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侯爵様、つべこべ言わずに食べましょう

「食べてください」

「嫌だ」

「食べてちょうだいってば」

「嫌」

「食べて」

「食べない」

「食え!」

「食わねえ!」


 永遠とも思える言い合いの末、お互いに睨みあった私たちはどちらともなく視線を外してため息をついた。

 無駄にだだっ広くて天井の高い、まさにこれぞ貴族の屋敷と言った豪奢な部屋の中央、そこに堂々と鎮座するこれまた繊細で上等な家具や調度品に囲まれて、ともすればその中でも一番豪奢なのではと思えるほど派手な天然のブロンドをなびかせる男が不貞腐れたような顔で長椅子に深く身を沈めていた。

 エドヴァン=フォン=ド=ルーティス現侯爵家当主。弱冠23歳と言う若さでその華々しい地位に着くの青年貴族はまさに水晶玉かと見紛うほど澄んだグリーンの瞳をすいと持ち上げた。


「だいたいな、おまえ。誰の許可を得て俺の部屋に入ってきてんだ?しかもそんな忌々しいモンと一緒に!」

「もちろん、あなたのお姉様の許可ですが?そしてこの忌々しいものに関しては、持ってこないことには私の仕事が始まりませんので悪しからず」

「ちっ…!」


  普段は誰をもひきつけてやまないその甘い顔立ちを今は思う存分不機嫌そうに歪めたエドヴァン様の瞳が再びこちらに向けられて、私は思わず眉を顰めた。


「あーあ。おまえ一人だけが来たんなら少しは楽しませてやったのに。そんなもん見せられたんじゃヤる気も起きねェよ」

「そんなものはこちらからお断りよ!ほんっと最低ですね!!」

「光栄だな」


すました顔でいけしゃあしゃあとのたまうエドヴァン様に、私は思わず貴族令嬢にあるまじき舌打ちをしそうになってすんでのところで押し留めた。かわりに彼が腰を下ろすソファの前に備え付けられていたテーブルの上にガシャンッと勢いよくカートから取り出した新しいプレートを置く。


「ノルマ追加です!」

「っは?!」


私はにいっと、これまた貴族令嬢にあるまじき意地の悪い笑顔を思い切りエドヴァン様に向けた。


「さあ、たんとお食べくださいね。本日のメニューはエドヴァン様の嫌悪してやまない最高に最低なお野菜の盛り合わせでございます」


なぜ、こんな高位貴族を前にしてあろうことか私のような者がこんなことをしているのかというと、話は数週間前の社交界に遡る。



****



私、ミレディ=アル=アーカレドはこれでも一応由緒正しき伯爵家の一人娘である。社交シーズンの真っただ中、たまの一日夜会やディナーに招かれることだってあるのだ。そう、いくら領地が財政難で、ちょっと、本当にちょぉーっとだけ没落気味の半貧乏伯爵家だろうとも、である。


その夜、私はある公爵家が開いた大々的なパーティーに招かれて王都のど真ん中にある立派なお屋敷を訪れていた。門の前に馬車を乗りつけ、一緒に出席する父の手を借りて足を地に下ろす。憂鬱な気分で周りを見渡せば、案の定私にはとても似合いそうもない煌びやかな衣装を身にまとった貴族令嬢たちがこれでもかというくらい華やかな空気を辺りにまき散らしていた。


「…さあミレディ、行こうか」

「そうね。それにしても…ああなんて憂鬱なのかしら。今すぐ帰りたい」

「安心しなさい。没落気味の我が家を標的にありとあらゆる貴族に嫌味を言われることが分かり切っている私の方がよっぽど憂鬱だ」

「ああお父様…なんて切ないの」


 私たちは親子仲良く深々とため息をついて、会場へと重い足を引きずった。

その時はまだ、この夜会が私の今後に大きな影響を与えることになるなどとは、欠片も想像していなかったのである。


「あら?まあまあ…」


そんな、上品で落ち着いた声がすぐそばで聞こえたのは私が社交もそこそこに料理をもぐもぐしていた時だ。ふと顔を上げてみて思わず絶句した。

なんだ、このとんでもない美人は。輝く派手なブロンドに、蜂蜜のような琥珀色の瞳。スッと通った鼻筋とその甘そうな色に反した切れ長の鋭い目が彼女のいっそ攻撃的なまでの美しさを引き立てていた。


「あの…わ、私に何かご用でしょうか…?」


おずおずと問いかけてみれば、彼女はふわりと、その容貌からは想像もつかないほど柔らかい微笑みを私に向けた。

や、やばい。相手は女性だというのに私ったら危うく心臓を射抜かれるところだったわ…。


「突然ごめんなさいね。あなたのそれが、あまりにも私の弟と似ていたものだから思わず笑ってしまったのよ」

「へ…?」


ふふふと上品に笑みながら彼女が指差したのは、どういうわけか私が手にしていた料理の取り皿であった。


「あなた、もしかして大の偏食家ではなくて?」

「…!!」


 な、なぜそれを!!この19年間、必死に隠してきたこの事実は家族以外一度だって誰かにばれたことなどなかったのに!

 咄嗟のことに私は目を見開いて馬鹿みたいに口を半開きにしたまま美女を見返すことしかできなかった。


 ここで一つ余談になるが、このエルドラ王国という我が美しき母国には他国にはない特殊な社交マナーが存在している。文明的にも豊かなエルドラは他国に比べ、水脈に恵まれ気候も良く、非常に潤った土地を有している。植物はのびのびと育ち、海に面した港町ではさかんに漁が行われる。さらに王国全土に横たわる巨大な運河は、そりゃあもうありとあらゆる恩恵をこの国にもたらした。豊かな土地と美しい水。私たちエルドラ人がこんな飢え知らずの環境にめぐまれて類稀なる豊かな食文化を形成したのも無理はないだろう。だから、貴族が自らのステータスに料理を使うようになったのだってなんの不思議もない。そしてそれが私にとってどんな厄介な社交マナーを誕生させようとも…。ええ、いいわ。もうはっきり言いましょう。このエルドラ王国の貴族社会には一つの暗黙の了解が存在する。そう、それこそがの悪名高き決まり事…名付けて『お残し厳禁』ルール、である。


 『お残し厳禁』

 さあ、この暗黙の了解がいかに私を苦しめるか、詳しく説明しようではありませんか!


 名前の通り、これは出されたお料理はお残しせずにきちんと食べきりましょうという、ただそれだけの簡単な話だ。食べきることで料理人は一流であり、そんな料理人を抱えることができるお相手を敬う、ということにつながる。つまり、この社交界マナーが使われるべきは、ディナーなどの会食に招待してくださったお相手が自分より身分の高いお方であるときに限るということでもある。逆に言えば、言葉は悪かれど相手が格下でさえあれば、まあ好ましくはないが、出された料理を食べきらずとも一応マナー違反にはならないということだ。

 これらは決して正式なマナーとして定められているものではないが、その反面で貴族なら誰もが知る暗黙の了解として強く根付いていることに変わりはなかった。

 そして、なまじ伯爵家という身分を持つがゆえに時たまとは言え格上のお相手方との社交を避けられぬ立場にある私にとって、それはまさに地獄のルールだ。

なぜって?それは私があの美女様のおっしゃる通り、大の偏食家であるからよ!!何のとりえもない小娘の私だって好き嫌いの数ならばどんな相手だろうと負けやしない自信がある。肉料理ひとつとっても、その肉の部位や脂身の程度も選り好むし、野菜なんてほとんどが馬かうさぎの餌に思える。生野菜のあの何とも言えない青臭くて雑草のようなにおいといったらとてもじゃないが食べられたものではない。

…おっと、話が逸れてしまったわね。

とにかく、そんな私は子供のころからずっとこんな調子で好き嫌いを克服することなく成長してきた。でも、そんな平和はいつまでも続くことはないのよね。4年前――社交界デビューを翌年に控えた15歳の春、私は決意したわ。

どうにかしてこの偏食を克服しなければ、とね。

そのころにはもう私たちアーカレドの持つ領地の主な収入源であった鉱山は衰退の兆しを見せ始めていた。そんな私たちが、どうにかそこを持ち直してアーカレドを存続させるためには、もちろん貴族社会でうまく立ち回ることだって必要不可欠で――かくなる私も、16になればアーカレド伯爵家の一人娘として、立派に社交の場に出ることはもはや逃れられぬことだった。

つまりそれは、かの恐ろしき社交マナー『お残し厳禁』ルールが、もれなく私の身の上にも降りかかってくるということ…。

 本当は死ぬほど嫌で仕方がなかったが、だからといって私のわがままでただでさえ危ういアーカレド家の評判を落としてお父様に迷惑はかけられまい―…。

 それから、15の私は死ぬ気で頑張った。そりゃもう、血反吐を吐くくらいの勢いで。あの頃の私はもはや鬼神のような有様で、到底伯爵令嬢などというお花畑に突っ立っていそうな年頃の娘のようではなかった…と、後に私は屋敷の使用人たちから聞かされることとなる。

 ともかくこうして丸1年をかけて成長をした私は、16の春、満を持して社交界デビューを果たしたのである。


 結論から言えば、私はこれに大成功をした。いや、大成功、と言える結果かどうかは分からないがともかくそれ以来、上位貴族が主催した会食その他で私がお残しをしたことはない。が、言っておかなければならないのは、かといって私が偏食、すなわち好き嫌いを克服したわけでは決してないということだ。

 かわりに私が猛特訓ののちに身に着けたこと。それこそがずばり「我慢!」である。とまあ、そんな解決法が可能ならば最初からやれと誰もがお思いになることでしょう。私もそう思う。

でもそうじゃない。私が一年間必死になったのは我慢は我慢でもその方法・・を探すこと。嫌いなものをいかにして口に押し込め、無理やり嚥下するか。研究を重ねに重ね、ようやく私はその技術を習得したのである!

結局、我慢して食べなければならないことに変わりはないのだが、この工夫によってその苦痛はだいぶ軽減されたと私は自負している。まあ事実、それでうまくやっているんだから間違いじゃあないはずよね。


長くなったけどこれが私の一応、偏食家としての歩みである。ついでに猛特訓に打ち込んだ15歳からの1年間、ついでに行儀作法の特訓もし直してきた私は食事以外のマナーだって完璧にマスターした。あれからさらに3年、今年で19歳になった私の社交界マナーは極めて完璧。のはずである。

そう。完璧なはずなのよ!なのになんで!?


動揺を隠しきれなかった私は我に返るともう一度おずおずと美女の方に視線を向けた。




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