もしもあの時……マグロか牛か
「お客様、お決まりになりましたでしょうか?」
声がした方を見ると、私の横に男が立っていた。
テーブルにメニューを広げてずっと悩んでいた私は、男が来ていたことに気づいてなかった。
黒いシックなホテル・タキシードが似合う細身で長身、年齢は六十代だろうか。優しく微笑みかけてくれているのだが、眼光が差すように鋭い。気圧された私は居住まいを正すと頭を下げた。
「時間がかかってしまい、すみません。マグロか牛か、なかなか決められなくて……」
「皆様そうでございます。どうかお気になさらずに。もしご不明な点がございましたら、遠慮なくお尋ねください」
優しい微笑みも丁寧な口調も仕事用なのはわかっていたが、私は遠慮なく頼ることにした。何せ一生に関わることだ。納得のいく選択がしたい。
「あの、マグロは養殖か天然か選べますか?」
ほんの一瞬、男の表情が凍り付いたような気がしたが、いや、気のせいだろう。
男は優しく微笑みながら答えた。
「残念ながらお選びいただくことはできません。どうか私どもにお任せくださいませ」
「はは、そりゃそうですよね。天然の方が良かったんですけどね。愚問でした。すみません」
困った。天然を選べるならマグロで決定だったのに。それなら牛はどうだ?
「あの、念の為……聞いたことないんですけど、天然の牛っていますか?」
「野生の牛ということでしたら存在してはおります。ですが、世界中で絶滅の危機に瀕しているのが現状でございます」
「そうですか……」
牛はみんな牧場で育てられて最期は食用か。確か乳牛も乳が出なくなったら食用だったはず……答えは出た。
私はメニューを閉じると男の方を向いた。
「ありがとうございました。マグロでお願いします」
男はにっこりと微笑みんだ。業務用ではなく、ひと仕事終えた満足感の笑みに見えた。
「承知いたしました。すぐに手続きを行います。素敵な来世を──」
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あの男が私の希望を聞いてくれたのか、私は天然のマグロに輪廻転生した。
天敵のいない安全な場所で食べ物に困らなかったとしても、狭いケージに閉じ込められてある日突然食べられるなんて、まっぴら御免だ。たとえリスクを取っても、命が尽きるまで自分の意志で自由に生きるのだ。
と、あの時はそう思って決断したのだが、現実の生存競争はそんなに甘くはなかった。
(腹減った。ダメだ、何でもいいから食べたい。もう動けん……)
そんな時に突然目の前にうまそうなスルメイカが現れてふらふら泳ぐもんだから、私は何も考えずに食いついてしまったわけで……。
釣り上げられた私は漁船の甲板に降ろされた。インドの漁船。どうやら私が転生したのはミナミマグロだったらしい。
船員たちが釣り上げたマグロに次々と活け締めをしていく。どうやら私の魚生もこれまでだ。
淡々と作業を進める船員たちの雑談が聞こえてくる。インド人と他国の人との会話のようだ。
「俺たちインド人にとって牛は神聖な存在。インド人は牛を食べないし、殺すことは法律で禁じられている。だから街中に捨てられた野良牛があふれているのさ。驚くだろ?」
えっ、本当に?! それはないよ! そんな~、あの時教えてよ~っ!
<了>
初稿はエブリスタで、その改修版ver.1.1になります。




