File16.枕返しの不眠症と、ブルーライトに消された夢の国について
「九十九さん……あと五分……いや、三分だけ……」
咲耶がデスクに突っ伏して、幸せそうな寝言を呟いている。 頬にはキーボードの跡がくっきりとつき、口元からは一筋のよだれが垂れていた。 春の昼下がり。窓から差し込む陽光は、確かに殺人的な眠気を誘う。
だが、そんな穏やかな空気を切り裂くように、その男は現れた。
「あんたたち、よく眠れるな」
入り口に立っていたのは、目の下にどす黒い隈を作ったパジャマ姿の小男だった。 髪はボサボサ、肌はカサカサ。手には自分とほぼ同じサイズの、巨大な枕を引きずっている。 まるで三徹明けのシステムエンジニアのような風貌だ。 今回のクライアント、妖怪『枕返し』のマクラ氏である。
「羨ましいよ。俺なんて、もう三百年も熟睡できていない」
彼はよろめきながらソファに倒れ込んだ。 持っていた枕を抱きしめるが、その顔に安らぎはない。
「相談というのは、不眠の悩みですか?」
私が問うと、彼は虚ろな目で首を振った。
「いや。俺の仕事の話だ。 俺の生き甲斐は、寝ている人間の枕をひっくり返し悪夢を見せることだった。 『うなされる顔』を見るのが、俺の唯一の栄養源なんだ。 だが、最近の人間は……強すぎる」
「強すぎる?」
「ああ。まず、物理的に枕が重い。 昔は軽い蕎麦殻だった。ひょいと返せた。 でも今はどうだ? 低反発ウレタン? ジェル素材? なんだあれは。漬物石みたいに重くて、吸い付くように頭にフィットしやがる。 引っこ抜こうとすると、寝ている人間の首まで持っていきそうになるんだ」
彼はささくれ立った指を見つめた。
「それに、形もおかしい。 波型だったり、窪みがあったり、抱き枕だったり。 『裏返す』という概念が存在しない枕が増えすぎた。 俺は一晩中、枕の上下左右を確認しているうちに朝を迎えるんだ」
「それは……ご愁傷様です」
私は同情した。人間工学の進化が妖怪のアイデンティティを阻害しているとは。
「だが、もっと深刻なのは『心』の方だ」
マクラ氏は深いため息をついた。
「やっとの思いで枕を返しても、最近の人間は悪夢を見てくれない。 布団に入っても、みんなギリギリまでスマホを見ているだろう? 脳がブルーライトで覚醒したまま、気絶するように眠りに落ちる。 そんな状態で見るのは夢じゃない。 ただの『情報の残骸』だ」
「情報の残骸」
「そうだ。 仕事のメール、SNSのタイムライン、動画サイトの広告。 そんな断片的なノイズが脳内を駆け巡っているだけで、物語のある『夢』を見ていないんだ。 俺が術をかけても、彼らはうわ言でこう呟く。 『通知オフにしなきゃ……』『明日も仕事か……』ってな」
彼は涙を浮かべた。
「俺が見せる『妖怪の悪夢』なんて、彼らが現実で感じている『明日の月曜日への恐怖』に比べたら遊園地みたいなもんだよ。 現代人は寝ている時でさえ、現実という悪夢から逃げられていない。 俺の出番なんて、どこにもないんだ」
重い沈黙が流れた。 咲耶がいつの間にか目を覚まし、気まずそうにスマホを隠している。 現代人にとって睡眠はもはや「休息」ではなく、単なる「バッテリー充電」になり下がってしまったのかもしれない。
「わかりました」
私は立ち上がった。
「あなたの悩みは、現代人の『睡眠の質の低下』と『想像力の欠如』に起因しています。 枕を返して悪夢を見せる、というあなたの芸風は、現実が辛すぎる現代日本にはミスマッチだ。 ならば、夢を見ることが『生きる糧』そのものである世界へ行きなさい」
「オサキ、案件番号990だ」
オサキが投影したのは、カプセルのような装置が並ぶ無機質なSF世界の映像だった。
「世界名『スリープ・アーク』。 ここは環境汚染により地上に住めなくなった人類が、地下シェルターでコールドスリープを繰り返しながら生き延びている世界です。 彼らは人生の大半を眠って過ごします。 肉体の代謝を極限まで落とし、精神だけで仮想空間の『夢』を生きている。 しかしシステムが老朽化し、彼らの見る夢にはバグやノイズが混じり始めています」
楽しいはずの夢が突然ブラックアウトしたり、砂嵐になったりする。 彼らにとってそれは「人生の崩壊」を意味します。
私はマクラ氏を指差した。
「彼らが必要としているのは、夢の管理者です。 あなたには枕を介して人の夢に干渉し、自在に操る力がある。 悪夢を見せる力があるということは、逆に『最高の夢』を見せることもできるはずだ」
「最高の……夢?」
「ええ。 ノイズだらけのバグった夢を『ひっくり返し』て、鮮やかな色彩のある物語に変えてやるのです。 あなたが枕に触れるだけで、彼らの灰色の世界は冒険の旅にも、恋の物語にも変わる。 そこではあなたは単なる妖怪ではありません。 全人類の精神的支柱、『夢幻の演出家』として君臨することになるでしょう」
マクラ氏が抱えていた枕をギュッと握りしめた。 その目に生気が戻り始めていた。
「俺が、演出家に……? 悪夢じゃなくて、いい夢を見せても……いいのか?」
「構いませんよ。 現代人が失った『夢を見る力』を、あなたの手で取り戻してやってください」
「やるよ」
マクラ氏は立ち上がった。
「俺だって本当は、震えて眠る顔より笑って眠る顔の方が見たかったんだ。 三百年間、ずっとそうだったんだ」
数日後。 モニターには近未来的なカプセルルームで、忙しく飛び回るマクラ氏の姿があった。
彼は人々の枕元を回り、ポンポンと優しく枕を叩いている。 カプセルの中で眠る人々の表情はどれも穏やかで、幸せそうに微笑んでいた。 時折マクラ氏はニヤリと笑って枕をひっくり返し、ちょっとした「スリル(悪夢)」をスパイスとして提供しているようだったが、それも含めて彼らは夢をエンターテインメントとして楽しんでいるようだった。
「いい仕事してますねぇ」
咲耶が自分もデスクに突っ伏しながら言った。
「私もあんな風に優しく寝かしつけられたいですぅ……」
「君の場合は、寝かしつけなくても勝手に寝るでしょう」
オサキが冷ややかに言いながら、報酬の品をテーブルに置いた。 マクラ氏が愛用していた、あの中身の詰まった枕だ。
「九十九さん、今回の報酬です。 クライアントより『反転の枕』を頂きました」
「効果は?」
「この枕を使って寝ると、『現実で起きた悪いこと』が夢の中では『良いこと』に変換されて再生されるそうです。 失敗したプレゼンは大成功し、フラれた相手からは告白される。 最高のストレス解消グッズですね」
「なるほど。精神衛生上、非常に有用だ。 だが中毒性がありそうだな。現実逃避もほどほどにしないと、あちらの世界の住人になってしまう」
私はその枕を咲耶のデスクではなく、仮眠室の棚にしまった。 辛い現実があるからこそ、夢は甘美なものになる。 そのバランスを保つのも我々コンサルタントの務めだ。
「さて、咲耶さん。 いつまで寝ているんですか。起きて仕事を……」
「Zzz……むにゃ……マカロン食べ放題……」
やれやれ。 彼女はすでに自力で理想の夢を見ているようだ。 この才能だけは、どの妖怪にも負けないかもしれない。
私は彼女の肩にそっとブランケットをかけてやった。 あと十分だけだ。 それが終わったら、現実という名の悪夢(残業)をたっぷりと見せてやろう。
登場人物紹介
◆九十九
九十九経営コンサルティング所長。『異世界転生課』の最高責任者であり、監査役。クライアント(魂)の深層心理と本当の願望を見抜き、最適な転生先を提示する。緑茶が好き。
◆オサキ
九十九の有能な秘書兼調査役。九十九の指示で膨大な異世界のデータベースを検索・管理し、主人(九十九)に絶対の忠誠を誓う。稲荷寿司が好き
◆咲耶
天界から出向してきた『異世界転生課』の新人担当官(女神)。非常に真面目でクライアント想いだが、致命的にポンコツで泣き虫。とにかく甘いものが好き
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