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九十九経営コンサルティング、今度は『異世界転生課』を承ります  作者: 神楽坂 湊


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File23.道路地図の迷走と、最短ルートが殺した旅情について

「九十九さん。お茶、淹れました……」


カチャリ、と不自然な音がした。 咲耶がデスクに置こうとしたティーカップが、ソーサーの縁に当たり琥珀色の液体が少しこぼれる。 彼女の指先はもう半透明を通り越して、霞のようになっていた。 カップの取っ手を握る感触さえ怪しくなっているのだ。


「ああ、ごめんなさい。私、ドジですね……」


彼女は笑って誤魔化そうとしたが、その笑顔は今にも消え入りそうに儚い。 満月まで、あと一日。 明日の夜には彼女に対する天界の「査定」が下る。 それは、彼女の消滅か、完全な初期化を意味していた。


「気にしなくていい。座っていなさい」


私はタオルで机を拭きながら、努めて平坦な声を出した。 焦りは禁物だ。焦燥は判断を鈍らせる。


だが、私の心中を見透かすように事務所のドアが風切音と共に開いた。


「ここに行けば、俺の居場所があるって聞いたんだがな」


入ってきたのは、ボロボロの革ジャンを着た日焼けした男だった。 背中には大きなバックパック。靴は泥だらけ。 一見するとバックパッカーだが、その体からは古い紙の匂いとインクの匂いが漂っている。 今回のクライアント、道路地図――『ロードマップ』のアトラス氏だ。


彼は事務所のソファにドサリと荷物を下ろすと、日焼けした顔を歪めた。


「俺はもう、用済みらしい。 どこに行っても誰も俺を広げない。 みんな、スマートフォンの小さな画面に釘付けだ」


アトラス氏はポケットから自分の身体の一部である、折りたたまれた地図を取り出した。 かつてはどの車のダッシュボードにも入っていた、分厚い冊子。 ページの角は擦り切れ、何度もめくられた跡がある。


「俺の仕事はドライバーに『世界』を見せることだった。 ここから北へ走れば海がある。この峠を越えれば温泉がある。 俺を広げれば目的地までのルートだけでなく、その周辺にある『寄り道』の可能性も提示できた」


彼は寂しげに地図を撫でた。


「でも、今の奴らはどうだ? 『目的地を入力してください』 『最短ルートを検索します』 それだけだ。 機械的な音声に従って、青いラインの上をなぞるだけ。 そこには発見も、冒険も、迷う楽しみもない」


アトラス氏は窓の外を走る車を見下ろした。


「この前、ある若者の車に乗ったんだ。 俺が助手席で『こっちの海岸沿いの道が綺麗だぞ』と教えようとしても、彼はナビの画面しか見ていない。 ナビが『渋滞回避のため、脇道に入ります』と言えば、彼は何も考えずにハンドルを切る。 結果、どうなったと思う? 車一台がやっと通れるような、景色も何もない田んぼのあぜ道を延々と走らされたんだ。 たった五分の短縮のために、最高のドライブコースをドブに捨ててな」


あるあるだ。 GPSのアルゴリズムは「効率」しか評価しない。 そこにある景色の美しさや旅の情緒は、計算式に含まれていないのだ。 数字上の最短が、心理的な最適解とは限らない。


「若者は言ったよ。 『なんだこの道、最悪だ』って。 でも、彼はナビに逆らわない。 機械に指示されることが、自分で考えて地図を読むより楽だからだ。 俺はただの古臭い紙切れになった。 一度広げたら元の折り目がわからなくなる、ただの面倒なゴミだ」


咲耶が霞む手で自身の膝を握りしめた。


「……私も、同じかもしれません。 効率とか、正解とか。天界のルールに従っていれば楽だったのに。 人間に入れ込んで、寄り道ばかりして……。だから、私は……」


「咲耶さん」


私は彼女の言葉を遮り、アトラス氏に向き直った。


「アトラスさん。あなたの敗因は機能不全ではありません。 『余白』の価値が暴落した現代社会において、あなたの提案する『寄り道』という贅沢が理解されなくなっただけです。 ならば、地図がなければ一歩も進めない未知の世界へ行きなさい。 オサキ、案件番号360『テラ・インコグニタ』だ」


オサキが投影したのは、白い霧に包まれた広大な未開拓地の映像だった。 そこには道はおろか、地形さえ定まっていない。


「この世界は観測者がいて初めて『確定』する世界です。 人々は霧の向こうに何があるか怯えて暮らしている。 一歩踏み出せば崖かもしれない。魔物の巣かもしれない。 GPSの電波など届かないこの場所で、彼らが必要としているのは『答え(ルート案内)』ではありません」


私はアトラス氏のボロボロの地図を指差した。


「彼らが必要としているのは、『指針』です。 あなたの地図には道は描かれていないかもしれない。 ですが、あなたには『地形を読む目』と『旅人の勘』がある。 『こっちの風は湿っている、水場があるぞ』 『この鳥の飛び方は、近くに森がある証拠だ』 そうやって、白紙の地図にあなたの足で道を書き込んでいくのです」


「白紙の……地図」


「ええ。 ナビに正解を教えてもらうのではなく、あなたが世界を定義するのです。 そこでは迷うことすら『開拓』になります。 あなたは伝説の測量士として、その世界の形を決定づける創造主になるでしょう」


アトラス氏がゆっくりと顔を上げた。 その瞳に冒険者の色が戻っていた。


「俺が、道を作るのか。 青いラインをなぞるんじゃなく、俺が引いた線が道になるのか」


「そうです。 最短ルートなど必要ない。 あなたが歩いた軌跡こそが、最良のルートになるのですから」


「悪くねえ」


アトラス氏は立ち上がり、バックパックを背負い直した。


「久しぶりにワクワクしてきたぜ。 どんな悪路が待っているか、楽しみで仕方ねえ」


彼が転生ゲートへ向かう足取りは、来た時とは違い力強く地面を踏みしめていた。 迷いなく進むその背中は、どんな高性能なナビよりも頼もしく見えた。


彼が去ったあと、テーブルには一枚の古びた紙が残されていた。 何も書かれていない羊皮紙だ。


「九十九さん、今回の報酬です」 オサキがそれを手に取る。 「クライアントより『未完の地図』を頂きました」


「効果は?」


「この紙に行きたい場所の名を書くと、『そこへ至るための、最も困難だが、最も実りあるルート』が浮かび上がるそうです。 楽な近道は決して表示されない。 ですが、ゴールした時にはかけがえのない経験が得られているとか。 人生そのもののようなアイテムですね」


「……人生そのもの、か」


私はその地図を受け取った。 その時、事務所の窓ガラスがガタガタと震えた。 地震ではない。 空気が重く圧し掛かってくるような威圧感。


「九十九さん……!」


咲耶が空を見上げる。


窓の外。 夕暮れの空に、不自然に巨大な満月が昇り始めていた。 まだ昼の余韻が残る空に、白々しく輝くその月は、明らかに物理法則を無視して近づいている。


「タイムリミットだ」


私は立ち上がった。 天界からの最後通牒。 アトラス氏の案件で、こちらのポイントは稼いだはずだ。 だが相手は天界そのもの。 小手先の成果で納得するような相手ではない。


「行くぞ、咲耶さん」


私はコートを羽織った。


「え? ど、どこへ?」


「決まっているでしょう」


私は報酬の『未完の地図』にペンを走らせた。 そこに書き込んだ文字は――『天界・中央管理室』。


「待っていてもお迎えが来るだけだ。 こちらから出向いて、直接プレゼンしてやるんですよ。 この『異世界転生課』の存続と、君という女神の価値についてね」


地図がボウッと淡い光を放ち始めた。 そこには天へと続く、険しく長い道のりが浮かび上がっている。


「ついて来られますか? 最短ルートではありませんよ」


私の問いに、咲耶は薄くなった手で私の袖をギュッと掴んだ。 その力は弱かったが、意思は固かった。


「行きます。 どんな道でも、九十九さんと一緒なら迷いませんから!」


「さあ、最終決戦だ」


私たちは事務所のドアを開けた。 その先には見慣れた神保町の路地ではなく、雲海へと続く光の階段が伸びていた。

登場人物紹介

九十九つくも

 九十九経営コンサルティング所長。『異世界転生課』の最高責任者であり、監査役。クライアント(魂)の深層心理と本当の願望を見抜き、最適な転生先キャリアパスを提示する。緑茶が好き。


◆オサキ

  九十九の有能な秘書兼調査役。九十九の指示で膨大な異世界のデータベースを検索・管理し、主人(九十九)に絶対の忠誠を誓う。稲荷寿司が好き


咲耶さくや

 天界から出向してきた『異世界転生課』の新人担当官(女神)。非常に真面目でクライアント想いだが、致命的にポンコツで泣き虫。とにかく甘いものが好き



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