が、どんなものであるとしても―
「うん?どした?みー」
「 、…なんでもないよ」
そか、と彼女はウィジャ盤をいじるのを止め、相変わらずの笑顔で僕に話題を振った。もう飽きたらしい。
呪われた日本刀から、月の石まで収集してしまう彼女のことだ、これもお蔵行きか、骨董店行きか。愛撫するだけしたら、次のものへ移り、それは買値よりも高い値段で売るのが加賀峰凛流だという。
「…だってさ。知ってる?……というか聞いてる?みーちゃん」
「……あ、ゴメン、完膚なきまでに完全に超絶的に聞いてなかった」
「え〜?全くみーちゃんは。いいかい?もっかい言うよ?」
凛は少し息を吸い込んでから言った。
「だからね、……通り魔、だってさ」
「通り魔?」
「うん」
彼女はゴロリと寝転がった。
「もう八名様が仏様になってるそうだよ?こりゃあもう大事件さ!」
こいつはかわいらしい外見の癖に案外こういう話題を振ってくることが多い。それはつまり今の世の中にはそういった事件が多発している、ということだ。こいつはまた、ヒキコモリなくせして世界情勢には人三倍くらい詳しい。
「八人ってすごい数なの?」
当たり前だよ!とスーパーハイテンションの突っ込みが飛んできた。
「確か、三人までが殺人で、そっからはもー殺戮だよ」
初耳だ。
「だろうね!私の持論だもん」
即興の、と彼女は付け足した。
「それに、八人も殺したってのにまだ何も手がかりないんだってね?」
へえ。それで、一週間も閉じこもって調査してたってわけか?
「へへ、そうだよ。」
彼女はペロンと舌を出した。あくまで趣味の延長なはずなのに、よくやることだ。
「みーちゃんも手伝ってよ。一人よりは二人のほうがいいはずさ」
そのファンシーな表情が一瞬にしてシリアススパイスを含む。こいつの表情は忙しく変わる。
「でも、こうなるともう国も動かざるをえないだろうね。五人だよ?それに、まだまだ増えそうだし。私の予想だと十三人は殺されるんじゃないかな?なんて思っているんだけどね」
「国まで動くの?こんな地方的な県に?」
「地方的な県だからだよ」
加賀峰凛は、ウィジャ盤を脇に押しやって、大きな瞳で僕を睨み通すように言った。
「こんな事件は、絶対に地方的な県で起こっちゃあいけない事件なんだ」
「……。」
「でも、何だろうね。今までの殺人鬼と比べると、なんか殺人衝動ゆえの殺人ではないような気がするんだよ」
「どういう風に?」
「頚動脈切断。みんなそれが致命傷で殺されている。比較的苦しまない、スマートな殺し方だね。それに、みんなまぶたが閉じられてるの。こだわりがあるっていうか」
「でもまあ、だいぶ猟奇的だな」
「うん」
彼女は肯定した。
「だから、みーちゃんも気をつけてね。大好きみーちゃんが冷たくなってますよ、なんて聞いたら私、泣くからね。テレビカメラの前でいい人でした、なんて言いたくないよ」
彼女はいつになく真摯に言った。
「…わかったよ」
僕はそう応えるしかなかった。
それからは、極めて普遍的な会話に花を咲かせた。今ここに一億円が落ちてたらどうするとか(凛は交番へ届ける、と言った)、今まさに、地球に超巨大隕石衝突する十五分前だったらどうするとか、とにかく、そんな他愛もない話だ。
「よし、じゃあ僕はもうそろそろお暇することにしようかな」
僕がそういったのは、太陽はもう沈み、外は暗くなってからだった。
「あうー、もう?もっとゆっくりしていきなよ」
「もうそろそろ帰らないと、ほら、通り魔」
「みーちゃん言い訳ー。通り魔は昼夜問わず営業中だって言ったじゃん」
そうだったっけ。
「そーそー、だから今日はここに泊まっていきなさい」
だからって、話が飛躍しすぎだと思う。
「うーん、何も用意してないし」
「うん、そうだね」
あっさり彼女はあきらめると、続けて心配そうに言葉を紡ぎだした。
「気をつけてね」
「ああ、大丈夫、いざとなったら必殺サマーソルトがあるから」
「別名山突、だね」
そうそう、と僕は乾いた笑いをこぼした。
「じゃあ、家に着いたら、すぐにかがりんの家に電話すること。三秒以内ね」
「そんな、ガキじゃああるまいし」
「だーめ、私から見たらガキなの。心配で夜も眠れなくなっちゃう」
凛にガキ扱いされるとは心外だ。後、まだ寝るのか。
「良い子は育つんだよ」
寝る子だろ。
「うにー、そんなのどーでもいいでしょ。さー帰った帰った」
どっちなんだ。
「そりゃあ帰んないでほしいけどさ。でも帰らないといけないなら、早く帰らないと」
こいつの言葉は矛盾だらけだ。
「了解」
僕はそう言い、凛の私室を後にした。
「ああ、電気消さないでね」
「わかってるよ」
こいつは、暗いところがだめなのだ。前に一度、こいつの家にいるときに停電になったことがあった。そのときはもう、大変だった。何言ってるかわからないし、子猫をとられた親猫みたいに暴れまわるし。しかも、電気がついたころには半泣きだから何もいえないし。
そんなことを考えつつ、後ろで手を振っている気配を察知したので僕も後ろながら手を振る。
廊下を抜け(僕はこの空間を廊下と呼ぶことにいささか抵抗を感じる。この時点で、僕の部屋より広いからだ)、ドアに手をかけると、後にしたばかりの部屋から声が飛んできた。
「あ、そうだ。みーりゃん、これ」
凛は僕にいくつあだ名をつければ気が済むのだろう、と心中で思っていると、いきなり視界に前方後円墳形の金属が入ってきた。
「うわ」
かろうじてナイスキャッチ。
「これは?」
「うちの鍵ー」
「どうしろと?」
「閉めるのめんどいから閉めといてー」
その後この鍵はどうするんだ。
「あげるー」
なんて声が響いてくる。
「……ええ?」
いいの?
「いーのいーのー。スペアだしー」
その声に続いて、にゅいっと手が伸びてきた。
「でも、代わりにみーちんの部屋の鍵もちょーだいねー」
ええと、それはつまり?
「もー、鈍いなー」
彼女はひょっこりと顔だけを出した。
「カレシとカノジョの間の鍵交換なんてジョーシキだよ、ジョーシキー」
そう、恥じらいもなくあっけからんと言い放つ彼女であった。
輝かしいばかりの、純粋で、明るい、無垢な笑顔とともに。
……………………
「……カノジョ、ね」
僕は自分のアパートの通路を、彼女の台詞を範唱しながら歩いていた。
彼女は、その言葉をどんなニュアンスで使ったんだろうか。
……いや、もちろん今のは冗談だ。それさえもわからないほど、僕の頭はもうろくしていない。……たぶんね。
やはり、彼女は一般的でありながらも意味としては二次的な、ええい、つまりは「コイビト」
の意味で使ったのだろう。
「コイビト」?
いつから、僕と凛はそんな関係になったのだろうか。
出会った時から?そんなはずもあるまい。
僕が初めて凛の家に上がったときか?いや、あれはそんなニュアンスを持つ行為ではない。
いつの間に。
僕と彼女の間はこんなになっていたのだろうか。
僕はポケットから鍵を取り出そうとして、舌打ちした。スペアは渡してしまったんだ。
仕方なく僕は財布の奥底から真鍵を引っ張り出し、鍵穴に突っ込み、そしてくるりとひねる。カシャン。
僕は電気もつけず、暗闇の中目の前に広がる畳に倒れこんだ。
「……ああ」
限界か?凪は言っていた。僕も凪の同類だと。
加賀峰凛が僕に注ぐ愛は、僕には少しばかり重過ぎる。
僕には、何も、応えられるような感情はないと言うのに。
でも、彼女にとってそんなことはどうでもいいのだ。
ただ、僕という人間に好意を抱き続けるだけで、彼女は幸せなのだ。
そう、だから僕の精神は自らの存在を拒む。
このままでは、僕は、壊れてしまうかもしれない。
壊れないためにはどうすればいい?
そんなの、簡単だ。
元凶を、壊してしまえばいいのだ。
つまり。
僕が壊れる前に、加賀峰凛を壊してしまえばいい。
そうすることで、自分が壊れるのを防ぎうるのなら、僕はそうするだろう。
しかし、僕は未だに彼女を壊せないでいた。
自分を愛してくれる少女を壊せる人間など、存在しようか。
でも、もう、臨界地点はとうに越している。
彼女の重すぎる愛は、確実に僕の心を蝕み。
確実にその時は満ちてゆく。
加賀峰凛を壊さねばならなくなる、その時が。
でも、彼女は、僕に壊されかけても、いや、殺されても僕のことを愛し続けるだろう。
無垢で、純粋すぎる彼女の心には、そんなことは小さすぎることなのだ。
僕が加賀峰凛を壊したとて、そこに何か意味が生じることはないのだ。
結局、彼女は僕に何をされようとも、僕の精神を蝕み続けるのだろうか。
愛の対義語、それは憎悪ではなく、無関心。僕にはそれしかないと言うのに。
「……全く、なんていう戯言だ」
僕は虚空に言った。
そうさ、こんなの、戯言でしかない。
矛盾だらけで、何の責任も負う気のない、冗談だ。
「ああ、そうだ、電話」
僕は携帯電話を引っ張り出し、凛の家にコールした。ワンコールもしないうちに、凛の声が響いてきた。
「あーよかった!みーちゃんじゃないか!無事に着いて何よりだよー。おねーさん安心ー」
誰がおねーさんだ。
「うふ、そんなのどーでもいーの。とにかく、無事に着いてよかったよ。この三十分くらいがかがりんには五十三年分に思えました」
んなおおげさな。
「ほんとだってー。気が気じゃなかったんだよー」
そうか、心配させちゃってゴメン。と社交辞令を述べる僕。
「ゴメンじゃないでしょ。」
……ありがとう。
「どういたしまして。そんな素直なみーちゃんが、私は大好きなんだよ」
「僕も、そんな単純な凛が好きだよ」
それは、質量のない、誰にでも言えるような、空っぽの言葉だった。
そんな僕の気持ちも知らず、あうー、という悲鳴が聞こえた。
「なんかフクザツー」
あはは、と笑い声が同時にもれた。その二つは、絶対に共鳴することのない、対極の性質を持つものだと言うのに。
「まーいーや、ありがと、みーちん。私は嬉しいよ。やっと、ここまで来れたって」
何のこと?
「ううん、なんでもない。ひとりごとー」
電話の向こうで、にへらっと笑っている彼女の姿が浮かんできた。彼女のそういうところは、決して嫌いではない。嫌いではないけれど。
「んじゃあ、もうそろそろ私はお風呂の時間だから、お暇させてもらおーかなー」
ああ、もう十時半か。
「そうそう、後四十三びょーう」
こいつは、やはり変なところで几帳面なのだ。
「うん、じゃあお休みー」
「お休みーちゃーん。ぶいぶい」
プツッ。
プーッ、プーッ、プーッ、と鳴る携帯をしまい、僕は手を伸ばし、蛍光灯の紐を引っつかみ、指に巻きつけ、ゆっくりと引く。
闇よりもむしろ不気味にさえ思えるような、無機質な光が苦学生を連想させる何もいない部屋を満たす。これは別にお金がないわけじゃなくて、ただの趣味である。なんていうのは負け惜しみ以外のなんでもない。
さて。
さりとてすることもないし。
寝ることにしようか。
僕はそのまま横にころころ転がり、敷きっぱなしの布団に潜り込む。
何のために電気をつけたのか、僕はもう一度手を伸ばし、電気を消した。
僕は明日の講座は三時限目からだという事実を確認しながら、ゆるゆると眠りに堕ちていった。
十時半になった。
…………………
「……うう」
その声が、僕のものとは思えない、しわがれたものだと気付き、そして僕は事態を悟る。
頭が痛い。のどにも激痛が走る。
立ち上がろうと試み、その試みは激痛の前に完膚なきまでに失敗することになる。
やばい。これはここ数年で一番危険な類の痛みだ。僕の感覚神経が危急を告げている。
時計をちらと見る。七時。あと一分と、二時間で目覚まし時計ががなり始めることだろう。
自分の額に手をやる。おお、熱い。三十八度は下らないな、これは。立てないし、だから薬も飲めない。くそ。
もう、いっそ寝てやろうか。
僕は目を閉じ、眠れない自分に気付いた。
さりとてすることもないので、僕は携帯を出し、大学への連絡を図った。でももちろん僕が自分の学校の電話番号を入れるほど几帳面であるはずもなく、目論見は玉砕することになった。
仕方なしに、凛には悪いけどメールを送らせてもらうことにした。
『僕は今日、大学を休みます。先生によろしくお伝えください。』
堅すぎる。
『みーちゃんは今日ガッコ→にはいけませーん、伝えといてー』
軽い。自虐的だ。
五分ほどの思考の末ひねり出した文章は、
『僕は今日大学休むから、先生に伝えといて』
という無難な文章だった。忘れずに、寝てたらゴメンね、と件名に打つ。
送信、と。
送信してから、ものの三十秒で返事が返ってきた。
『なんでー?』
僕はしかたなく、本当のことをメールに打つ。
『軽い風邪さ、一にちやす』
そこまで打って、着信。フロム・加賀峰凛。あいつはメールが嫌いだといっていた。第一の理由としてはじれったいのだそうだ。アホ。
『みーちゃん!風邪ってだいじょーぶ?』
つい五分ほど前まで寝ていたにしてはずいぶんとテンションが高い声が響いてきた。
「だめだか……ゴホ、ゴホ」
『あわあ、喋んなくていーよ』
なんか無茶苦茶言っている。
『あうー、喋らせちゃってゴメン、すぐそっち行くから』
は?
「おいちょ……」
電話はすでに切れていた。
ゴホ、と僕は咳を漏らした。凛は、間違いなくこちらへ来る。今更何といっても、聞く耳があるはずがない、あの二つは飾りだ。
舌打ちをし、布団にもぐる。
暇だ。
徒然なるままに、宇宙の神秘に思いをはせていると、ブラックホールって何だっけ?という疑問にたどり着いたあたりで、ガチャ、という音が響いた。続いて、バァン、と。
「みーちゃん!大丈夫?」
ブラックホールは霧散し、僕は布団から顔だけを出して、その声の主の顔を見据えた。
とりあえず手は振っておく。
「ああ、喋んないで」
どっちだ。というかどうやって入ってきた。……ああ、昨日鍵を渡したんだ。
「まずこれ、おみやー」
そういって袋を投げる。
僕が中を検分している間、彼女は僕の部屋に上がって、こちらへやってきた。さすがに、病人にダイブするほど彼女はアホではなかった。
ただ、おみやげとしてハーゲンダッツストロベリーを選んでくるあたり、やはりこいつはアホだ。
「あのね」
「あー、喋った!よかったー」
こいつは。
「それは買ってきたやつなんだよ」
変わらない気が……
気持ちの問題だよ、と彼女は一蹴した。
「そうだ、みーちゃん、熱計った?」
「まだ」
「なんで計んないのさー」
「動けん」
「そんなに悪いのー?仕方ないな。温度計、どこ?」
あ、あったー、という声が聞こえ、数秒で彼女が戻ってきて、口に突っ込む。一昔前のコントか。
「凛」
「はにゃ」
僕は口から温度計を出し、ティッシュで拭いてから然るべきところへ挟む。
「最近は、口じゃなくて脇に挟むんだよ」
「そうなの?」
そうなの、と僕は言う。うん。声がだいぶ楽に出るようになってきた。まだすごく痛いけど。
僕はハーゲンダッツのカップを開けた。なんだかんだ言って、僕はこれが大好きなのだ。
僕が食べ終わるのを、凛はうずうず待ち、やがて僕が食べ終わると、どこからか風邪薬を持ってきた。
「はいこれ、飲む」
「どうやって?」
「ゴクンって」
「違う。水、持ってきてよ」
うに、と彼女は了解し、あわただしく台所に消え、やがて水を持ってきた。
「ほいよー」
「ども」
僕は薬を飲む。にが。
「ふー」
凛はため息をついた。
「疲れたよ」
「うん、起こしちゃったからね」
「いやいや、もう起き掛けてたから」
こいつはいつもこういう。
「でも、カンビョーって楽しいかも。白衣の天使になるってのもいいかもね」
地獄の遣い魔じゃなくて?という突っ込みはしまっておくことにしよう。
とりあえず首肯だけする。
じょーだーん、と彼女は微笑む。
「ああ、そーそー。また昨日、一人殺されたってー」
こいつは。
「また男か」
「そうそー」
彼女は嬉しそうに言う。
「もうこれは決まりかな」
僕は誰に言うでもなくそうつぶやいた。凛が首肯する。
「よりにもよって、そりゃないだろうよ、凪」
「ん?」
「いや、なんでもない」
今までの九人の被害者の共通項。それは、被害者が全員、若い男なのだ。ティーンエイジャーの末年、十七から十八までに、凪は絞っているらしかった。
「だからさ、ちょっとかがりんは心配の現在進行形なんだよねー」
なにが……そういいかけて、止めた。
「僕は大丈夫だって」
僕はそういった。そんなのは、真っ赤なうそ、戯言だというのに。
「うに、でもさ、やっぱ不安だよー。みーちゃんが殺された、なんていったら私泣くからね」
マジでこいつなら泣きかねない。感情表現が露骨な彼女のことだ、泣くときはそれこそ滝のように泣くだろう。うん、あまり見たくないな。まあ、見れないけどね。
「心配性だね、凛は。僕くらいの年齢の人なんて、ここいらにも車に積み枡で計るほどいるよ」
「よくわからないよ。それに、殺された人たちだって、たぶんみーと同じ気持ちだったと思うよ」
「大丈夫」
僕は強く言った。
そしてそれは、今までについたどのうそよりも悪性の強いうそだった。
「そう?わかった、じゃあ、もしみーちゃんが死んだらゴムマスクしてバレエのドレス着てひげダンス踊ってもらうからね」
「わけがわからない」
「うー、いいの。もういい、この話はおしまい。んでさ、この前、また面白いもの見つけたんだよ……」
そうして、会話は日常性を取り戻した。
凛の話に相槌を打ちながら僕は思う。
凪は、今何をしているだろうか、と。
十人目を殺しているか。
十一人目をつけているか。
どちらにせよ、時はたつ。
着実に、僕の最期の、その時は着実に近づいている。
人は、死を恐れるわけじゃない。
人は、無をこそ恐れるのだ。
常に無である僕にとって、それはどうでもいいことだというのに。
僕は、普通に凛と笑いあっていた。
その笑顔に、連れて行ってもらいたかったこともあった。
光り輝く、人間の世界に。
でも、結局は戯言。
それ故の、欠陥人間。
そちら側へ行くのは許されない行為。
だというのに。
その笑顔は、僕を錯覚させる。
その愛は、僕を圧迫する。
そちらへ行けるかも知れないと言う幻想と、絶対に行けないんだという確信。
二つは相克し、そこに生まれるものは皆無。
一とマイナス一の総和が零であるように。
僕はゼロだ。
だからこそ、欠陥人間。
僕が死んだとき、彼女は何を思うのだろうか。
僕を心のよりどころとしている彼女にとって、
僕の死は、
すなわち、彼女にとって一つの世界が崩壊する。
それは比喩でもなんでもなく。
ただ、当たり前のように零と一に還元され、物語が幕を閉じる。
そこに残るものは。
ただの戯言なのかもしれない。
彼女の、愛は、やはり、重い。
その、まぶしい、笑顔は。
僕に、夢を、見させる、その、笑顔が。
僕を、崩壊へ、引きずり、込む。
僕、には、あまりにも、重、すぎる。
突然、湧き、起こる、破壊、衝、動。
この、ままじゃ、僕は、コワレ、る。
彼女を、いつ、か、コワシ、て、しま、う。
僕はあなたのことを愛せないから。
破壊衝動につながるから。
もう、これ以上僕を愛さないでください。
そもそも感情というものが生きるうえではまったく必要でないもの、と認識する考え方もこの世には存在します。その論によるとむしろ感情というものは邪魔者であり、人間はお互いを傷つけあってまで付き合う必要はなく、むしろ一人で生きていく生物だそうです。
それは、多少の馴れ合いはあってもよさそうですが、それ以上に深くなると、傷というものはついてしまうものなのです。
人と付き合う上で不可欠なことは、決断することです。その決断は、必ず傷を伴うものです。なぜそう決めたか、なぜこっちに決めなかったかのかと、ひとつの決断には常にもうひとつ、つまり他の選択肢を選ばなかった、という意味が付きまとい、必ずそれは人に傷を与えるものなのです。
その考えを元にぬらりくらりと生き続けるみーちゃん、そして現れる殺人鬼。さてどうなるか、乞う御期待、といったところでしょうか。




