先週土曜日、週末の風に乗って— 「カオル21歳 ~風と旅する頃~ 」第1章を公開しました。 カオルはまだ知りません、次の風が自分をどこへ運ぶのか。 辿り着く先は、第2章でー。
自由に生きたい、自分を生きたい、心の旅物語「カオル21歳 ~風と旅する頃~」
②銀縁メガネに百万ボルト
第2章
~銀縁メガネに百万ボルト~
親と先生の勧めで、高校は山手の私立進学校に進んだ。各クラスから十人以上が有名国立大学に行くような、いわゆる名門校。
でも、あたし自身は、そんなのどうでもよかった。ただ、両親や周りが喜ぶから。
自分の意見を言ったり、抵抗すると面倒くさいことになるから、何も言わない。反抗しない。みんなが喜ぶようにする。それが一番ラクちん。
自分の気持ちを伝えるのって、すごくエネルギーを使う。違う世界の人、違う種類の人に伝えるのは、百万倍エネルギーを消耗する。摩耗する。だから、無駄なことにはエネルギーを使いたくなかった。無駄なことは、好きじゃない。
でも、人生って悪いことばかりじゃない。もちろん、いいことばかり続くわけでもないけど、つまらなそうなことの中にも、案外いいことってある。
高校生活には何も期待していなかった。なのに、ある日、雷に打たれたみたいに、頭からつま先まで100万ボルトの電流がビリビリ流れた。
— あたしは、恋をした—
それは、初めての現代国語の授業だった。生まれて初めて、正真正銘の恋をした。面倒くさがり屋のあたしが、恋をした。
憧れ、夢、理想がそこにあった。いや、そこに “いた”。そう、まさしく初恋。
彼の名前は、オサム。あの日以来、「オサム」という名前は、あたしの人生において特別なキーワードになった。オサムという名前を聞くだけで、全くの別人でもドキッとする。
心臓が飛び跳ねて、ワクワクして、うっとりして、名前に見とれてしまう。「オサム」という名前であるだけで、誰でも素敵に見えてしまう。
きっと、おばあちゃんになってもずっとそうだと思う。オサムという名前は、あたしにとってキリストとか仏陀とか、テレビに出ているアイドルの〇〇君とか、そういう存在と同じ。
あたしは、オサムを一生忘れない。忘れるなんて、できない。絶対に、絶対に忘れない。一生、想いながら生きる。あたしの感性は、オサムによってほぼ決定された。そんな出会いだった。
ガラガラッとドアを開けて教壇に立った瞬間、目眩がした。目の前がチカチカして、星が飛び散るような感覚。心臓が苦しくなって、息が詰まって、鼓動が激しくなった。
「どうしちゃったの、あたし……?」
16年しか生きていなかったあたしには、それが何なのか分からなかった。
そう、それは「恋」だった。気づくまで、少し時間がかかった。
先生に恋するなんて、古くさくて、平凡で、昼ドラみたいで、ダサいかもしれない。でも、いいの。
頭で分かっていたって、好きになる時は好きになってしまう。それはどうすることもできないこと。
憧れ、夢、希望、理想。全てがそこにあった。理由なんていらない。
「日焼けした肌に銀縁眼鏡がよく似合う。知的な雰囲気にウットリ。文学の匂いがする」
オサムは中肉中背、日焼けしていた。細くて薄い銀縁眼鏡が、繊細な文学青年の香りを漂わせていた。グレーのスーツに白いシャツ。ネクタイはしていなかった。そこに「自由」を感じた。異質な何かを感じた。
声も素敵だった。低音で、少し鼻にかかったような、けだるい話し方。100万ボルトの電流が流れっぱなしだった。
オサムは簡単に自己紹介をして、「何か質問は?」と聞いた。
みんなは静かだったけど、あたしは質問しまくった。
「何歳ですか?」
「33歳です」
「どこに住んでいますか?」
「横浜市中区です」
オサムは口の端を少し上げて、「まいったな」って顔で答えてくれた。その表情が、もう、たまらなく素敵だった。
「専攻は何ですか?」
「近代文学です」
「どうして日焼けしているんですか?」
「春休みにスキーに行ったからです」
「スキーは趣味ですか?」
「そうですね」
「結婚していますか?」
「していません」
教室中が大爆笑。あたしは質問し続けた。
「どんな本を読みますか?」
「何でも読みます」
「好きな作家は誰ですか?」
「寺山修二が好きかな。あと、大江健三郎。女性ではマルグリット・デュラスかな」
「映画は見ますか?」
「はい、大好きです」
「どんな映画が好きですか?」
「ヨーロッパの古い映画が好きです。日本の映画はあまり見ませんね。宮崎駿は見るかな」
「宮崎駿の作品では、何が一番よかったですか?」
「『耳をすませば』が一番よかったな。君は?」
「あ、あたしも同じです」
「そう、それはよかった」
「身長は何センチですか?」
オサムは笑った。首をかしげながら、ちょっと困ったような、でも優しい笑顔。変なことばかり聞く子だ、って思ったんだろうけど、その笑顔にまたやられた。
みんなはゲラゲラ笑っていた。
あたしは顔がボーッとなって、耳までカーッと赤くなっていくのが、はっきり分かった。
「178センチです。君は?」
「あ、あたしは……ひゃ、161センチです」
「これくらいでいいかな。他の人も質問あると思うから、もっと聞きたいことがあったら、あとで国語科職員室に来てくれる?」
「は、はい……」
「他の人は質問ある?」
「ハイ、中間テストの古文と漢文の出題割合を教えてください」
「古文7割、漢文3割かな」
そんなことどうでもいい。マジメな子はつまらないことばかり聞く。
オサムは、あたしの憧れになった。夢、希望、ワクワク、ドキドキ。俳優の妻夫木聡にちょっぴり似ていて、知的な香りに包まれていた。紅茶で言えば、絶対にアールグレー。妄想はどんどんふくらむ。
コクと味わいのある爽やかなオジサンになるに違いない。50歳になっても60歳になっても、お腹がポッコリ出て、加齢臭がプンプンするオヤジにはならない。そう信じている。
本物の初恋だった。壊してはならない、大切な想いと夢が、そこにあった。
あたしは、100%オサムに影響を受けた。高校1年から3年間ずっと、オサムの影響を受け続けた。
大江健三郎を知ったのも、オサムのおかげ。教科書はほとんど使わず、短編小説のコピーを配って、作品や作者について語ってくれた。
ある日の授業で配られたのは、大江健三郎の「鳥」。その日から、あたしは大江健三郎のファンになった。狂気と正気のギリギリの狭間を描いたその作品は、衝撃的だった。
オサムとあたしは、感性が似ているのだと思った。
寺山修司を好きになったのも、オサムの話から。オサムは劇団に所属していて、時々脚本も書いていた。「見に行きたいです」って言ってみたけど、オサムは笑うだけ。場所も劇団名も教えてくれなかった。「内緒」って言って、結局3年間、見ることはできなかった。
オサムから受けた影響は、どんどん広がっていった。
寺山修司の本をすぐに読んだ。「書を捨てよ、町へ出よう」「家出のすすめ」「誰か故郷を思わざる」「田園に死す」題名だけで、グイグイ惹かれた。魂に突き刺さった。
あたしは寺山修司とは同時代を生きていない。オサムが話してくれた時には、もう亡くなっていた。それでも惹かれて、夢中になった。
「家」が大嫌いだったあたしは、「家出のすすめ」を読んでホッとした。
家がキライでもいいんだ、明るく、あっけらかんと家出してもいいんだ、そう思えた。それまでは、「家がキライ」って言っちゃいけない気がしていた。キライって思うだけで、うしろめたくて、罪悪感があった。
「やっぱりあたしって、いけない子なんだ」って思ったりしていた。でも、ぜんぜん違った。
家を捨てることって、むしろいいことなんだよって、教えてもらえた。
「チェ・ゲバラ」この名前も、オサムから知った。誰だろう?って気になって、あれこれ調べた。キューバ革命の戦士だと知って、ものすごく興味が湧いた。偶然、古本屋でゲバラの日記を見つけて、貪るように読んだ。
ゲバラはカッコよかった。オサムとは違う種類の「憧れ」が湧いた。命を賭けて戦う人は、カッコいい。
とにかく、オサムが話してくれたことには、なんでも興味が湧いた。
だって、オサムに恋してたから。恋する人が話すことに、興味が湧くのは、当然のこと。同じものを見つめて、同じことを感じて、分かり合いたかった。
オサムのことは、なんでも知りたかった。あたしのことも、もっともっと知ってほしかった。
それって、やっぱり恋でしょう?
「恋」は「恋」だけど、世間で言う男女の恋愛とは、まったく違うものだった。それは「壊してはならないもの」
まさしく「憧れ」「偶像」
だから、距離が近づくことなんて、望んでいなかった。憧れって、遠くから想うもの。「故郷は遠きにありて想ふもの」って詩もあるしね。
故郷に限らず、手を触れずに、壊さずに、遠くにいて、大切にしたいものってある。もちろん、当時のあたしはそんなことに無自覚だったけど。
だから、オサムの日常生活を知りたいとは思わなかった。ただ、小説の話をしたり、源氏物語や徒然草について語り合えれば、それでよかった。
オサムがどう感じて、どう思っているか。それだけを知りたかった。何時に起きて、朝ごはんに何を食べて、何色の靴下を履いているか、そんなことは、どうでもよかった。知りたいことじゃなかった。
その学校は、教科ごとに職員室が分かれていた。社会科は一階、数学科は本館の四階、化学科、生物科はまた別の棟。
あたしは、国語科職員室に通っていた。オサムと太宰治について話すだけで、ウットリした。オサムは誰が来ても、いつもニコニコと優しく相手をしてくれた。
文学青年の香り。
上品な物腰。
低くて優しい声。
あたしは、やられっぱなしだった。
近づかない。
壊さない。
大切な想い。
それだけでよかった。
それが、あたしの人生における大きな出来事。あたしの初恋。
—第3章へ続く―
毎週土曜日、風がまた旅を運んでくるように、
カオルの物語がひとつずつ進みます。
noteにて同日公開
https://note.com/ayanochiyu
旅の続きをどうぞお楽しみください。




