今は昔
一般庶民を自称している俺だが、実のところ完全に一般人とは言い切れない。
母親は何ら変わった経歴もない主婦だし、父は普通のサラリーマンだ。ただ父方の実家は、普通とはかけ離れた家だった。
高市家。知る人ぞ知る歌舞伎の家元。
本来ならば遠い親戚。新年の挨拶すらせず、話の種にしかならないような繋がり。しかしそれは、高市本家のお家事情によってあり得ない動きを見せた。
当時本家には女の子一人しか子供が居らず、子供ができづらい体質だとかで次にも期待できなかった。
歌舞伎は男子継承が当たり前。跡継ぎ問題が発生したわけだ。
ここで普通なら養子をとる。日本は血より家を重視する傾向が強く、武家社会にもそれは見受けられる。歌舞伎の世界でも優れた弟子を養子にして後継にするのは珍しくないし、高市家もそうするべきだった。
だが隠居したはずの爺様のわがままで、養子は血縁からとるという無茶な決定がされてしまった。
当時本家近くには既に成人したかそれに近い男子ばかりで、今から歌舞伎の業を継承するなど不可能な人間ばかりだった。
だったら繋ぎで適当な人間を婿入りさせ、次代に期待すれば良いものを、これまた爺様のわがままで却下。
結果家系を何代も前まで遡り、しらみ潰しに血縁者をあらった末に見つかったのが、当時二歳の俺だった。
当然両親は大反対。ろくな繋がりも無い親戚から、息子を寄越せと言われても頷くはずがない。
しかし伝統芸能の保存だのなんだのらしい言い訳を並べられ、あまりのしつこさに両親も折れた。
歌舞伎修行は認めるが、養子になるかどうかの意思決定はあくまで息子にあると認めさせ、子供には窮屈すぎる世界へと送り出した。
引っ込み思案で大人しかった俺は、大人たちの言うことを黙って聞くしかなかった。むしろ二歳の物心ついたばかりのガキに、他にどんな事ができたのか。
歌舞伎修行だけではない。剣道や合気をはじめとした武道に日本舞踊や茶道エトセトラ。芸の肥やしになるものはとことん教育された。
きっと今アオイ先輩に気に入られているのは、このおかげなのだろう。
観察眼に優れたアオイ先輩は、普段の所作から俺がそういったものをたしなんでいることを見抜いている。女装に惚れたのは本当だろうが、女装がばれるまえからアオイ先輩が俺を何かと構っていたのはそのせいだ。
そう考えれば、辛かったそれらも無駄では無かったのだろうと前向きに受け入れられる。
そう。おれには歌舞伎修行は辛くて仕方がなかった。思えば本家に居たときは毎日泣いていた気がする。
俺を教育する先生方は子供相手でも容赦なかったし、事の元凶である強面の爺様に恫喝されて子供が泣かないわけがない。
そんな本家から俺が逃げ出さなかったのは、そもそもそんな発想が出なかったのもあるが、離れたくない人が居たからだった。
――高市ユミコ。たった一つしか歳が変わらない本家の一人娘。
しかし親から引き離された俺にとっては、唯一気が許せる相手であり、自身を守ってくれる「家族」だった。