ルイーガ
船員さんが吹いた低い笛の音を合図に、僕達の乗っている船が出発した。
短めの桟橋から船体がゆっくりと離れる。
船縁の手すりにしっかりと掴まりながら、ライフは目を輝かせて一面の海原を見つめている。
その様子は僕が幼少期の頃、初めて乗った時のものとあまり変わらなかったので、自然と笑みがこぼれてしまった。
「船、初めてなの?」
「そうよ。」
僕へ顔すら向けないまま、ライフが答える。
こういう時は気が済むまで満喫させてあげた方がいいと思い、その場を静かに離れた。
V字に尖った、よくある船首だ。
中型の船で、縦に細長い。
舵は船尾にある階段を上ったテラスについているようで
ルイーガと同じような、いかつい体格のおじさんが両手で舵を握っていた。
木造で歩く度に床が軋んで最初は冷や冷やしていたが、それも次第に慣れてきた。
船の真ん中、上方ではためいている1枚の大きな帆を見上げて、その下にあぐらをかいて荷物を降ろした。
まだ着慣れない鎧が、カツカツと音を立てながら肩鎧とぶつかる。
おかげで細かい動作がぎこちない。
帆柱に背を預けて溜息をついて、しばらくぼーっとしていた。
ルトナムに着いたらどうしようかという問題しか思い浮かばない。
数時間もすれば、そろそろ日が傾いてくる。
宿屋に泊まるお金がないとなれば、野宿かそのまま森を突っ切ってクペサニーへ行くしかない。
どこかで金を稼げるものがあればいいのだけれど。
どこからか現れたのか、ドスンっという音を立てて僕の目の前にルイーガが座った。
「だいぶ困ってるようだな。」
「・・・うん。」
「心配すんな、いざとなったら俺が飯でも寝床でも、調達してきてやるよ。」
ルイーガは右手で胸を力強く叩き、豪快に笑う。
頼もしい言葉だが、どこから調達してくるのかが問題だ。
頼りにしたいけれど頼りに出来ない。
ふいに、真顔になったルイーガが僕を見つめる。
太い存在感のある眉毛のせいで睨みつけているようにしか見えない。
「おめぇ、親父の行方を捜して家を出てきたんだってな。」
「そうだよ。」
正面きって会話をするのはこれが初めてだ。
何となく緊張しているのも彼の鼻につくだろうか。
心が読まれるのなら、いっそ全てを話してしまった方がいいだろう。
僕は父親の遺体が見つからない事、真相が分からないまま時間が流れてしまった事、それを何とか自分で解き明かしたいという思いでここまで来た事を
不器用ながらにルイーガに、包み隠さず話した。
「死体が見つからない、か。」
顎髭を掻きながら考え込むルイーガに、心当たりがあるのかと聞いたが、しばらく黙り込んでいた。
「まあ分からねぇが、ライフ達に救われてるんじゃねぇのか?」
ガハハと一笑いした後、またルイーガの顔つきが変わる。
「俺も1回死んでる身だ、エルフ族にかっさらっていかれてたっておかしくはねぇぜ。」
話の意味が全く分からないが、彼は一息つき、そのまま話し続けた。
「俺には生きていた間の記憶がねぇ・・・気付いたら大草原に座ってて動けねぇんだ。
辺りを見回しても、金色の草が生い茂ってるだけで、仲間も敵も、昼も夜も、何もねぇ。
何時間、何日、何年経ったかも分からねぇが、ある時隣にあいつが座ってたんだ。
ここはどこだ、俺は何で動けねぇんだ、おめぇは誰だ、どうやって来たんだって怒鳴り散らしたが・・・あいつは何も言いやがらねぇ。
あいつが俺の頭に手を置いたら、景色がパーッと変わった。
ここはエルフの里で、俺は魂があそこから離れる事ができなかった、とか言っていた。」
間をおいて、ルイーガはおもむろに右の手のひらを見つめる。
「俺の生きていた記憶が蘇れば、俺は俺を取り戻して生き返れるらしい。
全てが夢みてぇな話だが・・・俺はそれに賭けるしかねぇんだ。」
確かにおとぎ話のような、作り話にしては出来すぎてはいる。
けれどエルフ族だって、僕は空想のものだと思っていたから、もう何だって信じてしまえばどうにかなってしまう気がする。
僕の当たり前の日常は、家を出て数時間の内に消えてしまったのだから。
今のルイーガは、ライフによって魂から具現化されたものだという。
彼女が死んでしまえば、ルイーガは再びあの大草原に戻って動けなくなるのだ。
他のエルフ族が彼を見つけるまで永遠に。
「だから俺は、あいつを誰にも渡さねぇ、傷付けさせもしねぇ。
これだけは覚えておけよ。」
握り締めた拳を僕の前へ突き出す。ゆっくりと、僕の鼻先に当たった。
全てを知った僕は、もう物怖じしなかった。
「僕も協力するよ。」
父さんへのてがかりが先か、彼の記憶が戻るのが先か。
争うつもりはないが、なるべく早くどちらとも見つかってほしいと願う。
エルフ族は死霊使いなのかという疑問が残ったが、今は深く考えないようにした。
多分彼女に聞いたところで、僕の頭の処理がついていけないと思うから。
何気なく空を見上げると、いつの間にか赤黄色く染まり始めていた。
家を出てから始めての夕暮れ。
それにしても日照時間が長かった。
やはり光の道が現れていた時、時間は止まっていたのだろうか。
そう考えると全て合点がいく気がする。
ライフは僕達が話していた間、終始ぴくりとも動かず海原に魅入っていた。
ルトナムの陸地が見えると僕達の輪の中へ入ってきたが、それでも心は一面の海原へ忘れてきてしまったかのようだった。
空から赤い色がなくなりかけた頃、僕達の乗った船はルトナムの船着場へと到着した。