File12.覚(さとり)のメンタル崩壊と、本音という名の騒音公害について
「九十九さん。私、昨日の晩御飯、何を食べたと思います?」
朝一番、咲耶がニコニコと不気味な笑顔で問いかけてきた。 私は新聞から目を離さずに答えた。
「半額シールの貼られたカツ丼と、プリンですね」
「ええっ!? なんでわかったんですか! ゴミはちゃんと捨てたのに!」
「君の心の声が、ダダ漏れだからだよ」
ソファで頭を抱えていた青年が、呻くように言った。 彼は耳当てがついた分厚いニット帽を目深に被り、さらにその上からノイズキャンセリングヘッドホンをしている。それでも彼の顔色は土気色で、今にも吐きそうだった。 今回のクライアント、人の心を読む妖怪『覚』だ。
「ごめんなさい。つい、考えちゃって……」
咲耶が口元を押さえる。
「君だけじゃない」
青年サトル氏は、ヘッドホンを少しずらして恨めしげに窓の外、東京の街並みを睨んだ。
「この街は、うるさすぎるんだ」
彼は震える手で水を受け取った。
「僕は山奥でひっそりと暮らしていました。でも山が開発されて、やむなく人里に降りてきた。 そこで、地獄を見ました。 満員電車に乗ったことがありますか? あそこは地獄の釜の底ですよ」
サトル氏は虚ろな目で語り出した。
「表面上はみんなスマホを見て静かにしています。 でも、頭の中は罵詈雑言の嵐だ。 『足踏むなよ、殺すぞ』 『このオヤジ、加齢臭がキツイ』 『会社行きたくない、部長のハゲ、爆発しろ』 そんなドロドロとした悪意のノイズが、すし詰めの車両の中で反響している。 僕はそれに耐えられなくて、電車の中で叫んでしまったんです。『うるさい!』って。 そうしたら全員が一斉に僕を見た。 その瞬間、全員の意識が僕に向いて、『なんだこいつ』『頭おかしいのか』『関わらないでおこう』という冷ややかな思考が、刃物みたいに突き刺さってきた」
彼は自分の胸をかきむしった。
「もう限界です。 SNSを見てもそうです。文字では『おめでとう』と書きながら、心の中で『失敗しろ』と願っているのが聞こえてしまう。 人間は嘘つきで、残酷で、騒がしい。 僕は誰もいない無人島に行きたい。思考というノイズが存在しない、静寂の世界へ逃げたいんです」
切実な訴えだった。 現代社会は「空気」を読むことを強要される。だが、彼は空気を読むどころか、空気の成分(本音)を直に吸い込んでしまう。HSPという言葉があるが、彼のそれはレベルが違う。
咲耶が涙目で同情する。
「わかります。私も上司に怒られている時、顔では反省してますけど、頭の中では今日のランチのこと考えてますもん」
「咲耶さん。あとで私の部屋に来なさい」
「ヒッ!」
私はサトル氏に向き直った。 思考のノイズに疲弊し、人間不信に陥った心。これを癒やすには、単なる「静寂」では不十分だ。 人は孤独には耐えられない。彼が求めているのは「無」ではなく、「安心できる他者」だ。
「サトルさん」
私は彼に告げた。
「無人島への転生はお勧めしません。 あなたは元来、寂しがり屋の妖怪だ。誰かの心に寄り添いたいという本能がある。 一人になれば、今度は自分の内側から湧き上がる孤独な思考に押しつぶされるでしょう」
「じゃあどうすればいいんですか! 鼓膜ならぬ、心膜を破れとでも!?」
「いいえ」
私はオサキに合図を送った。オサキが空中に投影したのは、広大な草原が広がるのどかな世界の映像だった。
「環境を変えるのです。 『人間』がいるから辛いのです。 人間という生き物は脳が発達しすぎて、建前と本音を使い分ける『複雑さ』を持ってしまった。その複雑さがあなたにとってはノイズになる」
私は映像の中の住人を指差した。
「ならば、裏表のない住人しかいない世界へ行きなさい。 惑星『テイルズ・エンド』。 この世界の主要種族は、犬の特性を持つ亜人――コボルトやウェアウルフたちです」
画面の中では、犬耳や狼耳を生やした人々が走り回り、笑い合い、身を寄せ合って昼寝をしている。
「彼らの思考回路は極めてシンプルです。 『腹減った』『遊びたい』『大好き』 基本的にはこの三つで構成されています。 彼らには『嘘』や『皮肉』という概念がありません。 口に出す言葉と心で思うことが、常に100%一致している」
サトル氏が呆然と画面を見つめた。
「一致……している?」
「ええ。 あなたがもし彼らに親切にすれば、彼らの心からは『ありがとう、大好き!』という思考しか聞こえてきません。 そこには『お返しが面倒だな』とか『偽善者め』といったノイズは一切混ざらない。 彼らの思考は騒音ではなく、陽だまりのような暖かさです」
私は続けた。
「あなたはそこで、彼らの群れのリーダーになりなさい。 あなたの『心を読む力』があれば、言葉を話せない子供や怪我をした仲間の痛みをいち早く察知できる。 あなたは忌み嫌われる盗聴者ではなく、最高の理解者として愛されるでしょう」
サトル氏はゆっくりとニット帽を外した。 ヘッドホンを取ると、事務所の静寂が戻った。
「そんな世界があるんですか。 裏のない、まっすぐな心だけの世界が」
「ありますよ」
私は言った。
「犬は、飼い主を裏切りませんからね」
数日後。 モニターには数十匹の犬系亜人たちにもみくちゃにされているサトル氏の姿があった。 彼は芝生の上に転がり、満面の笑みを浮かべている。 周囲の亜人たちの頭上には、視覚化された思考の吹き出しが見えるようだった。
『大好き』『遊ぼう』『ボス、最高』『撫でて』
そんな純度100%の好意のシャワーを浴びて、彼の顔色は見たことがないほど血色が良かった。
「幸せそうですねぇ」
咲耶がモニターを見ながらうっとりと言った。
「私もあっちの世界で、ワンちゃんたちに囲まれて暮らしたいです」
「君が行ったら、三日で『おやつをよこせ』という思考に支配されて身ぐるみ剥がされますよ」
オサキが冷たくツッコミを入れながら、報酬の品をデスクに置いた。
「九十九さん、今回の報酬です。 クライアントより『遮音のイヤーカフ』を頂きました」
「効果は?」
「これを着けている間は、周囲の『聞きたくない音』だけを選択的にカットできるそうです。 工事の騒音、黒板を引っ掻く音、あるいは……小うるさい上司の説教だけをBGMのように聞き流すことができます」
「ほう」
私はその銀色のイヤーカフを手に取った。 咲耶が目を輝かせてこちらを見ている。
「九十九さん! それ、私にいただけませんか!? 監査官のイスルギ様のお説教が、いつも長くて……!」
私はイヤーカフを自分の耳に装着した。 そして、静かに新聞を広げた。
「あれ? 九十九さん? あのー、もしもーし? 聞いてますかー? おやつ、買いに行きませんかー?」
世界は静寂に包まれていた。 なるほど。これは素晴らしい福利厚生だ。
私は口パクで何かを叫んでいる咲耶と、呆れ顔でお茶を淹れるオサキを横目に、至福の読書タイムへと入った。 時にはシャットダウンすることも、大人の嗜みというものだ。
登場人物紹介
◆九十九
九十九経営コンサルティング所長。『異世界転生課』の最高責任者であり、監査役。クライアント(魂)の深層心理と本当の願望を見抜き、最適な転生先を提示する。緑茶が好き。
◆オサキ
九十九の有能な秘書兼調査役。九十九の指示で膨大な異世界のデータベースを検索・管理し、主人(九十九)に絶対の忠誠を誓う。稲荷寿司が好き
◆咲耶
天界から出向してきた『異世界転生課』の新人担当官(女神)。非常に真面目でクライアント想いだが、致命的にポンコツで泣き虫。とにかく甘いものが好き
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