輝く海と忍び寄る紫の影
商業都市ベルカントの市場で不穏な空気を感じ取ったクロエ。
彼女の過去に纏わる「裏切りの匂い」は俺たちの心に小さな棘を残した。
だが、だからこそ俺は提案したのだ。
「よし。海に行こう」
「は?海だぁ?」
クロエが素っ頓狂な声を上げる。
「おいおいユート、今そんな気分じゃ……」
「そんな気分じゃないからこそ、だ」
俺はクロエの頭をポンと撫でた。
「嫌な予感がするなら尚更英気を養っておかないとな。それにせっかくの港町だ。海を見ずに帰ったらララが暴れるぞ?」
「およげ!たいやきくん!だにゃ!」
「(……どこで覚えたその歌)」
「それに勇者様御一行も誘おう。あいつらも根詰めてるみたいだしな」
こうして俺たちは情報収集という名目のもとベルカントの郊外にあるプライベートビーチ(商会長にコネを使って安く借りた)へと向かうことになった。
そこは一般の観光客が立ち入らない白砂と岩場に囲まれた隠れ家的な入り江だった。
***
「うおおおおおお!海だああああああ!」
真っ先に砂浜へ飛び出したのはやはり勇者・佐藤健太だった。
彼は既に海パン一丁になり解き放たれた犬のように波打ち際を駆け回っている。
「最高っす!マジ最高っすユートさん!魔王討伐とか忘れて一生ここで暮らしたいっす!」
「(……お前、それは勇者としてどうなんだ)」
俺はパラソルの下でデッキチェアを組み立てながら呆れつつも苦笑した。
まあ、彼も高校生だ。
異世界に呼ばれて戦いの日々じゃストレスも溜まるだろう。
「ユート様。場所の確保ありがとうございます」
聖女セレスティーナが優雅に歩み寄ってくる。
彼女は純白のパレオを巻いた水着姿だったがその清楚な雰囲気とは裏腹に布面積は意外と際どい。
「こ、このような肌を晒す格好……恥ずかしいのですけれどユート様になら……」
「あ、ああ。似合ってるよ」
俺が視線を逸らすと彼女は嬉しそうに頬を染めた。
さて。
問題は俺のパーティメンバーたちだ。
更衣室として設置したテントの中からキャッキャと騒ぐ声が聞こえてくる。
「準備はいいかー?太陽が逃げるぞー」
俺が声をかけるとテントの幕が開いた。
「お待たせだにゃ!お兄ちゃん!」
最初に飛び出してきたのはララだ。
「どうだにゃ!強そうだろにゃ!」
彼女が選んだのは鮮やかなオレンジ色のスポーティなビキニ。
露出度はかなり高めだが、彼女の引き締まった腹筋や健康的な手足のラインを惜しげもなく披露している。
太陽の光を弾くような小麦色の肌と躍動する筋肉美。
まさに健康美の象徴だ。
「おう、似合ってるぞ。強そうだし、速そうだ」
「えへへ!これなら水中でも最強だにゃ!お魚さん、待ってろだにゃー!」
ララはそのまま海へダイブしていった。
続いて、おずおずと姿を現したのはミミだ。
「あ、あの……ユートさん……」
彼女はフリルがあしらわれた清楚な白のワンピースタイプを選んでいた。
だが、その選択はある意味で裏目に出ていた。
彼女の……その豊かな双丘が清楚な布地を内側から限界まで押し上げ、強烈な存在感を放っているのだ。 歩くたびに揺れるその破壊力に健太が鼻血を出して倒れている。
「は、恥ずかしいです……。サイズ、合ってますか……?ぴょん」
ミミが頬を染めてスカートの裾をギュッと握る。
「あ、ああ。完璧だ。……色んな意味で」
俺は直視できないほどの眩しさにサングラスをかけ直した。
「騎士様!お待たせいたしましたわ!」
次に現れたのはアリアだ。
彼女はエメラルドグリーンのまるで踊り子のような際どいビキニに透け感のあるパレオを巻いていた。
長い金髪をアップにしうなじを露わにしている。
「テーマは『人魚姫の誘惑』ですわ!泡となって消える前にその熱い視線でわたくしを溶かしてくださいまし!」
ポーズを決める彼女の肢体は細いながらも出るところは出ており大人の色気が漂っている。
「(……お前、本当に百五十歳か?)」
そして、最後。 なかなか出てこない一人に俺は声をかけた。
「おい、クロエ。どうした?置いてくぞ」
「う、うるさい!今行くって!」
テントから出てきたクロエはいつもとは全く違う雰囲気だった。
彼女が着ていたのは動きやすさを重視したショートパンツ型のセパレート水着。
上はパーカーのようなラッシュガードを羽織っているが、その前は開け放たれている。
何より目を引いたのはその肌の白さだ。
普段は露出を控えているせいか彼女の肌は雪のように白く、キメが細かい。
スレンダーながらもしなやかに引き締まったウエストと意外と形よく膨らんだ胸元。
「……な、なんだよ。ジロジロ見んな」
クロエは顔を真っ赤にしてパーカーの前を合わせようとする。
「似合わねえのは分かってるよ。……ボクはこういうのガラじゃないし」
「いや」 俺はサングラスを少しずらして彼女の目を見た。
「似合ってるよ。……すげえ、可愛い」
俺の直球の感想にクロエの動きが止まる。
彼女は口をパクパクさせた後、ボンッ!と音が出るほど顔を赤くした。
「ば、ば、馬鹿じゃないの!?か、可愛いとか……!お世辞でも……!」
「お世辞じゃないさ。肌、綺麗だな」
「うううううっ!ユートの馬鹿あぁぁぁ!」
クロエは照れ隠しに砂を蹴り上げると海の方へ走っていった。
「ララ!勝負だ!どっちが早くあそこの岩まで泳げるか!」
「望むところにゃ!」
四者四様の水着姿。
俺はパラソルの下で冷えたジュースを飲みながら深く息を吐いた。
「(……眼福だが、心臓に悪い)」
***
その後はまさに「楽園」のような時間が流れた。
「そぉれ!アタックですわ!」
「受けてみろっす!」
砂浜ではアリアと健太ペア対、ララとミミペアによるビーチバレーが始まった。
アリアが風魔法でボールの軌道を曲げればララが身体能力で強引に打ち返す。
「魔法ありかよ!」
「愛の風は自由ですわ!」
海中ではクロエが驚異的な泳力で魚を追いかけ回している。
「待てぇ!晩飯の材料にしてやる!」
「(……あいつ、水着になっても狩人だな)」
俺はセレスティーナと一緒にバーベキューの準備を進めていた。
市場で仕入れた新鮮なエビやホタテ、そして厚切りの肉を魔導コンロの網に乗せる。
ジュウウウウウッ!
香ばしい匂いと煙が立ち昇り遊び疲れた連中が吸い寄せられてくる。
「はらへったにゃー!」
「ユートさん!お肉!お肉っす!」
「はいはい、並べ。野菜も食えよ」
焼き上がった食材を頬張り冷たい飲み物で流し込む。
青い空。
白い雲。
弾ける笑顔。
「……幸せですぴょん」
ミミが焼きトウモロコシをかじりながら幸せそうに目を細める。
「こんな時間が……ずっと続けばいいのに」
「そうだな」
俺も心からそう思った。
魔王も、四天王も、因縁も。
全部忘れてただ笑っていられたらどれほどいいだろう。
だが。
そんな俺たちの願いを嘲笑うかのように世界は「非日常」へと反転する。
ザァァァァァァァン……。
波の音が変わった。
先ほどまでの心地よいリズムではない。
もっと重く、粘り気のある不吉な響き。
「……ん?」
海辺で貝殻を拾っていたクロエがふと顔を上げた。
「おい……海の色、変じゃないか?」
彼女の言葉に全員が海を見た。
鮮やかだった群青色が、いつの間にかドス黒い紫色へと変色していたのだ。
まるで海全体にインクを垂らしたように。
いや、もっと悪いもの……「毒」の色だ。
「きゃあああっ!?」
セレスティーナが悲鳴を上げる。
紫色の海面がボコボコと泡立ちそこから「何か」が這い出してきたのだ。
それはヘドロと海藻が絡まり合ったよう、不定形の怪物たちだった。
ヘドロ・ゴーレム。
あるいは、汚泥のスライム。
強烈な腐敗臭を撒き散らしながら数十体もの怪物が砂浜へと上陸してくる。
「魔物っすか!?こんなとこに!」
健太が焼き串を放り投げ聖剣を召喚する。
「セレスティーナ、下がってて!」
「せっかくの食事が台無しだにゃ!」
ララも肉を飲み込み臨戦態勢に入る。
「迎撃するぞ!海を汚すな!」
俺もフライパンを構え(武器だ)指示を飛ばす。
楽しいバカンスは一瞬にして戦場へと変わった。
だが、俺たちの戦力ならこの程度の魔物は敵ではない。
健太が光の斬撃でヘドロを蒸発させララが拳圧で吹き飛ばしアリアが風で押し返す。
「雑魚ばかりだ!すぐに片付く!」
クロエが短剣でスライムの核を突き刺しながら叫ぶ。
しかし。
異変は魔物だけではなかった。
「――おいおい。随分と楽しそうじゃねえか」
不意に、背後の岩場から野太い声が聞こえた。
「へへっ。いい身分だなァ。裏切り者のくせによォ」
俺たちが振り返るとそこには数人の男たちが立っていた。
薄汚れた革鎧に身を包み、腰には盗賊特有の曲刀やダガーを下げている。
その目つきは卑しく粘着質な悪意に満ちていた。
「……あ」
クロエの動きがピタリと止まる。
彼女の顔から血の気が引いていくのが分かった。
「……ガ、ガストン……?それに、ポルコ……?」
「おう。久しぶりだなァ、クロエ」
リーダー格の男――ガストンと呼ばれた大男がニヤニヤと笑いながら歩み寄ってくる。
「俺たちの金を盗んでトンズラこいた挙句、こんなとこで暢気に水遊びとはな。……いい度胸だ」
「ち、違う!」
クロエが叫ぶ。
その声は震えていた。
「ボクは盗んでない!あれは……あんたたちが!」
「うるせえ!」
ガストンが怒鳴る。
「証拠は挙がってんだよ!お前の部屋から横領した金貨とギルドの機密書類が出てきたんだからな!」
「それは……誰かが仕組んだんだ!ボクじゃない!」
「誰が信じるかよ。……この『裏切り者』が!」
その言葉。
かつて冷たい雨の中で浴びせられた罵倒。
クロエのトラウマが鮮明にフラッシュバックする。
彼女の足がすくみ持っていた短剣が手から滑り落ちそうになる。
「クロエ!」
俺が駆け寄ろうとするがヘドロの魔物が壁となって行く手を阻む。
「邪魔だ!」
「へへへ。……見つけたぜクロエ。落とし前つけてもらうからな」
ガストンたちが動けないクロエを取り囲む。
彼らの背後にはヘドロの魔物たちが従うように控えている。
まるで、彼ら自身が魔物を操っているかのように。
「(……おかしい)」
俺は違和感を覚えた。
ただの盗賊くずれが魔物を操れるはずがない。
それにこの紫色の海。
この腐敗臭。
……これは、どこかで嗅いだことがある。
「あらあら。手荒な真似はいけないわよ、坊やたち」
その時。
男たちの背後の空間が陽炎のように歪んだ。
そこから滲み出るように一人の女性の幻影が浮かび上がる。
それは息を呑むほど美しい、しかし毒々しいまでの妖艶さを放つ美女だった。
紫色のドレス(に見える鱗)を纏い、長い黒髪が蛇のようにうねっている。
その瞳は爬虫類特有の縦に割れた瞳孔を持っていた。
「ウフフ……。久しぶりね、可愛い子猫ちゃん」
美女は、真っ赤な唇を歪めてクロエに微笑みかけた。
その声は甘く、そして脳髄を痺れさせるような魔力を含んでいた。
クロエがガタガタと震え出した。
彼女の瞳に、絶望とそして激しい憎悪の炎が燃え上がる。
忘れるはずがない。
あの日。
ギルドに「新人」として現れ言葉巧みに仲間たちを惑わしそしてクロエを罠に嵌めた張本人。
全てを奪い去った悪夢の元凶。
「……あ、あいつだ……!」
クロエは喉から血が出るほどの勢いでその名を絞り出した。
「ボクを陥れた……蛇女!」
美女――四天王の一角『妖艶のラミア』は扇で口元を隠しながら楽しそうに目を細めた。
「再会を祝して少し遊んであげるわ。……さあ、絶望の宴の始まりよ」
彼女が指を鳴らすと海が一層濃い紫色に染まり、さらなる魔物の群れが波間から姿を現した。
楽園は終わりを告げた。
ここからは過去の亡霊と、新たな魔王の刺客が交錯する混沌の戦場だ。
「(……やっぱり、俺の休暇はこうなるのか)」
俺はフライパンを強く握りしめ震えるクロエの前に立った。
「……安心しろ、クロエ。今度はお前一人じゃない」
最強の元・勇者と、傷ついた少女。
そして、未熟な現・勇者たち。
商業都市の海を舞台に因縁の戦いの幕が上がった。




