File19.貧乏神の敗北と、持たざる者たちの幸福論について
「九十九さん、このお味噌汁、味が薄くないですか?」
昼食時、咲耶がインスタント味噌汁をすすりながら文句を言った。 お湯を入れすぎただけでしょう、と指摘しようとした私の言葉を遮るように、事務所の入り口から枯れ木のような声が響いた。
「それはお湯のせいじゃありませんよ。わしがそこにいるからです」
入り口に立っていたのは、鼠色の着物をまとった小柄な老人だった。 手には煤けた渋団扇。背中には大きな袋。 その姿からは、見ているだけで財布の紐が緩み、通帳の残高が減っていきそうな強烈な「負のオーラ」が漂っている。 今回のクライアント、貧乏神のビン氏だ。
彼が歩くたびに事務所の観葉植物がカサリと枯れ、咲耶の持っていた味噌汁の具(乾燥ワカメ)が一瞬で消滅した。
「ああっ! 私のワカメが!」
「すまんねぇ。わしが近づくと、ありとあらゆる『豊かさ』が逃げていくんでね」
ビン氏は申し訳なさそうに頭を下げると、よろよろとソファに座った。 その座り方は高級な革張りソファに座っているはずなのに、まるで煎餅布団の上にいるかのような哀愁を漂わせていた。
「相談というのは、ご自身の能力についてですか?」
私が問うと、彼は深くため息をついた。
「能力は健在です。ですが取り憑く相手がいないのです。 わしはね、昔ながらの『つつましい貧乏』が好きなんですよ。 家族でちゃぶ台を囲んで、めざし一匹を分け合う。着物は継ぎ接ぎだらけだが心は温かい。 そんな家庭に取り憑いて、ちょっとした不運を与えつつも、彼らが困難を乗り越えて絆を深める様を見守るのが生き甲斐でした」
彼は渋団扇をパタリと扇いだ。
「ですが、今の日本はどうです? 先日ある若者のアパートに取り憑こうとしたんです。 風呂なし、トイレ共同の四畳半。これはいい物件だと思って部屋に入りました。 そうしたら……何もないんです」
「何もない?」
「家具がない。テレビもない。服も数着だけ。 布団すらなくて寝袋で寝ている。 わしは驚いて、『お前、泥棒にでも入られたのか?』と聞きたくなりましたよ。 そうしたらその若者はスマホ片手にこう言うんです。 『僕はミニマリストなんで。物は持たない主義なんです』って」
ビン氏は呆れ果てていた。 現代の流行、ミニマリズムだ。 必要最小限の物だけで暮らすスタイルは、貧乏神から見れば「取り憑く島もない」状態だろう。
「それだけじゃありません。 彼の食事を見たら、粉末を水に溶かしただけのプロテインとサプリメントだけ。 『食費と食事の時間をカットして、浮いた金と時間をすべて“推し”に回すのが最高に幸せなんです』と、彼は笑っていました」
ビン氏は涙ぐんだ。
「わしが『貧しくしてやろう』と思う前に、彼らは自ら進んで極限まで切り詰めている。 しかもそれを『不幸』だと思っていない。 むしろ物を持たないことがクールで、賢い生き方だと信じている。 わしが味噌汁を薄くする隙も、服に穴を開ける余地もないんです。 彼らの心は推しへの愛で満たされていて、わしが入る隙間なんて1ミリもなかった」
現代の貧困は可視化されにくい。 物質的な欠乏ではなく、関係性の欠乏や一点豪華主義の歪な消費行動。 古き良き「貧乏神」の出番は、確かに失われている。
「わしは用済みなんですかねぇ。 今の若者にとって、わしは神様じゃなくてただの『老害』なんでしょうか」
切ない独白だった。 咲耶が具のない味噌汁を見つめながら静かに言った。
「なんか、わかります。私もガチャに課金するために夕飯抜いたりしますけど、その時の空腹って不思議と辛くないんですよね。むしろ高揚感があるっていうか」
「それはドーパミンが出ているだけです。不健康極まりない」
私は立ち上がり、ビン氏の前に立った。
「あなたの敗因はターゲットの選定ミスです。 現代日本において、若者はすでに『清貧』のプロフェッショナルです。あなたが出る幕はない。 あなたが本来の輝きを取り戻すには、真逆の場所へ行く必要があります」
「真逆?」
「ええ。オサキ、案件番号000だ」
オサキが投影したのは、目が痛くなるほどキラキラした世界の映像だった。 黄金の建物、溢れんばかりの宝石、飽食の限りを尽くす人々。
「世界名『エルドラド・プライム』。 この世界は錬金術が発達しすぎて、金の価値が暴落しています。 人々は物質的に満たされすぎて、逆に『ありがたみ』を喪失している。 新しい服を着ては捨て、食べきれない料理を作っては捨て。 彼らの心は脂肪のように贅肉がつき、退屈と倦怠感で腐りかけています」
私はビン氏の煤けた団扇を指差した。
「彼らが必要としているのは、もっと金を与える神ではありません。 『失うこと』を教えてくれる神です。 あなたが行って、彼らの財産を少しだけ減らしてやりなさい。 金貨を石ころに変え、豪華な料理をただのパンに変えるのです」
「そ、そんなことをしたら嫌われませんか?」
「最初はね。 ですが、失って初めて彼らは気づくでしょう。 空腹の時に食べるパンの美味しさに。 寒さをしのぐためのボロ布の暖かさに。 あなたは、この世界で唯一人々に『欠乏のスパイス』を提供できる『ハングリー・コーディネーター』になれるのです」
「欠乏の……スパイス」
ビン氏の目が開かれた。
「わしが、贅沢ボケした連中にハングリー精神を思い出させるってことですかい?」
「ええ。 飽食の時代にこそ貧乏神は輝く。 あなたの団扇一振りで、彼らの退屈な日常はスリリングなサバイバルに変わるでしょう」
「カッカッカ!」
ビン氏が久しぶりに声を上げて笑った。枯れ木に花が咲いたような笑顔だった。
「いいですねぇ。やりがいがありそうだ。 腐るほどある黄金を全部ただの落ち葉に変えて、ひいひい言わせてやりましょうか。 それが彼らにとって一番の『贅沢』になるならね」
転生ゲートの前に立ったビン氏は、振り返って私に言った。
「九十九さん。あんたのところも、もっと節約したほうがいいですよ。 特にあのお嬢ちゃんの無駄遣いは目に余る」
「余計なお世話ですー!」
咲耶が頬を膨らませる中、ビン氏は楽しそうにゲートの向こうへと消えていった。
それから数日後。 モニターには質素な服を着て、額に汗して畑を耕す元・富豪たちの姿が映し出されていた。 彼らは泥だらけだが、その目は生き生きとしている。 その傍らでビン氏が団扇を片手に、「ほれほれ、もっと腰を入れないと今日の飯は抜きだよ!」と檄を飛ばしていた。 どうやら彼はあちらの世界で、カリスマ的なライザップ……ならぬ、スパルタ生活指導員として崇められているらしい。
「幸せそうですねぇ」
咲耶がコンビニで買ってきた新作スイーツ(400円)を食べながら言った。
「やっぱり、人間たまには苦労しないとダメなんですね」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」
オサキがビン氏が残していった報酬をテーブルに置いた。 底の抜けた古びた柄杓だ。
「九十九さん、今回の報酬です。 クライアントより『無欲の柄杓』を頂きました」
「効果は?」
「この柄杓で水をすくうと、『自分に必要な分だけ』が残り、余分な水は全てこぼれ落ちるそうです。 欲張ってたくさんすくおうとすればするほど、何も残らなくなる。 強欲な人間には扱いが難しいアイテムですね」
「なるほど。 経費精算に使えそうだ」
私はその柄杓を手に取った。
「咲耶さん。来月のあなたの経費申請、この柄杓で審査しますからね。 本当に必要な経費なら残るでしょうが……私利私欲が混じっていれば、一円も残らないと思ってください」
「えええ!? そんなのあんまりです! 私のマカロン代は、精神の安定に必要な経費なんですってば!」
事務所にいつもの騒がしさが戻る。 足るを知る者は富む。 だが、それを実践するのは貧乏神を追い払うよりも難しいことなのかもしれない。
私はビン氏がいた場所の観葉植物が、少しだけ緑を取り戻しているのを見て静かに微笑んだ。 さて、次の「持たざる者」は誰だろうか。
登場人物紹介
◆九十九
九十九経営コンサルティング所長。『異世界転生課』の最高責任者であり、監査役。クライアント(魂)の深層心理と本当の願望を見抜き、最適な転生先を提示する。緑茶が好き。
◆オサキ
九十九の有能な秘書兼調査役。九十九の指示で膨大な異世界のデータベースを検索・管理し、主人(九十九)に絶対の忠誠を誓う。稲荷寿司が好き
◆咲耶
天界から出向してきた『異世界転生課』の新人担当官(女神)。非常に真面目でクライアント想いだが、致命的にポンコツで泣き虫。とにかく甘いものが好き
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