焼きもち風味の和解と、最初の笑顔
あの絶望的な路地裏から、どれほどの時間が経っただろうか。
宿屋『旅人の羽』の一室。 そこには、さっきまでの地獄が嘘のような、穏やかな空気が流れていた。
温かいミルクポトフは、すっかり底をついている。
ボロボロの雑巾のようだった服は、クロエが(俺の金で)買ってきた、清潔で可愛らしいワンピースに変わっていた。
ララは快活な印象に合うひまわり色のワンピース。
ミミは彼女の銀髪を引き立てる淡い水色のワンピースだ。
「……ふぅ。ごちそうさま、でしたウサ」
「……美味しかった、にゃ」
二人分の、か細い、しかし満足げな声が重なる。
栄養と温かさが全身に回り、ようやく人心地がついたのだろう。
二人の顔色は、さっきまでの土気色が嘘のようにほんのりと赤みが差していた。
そして、煤や汚れが落ちた二人の素顔は、俺とクロエが(失礼ながら)想像していた以上のものだった。
「(……いや、普通に、めちゃくちゃ可愛いな)」
俺が内心で驚愕していると、隣にいたクロエも腕を組んで「ふむ」と唸っている。
「(おいユート。こいつら、とんでもないタマじゃねえか?)」
「(……ああ。あの奴隷商人が『特級品』とか言ってたのは、あながち嘘じゃなかったみたいだ)」
妹のララは、勝気そうな虎の瞳が印象的で、短い黒髪が活発な雰囲気を醸し出している。
姉のミミは、ふわふわの銀髪に、守ってやりたくなるような大きな兎の瞳。
気弱な性格とは裏腹に、その体つきは(クロエとは対照的に)非常に女性らしい柔らかな曲線を描いており、控えめに言っても、かなり…大きい。
「(……クロエ、お前、負けてるぞ)」
「(う、うるさい! ボクはスピードタイプだ! あとでシメる!)」
そんな俺たちの(失礼な)内緒話など知る由もなく、姉妹はまだ少しお互いの服の袖を握り合ったまましかし確実に緊張を解いていた。
その証拠に彼女たちの頭上で、感情が分かりやすく表現され始めていた。
ララの、ピンと立った虎耳が、満足そうに左右にぴこ、ぴこ、と揺れている。
まるでメトロノームのように、ご機嫌なリズムを刻んでいた。
ミミの、長くて白い兎耳は、さっきまで恐怖でペタンと垂れ下がっていたのに、今は警戒するように周囲の音を拾いつつも、少しだけ、本当に少しだけ、前を向いて「安心」を探しているように動いている。
(あー……いいな、獣耳。感情が可視化されるのは、分かりやすくて助かる)
3度の人生で、エルフもドワーフも(なんなら竜人とも)パーティーを組んできたが、こういう愛らしいタイプの獣人との共同生活は実は初めてだった。
その、あまりにも分かりやすく、小動物的な仕草に、俺の(3周分で擦り切れたはずの)心が、じんわりと癒されていくのを感じた。
俺は思わず、素で、笑みがこぼれてしまった。
「はは……。なんだ、かわいいな、君たち」
それは、本当に、何の他意もない、純粋な感想だった。
ずっと緊張していた小動物が、ようやく餌を食べてリラックスした。
それを見て、微笑ましく思う。
ただ、それだけ。
だった、はずなのだが。
「……………」
瞬間。 俺の左腕の服の袖が、ぐいっと強く引っ張られた。
「(ん?)」
視線を左に移すと、そこにはいつの間にか俺の真横に陣取っていたクロエが、無言でこちらを睨みつけていた。
いや、睨みつけているというよりは……。
(……目が、据わってる?)
彼女の琥珀色の瞳が、何の光も宿さない「じとー」っとした目つきで俺の顔面をロックオンしている。 口は、不満を全身で表現するように、ぷくーっと、これ以上ないほど尖らせていた。
「ボクは?」
「ボクは可愛くないのか?」
「さっきからその獣耳姉妹ばっかり見てるんじゃないぜ?」 と、顔全体が、雄弁に、猛烈に、抗議していた。
(うわぁ)
俺は一瞬で悟った。
(……ヤキモチ、か)
この一週間、俺の「一番弟子(自称)」として、俺の隣(と、俺の作る料理)を独占してきた彼女にとって、いきなり現れたこの可愛い獣人姉妹(しかもユートが自ら助けた)は、面白くない存在以外の何物でもないのだろう。
特に、俺が彼女たちに「かわいいな」と、彼女自身が(たぶん)まだ言われたことのないストレートな褒め言葉を口にしたのが、決定打だったらしい。
(あー……面倒くさい。いや、でも、これは俺が悪いか)
3度の人生経験は、こういう時の対処法も(無駄に)俺に教えてくれている。
ここで下手に誤魔化したり、話を逸らしたりするのが、一番の悪手だ。
拗ねた女の子(しかもクロエのような直情型)には、直球で、かつ、相手の期待を「少しだけ超える」回答を返すのが、唯一の正解だと、俺は(2周目のエルフの姫との苦い経験から)学んでいた。
俺は、クロエの「じとー」っとした視線を真っ直ぐに受け止め、悪戯っぽくニヤリと笑ってみせた。
「(!)」
俺のその笑顔に、クロエの肩がビクッと震える。
(な、なんだよ、その顔……!)
俺は、無言の圧力をかけ続けるクロエの頭に、ゆっくりとしかし容赦なく右手を伸ばす。
「ひゃっ!?」
そして、彼女のトレードマークである、赤毛のボブカットを、わしゃわしゃわしゃっ!と遠慮なくかき混ぜてやった。
「なっ……! な、な、何すんだよ、ユート! 髪、ぐしゃぐしゃになるだろ!」
クロエが慌てて俺の手を振り払おうとするが、俺は(元・勇者のフィジカルで)それを許さない。
「もちろん、毎日見てるクロエが、一番かわいいに決まってるだろ?」
「!?」
俺は、彼女の動きが止まった隙にさらに畳み掛ける。
これは、短期決戦が吉だ。
「ララやミミも可愛いけどさ。クロエは、なんていうか……愛嬌があるし、見てて飽きないしな。その、コロコロ変わる表情とか?」
「(!!??)」
クロエの思考が、完全に停止したのが分かった。
顔が、耳が、首筋まで、まるで茹でダコのように真っ赤に染まっていく。
(よし、こんなもんか)
俺が、わしゃわしゃしていた手を離すと、クロエは、熱が出たみたいに「あう、あう……」と意味不明な声を漏らしながら、両手で自分の顔を覆ってしまった。
「ば……!」
「ん?」
「ば、バカ! バカ師匠! あ、あ、当たり前でしょ! ボクが一番可愛いに決まってんだろ、このバカユート!」
彼女は、自分でも何を言っているか分からない、というようなテンパり具合で、勢いよく立ち上がると、俺に背中を向けてプイッとそっぽを向いてしまった。
「(……分かりやすいツンデレだな、おい)」
だが、俺には見えていた。
背中を向けて、肩を震わせている彼女の口元が、嬉しそうに、これ以上ないほど緩んでいる(ニヤけている)のを。
そして、さっきまで俺の袖を掴んでいた彼女の左手が、今は、自分の(真っ赤になった)頬を、確かめるように押さえているのを。
俺たちの、そんな(読者サービスみたいな)やり取りを、テーブルの向こう側で、二組の獣耳が、ポカンとした顔で見つめていた。
ララとミミだった。
ミミは、真っ赤になってプルプル震えているクロエと、平然とした顔(内心は『上手くいった』とガッツポーズ)の俺を、交互に見比べている。
ララは、何が起こったのか分からず、ただ首をかしげている。
やがて、ララが、ミミの袖をちょんちょんと引っ張った。
「……お姉ちゃん」
「……はい、ララちゃん」
「……あの二人、何してるにゃ?」
「……さあ? でも……」
ミミは、まだ震えているクロエの背中と、そんなクロエを見て(しまった、やりすぎたか?と少し反省している)俺の顔を見つめ、そして、ふふっ、と息を漏らした。
「……なんだか、楽しそう、ですウサ」
その、ミミの言葉がスイッチだった。
「「あ……」」
ララが、ミミの顔を見る。
ミミが、ララの顔を見る。
二人とも、自分たちが今、どれだけ「馬鹿げた」「平和な」光景を見ているのかを同時に理解した。
そして。
「……くすっ」
「……あ、お姉ちゃん、笑ったにゃ」
「……ララちゃんこそ、笑ってますウサ」
「「くすくすくす……!」」
それは、本当にささやかな笑い声だった。
だが、それは、あの路地裏で絶望に染まっていた二人が、この宿屋に来て、スープを食べて泣きじゃくった二人が初めて見せた、心の底からの「笑顔」だった。
「「あはははは!」」
「「にゃはははは!」」
何が面白いのか、二人とも、一度ツボに入ってしまったら止まらない。 さっきまでのユートとクロエのやり取りを思い出したのか、お互いの顔を見ては「くすくす」と笑い転げている。
「……あ?」
その笑い声に、我に返ったクロエが、真っ赤な顔のまま振り返る。
「な、なんだよお前ら! 何笑ってんだ!」
「「あはは! クロエお姉ちゃん、顔、真っ赤だにゃ!」」
「トマトさんみたいですウサ!」
「なっ……! て、テメェら、師匠のメシ食ったら、急に元気になりやがって!」
クロエが、照れ隠しでララのほっぺをぷにーっと引っ張る。
ララが「にゃー!」と抵抗する。
ミミが「あはは」と、それを楽しそうに見ている。
俺はその光景を、一人だけ一歩引いた場所から腕を組んで眺めていた。
(……はぁ)
(うるさい。うるさすぎる)
(俺の静かで、平穏で、孤独な(・・・)スローライフ計画は、どこに行ったんだ……)
だが、俺の口元は、自分でも気づかないうちに、姉妹が泣き止んだ時よりも、ずっと優しい笑みを、浮かべていたのかもしれない。
こうして、俺のパーティーに、訳アリで可愛い(そして、たぶん『王家の血』とかいう超絶面倒なフラグ付きの)獣人姉妹、ララとミミが正式に加わった。
俺の計画は、ますます賑やかで、騒がしく、そして……たぶん、退屈しないものになっていくのだった。




