File15.トイレの花子さんの敗北と、全自動化社会における恐怖の陳腐化について
「九十九さん、トイレ行ってきてもいいですか?」
朝のミーティング中、咲耶がモジモジしながら手を挙げた。
「どうぞ。生理現象に許可はいりませんよ」
「それが……一人じゃ行けないんです」
咲耶は涙目で事務所の廊下の奥を指差した。
「なんか、いるんです。女子トイレの三番目の個室から、ものすごい『ため息』が聞こえるんです……」
「ため息?」
私は眉をひそめた。 怨嗟の声でも不気味な笑い声でもなく、ため息か。
「行きますよ」
私は席を立ち、オサキを連れて女子トイレへと向かった。咲耶が私の背中にしがみついてくる。 問題の三番目の個室。 扉は少しだけ開いていた。 私がノックをしようと手を伸ばした瞬間、中からズズ……と鼻をすする音が聞こえ、扉がゆっくりと内側へ開いた。
そこにいたのは、おかっぱ頭に赤い吊りスカートの少女だった。 誰もが知る学校の怪談のスター、トイレの花子さんだ。 だが、彼女は便器の上に体育座りをして、膝に顔を埋めていた。 その背中はこれ以上ないほど小さく見えた。
「……もう、嫌」
彼女は顔を上げずに呟いた。
「私、自信なくなっちゃった」
事務所のソファに座らせ温かいココアを出してやると、花子さんはようやく重い口を開いた。 彼女の悩みは、現代のトイレ環境の「進化」にあった。
「九十九さん、最近のトイレって異常だと思いませんか?」
彼女はココアのカップを両手で包み込みながら訴えた。
「昔はよかったわ。校舎は木造で、トイレは薄暗くてジメジメしていて。 私が『あーそーぼ』って声をかければ、子供たちはキャーって逃げていった。 和式便器のあの深い闇こそが、私のステージだったの」
花子さんは悔しそうに唇を噛んだ。
「でも今はどう? 小学校のトイレですらピカピカの洋式で、暖房完備で、明るいLED照明よ。 私が驚かそうと思って個室に入るとね、勝手に蓋が『ウィーン』って開くの。 私まだ何もしてないのに! 機械に先手を取られるのよ!」
「ああ……ありますね、人感センサー付きの蓋」
咲耶が気まずそうに頷く。
「あれ、夜中に入るとビクッてなりますよね」
「でしょ?」
花子さんが身を乗り出した。
「こっちが驚かそうとしてるのに、逆にこっちが『ヒッ!』ってなっちゃうの。幽霊としてこれ以上の屈辱はないわ。 それに音姫よ。 私が『花子さん……』って囁こうとすると、センサーが反応して『ジャーーー! ピヨピヨピヨ!』って大音量のせせらぎ音が流れるの。 私の声なんて完全にかき消されちゃう」
彼女はガックリと項垂れた。
「極めつけはスマホよ。 最近の子、トイレに籠もってずっと動画見てるじゃない? 私がドアをドンドン叩いても、ノイズキャンセリングイヤホンしてるから気づかないの。 30分も40分も出てこない。 私、ドアの外でずっと待ってるのよ? 『まだかな……』って。私、何してるんだろうって虚しくなってきて……」
これは現代社会の闇だ。 トイレはもはや「用を足す場所」ではなく、「唯一のプライベート空間」としてシェルター化している。 高機能すぎる設備と、個人の殻に閉じこもる現代人。 そこにアナログな怪異が入り込む隙間はない。
「センサーライトも嫌いよ」
花子さんが恨めしげに言った。
「じっと待機してると勝手に電気が消えるの。 暗闇になるのはいいけど、そのあと私が慌てて手をブンブン振って電気をつける姿……想像してみて? 惨めよ。本当に惨め」
目に浮かぶようだ。 個室の中で、幽霊が必死にセンサーにアピールして手を振っている姿。 それはもはやコメディだ。
「わかりました」
私はココアを飲み干し、彼女に告げた。
「あなたの敗因は環境の『快適化』です。 人間にとって快適すぎる場所では恐怖は育たない。 ならば、トイレに行くこと自体が『命がけ』である世界に行けばいい」
「命がけ……?」
「ええ。 オサキ、案件番号707だ」
オサキが投影したのは、陰鬱なダンジョンが広がるRPGのような世界だった。
「世界名『ダンジョン・オデッセイ』。 この世界は地上も地下も魔物だらけです。 冒険者たちの最大の悩みを知っていますか? それは『トイレ』です。 用を足している最中は無防備になる。その隙を狙って魔物が襲ってくるからです。 だから彼らは極限まで我慢するか、仲間が見張っている前で恥を忍んで済ませるしかない」
私は花子さんを指差した。
「あなたには『結界』を作る力がある。 三番目の個室を『異界』に繋げる能力です。 この世界に行って、あなたがダンジョンの深層に『絶対安全なトイレ』を作りなさい。 あなたが扉の前で『入ってますか?』と聞くのではない。 魔物が近づいたら、あなたが『入ってますよ(ここは私の縄張りよ)』と追い払うのです」
「守り神……になれと?」
「そうです。 極限状態の冒険者にとって、安心してズボンを下ろせる場所は聖域に等しい。 あなたの赤いスカートは恐怖の象徴ではなく、『使用中(安全確保中)』を示す安らぎの赤信号となるでしょう」
「安らぎの……赤……」
花子さんの顔色が(幽霊なりに)良くなった気がした。
「誰かを怖がらせるんじゃなくて、誰かをホッとさせる。 ……それも悪くないかも。 私、ずっとトイレにいたから、人の『ふぅ……』って息抜く顔を見るの、嫌いじゃなかったし」
彼女は立ち上がった。 その小さな背中には、もう迷いはなかった。
「やってみるわ。 私、ダンジョンで一番綺麗なトイレを作ってみせる。 ウォシュレットなんてなくても、私の霊力でピカピカにしてやるんだから!」
数日後。 モニターには薄暗いダンジョンの片隅にある、古ぼけた木の扉の前に行列を作る冒険者たちの姿があった。 扉には「花子様の個室」という札がかかっている。 中から出てきた戦士は、憑き物が落ちたようなスッキリした顔で、扉に向かって深々と一礼していた。
「ありがとう、花子様。生き返ったよ」
扉の向こうからは、恥ずかしそうな、でも嬉しそうなノックの音が「コンコン」と返ってきていた。
「平和ですねぇ」
咲耶がモニターを見て和んでいる。
「出すものを出すって、大事なことですもんね」
「ええ。人間、溜め込むのが一番良くない」
オサキが花子さんが残していった報酬をテーブルに置いた。 小さなトイレットペーパーの芯……に見えるが、虹色に光っている。
「九十九さん、今回の報酬です。 クライアントより『無限のロール』を頂きました」
「効果は?」
「この紙を使っている限り、『紙がない!』という絶望が二度と訪れないそうです。 どれだけ使っても、最後のひと巻きが尽きることがないとか。 ……地味だが、最強の防災グッズだな」
私はそのロールを手に取った。 人生において、紙がない恐怖に比べれば幽霊など可愛いものだ。
「さて」
私は咲耶を見た。
「君も溜め込んでいる仕事があるなら、早めに出しなさいよ。 特に先月の経費精算書とか」
「あ!」
咲耶が顔を青くした。
「そ、そういえば、お腹痛くなってきました! トイレ行ってきます!」
彼女は脱兎のごとく駆け出した。 やれやれ。 こちらの「詰まり」を解消するのは、どんな妖怪よりも骨が折れそうだ。
私は新しいお茶を淹れ直した。 トイレの神様がいるというなら、どうか私の部下の要領の悪さも水に流してほしいものだ。
登場人物紹介
◆九十九
九十九経営コンサルティング所長。『異世界転生課』の最高責任者であり、監査役。クライアント(魂)の深層心理と本当の願望を見抜き、最適な転生先を提示する。緑茶が好き。
◆オサキ
九十九の有能な秘書兼調査役。九十九の指示で膨大な異世界のデータベースを検索・管理し、主人(九十九)に絶対の忠誠を誓う。稲荷寿司が好き
◆咲耶
天界から出向してきた『異世界転生課』の新人担当官(女神)。非常に真面目でクライアント想いだが、致命的にポンコツで泣き虫。とにかく甘いものが好き
宜しければ、ブックマーク、評価、宜しくお願いします!!




