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カオル21歳 ~風と旅する頃~  作者: あやの ちゆ
<第2章> ~銀縁メガネに百万ボルト~
2/10

先週土曜日、週末の風に乗って— 「カオル21歳 ~風と旅する頃~ 」第1章を公開しました。 カオルはまだ知りません、次の風が自分をどこへ運ぶのか。 辿り着く先は、第2章でー。

自由に生きたい、自分を生きたい、心の旅物語「カオル21歳 ~風と旅する頃~」

②銀縁メガネに百万ボルト

 

 第2章

 ~銀縁メガネに百万ボルト~



 親と先生の勧めで、高校は山手の私立進学校に進んだ。各クラスから十人以上が有名国立大学に行くような、いわゆる名門校。


 でも、あたし自身は、そんなのどうでもよかった。ただ、両親や周りが喜ぶから。

 自分の意見を言ったり、抵抗すると面倒くさいことになるから、何も言わない。反抗しない。みんなが喜ぶようにする。それが一番ラクちん。


 自分の気持ちを伝えるのって、すごくエネルギーを使う。違う世界の人、違う種類の人に伝えるのは、百万倍エネルギーを消耗する。摩耗する。だから、無駄なことにはエネルギーを使いたくなかった。無駄なことは、好きじゃない。


 でも、人生って悪いことばかりじゃない。もちろん、いいことばかり続くわけでもないけど、つまらなそうなことの中にも、案外いいことってある。




 高校生活には何も期待していなかった。なのに、ある日、雷に打たれたみたいに、頭からつま先まで100万ボルトの電流がビリビリ流れた。




 — あたしは、恋をした—


 それは、初めての現代国語の授業だった。生まれて初めて、正真正銘の恋をした。面倒くさがり屋のあたしが、恋をした。

 憧れ、夢、理想がそこにあった。いや、そこに “いた”。そう、まさしく初恋。


 彼の名前は、オサム。あの日以来、「オサム」という名前は、あたしの人生において特別なキーワードになった。オサムという名前を聞くだけで、全くの別人でもドキッとする。



 心臓が飛び跳ねて、ワクワクして、うっとりして、名前に見とれてしまう。「オサム」という名前であるだけで、誰でも素敵に見えてしまう。

 きっと、おばあちゃんになってもずっとそうだと思う。オサムという名前は、あたしにとってキリストとか仏陀とか、テレビに出ているアイドルの〇〇君とか、そういう存在と同じ。


 あたしは、オサムを一生忘れない。忘れるなんて、できない。絶対に、絶対に忘れない。一生、想いながら生きる。あたしの感性は、オサムによってほぼ決定された。そんな出会いだった。




 ガラガラッとドアを開けて教壇に立った瞬間、目眩がした。目の前がチカチカして、星が飛び散るような感覚。心臓が苦しくなって、息が詰まって、鼓動が激しくなった。

「どうしちゃったの、あたし……?」

 16年しか生きていなかったあたしには、それが何なのか分からなかった。


 そう、それは「恋」だった。気づくまで、少し時間がかかった。


 先生に恋するなんて、古くさくて、平凡で、昼ドラみたいで、ダサいかもしれない。でも、いいの。

 頭で分かっていたって、好きになる時は好きになってしまう。それはどうすることもできないこと。




 憧れ、夢、希望、理想。全てがそこにあった。理由なんていらない。


「日焼けした肌に銀縁眼鏡がよく似合う。知的な雰囲気にウットリ。文学の匂いがする」

 オサムは中肉中背、日焼けしていた。細くて薄い銀縁眼鏡が、繊細な文学青年の香りを漂わせていた。グレーのスーツに白いシャツ。ネクタイはしていなかった。そこに「自由」を感じた。異質な何かを感じた。


 声も素敵だった。低音で、少し鼻にかかったような、けだるい話し方。100万ボルトの電流が流れっぱなしだった。


 オサムは簡単に自己紹介をして、「何か質問は?」と聞いた。

 みんなは静かだったけど、あたしは質問しまくった。


「何歳ですか?」


「33歳です」


「どこに住んでいますか?」


「横浜市中区です」


 オサムは口の端を少し上げて、「まいったな」って顔で答えてくれた。その表情が、もう、たまらなく素敵だった。


「専攻は何ですか?」


「近代文学です」


「どうして日焼けしているんですか?」


「春休みにスキーに行ったからです」


「スキーは趣味ですか?」


「そうですね」


「結婚していますか?」


「していません」


 教室中が大爆笑。あたしは質問し続けた。


「どんな本を読みますか?」


「何でも読みます」


「好きな作家は誰ですか?」


「寺山修二が好きかな。あと、大江健三郎。女性ではマルグリット・デュラスかな」


「映画は見ますか?」


「はい、大好きです」


「どんな映画が好きですか?」


「ヨーロッパの古い映画が好きです。日本の映画はあまり見ませんね。宮崎駿は見るかな」


「宮崎駿の作品では、何が一番よかったですか?」


「『耳をすませば』が一番よかったな。君は?」


「あ、あたしも同じです」


「そう、それはよかった」


「身長は何センチですか?」


 オサムは笑った。首をかしげながら、ちょっと困ったような、でも優しい笑顔。変なことばかり聞く子だ、って思ったんだろうけど、その笑顔にまたやられた。


 みんなはゲラゲラ笑っていた。


 あたしは顔がボーッとなって、耳までカーッと赤くなっていくのが、はっきり分かった。


「178センチです。君は?」


「あ、あたしは……ひゃ、161センチです」


「これくらいでいいかな。他の人も質問あると思うから、もっと聞きたいことがあったら、あとで国語科職員室に来てくれる?」


「は、はい……」


「他の人は質問ある?」


「ハイ、中間テストの古文と漢文の出題割合を教えてください」


「古文7割、漢文3割かな」


 そんなことどうでもいい。マジメな子はつまらないことばかり聞く。




 オサムは、あたしの憧れになった。夢、希望、ワクワク、ドキドキ。俳優の妻夫木聡にちょっぴり似ていて、知的な香りに包まれていた。紅茶で言えば、絶対にアールグレー。妄想はどんどんふくらむ。


 コクと味わいのある爽やかなオジサンになるに違いない。50歳になっても60歳になっても、お腹がポッコリ出て、加齢臭がプンプンするオヤジにはならない。そう信じている。



 本物の初恋だった。壊してはならない、大切な想いと夢が、そこにあった。




 あたしは、100%オサムに影響を受けた。高校1年から3年間ずっと、オサムの影響を受け続けた。


 大江健三郎を知ったのも、オサムのおかげ。教科書はほとんど使わず、短編小説のコピーを配って、作品や作者について語ってくれた。


 ある日の授業で配られたのは、大江健三郎の「鳥」。その日から、あたしは大江健三郎のファンになった。狂気と正気のギリギリの狭間を描いたその作品は、衝撃的だった。


 オサムとあたしは、感性が似ているのだと思った。


 寺山修司を好きになったのも、オサムの話から。オサムは劇団に所属していて、時々脚本も書いていた。「見に行きたいです」って言ってみたけど、オサムは笑うだけ。場所も劇団名も教えてくれなかった。「内緒」って言って、結局3年間、見ることはできなかった。


 オサムから受けた影響は、どんどん広がっていった。


 寺山修司の本をすぐに読んだ。「書を捨てよ、町へ出よう」「家出のすすめ」「誰か故郷を思わざる」「田園に死す」題名だけで、グイグイ惹かれた。魂に突き刺さった。


 あたしは寺山修司とは同時代を生きていない。オサムが話してくれた時には、もう亡くなっていた。それでも惹かれて、夢中になった。


「家」が大嫌いだったあたしは、「家出のすすめ」を読んでホッとした。

 家がキライでもいいんだ、明るく、あっけらかんと家出してもいいんだ、そう思えた。それまでは、「家がキライ」って言っちゃいけない気がしていた。キライって思うだけで、うしろめたくて、罪悪感があった。

「やっぱりあたしって、いけない子なんだ」って思ったりしていた。でも、ぜんぜん違った。

 家を捨てることって、むしろいいことなんだよって、教えてもらえた。


「チェ・ゲバラ」この名前も、オサムから知った。誰だろう?って気になって、あれこれ調べた。キューバ革命の戦士だと知って、ものすごく興味が湧いた。偶然、古本屋でゲバラの日記を見つけて、貪るように読んだ。


 ゲバラはカッコよかった。オサムとは違う種類の「憧れ」が湧いた。命を賭けて戦う人は、カッコいい。


 とにかく、オサムが話してくれたことには、なんでも興味が湧いた。

 だって、オサムに恋してたから。恋する人が話すことに、興味が湧くのは、当然のこと。同じものを見つめて、同じことを感じて、分かり合いたかった。


 オサムのことは、なんでも知りたかった。あたしのことも、もっともっと知ってほしかった。


 それって、やっぱり恋でしょう?


「恋」は「恋」だけど、世間で言う男女の恋愛とは、まったく違うものだった。それは「壊してはならないもの」

 まさしく「憧れ」「偶像」


 だから、距離が近づくことなんて、望んでいなかった。憧れって、遠くから想うもの。「故郷は遠きにありて想ふもの」って詩もあるしね。



 故郷に限らず、手を触れずに、壊さずに、遠くにいて、大切にしたいものってある。もちろん、当時のあたしはそんなことに無自覚だったけど。


 だから、オサムの日常生活を知りたいとは思わなかった。ただ、小説の話をしたり、源氏物語や徒然草について語り合えれば、それでよかった。

 オサムがどう感じて、どう思っているか。それだけを知りたかった。何時に起きて、朝ごはんに何を食べて、何色の靴下を履いているか、そんなことは、どうでもよかった。知りたいことじゃなかった。




 その学校は、教科ごとに職員室が分かれていた。社会科は一階、数学科は本館の四階、化学科、生物科はまた別の棟。


 あたしは、国語科職員室に通っていた。オサムと太宰治について話すだけで、ウットリした。オサムは誰が来ても、いつもニコニコと優しく相手をしてくれた。


 文学青年の香り。

 上品な物腰。

 低くて優しい声。

 あたしは、やられっぱなしだった。




 近づかない。

 壊さない。

 大切な想い。

 それだけでよかった。


 それが、あたしの人生における大きな出来事。あたしの初恋。



—第3章へ続く―

毎週土曜日、風がまた旅を運んでくるように、

カオルの物語がひとつずつ進みます。


noteにて同日公開

https://note.com/ayanochiyu


旅の続きをどうぞお楽しみください。



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