エルフ族の少女
「君は、誰・・・?
ミルディヴの人間じゃないでしょ。」
女の子を精一杯睨みつけてみたけど、彼女は物怖じせず睨み返してくる・・・それも僕より鋭く。
「・・・人間なの?」
ミルディヴで育った僕は、ほぼ人間だけの世界しか知らない。
けれど目の前で刃物を突きつけている女の子は、パスルタチアで時折見かける人獣、獣人よりかは人間に限りなく近い姿。
何も言わずにいた僕を見下すように、彼女は笑った。
「聞いた通りの種族・・・長けた箇所も見当たらない。」
光の道と言っていた場所から大分遠ざかった所で、彼女は短剣を引っ込めた。
陽の光が当たらない、この薄暗い森の中で・・・緑色の刀身が鋭く光っている。
鉱石だろうか・・・その素材をきっと生まれて初めて見たと思う。
彼女は短剣を鞘へは戻さず、いつでも応戦出来るようしっかり握っていた。
僕は武器を一切持たずに家を出た。
争いなんてない村だし、パスルタチアで準備をすればいいと思っていたから、応戦出来る物は何もない。
・・・そもそも応戦出来るような力は僕には無いと思う。
彼女が短剣を引っ込めてくれて良かった。
「・・・その、光の道から君は来たの?」
「だから何。」
向こうも僕を敵とは認識していないだろうけど、やけに態度が冷たい。
僕と同じような姿なのに・・・この蔑んだ目はあんまり良いものじゃない。
それにぶっきらぼうな答え方。
礼儀のなってないように思える。
「どうして僕にあそこを通らせたくないの?」
「あんたの為と、私の為。
光の道に入る理由なんてあんたにはないでしょ・・・どうせただの興味本位なんだから。」
言われれば確かにそうだけど、直接がんと効くような答えは返ってこなかった。
何かを隠しているのだろうか。
「この道が消えるまで、私はここで見張ってなきゃいけないの。
分かったらさっさとどっか行って。」
彼女は光の道へ向きを変え、歩き始める。
これ以上、干渉したくもされたくもないように。
どこを見ても草に覆われ、先は見えない。
目印も何もない森を突き進めば、迷う事なんて分かってる。
「街に続く道が無くなってるの・・・行き方を知らない?」
草を踏む音と僕の声で、彼女が振り向く。
普通にしていれば可憐な顔なのに・・・しかめ面で忌まわしく見える。
「知ってる訳無いでしょ、反対の道を辿ればいいじゃない。」
「それだと困るの、僕はこっちに行かなきゃいけないの!」
遥か先にあるであろう道の先を指差すと、彼女も僕の指の向こうをじっと見つめる。
「この道はパスルタチアまで続いていたんだ。
ここで途切れちゃって・・・それで、辺りを探ってたら光るものがあったから。」
僕の言葉に彼女は考え込んだ。
左手で口を覆い、さっきまで刻まれていた額の縦皺が消える。
「光の道のせいかしら。」
ぽつりと放ったその言葉の意味が理解できなかった。
僕が呆けていると、続けて話し出す。
「何が起こっても不思議じゃない。
光の道が消えれば、この道も元に戻るかもしれない。」
確信がないのだろうか、彼女の顔は曇っていて・・・僕の顔もつられて曇る。
・・・彼女はさっき、光の道が消えるまで見張っていると言った。
「その、光の道が消えるまで・・・どれ位かかるの?」
「知らない。」
冷や汗か、脂汗か・・・体内からどっと噴き出るような感触。
体が一気に熱を奪っていくような、そんな感覚が襲った。
「さぁって・・・予想も出来ないの?」
「分からないんだからしょうがないじゃない。」
力が抜けていく。
僕はそのまま、地面へへたり込んだ。
・・・村のすぐ外れでこんな事になるなんて、思ってもみなかった。
このまま戻ればきっと弟のリスタンに笑われる・・・リスタンだけじゃない、村の笑い者になる事間違いない。
「そこまで大げさな態度取らなくったっていいじゃない。」
落胆している僕に、草を掻き分けて彼女が近付いてくる。
でも僕は顔を上げる気力もなく・・・足の間から見える土を眺めていた。
いつの間にか視界から姿を消していたパクが、うなだれた僕の隣に静かに立っていた。
柔らかい嘴で僕の右肩を撫でたり、身繕いをしたりしている音が聞こえる。
・・・太陽が昇ってきた、生い茂る木々の葉から光が差し込む。
ライフと名乗った少女は、ぽっかりと口を開けた光の道と呼ばれる、宙に浮いた穴の前を歩き回っている。
どの位経ったんだろう。
相変わらず地べたに座り込んで、僕は周りを見回していた。
パスルタチアへ続く道は未だ深い草々で覆われ、その先を絶っている。
・・・何事も無ければとっくのとうに着いていた筈だったのに。
光の道は少しずつだけれど、小さくなっている。
このままいけば夕方までには消えてくれるだろうとは思うけど・・・街へ行くミルディヴの人達がこの道を通らない筈、ないんじゃ・・・。
光の道が消えるまで僕もここに居なければ、パスルタチアまで辿り着けない。
この不可解な現実を受け入れようと、諦めのような気持ちも僕の中に芽生えてきた。
頭を地面から上げると、ライフがこちらを見ているのに気付いた。
座り込んだ僕と間合いを取り、僕を見下ろしていた。
むっすりした顔はそこには無く、凛としたつり目の・・・母さんと同じ水色の瞳が真っ直ぐ僕へ向かっている。
人間の耳よりも細長い、髪よりも突き出ているそれが気になった。
「あの、その耳・・・。
獣族・・・でもないみたいだけど。」
クリーム色の長い髪がほんの小さな動作にも反応して揺れる。
絹みたいで、とっても綺麗だと思った。
「そんな種族じゃない。」
耳にかかった髪を掻きあげて僕に見せてくれた。
・・・付け根から先まで、随分と長い。
耳の穴くらいまでは人間と大差ないように思えたけれど、先に伸びていく程細くなっている。
同じ様なものを持っている人獣族も居るけれど、目の前の彼女のそれは毛で覆われていない。
僕と同じ、肌があらわになっている耳をしていた。
彼女の姿、僕は現実では見た事がない。
第一そんな種族は学校の教科書の中か、絵本の中で描かれた・・・空想上のものだと思っていたから。
「エルフ・・・?」
「何よ、知ってるんじゃない。」
そう言うと女は横髪を指で軽く梳かして、その耳を隠した。
「だって・・・エルフなんて、現実に居ない種族だと思ってたから・・・!
僕、今まで1度も見た事なんてないよ。」
まじまじと見ては気分を悪くされると思い、目の前の貴重な一族の姿をそれ程眺められなかった。
相手が女の子という事もあるけれど。
僕の言葉に機嫌を良くしたのか、ライフは草むらの中で足を崩して座り込んだ。
おかげで姿が見えなくなってしまった。
「この世界では暮らしてない。
光の道の向こうが、エルフが住む世界。」
短剣を鞘に収める音がした。
ここでやっと、僕は彼女の警戒心が解かれたと安堵した。
「だから僕を行かせたくなかったの?」
「行ったら死ぬ。
それにあれを開く事、本当はいけない事なの。」
ライフの声音が落ちていく。
意味がよく分からなかったので、僕は黙っている事しか出来ない。
「どこに行こうとしてたの。」
「あ、えっと・・・これから旅に出るの。
この島から船で・・・っ!!」
僕が話している最中に、目の前の草むらから彼女の顔が一瞬で現れた。
驚いて両手を地面へ置き重心をかけるけれど、それに目もくれず・・・彼女は更に僕のすぐ近くへとすり寄ってきた。
「じゃあ、私も一緒につれてって。」
突拍子もないその言葉と、彼女の顔を正面で間近に見た事で、体が跳ね上がりそうな程驚いた。
色白くて、餅のような綺麗な肌に・・・海のような透き通った水瞳。
桃色にしなやかな唇が、僕の目の前で動いている。
「向こうに戻るつもりはないの。
だからこっちの世界、教えて。」
心臓が高鳴って、顔が紅潮していくのを感じる。
18年間恋さえした事は・・・あるけど、女の子と付き合ったり、こんな近くで話したりした事はなかった。
・・・こ、これがリスタンの言ってた、女の魅力なのっ・・・!
頭が働かない内に僕の口は勝手に動いていて。
・・・いいよ、と小さく言ったらしい。