ブロンド美女が面倒な話を持ってきた
「で?せっかくこの私があんたのためにミレディを寄越したのに、当の本人は毎度毎度駄々こねて彼女を困らせてるって?」
「いや別にそういうわけでは…」
「男がつべこべ言い訳してんじゃないわよ」
「……」
おおう。あのエドヴァン様がなにも言い返せずに大人しくしているとは、やはりエリス様は無敵ね。
私がのんきにそんなことを考えていると、今度はエリス様がつかつかとこちらに歩み寄ってきてあっという間にエドヴァン様の手にあったフォークを文字どおりぶんどった。
「ちょっ…姉上!待ってくださ……っ」
「黙りなさいこの愚弟。まさか王太子妃であるこの私の言うことが聞けないとは仰らないわよねえ?」
「ぐ……うっ!!」
エドヴァン様撃沈。悪魔の笑みを浮かべたエリス様によってずぼっとニンジンを口に突っ込まれた彼の顔がみるみるうちに青ざめていった。
「…っ、!!」
「エ、エドヴァン様…大丈夫でございますか?」
「あらミレディ、心配することなんてないのよ。こうでもしなきゃこの馬鹿、一生嫌いなものを口にするようになんてならないんだから」
ホホホと笑いながら自らの弟を見下ろすその姿はまさしく女王のようである。まあ、事実女王とまではいかなくても未来の王妃様なのだから、あながち間違いじゃないかもしれないけれど。
「エド。あなたが侯爵位を継いでもう半年。今までは招かれたパーティや会食でも、こっそりお相手方のシェフを買収したり体調不良を装ってごまかしてきたかもしれないけれど、あなただってそんなことがいつまでも通用すると思っているわけじゃないでしょう?」
エリス様はそう言いながら優雅にソファに腰掛けたが、ニンジンを飲み込めなくて顔を真っ青にしたエドヴァン様はそれどころじゃなさそうだ。
「エドヴァン様、落ち着いてください。なるべく舌に触れないよう、頑張って2、3回噛んで。どうしても無理なら丸飲みでも構いません」
さすがに可哀想になった私はコップに注いだ水を彼に差し出す。するとエドヴァン様はひったくるように受け取って口いっぱいにそれを含むと、ごくん、と大きく喉を鳴らした。
「し、死ぬかと思った…」
涙目になりながらそうこぼした彼は、結局丸飲みを選んだらしい。うん、その気持ち分かりますよ。噛んで味わうくらいなら、多少苦しくても無理矢理丸飲みしてしまった方がマシなのよね。
けれどエリス様の弟を見る目は呆れたような半眼だった。
「まったく情けない…由緒正しきルーティス侯爵家の現当主がたかがそんなもの一口でこのザマよ?やってられないわ」
「姉上には分からないのですよこの苦しみは!」
こればっかりは私も同志としてエドヴァン様の意見を否定できない。でもやっぱり、それと同じくらいエリス様の言うことは正論で、この貴族社会に生きる私たちのような人間はどうしたってこの試練を乗り越えないわけにはいかないのだ。
「…で、姉上。結局今日いらっしゃった本当の目的は何なのですか。まさか俺の口に無理やり野菜を詰め込むためだけに来たわけではないでしょう」
「失礼ね。それはあくまでおまけよ、おまけ。本当の用はこっち」
そう言うとエリス様は1通の封筒を取り出してぽーんとエドヴァン様に放った。ひらりと彼の手の中に収まった質の良さそうなそれは立派な赤い封蝋で綴じられている。
「王家主催の春の夜会の招待状よ。立食形式ではあるけど、あなたの分は私が給仕に彩よく取り分けさせて運ばせるわ。訓練の成果とやらを見せてもらおうじゃないの」
「なっ…」
「あら、まさかできないなんて言わないわよね?もし逃げたり小賢しい真似をしようものなら、評価に傷がつくのはあなたの方ではなくあなたを指導しているミレディの方なのよ」
それは困った。尊敬するエリス様に失望されるなんてまっぴらごめんよ。
それにエドヴァン様の侯爵としてのお立場なんて私にとっては知ったことじゃないけど、実家の立て直しがかかっている今、エリス様の信用を失うわけにはいかないんだから。
そんな熱意のこもった眼差しで、私はエドヴァン様をじぃっーと穴が空くほど見つめてやった。
「くそ…分かったよ、出ればいいんだろ、出れば!」
半ばやけくそのようにとうとう宣言したエドヴァン様に、取り敢えず私は心の中で小さくガッツポーズを作っておく。エリス様は当然よと言わんばかりにふんと鼻を鳴らすと用は済んだとエドヴァン様から視線を外した。
「それじゃミレディ、頼んだわよ」
それだけ言うとさっさと綺麗な髪を靡かせながら背を向けてしまう。
本当に、いつもながら嵐のように過ぎ去っていく人だわ。なんて思っていると、エリス様は部屋を出て扉を閉める寸前、思い出したように足を止めて振り返るとこう言った。
「そういえばエド。言い忘れていたけどその夜会、パートナー同伴が条件なの。当日までに適当に見繕っておきなさいよ」
バタン。カツン、カツン、カツン。
やがて足音が聞こえなくなると、横から大きなため息が漏れだした。
「はあ。疲れた。まったくあの人は…いつもいつも、なんでこうも唐突なんだ」
「そうですか?颯爽としていてかっこいいじゃないですか。それに、エドヴァン様のことを考えてのことでしょう?」
「バカ言え。あれは単に弟が偏食家だなんてバレたら自分の評判まで落ちると思ってるだけだ」
「そうですかねえ…」
「そうだよ」
呟きながら、エドヴァン様はさっきのニンジンがまだ尾を引いているのか、料理人が予め用意しておいてくれたお口直しのための彼の好物、濃厚なカスタードのプリンをちまちまと口に運んでいた。
普段は信じられないくらい横暴でわがままで自信家なくせに、その姿のなんと情けないことか。不覚にもちょっと可愛いなんて思ってしまったじゃないの。
「…ミレディ」
あ、いけない。ばれないように気をつけてたのに、笑っていたのがばれたかしら。
しかしエドヴァン様が続けた言葉はまったくそんなことではなかった。
「夜会のパートナー、おまえにするから」
「……え」
今なんて?夜会のパートナー?それを私に?
たっぷり数秒使ってやっと頭に入ってきたその言葉に、私は思い切り手の平を左右に振った。仮にも侯爵様のまえではしたないとかそんなの知らない。
「なな、何をおっしゃってるんですか無理ですよ!!」
「なぜ」
「なぜって!そりゃ王家主催だからに決まっているでしょう!私のような子爵家の、しかも没落しかけた家の娘が招待もなしに行っていいところではありません!」
「俺のパートナーとして行くんだから、問題なんてないだろ」
「大アリです!!エドヴァン様は由緒正しきルーティス侯爵家の御当主様なのです!もっと家柄も容姿もあなたに相応しい女性がいるはずですよ」
私にはあまりに恐れ多いことだ。エドヴァン様の評判を落としてしまうことにもなりかねない。なのに、それを言うとなぜかエドヴァン様はむっと眉間に皺を寄せて椅子から立ち上がり、私の目の前に来てその美しいグリーンの瞳で鋭い視線を送ってきた。
「おまえは、俺が誰とも知れぬ令嬢を隣に連れて歩いていても何とも思わないのか?」
「…はあ?」
いまいちエドヴァン様の仰っていることが理解できずに聞き返す。
「………」
「あのー…?」
「いや、もういい。夜会のことも、おまえがそんなに嫌だというなら諦めよう」
「え…そ、そうですか…」
エドヴァン様…いつもなら一度言い始めると私が何を言っても聞き入れたりしないのに。呆気なく引き下がった彼に私は思わず拍子抜けしてしまった。…ま、王家主催のパーティーだなんて恐れ多いところ、いくらなんでも私には荷が重すぎたしちょうどいいんだけどねえ。
しかしどうしたことだろう。さっきからどうもエドヴァン様の御様子がおかしい。まだ今日のノルマは残っているのに顔を背けたまま一向にこちらを見ようともしないし、顎に手を当てて何事か考え込んでいるようだ。
が、その横顔にやがてうっすらと笑みが浮かぶ。
「……」
背筋がひやりとして、思わず両手で腕をさすった。なんだろう、何だかわからないけどとてつもなく嫌な予感がするわ。エドヴァン様があういう顔をするときは大抵ろくなことがないのだから。
でも当然本人に聞くこともできないまま私は首を傾げつつ、その日はそのまま侯爵家を後にしたのだった。