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この戦いの運営になりましたが、肝心の勇者が無課金エンジョイ勢です  作者: 四宮 あおい


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7/10

監査と文通

 それは、前世も含めて最も恐ろしい出来事の一つだった。


 魔王討伐プロジェクトの中間監査。王宮監査局からの通達が届いたのは、レティシアが魔王城の書庫から戻って二週間後のことだった。


 監査。その二文字がレティシアの胃を直撃した。前世で言えばアプリ審査だ。リジェクトされればプロジェクト解散。下手をすればレティシア自身の処分もありえる。


 問題は山積みだった。報告書には「勇者の自由行動」を「現地視察」に書き換えた記録が無数にある。魔王との非公式接触は「情報収集活動」として処理している。友人が魔王城で爆発した件は「学術顧問による敵方文化遺産の現地調査(一部損壊あり)」と書いた。どれも嘘ではないが、真実の裸を見せているわけでもない。


 一着の制服が監査局の制服であることを確認するまでもなく、レティシアは執務室の扉を開けた瞬間に分かった。灰色の短髪。フレームレスの片眼鏡。顔色が悪く、表情が限りなく乏しい。黒いコートの内側から書類ホルダーが見え隠れしている。


 ヴィルヘルム・リヒター。王宮監査局の監査官。


「レティシア・ヴィンター運営責任者か」


「はい」


「報告書の原本をすべて出せ」


 会話がこれで終わりそうだった。事務的という言葉では足りない。この男の発する言語は、主語と述語と最低限の修飾語だけで構成されていた。感情を伝達する機能が、意図的に削除されているかのようだった。


 レティシアは着任以来の全報告書を提出した。予算執行報告、戦闘記録、人員配置表、兵站報告、同盟国への進捗報告、魔族領の情報分析。段ボール三箱分。


 ヴィルヘルムはそれを受け取り、執務室の隅に陣取った。そして読み始めた。


 一行一行。


 一字一句。


 ページをめくる音だけが、時計の秒針のように規則正しく刻まれる。レティシアは自分の仕事をしながら、その音を聞いていた。前世でアプリ審査の結果を待っていた夜と同じ緊張感だった。あのときは缶コーヒーを七本飲んだ。今世には缶コーヒーがないので、薬草茶を五杯飲んだ。


 一日目が終わった。ヴィルヘルムは何も言わなかった。


 二日目。ヴィルヘルムはレティシアに質問を始めた。


「第七週の戦闘報告。勇者の行動ルートが計画書と異なる。理由は」


「勇者様が現地の状況を判断し、迂回ルートを選択されました」


 嘘ではない。カイが「こっちの川、魚いそう」と寄り道した結果、偶然にも魔物の伏兵を避けたのだ。ただしそれを報告書に書くわけにはいかなかったので「現地判断による迂回」と表現した。


「第十二週。兵站コストが前週比三割減。要因は」


「補給ルートの最適化です」


 これも嘘ではない。魔王との事務折衝で戦闘ルートを調整した結果、危険地帯を避けた補給路が確保されたのだ。ただし「魔王と打ち合わせて決めました」とは書けないので「情報収集の結果、安全な補給路を開拓」と記載した。


「第十八週。学術顧問の活動報告に『敵方文化遺産の現地調査(一部損壊あり)』とある。詳細は」


 レティシアの胃が握りつぶされた。


「学術顧問が魔族領の古代遺跡を調査した際、封印された魔法陣が予期せず起動し、小規模な爆発が発生しました」


「場所は」


「……魔族側の管理区域内です」


 ヴィルヘルムの片眼鏡の奥で、灰色の目がレティシアを射抜いた。三秒。五秒。十秒。レティシアはその視線に耐えた。


 ヴィルヘルムは何も言わず、次のページをめくった。


 三日目の夕刻。すべての書類を読み終えたヴィルヘルムが、レティシアの前に立った。


「報告は以上か」


「以上です」


 沈黙。レティシアは覚悟した。書き換えが看破されたのだ。プロジェクト解散か、レティシアの更迭か、あるいはその両方か。前世なら「アプリ審査リジェクト、再審査なし」に相当する。


 ヴィルヘルムが口を開いた。


「記録の精度が高い」


 一瞬、レティシアは自分の耳を疑った。


「数字に矛盾がない。予算の執行率、戦闘被害の統計、兵站コストの推移――すべての数字が整合している。結果として、今代の勇者パーティの被害は歴代最少だ」


 レティシアは息を忘れていた。


 ヴィルヘルムはレティシアの「書き換え」に気づいていた。そのことは、次の一言で明らかになった。


「お前の報告書は、事実を隠してはいない。表現を選んでいるだけだ」


 胸が詰まった。見抜かれていた。すべて。勇者の釣りを「現地視察」と書いたことも。魔王との折衝を「情報収集」としたことも。友人の爆発事故を「文化遺産の現地調査」としたことも。ヴィルヘルム・リヒターは三日間ですべてを読み取っていた。


 しかし彼が評価したのは、レティシアの嘘ではなかった。数字の誠実さだった。どれほど表現を操作しても、数字は嘘をつかない。被害統計は歴代最少。予算の執行効率は歴代最高。限られた資源と予測不能な勇者のもとで、最小の犠牲で最大の成果を出している。その数字を正確に、一貫して記録し続けてきたこと。それがヴィルヘルムには見えていた。


「……あなたの仕事は、記録に残る価値がある」


 レティシアの呼吸が止まった。


 前世で、その言葉を言われたことはなかった。過労死した日、最後に見たモニターに映っていたのはサービス終了の告知文だった。誰もレティシアの仕事を「記録に残る価値がある」とは言わなかった。今世でも。裏方の書記官、名前の出ない運営責任者。誰かの仕事を支える仕事。記録を残す仕事。しかしその記録そのものを見てくれる人は――


「……ありがとうございます」


 それだけしか言えなかった。それ以上の言葉は喉に詰まって出てこなかった。


 ヴィルヘルムは頷き、書類をまとめ、王宮への帰路についた。監査は完了した。レティシアとの直接の接触は、ここで途切れた。


 翌週。レティシアの執務机に一通の書簡が届いた。差出人は王宮監査局。封蝋は監査局の公印。


 内容は「次回中間報告の書式変更について」という事務連絡だった。フォーマットの改訂点が箇条書きで記され、提出期限が明記されている。何の変哲もない業務書簡。


 しかし便箋の末尾に、一文だけ業務と無関係な一行が添えられていた。


「体調管理を怠るな」


 レティシアはその一行を、三度読んだ。


 体調管理を怠るな。それは命令でも忠告でもなく――ヴィルヘルム・リヒターという人間が、監査官の仮面の隙間から漏らした、おそらくは本人すら意図していない感情だった。レティシアの目の下の隈を見ていたのだ。


 返信を書いた。書式変更への対応を記した事務連絡の末尾に、一文を添えた。


「次回報告は期日通りに提出します。なお体調は問題ありません(睡眠時間を除く)」


 送ってから気づいた。睡眠時間を除く、という括弧書きは、業務連絡に書くべき内容ではない。しかし書き直す気にはならなかった。


 一週間後、返信が届いた。書式変更の確認事項に続き、末尾にこう書かれていた。


「報告書の第三節、接続詞に冗長な箇所がある。修正を推奨する」


 赤面した。報告書の文章を直された。しかも的確だった。該当箇所を読み返すと、確かに接続詞が多い。疲労で注意力が落ちていた日に書いた部分だった。あの三日間の監査で、ヴィルヘルムはレティシアの報告書の癖まで把握していたのだ。


 以降、書簡は定期的に届くようになった。体裁は常に「監査局からの確認事項」だったが、末尾の一文が少しずつ変化していった。


 初期の一文は事務的だった。「体調管理を怠るな」「接続詞に冗長な箇所がある」。レティシアの返信も事務的だった。「ご指摘の箇所は修正します」「体調は問題ありません」。


 中期。「先日の報告書の構成は見事だった」。レティシアはその一文を読み返すのに五分かかった。次の便で、ヴィルヘルムは「王都の書庫で資料を見つけた。同封する。業務に必要かは不明だが」と書き、魔族領の古い地図の写しを添付してきた。レティシアは返信した。「資料ありがとうございます。業務に必要でした」。嘘だった。地図は学術的に興味深いがすぐに必要なものではなかった。しかしヴィルヘルムが自分のために書庫を調べたという事実が、レティシアの胸を温かくした。


 後期。「王都は静かだ。現場の報告を読む時間が、一日で最も集中できる」。レティシアはその一文の行間を読んだ。一日で最も集中できる時間。レティシアの報告書を読む時間が。この男は毎日、レティシアの報告書を読んでいるのだ。


 レティシアの返信も変わっていった。「本日の報告に特記事項はありません。強いて言えば、勇者が魔族の子供たちと釣りに行きました(本当)」。書いてから「なぜ本当と注釈を入れたのか」と自分で首を傾げたが、送った。次の便でヴィルヘルムから「……虚偽だと思いたいが、お前の報告に嘘がないことは監査で確認済みだ」と返ってきた。レティシアは笑った。声を出して笑ったのは、今世で何度目だろう。


「監査官殿の筆跡が前回より丁寧です。何か良いことがありましたか」


「……特にない」


 嘘だ、とレティシアは思った。筆跡で分かる。ヴィルヘルムの文字は、急いで書いた日と丁寧に書いた日で明確に違う。そして最近の便は、すべて丁寧な方だった。


 七通目の書簡が届いた日。リーナがその封筒を見咎めた。


「ねえレティシア、その手紙、もう七通目でしょ。しかも全部保管してる」


「業務書簡の保管は義務です」


「末尾の一文だけ別の紙に写してるのも義務?」


 レティシアの手が止まった。


「…………」


「それ、ラブレターだよね?」


「業務連絡です」


 レティシアの声は平静だった。しかし耳が赤い。リーナにはそれが見えていた。


 数日後、エステルからも追撃を受けた。


「運営さん、その書簡の封蝋ですけれど」


「はい」


「監査局の公印ではなく、個人印ですわよ」


 レティシアは封蝋を見た。確かに。七通目から、封蝋が変わっていた。監査局の公印ではなく、ヴィルヘルム・リヒター個人の印章。つまりこれは公務ではなく――私信だ。


「つまり公務ではなく私信ですわね」


「…………」


「運営さん、お顔が赤いですわよ」


「……聖女様は分析がお得意ですね」


「ええ。観察と記録は日課ですので」


 レティシア撃沈。


 リーナとエステルが顔を見合わせ、初めて意気投合した瞬間だった。


「ね、エステルさん。次の手紙が届いたら一緒に張り込もう」


「賛成ですわ。運営さんの読後の表情を記録しますわ」


「二人とも仕事に戻ってください」


 レティシアの声は威厳を保っていたが、耳は相変わらず赤かった。


 その夜、レティシアは八通目の返信を書いた。業務連絡の内容を丁寧に記した後、末尾に一文を添える。


「近頃、書簡の届く日が待ち遠しくなりました。業務上の理由です」


 嘘だった。そしてこの嘘が、ヴィルヘルムにも読み取れることを、レティシアは知っていた。


 ペンを置き、封蝋を押す。自分の個人印で。


 ――前世では、誰かに手紙を書いたことがなかった。メールはあった。チャットはあった。でも、紙に言葉を刻み、封をし、届くまでの時間を待つということを、したことがなかった。


 この遅さが、心地よかった。相手の筆跡が見える距離感が。返事を待つ時間の温かさが。


 定時の鐘が鳴る。今日もまた定時退勤は叶わなかったが、机の引き出しの中には八通の手紙がある。報告書の山の隣に、確かにある。


 レティシアは灯を落とし、窓の外を見た。星が見えた。この世界の星は前世よりもずっと近い。




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