動き出す
もう生まれるはずのなかった男子。それが生まれて一番喜んだのは本家の夫婦であり、一番戸惑ったのは間違いなく俺だったのだろう。
男子がいないから、俺は養子を前提にして本家に弟子入りしたのだ。だというのに男子が生まれてしまっては、俺にはもう存在意義がない。
無論俺をたてる人もいた。本家夫婦ですら「君の道は君が決めていい」と俺を気遣ってくれた。
だというのに、一番気にかけてほしかった人は俺に何も言わなかった。
だからと言って、自分から話をする勇気もなかった。
そうやってただ無為に時が過ぎ、本家の子息がようやく立ち上がり始めた時期に、隠居したはずの爺様が俺を呼び出して言った。
「もう実家に戻っても構わん」
何を言われたのか分からなかった。
ようやく意味を飲み込んでも、今度は今まで見たことのない爺様の優しげな笑みが理解できず混乱した。
しかしどんなに足掻いても、すでに決まったことは変えられなかった。
辛くても、苦しくても、泣きながら続けた俺の努力は、たった一人の赤ん坊によって粉砕され無に帰した。
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「……」
自室のベッドに仰向けに転がったまま、俺は天井を見つめて生産性のない思いをつらつらとめぐらせていた。
本家の子息が死んだのなら、高市家は再び後継者不在に戻ったということだ。そして状況が数年前と変わりないなら、本家に血の近い男子は俺しかいない。
もし本家が再び俺を後継者として欲するなら、どの面下げて言ってんだと流石の俺もキレるだろう。あの恐怖の象徴である爺様にも反逆するかもしれない。
しかしそれにしては、どうにも妙なことに気づいていた。
「ん?」
枕もとの携帯電話がなり、反射的に取ってみるとディスプレイにはアオイ先輩の名前。
『ハァハァ……リョウちゃん寝てるのかい?』
「何で息が荒いんだよ!?」
どうしたのだろうかと首をかしげながら出てみれば、機械越しに聞こえてきたのは変態(綾月先輩)の荒い息。
元々高くなかったテンションが一気に下がった。アオイ先輩の透き通った声を期待させといて無駄に良い声の変態による18禁指定寸前ボイスだ。どんなトラップだと世の理不尽さを嘆いても仕方がない。
『ふ、ふふ。リョウちゃんがあの物憂げな顔でベッドに顔を埋め悶え悩んでいるかと思うと、僕はもう辛抱がtウボハァ!?』
「何事!?」
『もしもし古雅くん。九重です」
綾月先輩が断末魔のような叫び声をあげつつフェードアウトしたと思ったら、アオイ先輩が何もなかったかのように普通に話しかけてきた。
電話の向こうでは何が起こっているのだろうか。というか俺がいくら殴ってもダメージ零な綾月先輩に、アオイ先輩は何故ダメージを与えられるのだろうか。
『この間は事情を話してくれてありがとう。口にするのも辛かったでしょう?』
「いえ……自分でも話すことで整理がつきましたから」
ユミコさんが帰った後に、俺はアオイ先輩たちに自分の過去を話していた。同情を買いたかったわけではないが、何となく、話してみたくなったのだ。
恐らくは、アオイ先輩も綾月先輩もレイカさんも、一般家庭からはかけ離れた家の人間だったからだろう。あの人たちなら、俺にどんなバックボーンがあろうとも、平然と受け止めてくれる気がした。
『整理はついたの? なら、本家にお話には?』
「……やっぱり行ったほうが良いのでしょうか」
あまり気は進まない。それ以前に、もう近寄りたくないと思うのが当然だろう。
しかしそうするには、どうにも座りが悪い事実が問題として残っていた。
『別に本当に行きたくないなら行かなくても良いと思うわ。だけど古雅くん。話を聞いただけの私たちでも、おかしいと思ったもの。貴方自身が確かめたいことがあるんじゃないかしら?』
「……」
否定はしない。できるはずがない。
俺の記憶が正しいなら、俺は本家の事情で勝手に跡継ぎにされ、用済みになったから捨てられたということになる。しかしそれにしては、現在の俺の置かれている状況が変なのだ。
跡取りができたから俺を遠ざけた。これはまあ分かる。しかしそれならば、本家の子息が亡くった時点で俺にその情報が来ていないのはおかしい。
本家の子息が亡くなったのなら、後継の座は俺に戻るのが自然の流れだ。他に跡取り足りえる男子が生まれていたとしても、仮にも十年修行した俺より優れているはずがない。
しかしその俺に子息が亡くなったという情報が来ていない。あまつさえ今に至っても連絡ひとつきていない。
そもそも、あの厳しかった爺様が、何故用済みとなった俺をあんなに優しく送り出したのか。
考えれば考えるほど、分からないことが増えていく。
「……今度の休みにでも本家に行ってみます」
『そう。気をつけてね古雅くん』
一体何に気をつければ良いのか。そんなことを思いながら俺は通話をきった。