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九十九経営コンサルティング、今度は『異世界転生課』を承ります  作者: 神楽坂 湊


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File7.ビニール傘の自己喪失と、代替不可能な「唯一性(ユニークネス)」について

その日は朝から冷たい雨が降っていた。 神保町の路地裏を叩く雨音が、事務所の中にも湿った空気を運んでくる。


「九十九さん。床が水浸しです」


オサキが眉をひそめてモップをかけている。 原因は咲耶さくやが連れてきた今回のクライアントだ。 オフィスの入り口に立ち尽くしているのは、痩せ細った透明な身体を持つ青年だった。 彼の身体はところどころ折れ曲がり、穴が空いている。 安価な素材で作られた現代の妖怪――『ビニール傘』の付喪神つくもがみだ。


「申し訳ありません。濡らすつもりはなくて」


彼は自分の身体から滴る雫を必死に手で拭おうとする。だが、拭ったそばからまた濡れていく。 その姿は雨に打たれた捨て犬のように頼りなかった。


「気にすることはありません。それがあなたの『特性』ですから」


俺はソファを指差した。


「どうぞ、お掛けください。咲耶さん、タオルを」


「は、はいっ!」


咲耶がバスタオルを持って駆け寄る。 クライアントは恐縮しながら腰を下ろした。


「私は、自分が誰なのかわからないのです」


それが彼の開口一番だった。




彼は語り始めた。 自分がいつ生まれたのか。誰に買われたのか。それさえも曖昧だという。


「記憶にあるのはコンビニの棚です。 ある雨の日、サラリーマンの男性に買われました。 『ああ、クソ、雨かよ。まあこれでいいか』 そう言われて開かれた瞬間の……あの雨粒を弾く感覚。 ご主人様を濡らさないように必死に風に耐えた、あの高揚感。 それだけは覚えています」


彼は遠い目をした。 だが、その幸福は長く続かなかった。


「翌日、私は駅の傘立てに置かれました。 そして気がつくと、別の誰かに持たれていました。 その次は居酒屋の傘立てで、また別の人に。 誰も私の顔を見ません。 誰も私が『昨日の私』ではないことに気づきません。 私は誰のものでもなく、誰の特別でもない。 ただの『透明な消耗品』なのです」


そして最後は強風の日に骨が折れ、道端の植え込みに投げ捨てられた。 ゴミ回収車にも気づかれず、泥にまみれて朽ちていく中で彼は自我を持ったのだという。


「私は異世界へ行きたい。 いいえ、贅沢は言いません。 ただ『お前だ』と言って名前を呼んでくれる誰かの元へ。 私が私であることに気づいてくれる世界へ……行きたいのです」


切実な願いだった。 現代日本においてビニール傘ほど「個」を軽視される存在はない。 使い捨てられ、盗まれ、取り違えられることが前提の悲しき道具。


「ひどいです。こんなに一生懸命、雨を防いでくれたのに……」


咲耶がタオルで彼の折れた肩をさすりながら泣いている。


「監査結果を伝えます」


俺は冷めた紅茶を一口飲んでから彼を直視した。


「あなたの絶望の原因はあなたの性能ではありません。 『安価で、どこでも手に入り、没個性であること』。 現代社会がビニール傘に求めたそのスペックが、皮肉にも付喪神としての自我を持つあなたを苦しめている」


俺はオサキに合図を送る。 オサキが空中に投影したのは、砂嵐が吹き荒れる荒涼とした世界の映像だった。


「惑星『サンドリア』。 この世界は一年中、肌を切り裂くような『砂の嵐』が吹き荒れています」


画面の中では人々が厚い布を被り、砂にまみれて生活していた。 視界は悪く、精密機械もすぐに壊れてしまう過酷な環境だ。


「この世界には『透明な素材』が存在しません。 ガラスは砂で削れて曇り、水晶は高価すぎて庶民には手が出ない。 人々は顔を覆う布のせいで、互いの表情を見ることもできずに暮らしています」


俺はビニール傘の青年に告げた。


「あなたのその『透明な身体』こそが、この世界では奇跡となります」


「透明が、奇跡?」


「ええ。 砂嵐を防ぎながら視界を確保できる。 相手の顔を見て話すことができる。 そして何より……あなたは風を受け流すしなやかな構造を持っている」


俺は彼の「折れた骨」を指した。


「この世界ならあなたは『使い捨て』ではありません。 砂漠の旅人が命を預ける唯一無二のパートナー、『聖なるシールド』として迎えられるでしょう。 そこでは誰もあなたを取り違えたりはしない。 傷一つつけば、国一番の職人が修理してくれるはずだ」


青年の瞳に光が宿った。


「私が……誰かの命を預かる盾に?」


「そうです。 あなたはもう、その他大勢の『ビニール傘』ではない。 砂の海を渡る、たった一つの『透明な翼』になるのです」





転生ゲートの前。 青年は深々と頭を下げた。 その背筋は最初に来た時よりも、少しだけ伸びているように見えた。


「ありがとうございます。 行ってきます。今度こそ、誰かを守り抜いてみせます」


彼がゲートの向こうへ消えた後、モニターには砂嵐の中で一人の旅人を守る、光り輝く透明な盾の姿が映し出された。 旅人はその盾越しに広がる青空を見て、涙を流して喜んでいた。


「よかった。本当によかったです……!」


咲耶がぐずぐずと鼻をすすっている。


「やれやれ、湿っぽいですね」


オサキが肩をすくめ、俺に一つのカプセルを手渡した。 彼が去り際に残していったものだ。


「九十九さん、今回の報酬です。 クライアントより『雨宿りのカプセル』を頂きました」


「効果は?」


「このカプセルを割ると、半径3メートル以内にあらゆる悪意や攻撃を弾く『透明な結界』を張ることができるそうです。 効果時間は雨が止むまで。あるいは涙が乾くまで」


「ロマンチックな機能だな」


俺はそのカプセルをポケットに入れた。


ビニール傘。 誰のものでもない彼は、誰のものでもないからこそ誰にでも優しくなれたのかもしれない。


俺は窓の外を見た。 雨はまだ降り続いている。 だが、その雨音は先ほどよりも少しだけ優しく聞こえた。


「さて、咲耶さん。泣いている暇はありませんよ」


俺はデスクに戻る。


「雨が上がれば、また次の悩める魂がやってくる。 準備をしておきなさい」


「は、はいっ!」

登場人物紹介

九十九つくも

 九十九経営コンサルティング所長。『異世界転生課』の最高責任者であり、監査役。クライアント(魂)の深層心理と本当の願望を見抜き、最適な転生先キャリアパスを提示する。緑茶が好き。


◆オサキ

  九十九の有能な秘書兼調査役。九十九の指示で膨大な異世界のデータベースを検索・管理し、主人(九十九)に絶対の忠誠を誓う。稲荷寿司が好き


咲耶さくや

 天界から出向してきた『異世界転生課』の新人担当官(女神)。非常に真面目でクライアント想いだが、致命的にポンコツで泣き虫。とにかく甘いものが好き



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