道化
高市家。一目で「ああ、こりゃ金持ちの家だな」と分かる高い壁に囲まれた敷地内に、いかにもな庭園を備えた日本屋敷。
うん。何で私こんなとこに平然と住めてたんだろうね。足を踏み入れただけで雰囲気にのまれそうなんだけど。
「良い庭ね」
そしてそんな私を置き去りに、雰囲気に調和しまくっているアオイ先輩。
やっぱ日本美人だわ。着物を渡したら完璧に着こなすに違いない。
「……」
そしてそんなアオイ先輩……と私をガン見しながら、目を見開いて固まっている白髪のお爺さん。というか本家の爺様。
「……」
私も動けない。動けるはずがない。
黒のゴスロリ衣装に身を包んだ女装子に、この純和風な空間でどう動けと。
……何でアオイ先輩の口車に乗せられたかな私。爺様爆発までカウントダウン待ちな地獄なんですけど。
「……わしはそこまでおまえを追い詰めてしまったのか!?」
何か始まった!?
座布団に正座したまま、頭を抱えてうずくまる爺様。
え、何? もしかして精神病んだと思われた? それはそれで失礼だな。
「おじ様、大丈夫です。可愛いから問題ありません」
いや、問題ありますから。自分で言うのも悲しいけど。
というかこんな年寄りに「おじ様」て。
「そうじゃな! 可愛いは正義じゃ!」
「ウヲィ!?」
つっこんだ。恐怖心やら苦手意識を忘れてつっこんだ。
爺様のそんな朗らかな顔初めて見た。というかどこでそんな言葉を覚えたこの爺。
「あら? 鉄之助さんは昔からこういう人よ?」
「マジで!?」
「孫に誤解されていたとは、わしは悲しい」
「まだ孫じゃないし!?」
え、誰この人。私の記憶の中の厳つい顔で容赦ない爺様は何処?
「……稽古以外の時間に私がお爺様を避けてたせいですね」
少し考えればすぐに分かった。
爺様が本当は愉快な人だったとしても、稽古中は厳しくて当然だ。
しかし弱虫な子供だった俺は、爺様を恐い人だと認識し近寄ろうとしなかった。
だから素の爺様を知る機会が無かったのだ。
「というか女装につっこみ無しですか?」
「ん? 女形修行の一環ではないのか?」
違ぇ!?
というか本職が勘違いするということは、普段から女装してる女形居るの!?
「女形の中には普段から女として生活する者も居るぞ。まあうちは代々普段は男だがな」
「あ、居るんだ」
だとしても趣味でやってる私と一緒にしちゃダメだと思うんだけど。
いやまあ女形に通じる部分もあるなぁとは思ってたけど。
「まあそれは置いとくにしても。リョウがここに来たということは、アオイちゃんの言う通りわしらは勘違いしていたということか」
「はい?」
爺様の言葉の意味が分からず、私は首をかしげた。隣のアオイ先輩を見てみるが、そ知らぬ顔で茶をすすっている。
……後は自分で何とかしなさいってことね。
「リョウよ」
「……え?」
突然の爺様の行動に私は固まった。
正座したまま、両手を畳につけ、深く頭を下げる爺様。
それはどう見たって、土下座と呼ばれる行為だった。
「勝手だと、恥知らずだというのは重々承知しておる。だが今一度、養子の件を考えてはくれんだろうか」
「……」
それは予想していた要求だった。
言われれば「ふざけるな」と返すはずの言葉だった。
しかしそうするには、あまりにも爺様の態度が予想と違いすぎた。
「……何故頭を下げるんですか?」
「おまえの心を踏みにじったからじゃ。おまえはどんなに泣いても、辛くても、逃げることはおろか泣き言も漏らさなかった」
「……」
「なのにわしらは、おまえが歌舞伎修行が嫌で、実家に帰りたがっていると思い込んだ。おまえを後継から外すことがおまえのためになると信じた。……おまえ自身は歌舞伎をやめたいとも続けたいとも言ったことは無かったというのにな」
爺様の言葉で、不可解だった状況の一部に納得がいった。
俺が本家に男子が生まれたから後継から外されたのは事実だが、本家の人たちは俺がそれを望んでいると思ったのだ。
歌舞伎修行に嫌気がさし、やめるきっかけを得たと思われた。
「本当にすまなかった」
「……やめてください」
冷たい、感情のこもらない声が出て、私は思わず口元を押さえた。
違う。そうじゃない。
私は爺様たちを責める気なんてない。責める資格なんてない。
「お爺様が謝る必要なんてないんです。勘違いしたというなら、そうさせた私の態度が悪かったんです」
「しかしおまえは歌舞伎を……」
「続けたくありませんでした」
はっきりと告げた私に、爺様がガバと頭を上げ、アオイ先輩が驚いたように目を丸くした。
「当たり前でしょう。どこの世界に、自分がやるべきことを自覚して、覚悟をきめられる十歳のガキが居るんですか」
俺は阿呆だった。
逃げるなんて発想が無かった。
だけど歌舞伎修行が嫌で仕方なかった。
「私は逃げなかったんじゃない、逃げ方が分からなかったんです。歌舞伎修行だって、何で自分がと思っても口にする勇気がなかった。
それなのに、お爺様に『帰って良い』と言われて、やっと自分が与えられたものの大きさに気付いて……」
嫌で仕方なかった歌舞伎修行。だけど本家を去り、冷静になり、頭が回るようになって、ようやく自分が託され投げ捨てたものの重さに気付いた。
「お爺様は勘違いなんてしてません。私は歌舞伎をやめたかった。なのに歌舞伎から離れて、失ってからわがままみたいにそれが惜しくなって、厚顔無恥にもここに来てしまった」
都合がいいのも、恥知らずなのも私だ。
本家を継ぎたくなかったのも、継ぎたくなったのも私だ。
そんなことにも気付かずに、本家を非難することばかり考えていた。
阿呆だった過去と変わらず、私はとんでもない大馬鹿者だったのだと、今このときに気付いた。
「お爺様」
顔を上げ動かない爺様に向けて、私は改めて向き直る。
「恥知らずと罵られる覚悟はあります。ですかどうか今一度、私に歌舞伎の業を継ぐ機会をください」
一息にそう言うと、私は先程までの爺様と同じように畳に手を付き深く頭を下げた。




