File17.古狸のキャッシュレス敗北と、ポイ活という名の迷宮について
「九十九さん、聞いてくださいよぉ」
朝の静寂を破ったのは、スマホを握りしめた咲耶の悲痛な叫びだった。
「どうしました。また課金ガチャで爆死しましたか」
「違います! ポイントです!」
彼女は画面を突きつけてきた。
「コツコツ貯めた2000ポイントが、昨日で失効してるんです! 『期間限定ポイント』って何なんですか! 使う暇も与えずに消えるなんて、詐欺じゃないですか!」
「期間内に使わなかったあなたが悪い」
私は冷たく切り捨てたが、彼女の言い分も分からなくはない。 現代の経済圏は複雑怪奇だ。Tポイント、dポイント、楽天、Ponta……。 無数の経済圏が乱立し、それぞれのアプリ、それぞれの還元率、それぞれの有効期限が絡み合う。 それはもはや、一種の現代魔術と言ってもいい。
だが、その魔術に敗北したのは彼女だけではなかった。
「……あの、すみません。ここはポイントの相談も乗ってくれるんでしょうか……」
入り口に立っていたのは、茶色のスーツを着た小太りの中年男性だった。 しかし、その尻からは太い縞模様の尻尾がはみ出し、頭には葉っぱが一枚乗っかっている。 変装が解けかけている。相当、精神が摩耗している証拠だ。 今回のクライアント、化け狸のハチ氏である。
彼はソファに座るなり、コンビニのレジ袋から大量の「葉っぱ」を取り出した。
「これ、見てください。私の全財産です」
「ただの落ち葉に見えますが」
「ええ。今はね」
ハチ氏は葉っぱの一枚を手に取り、悲しげに息を吹きかけた。 一瞬、葉っぱがキラリと光り千円札に変わる……かと思いきや、すぐに「ブブー」というエラー音のような音がして、葉っぱに戻ってしまった。
「もう、無理なんです。私の幻術が、現代の機械には通用しないんです」
彼は頭を抱えた。
「昔はよかった。葉っぱを小銭に変えて、駄菓子屋の婆ちゃんをちょっと驚かす。 『あら、この百円玉、なんか軽いねぇ』なんて言われながら買い食いをする。 それが私たち狸の粋な遊びでした」
「牧歌的な時代でしたね」
「でも、今はどうです?」
ハチ氏の声が荒ぶる。
「コンビニでタバコひとつ買うにも、店員は私の目を見ない。 機械的な声でこう言ってくるんです。 『ポイントカードはお持ちですか』 『アプリのバーコードをお願いします』 『お支払いはどうされますか』 『レジ袋はご利用ですか』」
彼は見えないレジに向かって叫んだ。
「うるさーーーーい! 私はただ、買い物がしたいだけなんだ!」
彼は震える手でスマホ(葉っぱが変化したもの)を取り出した。
「葉っぱをお札に変えるのは、もう諦めました。自動精算機は紙幣の重さや透かしまで検知するから騙せません。 だから私は、葉っぱを『QRコード』に変化させる練習をしたんです。 これなら質量のない情報だから騙せると思って」
「ほう。努力家ですね」
「でも、ダメだった!」
ハチ氏は泣き崩れた。
「読み取ろうとすると、スマホの画面が暗くなったり、通信エラーになったり! 後ろには行列ができる。店員の『チッ』という舌打ちが聞こえる。 『あ、もう現金でいいです』って財布を出そうとすると小銭がない。 お札を入れると戻ってくる。 焦れば焦るほど、変装が解けて尻尾が出てくる……!」
これは現代人なら誰もが一度は経験する「レジ前のパニック」だ。 アプリが起動しない、バーコードが出ない、タッチ決済が反応しない。 背後の客からの「早くしろよ」という無言の圧力。 それは小心者の狸にとっては地獄の責め苦に等しいだろう。
「もう、疲れました。 ポイントだの還元率だの、目に見えない数字に踊らされるのはごめんです。 私はもっと単純で、温かみのある商売がしたい。 葉っぱ一枚で笑顔が買えるような……そんな世界に行きたいんです」
咲耶が深く頷いている。
「わかります……。レジで『ポイントカードありますか』って聞かれて、財布の中を探してる時のあの空気、寿命が縮みますよね……」
私はハチ氏の前に積まれた落ち葉を見つめた。 彼の幻術の腕は鈍っていない。ただ、相手が無機質なセンサーであることが悪いのだ。 センサーには「愛嬌」や「遊び心」は通じない。
「ハチさん。現代のキャッシュレス社会は、あなたには確かに生きづらい。 ですが、あなたのその『葉っぱを価値あるものに見せる力』を、経済の根幹として必要としている世界があります」
「そんな世界が?」
「ええ。オサキ」
オサキが投影したのは、巨大な樹木が立ち並ぶ緑豊かな森の世界だった。
「世界名『シルバ・エコノミカ』。 この世界ではかつて金銀財宝が通貨でしたが、強欲な王による独占とインフレで経済が破綻しました。 人々は貴金属を信じられなくなり、物々交換に戻ってしまった。 しかし物々交換は不便です。魚は腐るし、家畜は持ち運べない」
私はハチ氏の手にある葉っぱを指差した。
「彼らが求めているのは、『誰もが手に入れられて』『持ち運びやすく』『適度に消滅する(腐る)』通貨です。 そう、葉っぱです」
「葉っぱが……お金に?」
「ただの葉っぱではダメです。誰でも拾えるなら価値がない。 ですが、あなたが『印(術)』を込めた葉っぱならどうでしょう? あなたの術で、葉っぱに『信用』という魔法をかけるのです。 術が効いている一ヶ月間だけ通貨として使えて、期限が来ればただの落ち葉に戻る。 これなら誰も溜め込みすぎず、経済が循環します」
「期限付きの……通貨……」
「そうです。あなたはそこで、中央銀行ならぬ『森の銀行頭取』になりなさい。 森の落ち葉を拾い集め、それに術をかけて市場に流す。 人々はあなたの発行する『タヌキ札』を使って日々の糧を得るでしょう。 そこには面倒なアプリも、ポイント還元もありません。 あるのは、自然のサイクルに寄り添った優しい経済だけです」
ハチ氏の顔から疲労の色が消えた。 彼は一枚の葉っぱを手に取り、鮮やかな手つきで「壱百」と書かれた木札のような姿に変えた。
「期限が来れば土に還るお金、ですか。 いいですねぇ。それこそ、私が求めていた『粋』ってやつです」
彼は深々と頭を下げた。
「行きます。向こうの世界で、一番豊かな森を作ってみせますよ」
数日後。 モニターには森の奥の祠で、ふかふかの座布団に座り、行列を作る森の住民たちに「タヌキ札」を配るハチ氏の姿があった。
「へい、毎度あり! このお札は来月の満月までだからね! 早く使いなよ!」
「ありがとう、ハチ頭取!」
住民たちは笑顔で葉っぱを受け取り、市場へと走っていく。 そこにはレジ前の殺伐とした空気など微塵もなかった。
「平和ですねぇ」
咲耶が自分も葉っぱを頭に乗せて変身の練習をしている(まったく変化していない)。
「ポイントの有効期限に追われるより、ああやって自然に還るお金のほうが幸せなのかもしれません」
「そうですね。数字の桁を増やすことより、使い切ることのほうが人生においては重要ですから」
オサキがテーブルに一枚のカードを置いた。 ハチ氏が去り際に残していった報酬だ。
「九十九さん、今回の報酬です。 クライアントより『化かしのゴールドカード』を頂きました」
「効果は?」
「このカードを提示すると、どんな店でも『お得意様』として扱われるそうです。 予約の取れないレストランでも席が空き、裏メニューが出てきて、会計は『ツケ』にできるとか」
「ほう。それは便利だ」
「ただし、支払いの段になると財布の中身が全部落ち葉に変わっているそうですが」
「ただの無銭飲食じゃないか。捨てなさい」
私はその危険なカードを指先で弾いた。 楽をして得た信用など、化けの皮が剥がれればゴミ同然だ。 やはり地道に働くのが一番ということか。
「さて、咲耶さん。失効したポイントのことは忘れて、経費の計算に戻りなさい。 今月も赤字なら、あなたの給料を『どんぐり』で支払いますよ」
「ええっ!? そんなの困ります! リスじゃないんですから!」
やれやれ。 彼女が経済の仕組みを理解するのは、人類が貨幣を捨てるより先か、後か。 私は温かいお茶をすすりながら、次の「迷える現代人」を待つことにした。
登場人物紹介
◆九十九
九十九経営コンサルティング所長。『異世界転生課』の最高責任者であり、監査役。クライアント(魂)の深層心理と本当の願望を見抜き、最適な転生先を提示する。緑茶が好き。
◆オサキ
九十九の有能な秘書兼調査役。九十九の指示で膨大な異世界のデータベースを検索・管理し、主人(九十九)に絶対の忠誠を誓う。稲荷寿司が好き
◆咲耶
天界から出向してきた『異世界転生課』の新人担当官(女神)。非常に真面目でクライアント想いだが、致命的にポンコツで泣き虫。とにかく甘いものが好き
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