密室倉庫
「い、いやだ、そんな、だめだよ。楓ちゃん! いやっ、掴まないで。」
何かを床に倒した音。
「だめだってば。楓ちゃん怖いよ……なんでそんなに息が荒いの? 目がいつもの楓ちゃんじゃないよ。ねえ楓ちゃん、目を覚ましてよ。手を放して――」
「こらあ!」
楓が大声を上げた。
「外から聞いたらまるっきりあたしが変なことしてるみたいじゃないか!」
「こうすれば外の人が気付いて開けてくれるかと思って」
「無駄だよ。6時に生徒会が下校の見回りに来るまで、ここはほとんど人が通らないってことくらい、麻奈も知ってるでしょ」
楓と麻奈は放課後、新しい防災倉庫の設置を手伝い、そのどさくさ紛れに閉じ込められてしまった。中学校に携帯を持ってきてはいけないことになっているので、外部と連絡をとることは不可能。現在午後4時半。生徒会が最終下校の見回りに来るまで約1時間半もある。
倉庫の通風孔が西側にあるので、中はそれほど暗くない。一番明るいところに立てば、お互いの表情がはっきり分かる。
「誰も通らないなら、『楓ちゃんが乱暴してる』って言ってもいいじゃん」
「意味ないから。ていうか、あたしがそんなことすると思ってるの?」
「だって楓ちゃん――」
麻奈は楓の耳に口を近づけた。
「――“ケダモノ”だもん」
「だれがケダモノじゃあぁ!」
「楓ちゃんが」
「どんだけ誤解されてるの! これでもあたし、女だし」
「ウソッ! そうだったの?!」
「ふざけんな」
「ちょっと失礼」
「ぎぇ、お前どこ触ろうとしてるんだよ」
「上のほうを……やっぱりやめた」
「ん……?」
「薄着だから目測だけで十分。ほぼ水平だね。水平なのに触っても面白くないし」
「急に冷静になるなよ」
「えっ……楓ちゃんは触ってほしかったの?」
「そっちじゃないよ」
「てことは上じゃなくて下のほ――」
「そっちの『そっちじゃない』じゃねえよ!」
「ややこしくてよく分からないや。『水平』には突っ込まないの?」
「別にコンプレックスとも思ってないし。とにかく――えーと、そうだ、“ケダモノ”は撤回しろよ」
「ううん。楓ちゃんはケダモノ。女の子でもケダモノはケダモノ」
「あたしが一度でもそんな行動を?」
「うん。ついさっき、私はそこに押し倒された」
「それはお前の妄想だろーーーーーー!」
倉庫は新しくて清潔なので助かった。楓は、アレルギー体質の麻奈のことを心配していたが、これなら大丈夫そうだ。寒くも暑くもない。食事が取れないにしても、ここで一晩過ごしたとして命にかかわることはないだろう。
麻奈は床にぺたっと座り、楓は壁を背もたれにして座る格好に落ち着いた。
「楓ちゃん、生徒会の人が来たとして、どうやって分かるの? 足音聞こえる?」
麻奈は少し首をかしげて、不安そうな顔で楓を見上げた。倉庫が狭いわけではないのに、麻奈はいちいち楓に密着してくる。楓は、麻奈が少なからず恐怖を感じていて、喋り続けているのはそれを紛らわすためでもあるということを分かっていたので、引き離そうとはしなかった。
「足音は無理だと思うけど、最終下校10分前・5時50分に放送が入るから、それが聞こえたら外に向かって声を出し続ければいいんじゃないかな?」
「『楓ちゃんに襲われてますー』とか?」
「素直に『助けてー』にしなさい」
「楓ちゃんに襲われてます! 助けてーーーーーー!」
「組み合わせなくてよろしい。それに今から大声出さなくても」
「練習、練習」
「そんなこと言ってると、ホントに襲うよ」
楓は麻奈の肩に手を乗せた。
「楓ちゃんになら何されても……」
「笑えない冗談はやめようね」
「先に言ったのは楓ちゃん」
「麻奈がそんなことを言う子だって分かったら、みんなが泣くぞ」
「全米の?」
「いや、全校の」
「じゃあ大したことないじゃん」
麻奈はだんだんとムキになっている。
「本気で麻奈を狙ってる男子もそうたくさんいるわけじゃないけど、麻奈の純粋なイメージが崩れたらみんなショックだろうなあ。女子も含めて」
「勝手にみんながイメージして、勝手に憧れてるだけでしょ? 私は楓ちゃんとこうしていられれば幸せだもん」
考えてみると、友達の口から“幸せ”という言葉を聞くことはあまりない。楓はしばらく返事ができなかった。
麻奈がその場でごろんと寝っ転がった。頭は楓の膝の上に乗せている。
「む、無防備すぎる」
「楓ちゃんこそ、そういう話題引きずってるじゃん。割と本気だったりする?」
「まさか」
楓は、ゆっくりと麻奈の前髪をかき上げた。
「あったかい」
しばらくして、麻奈は眠ってしまった。楓が気付いた時には、確かに幸せそうな顔をして寝息を立てていた。
楓も麻奈も時計を持っていないので正確な時間は分からないが、麻奈は30分ほどで目を覚ました。
「すっきりした?」
「うん。気持ちよかった。楓ちゃんも寝ていいよ」
「いや、あたしは大丈夫」
「普段は昼寝なんてしないのにどうして寝ちゃったんだろう?」
「こんなことになって疲れてたんだよ。知らず知らずのうちに」
目を覚ました麻奈はやけにハイテンションだった。
楓の体のあちこちをくすぐろうとして、腕を伸ばしてくる。楓もすかさず反撃した。
きゃっきゃとはしゃいでいるうちに最終下校10分前を告げる放送が流れたが、二人は気付かずじゃれあっていた。
息が切れてくると麻奈は床に寝転んだので、悪乗りした楓が上に跨った。
生徒会室には、見回りに出た役員が血相を変えて戻ってきた。
「ぼぼ、防災倉庫のほうで人の声がする!」
「あのへんで活動する部活は無いはずだろ」
「とにかく不気味だから、誰か一緒に来てくれよ」
「わかった」
楓は、冗談のつもりで麻奈の腕をおさえつけた。麻奈は不安な表情をしている。
「麻奈、逃げられないよ。抵抗しても無駄だからな」
楓はまだ肩で息をしている。
「楓ちゃん……まさか本当に……? なんだか目が怖いよ。楓ちゃん、本気でやってるの? ねえ、腕を放してよ」
麻奈はじたばたと体を揺らしたが、力で楓に勝てるわけがない。
楓はおさえつける力を少し弱めて、顔を麻奈に思い切り近づけた。
「……え?」
二人の額はすでに密着している。
「麻奈」
楓が麻奈の名前を呼んだ瞬間、突然倉庫の扉が開かれた。細々と麻奈の顔を照らしていた光の筋が、一気に広がり、続いて二人の生徒会役員が目を見開く。
沈黙。
「「しっ、失礼しましたぁ!」」
役員二人は、扉を勢いよく閉めると、鍵も抜かず一目散に走り去ったようだ。
楓が再び下を向くと、そこにはさっきと同じ、細い光に照らされた麻奈の顔があった。楓は慌てて立ち上がり、麻奈に背を向けて明るい声で喋りだした。
「いやあ、見られちゃったね。冗談のつもりだったのに。噂になったらどうしようね。あ、でも鍵はかけずに行ったみたいだからなんとか出られるね」
麻奈は答えなかった。
また沈黙だ。
全部冗談だったはずだ。跨ったところから全部。楓は、ちょっと麻奈をからかおうと思っただけなんだ。
けれど楓は、初めに麻奈が外に向かって叫んだセリフを、もう一度聞きたいと無意識に願っていたのかもしれない。実際に押さえつけてみると恐怖に顔を歪めて、必死に抵抗してきた。そして、逆に刺激されるあの可愛らしい声。
楓のストッパーは、これも楓の無意識のうちに外れていたにちがいない。役員が扉を開けていなかったら、今どんな状況になっていたか。
楓は自己嫌悪に陥っていた。麻奈が言うように、自分は“ケダモノ”なのだと。
そんな時だ。麻奈が切なげな声で楓を呼んだのは。
「楓――」
「……?!」
「――さっきの続き……しないの?」
麻奈は上目遣いに楓を見つめている。
楓のストッパーは外れたまま。
この先のことは、まだ誰にも分からない。
この物語はフィクションです。
実在の人物、学校、団体等とは一切関係ありません。