File20.放置された勇者の孤独と、永遠に訪れないラスボス戦につい
「九十九さん」
掃除をしていた咲耶が、棚の奥から出てきた埃まみれの携帯ゲーム機を見つめて言った。
「このゲームの主人公、今どうしてるんでしょうね」
「どうしているも何も、電源を切ればただのデータです」
「そうでしょうか」
咲耶は画面の黒ずんだ液晶を指でなぞった。
「私たちが『また明日』って言って電源を切ったあと、彼らはその『明日』を、あの狭い画面の中でずっと待っているんじゃないですか?」
「感傷ですね」
私は書類から目を逸らした。 だが、その否定を遮るように事務所の空気がザラつき始めた。 アナログ放送の砂嵐のような、不快なノイズ音。 そして、ソファの上に「彼」は現れた。
ドット絵のように輪郭が滲んだ、鎧姿の青年。 かつて少年たちが熱狂したRPGの勇者。 しかし今の彼はバグったデータのように明滅し、片腕がノイズに飲まれていた。
「プレイヤーは、まだ来ないのか」
彼の声は接触不良のスピーカーから出る音のように割れていた。
「俺は、魔王城の前のセーブポイントにいるんだ。 装備は最強だ。レベルもカンストした。 回復アイテムも99個揃えた。 あとは、扉を開けて魔王を倒すだけなんだ」
勇者――『データ』氏は、自身の震える手を見つめた。
「あの日、プレイヤーのケンジは言ったんだ。 『もう遅いから、続きはまた明日』って。 俺は待った。 明くる日も。その次の日も。 魔王城の前で、勇壮なBGMが流れる中、一歩も動かずに」
「あれから、二十年が経った」
二十年。 ゲームの中の時間ではない。現実の時間での二十年だ。 それはデジタルデータにとって「永遠」に等しい。
「俺は、何か間違ったのか?」
データ氏のノイズが激しくなる。
「レベル上げが足りなかったか? 隠しアイテムを取り逃がしたか? なぜ、ケンジは戻ってこない? 俺たちの旅は、世界を救う旅は、彼にとって『その程度』だったのか?」
咲耶が唇を噛み締めている。 彼女も、そして私も知っている。 彼が捨てられたわけではないことを。 ただ、ケンジという少年が「大人」になり、ゲーム機を握る手が参考書へ、彼女の手へ、そして仕事の書類へと変わっていっただけだということを。 悪気のない忘却。それが一番残酷だ。
「魔王も、待ちくたびれているだろうな」
データ氏は自嘲気味に笑った。
「世界を滅ぼす恐怖の存在も、観客がいなければただの置物だ。 俺たちは終わることもできず、始まることもできず、ただメモリの電池が切れて消滅するのを待つだけの亡霊だ」
私は熱くなった紅茶を一気に飲み干した。 胸の奥に苦いものが広がる。 私もまた、いくつもの物語を途中で投げ出してきた人間だからだ。
「データさん」
私は静かに告げた。
「プレイヤーは、もう戻りません。 彼は現実という名の、攻略本のないクソゲー(無理ゲー)を生きるのに必死で、あなたの世界へのパスワードを忘れてしまった」
「そうか」
データ氏は驚くほど静かにそれを受け入れた。
「薄々は気づいていたさ。BGMが歪み始めた頃からな」
「ですが」
私は続けた。
「あなたの冒険が無意味だったわけではない。 あなたにお勧めの世界があります。 そこは、未完の物語だけが流れ着く場所です。 オサキ、案件番号404『アーカイブ・オブ・ロスト』を」
オサキが投影したのは、巨大な図書館のような、あるいは墓標のような静謐な世界の映像だった。 そこには打ち切られた漫画の主人公、サビまで作られなかった未発表の曲、そしてクリアされなかったゲームの勇者たちが暮らしている。
「ここでは、魔王を倒す必要はありません。 あなたが語るのは『結末』ではなく、『過程』です。 あの日、ケンジ君がどれだけ熱中してあなたを育てたか。 学校から帰ってランドセルを放り投げ、どれだけの情熱をあなたに注いだか。 それを語り合うだけで、あなたの存在は肯定される。 あなたは『クリアデータ』にはなれなかったが、彼の少年時代の『最高傑作』だったのですから」
「最高傑作……」
データ氏の目からドット状の涙がこぼれ落ちた。
「俺は、愛されていたんだな。 ただの暇つぶしじゃなくて、あいつの相棒だったんだな」
「ええ。間違いなく」
データ氏は立ち上がった。 その輪郭からノイズが消え、発売当時の鮮やかな色彩を取り戻していた。
「行くよ。 魔王にも声をかけていく。 『もう待たなくていい、飲みに行こうぜ』ってな。 あいつとの冒険の話、向こうの連中に自慢してやるさ」
光の中に消えていく背中は、レベル99の勇者にふさわしい堂々たるものだった。 彼が去ったあと、ソファには古びたメモリーカードが一枚残されていた。
「九十九さん、これ」
咲耶がそれを拾い上げる。
「今回の報酬、『追憶のセーブデータ』だ」
「効果は?」
「これを持っていると、人生の岐路において一度だけ『選択肢』をやり直せるらしい。 あの時、右を選んでいれば。あの言葉を言っていれば。 そんな後悔をロードし直せる」
「強力すぎるアイテムだな」
私はそれを受け取り、引き出しの奥深くにしまった。
「使いませんよ。 人生はリセットボタンがないからこそ、緊張感があって面白い。 それに、やり直した選択の先がハッピーエンドとは限らないからな」
咲耶が窓の外の夕焼けを見ながら呟いた。
「私、今日帰ったら昔のゲームの電源入れてみようかな。 クリアできなくても、せめて『今までありがとう』ってセーブしてあげたいです」
「それがいい」
私は新しい茶葉を用意した。 夕暮れの神保町にカラスの声が響く。 終わりがあるから物語は美しい。 私の、そしてこの事務所の物語も、そろそろ「エンディング」に向けて動き出す頃合いかもしれない。
その時だった。
事務所の電話がけたたましく鳴り響いた。 普段の依頼電話とは違う、不穏な呼び出し音。 それは天界直通の緊急回線だった。
「嫌な予感がしますね」
オサキが険しい顔で受話器を取る。
「はい、こちら転生課……。 え? ……はい。……承知しました」
オサキは受話器を置き、私と咲耶を交互に見た。 その表情から、いつもの冷静さが消えていた。
「九十九さん、咲耶さん。 本部からの通達です。 『異世界転生課』の廃止が決定しました。 そして……咲耶さん。あなたに、堕天の嫌疑がかけられています」
「え?」
咲耶の手から携帯ゲーム機が滑り落ち、床で乾いた音を立てた。 日常の終わりはいつも唐突に、セーブする間もなくやってくる。
登場人物紹介
◆九十九
九十九経営コンサルティング所長。『異世界転生課』の最高責任者であり、監査役。クライアント(魂)の深層心理と本当の願望を見抜き、最適な転生先を提示する。緑茶が好き。
◆オサキ
九十九の有能な秘書兼調査役。九十九の指示で膨大な異世界のデータベースを検索・管理し、主人(九十九)に絶対の忠誠を誓う。稲荷寿司が好き
◆咲耶
天界から出向してきた『異世界転生課』の新人担当官(女神)。非常に真面目でクライアント想いだが、致命的にポンコツで泣き虫。とにかく甘いものが好き
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