File21.公衆電話の余命宣告と、神性を捨てた女神の涙について
神保町に季節外れの雪が降っていた。 窓の外を音もなく舞う白い欠片が、事務所の中の重苦しい沈黙を際立たせている。
「廃止……ですか」
私が問い返すと、オサキは無言で頷いた。 その視線の先では、咲耶が自身の掌を呆然と見つめている。 彼女の手が微かに透けていた。 幽霊のように、あるいは今にも消え入りそうな灯火のように。
「担当官・咲耶。貴様の『神性値』は、現在5%を下回っている」
事務所の入り口に、いつの間にか男が立っていた。 以前、業務監査に来た天界の執行官、イスルギだ。 だが今回は、彼の手には逮捕状代わりの銀色の手錠が握られている。
「貴様は人間に感情移入しすぎた。 泣き、笑い、怒り、あやかしどもの未練に寄り添いすぎた。 その結果、貴様の魂は『人間化』し、女神としての機能を喪失しつつある。 これは『堕天』の前兆だ。即刻、天界へ帰還し再フォーマットを行う必要がある」
「再フォーマット」
つまり、記憶の消去と人格の初期化だ。
咲耶が震える声で言った。
「私、女神じゃなくなっちゃうんですか? 九十九さんやオサキさんと過ごした記憶も……全部、消えちゃうんですか?」
「それが『浄化』だ。汚染されたデータを削除し、純粋な女神に戻るのだ」
イスルギが一歩踏み出す。 オサキが私の前に立ち、尻尾を逆立てて威嚇の姿勢を取った。 だが、私はそれを手で制した。
「お待ちください、イスルギさん」
私は冷静を装い、茶を啜った。
「彼女の神性値が下がったのは、業務命令によるものです。 私のコンサルティングにおいて、彼女の共感能力は不可欠なツールだった。 それを『汚染』と呼ぶのは、いささか心外ですね」
「口答え無用。 そもそも、この『異世界転生課』自体が、コストパフォーマンス最悪の不良債権だ。 未練がましい魂を一々カウンセリングし、丁寧にアフターケアまでする。 そんな非効率な部署は、天界の構造改革において排除されるべきだ」
彼は冷徹に宣告した。
「本日をもって当課は閉鎖とする。これより強制執行を行う」
彼が手錠を掲げた、その時だった。 事務所のドアが、ガラガラと弱々しい音を立てて開いた。
「あのう。ここは、まだやってますか?」
そこに立っていたのは、全身が緑色の金属でできた角張った男だった。 胸には数字のボタン。受話器を耳に当てたまま、彼は今にも倒れそうな足取りで入ってきた。 昭和から平成を支えた通信インフラ。 公衆電話の付喪神だ。
イスルギが眉をひそめる。
「チッ。間の悪い客だ。 おい、業務は終了した。帰れ」
「ま、待ってください……!」
公衆電話氏はガシャンと膝をついた。 彼の体からは緑色の塗装がボロボロと剥がれ落ちていた。
「私にはもう時間がないんです。 撤去が決まったんです。明日には私はスクラップにされる。 最後に、一度だけでいい。 誰かの『命の会話』を繋ぎたいんです」
彼は涙ながらに訴えた。
「昔は行列ができたものでした。 受験合格の知らせ、恋人への愛の言葉、田舎の母への近況報告。 私の受話器は、人々の熱い体温と想いを伝え続けてきた。 ポケットの中の小銭を握りしめ、震える指でダイヤルを回す人々の緊張感が、私の誇りだった」
「でも、今は誰も私を見ない。 みんなスマホを持ってる。私の前を素通りして、歩きながら話してる。 私が役に立つのは災害の時だけ。 普段は邪魔者扱いされ、緊急事態の時だけ『あってよかった』と感謝される。 そんな都合のいい存在、もう疲れました」
彼は胸元の赤いボタンを押した。 それはお金がなくても警察や消防に繋がる「緊急通報ボタン」だ。
「このボタンが私の最後の砦でした。 誰かのSOSを伝えるための、最後の命綱。 でも、もう誰も押してくれない。 私は誰の助けにもなれないまま、鉄屑になるんですか……!」
切実な叫びだった。 効率化の波に飲まれ、居場所を失った「かつての英雄」。 それは、閉鎖を言い渡された我々転生課の姿と重なる。
イスルギが冷たく吐き捨てる。
「それが時代の流れだ。 役割を終えた道具は消える。人間化した女神も初期化される。 当然の理だ」
「違います!」
叫んだのは咲耶だった。 彼女は透け始めた体で公衆電話氏に駆け寄った。 そして、その冷たく硬い緑色の背中を強く抱きしめた。
「役割を終えてなんか、いません! あなたがいたから助かった命があるんでしょう? あなたが繋いだから生まれた絆があるんでしょう? たとえ時代が変わっても、あなたが誰かのために必死だった事実は、消えたりしない!」
咲耶の目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。 その涙が公衆電話氏の体に触れると、剥げかけた塗装が微かに輝きを取り戻した。
「イスルギさん」
私は立ち上がり、執行官を睨みつけた。
「見ましたか。これが、あなたが『汚染』と呼んだ力の正体だ」
私は公衆電話氏の前に立った。
「公衆電話さん。あなたのその『緊急時にこそ真価を発揮する』強靭な回線と、『硬貨(対価)がなくとも命を救う』という献身性。 それを求めている世界があります」
「オサキ、案件番号119だ」
オサキがイスルギを無視して映像を投影する。
「世界名『サイレント・アビス』。 ここは強力な磁場嵐により、あらゆる無線通信が封じられた深海都市です。 人々は孤立し、助けを呼ぶこともできずに暮らしています」
私は彼の赤いボタンを指差した。
「この世界ではあなたの有線ネットワークだけが唯一の通信手段となります。 あなたは深海の底で、孤立した都市同士を繋ぐ『希望のホットライン』となる。 そこではあなたは邪魔な箱ではありません。 暗闇の中で光る、唯一の救いです」
公衆電話氏が震える手で受話器を握り直した。
「私が……深海の、希望に?」
「ええ。あなたの赤いボタンは決して錆びつかない。 行って、繋いできなさい。誰かのSOSを」
「はい! ありがとう、ございます……!」
転生ゲートが開く。 公衆電話氏は咲耶に深々と頭を下げ、光の中へと飛び込んでいった。 彼が消えたあと、事務所の電話が短く鳴った。 それは彼からの「ありがとう」というラストコールだったのかもしれない。
静寂が戻る。 イスルギは忌々しそうに舌打ちをした。
「勝手な真似を。 だが、これで時間稼ぎは終わりだ。 そのあやかしを救ったところで、貴様らの処遇は変わらん」
「いいえ、変わりますよ」
私はイスルギに一枚の請求書を突きつけた。 今しがたの公衆電話氏の案件の報酬……ではない。 これまで我々が救ってきた、数千の魂からの「感謝状」の束だ。
「イスルギさん。 我々は天界が切り捨てた『効率の悪い魂』を救済し、各異世界に最適化して配置してきた。 これにより各世界のGDPならぬ『幸福度(GDH)』は劇的に向上している。 もし今、この部署を閉鎖し咲耶さんを初期化すれば……」
私はニヤリと笑った。
「それらの世界からの『感謝のエネルギー』供給がストップします。 天界のエネルギー事情にとっても、無視できない損失になるはずですが?」
イスルギの眉がピクリと動いた。 痛いところを突かれた顔だ。 天界とて下界からの信仰心や感謝といったエネルギーで成り立っている。 我々の仕事は数字には表れにくいが、確実に天界のインフラを支えていたのだ。
「貴様、そこまで計算して……」
「コンサルタントですから。 クライアント(天界)の利益にならない提案はしませんよ」
イスルギは数秒間、私と咲耶を交互に睨みつけ、やがて銀色の手錠を懐にしまった。
「よかろう。 ただし猶予を与えるだけだ。 咲耶の神性値低下は事実。このままでは彼女はいずれ消滅するか、人間として堕ちる。 それを食い止める『成果』を出せなければ、どのみち課は解体だ」
彼は背を向けた。
「次の満月までだ。 それまでに天界上層部を納得させるだけの『特大の案件』を解決してみせろ。 ……失敗すれば、その時は貴様の魂もろとも回収する」
捨て台詞を残し、執行官は雪の中へと消えていった。
緊張が解け、咲耶がその場に座り込む。 オサキが温かいタオルを彼女の肩にかけた。
「九十九さん。私、消えちゃうんですか?」
「させませんよ」
私はいつものように冷めた紅茶を一口飲んだ。
「私は一度引き受けた案件は、最後まで面倒を見る主義だ。 たとえ相手が天界そのものであろうとね」
私は窓の外の雪を見た。 季節外れの雪はまだ止みそうにない。
「咲耶さん、オサキ。 これより当課は『非常事態宣言』を発令します。 天界を黙らせる、最高難易度の案件を探しなさい。 ……我々の、生き残りを賭けた戦いです」
私の言葉に咲耶が涙を拭い、力強く頷いた。 その掌はまだ少し透けていたが、握りしめた拳には確かな熱が宿っているように見えた。
神保町の夜が更けていく。 最後の戦いの幕が、静かに上がろうとしていた。
登場人物紹介
◆九十九
九十九経営コンサルティング所長。『異世界転生課』の最高責任者であり、監査役。クライアント(魂)の深層心理と本当の願望を見抜き、最適な転生先を提示する。緑茶が好き。
◆オサキ
九十九の有能な秘書兼調査役。九十九の指示で膨大な異世界のデータベースを検索・管理し、主人(九十九)に絶対の忠誠を誓う。稲荷寿司が好き
◆咲耶
天界から出向してきた『異世界転生課』の新人担当官(女神)。非常に真面目でクライアント想いだが、致命的にポンコツで泣き虫。とにかく甘いものが好き
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