楽園の裏側と盗賊の嗅覚
獣人王国ガレリアでの騒動を平らげ、胃袋からの完全制圧を成し遂げた俺たち「ユート一家」と、偶然(という名の必然)で合流した勇者パーティー一行は、東へ東へと続く街道を進んでいた。
旅路は順調そのものだった。
ガリアン大山脈のような険しい峠越えもなく、獣人王国のようなピリピリとした国境警備もない。
あるのはどこまでも広がる青い空と頬を撫でる心地よい風だけだ。
「お兄ちゃん!見て見て!海だにゃ!海が見えたにゃー!」
御者台の屋根に乗っていたララが身を乗り出して叫んだ。
その興奮した声につられて俺も手綱を握りながら視線を前方へと向ける。
「……おお」
丘を越えた瞬間視界が一気に開けた。
水平線まで続く鮮烈な群青色。
太陽の光を浴びてキラキラと輝く水面。
そして、潮の香りを運んでくる少し湿った風。
「海か……。久しぶりだな」
異世界転生を繰り返していると内陸での魔王討伐ばかりで意外と海を見る機会は少ない。
こうして改めて見るとやはり心躍るものがある。
「すっげえええ!海だ!マジで海っすよユートさん!」
並走していた王国の馬車から勇者・佐藤健太が飛び出してきた。
彼は走る馬車の窓から身を乗り出し子供のようにはしゃいでいる。
「俺、こっちの世界に来てから海見るの初めてっす!うわー、マジで青い!あそこで泳げるんすか!? バーベキューできるんすか!?」
「落ち着け健太。落ちるぞ」
俺は苦笑しながら声をかける。
「泳ぐのも食うのも着いてからだ。逃げやしないよ」
「素晴らしいですわ……」
健太の後ろから聖女セレスティーナも顔を覗かせた。
彼女は海風に金髪をなびかせながらうっとりと目を細めている。
「あの広大な海……。まるでユート様の慈愛の心のようですわ」
「(……海を見るたびに俺を思い出されても困るんだが)」
「騎士様!騎士様!」
俺たちの馬車の中からはアリアが顔を出した。
「海といえば人魚姫!泡となって消える悲恋の物語ですわ!でもご安心ください、わたくしは泡になんてなりません!騎士様の愛で足が生えたまま陸に上がって永遠に離れませんわ!」
「(……ホラーかな?)」
「海……。お魚いっぱいいますか……?ぴょん」
ミミもフードの下から目を輝かせている。
「塩味の効いた焼き魚……。あ、よだれが……」
どいつもこいつも色気より食い気、あるいは妄想だ。
だがそんな騒がしい道中も目的地が見えてくると自然と空気が変わる。
海岸線に沿って広がる巨大な都市。
堅牢な城壁に囲まれながらも海側には無数の船が行き交う港が開かれている。
街の中には幾重にも運河が引き込まれ水面にはゴンドラのような小舟が優雅に行き交っているのが遠目にも見えた。
大陸東部最大の交易拠点。
世界中の富と物そして欲望が集まると言われる場所。
「……見えてきたな」
俺は手綱を握り直した。
「あれが、商業都市ベルカントだ」
***
ベルカントの城門は獣人王国のそれとは全く違う空気を纏っていた。
威圧的な兵士の姿は少なく、代わりに行商人や冒険者、観光客の長い列ができている。
入国審査もスムーズで身分証の提示と通行税(少し高めだが)を払えば誰でも歓迎してくれるようだ。
「へえ、意外と緩いんだな」
クロエが馬車の影からボソリと呟く。
彼女は街に近づくにつれて口数が減り、愛用のフードを目深に被っていた。
「金さえ払えば誰でも客ってことだろ。商業都市らしい合理主義だ」
俺は銀貨を弾いて門番に渡す。
門番は慣れた手つきでそれを受け取ると愛想よく敬礼した。
「ようこそベルカントへ!素晴らしい滞在を!」
門をくぐるとそこは別世界だった。
「うわぁぁぁぁ……!」
ミミが感嘆の声を漏らす。
石畳の大通りは広く、道の両脇にはレンガ造りの美しい建物が建ち並んでいる。
そして何より特徴的なのは街中を網の目のように流れる運河だ。
道路と水路が複雑に交差し無数のアーチ橋が架かっている。
水路を行く小舟には色とりどりの果物や布地、見たこともない雑貨が満載されている。
「すげえ!家と家の間を船が通ってるっす!」
健太がキョロキョロと首を回す。
「まるでテーマパークっすね!」
「活気があるな」
俺もこの街のエネルギーに圧倒されていた。
アークライトのような冒険者の街とも、獣人王国のような武骨な都とも違う。
ここは「商い」の熱気で満ちている。
行き交う人々の服装も様々だ。
東方の絹を纏った商人、南国の露出の高い服を着た踊り子、北国の毛皮を着込んだ戦士。
あらゆる人種、あらゆる文化がこの一点に集約されているようだ。
「さあ、まずは宿の確保……と言いたいところだが」
俺は鼻をヒクつかせた。
潮風に乗って漂ってくる強烈に食欲をそそる匂い。
焦げた醤油、焼けた甲殻類、スパイスの刺激、そして甘い果実の香り。
「ぐぅぅぅ~……」
「きゅるるる……」
背後から盛大な腹の虫の大合唱が聞こえてきた。
振り返ると、ララと健太、そしてアリアまでもが腹を押さえて切なそうな顔をしている。
「……まあ、そうなるよな」
俺は苦笑した。
「よし。まずは市場だ。腹ごしらえといこうぜ」
「やったぁぁぁ!お兄ちゃん大好きだにゃ!」
「うおおお!海鮮!海鮮!」
俺たちは馬車を預かり所に預けると、匂いの元凶である中央市場へと繰り出した。
***
ベルカントの中央市場はまさに「食の迷宮」だった。
巨大な天蓋に覆われた広場には所狭しと屋台や露店が並び、威勢のいい売り声が飛び交っている。
「いらっしゃい!朝獲れのマグロだよ!この赤身を見てくれ!」
「こっちは南方のスパイスだ!一振りでどんな料理も黄金に変わるぞ!」
「冷え冷えのトロピカルジュースはいかがかな!」
並んでいる食材の豊富さに俺の【万物鑑定】が悲鳴を上げそうだ。
巨大なカニ、虹色に輝く魚、見たこともない貝類。
内陸では絶対にお目にかかれない新鮮な海の幸の山、山、山。
「(……たまらん。ここは天国か?)」
俺は思わずゴクリと喉を鳴らした。
料理人としてこれほどの素材を前にして燃えないわけがない。
「お兄ちゃん!あれ見て!変な足がいっぱいある生き物だにゃ!」
ララがタコを売る屋台を指差して叫ぶ。
「あれはタコだ。茹でて薄切りにしてオリーブオイルと塩で食うと最高だぞ」
「じゅるり……。食べるにゃ!今すぐ食べるにゃ!」
「ユートさん!こっちには殻に入った大きな貝が……!」
健太がホタテのような貝を指差す。
「バター醤油焼きだな。網の上で焼いて醤油を垂らした瞬間のあの香りは……犯罪的だぞ」
「うわぁぁぁ!想像しただけでヤバいっす!」
俺たちは屋台を片っ端から冷やかして回った。
串焼きのイカ、揚げたての魚のすり身、魚介たっぷりのパエリア風炊き込みご飯。
どれもこれも素材の味が生きていて美味い。
「はむっ……!ん~!これですわ!」
アリアは色鮮やかなフルーツの串刺しを頬張っている。
「この甘酸っぱさ……まるで初恋の味!騎士様との甘い夜を予感させますわ!」
「(……お前の中の初恋は随分と糖度が高いな)」
セレスティーナも普段の淑女らしさを少し忘れて、珍しい貝細工のアクセサリーに見入っていた。
「まあ……綺麗。ユート様、これ……似合いますでしょうか?」
彼女がそっと髪に当てて見せる。
「ああ。よく似合ってるよ」
俺が素直に答えると彼女は顔を真っ赤にして、その場で固まってしまった。
「(……あ、フリーズした)」
騒がしくも楽しい時間。
誰もが旅の疲れを忘れ、この豊かな街の空気に酔いしれていた。
平和で活気に満ちていて、美味しい。
最高のスローライフ日和だ。
……だが。
その中で一人だけ、笑っていない少女がいた。
クロエだ。
彼女は皆の輪から少し離れた場所を歩いていた。
その顔は深いフードの下に隠され、表情を読み取ることはできない。
だが、その全身から放たれる雰囲気は楽しげな市場の空気とは明らかに異質だった。
鋭く、冷たく、そして怯えているような――野生動物が天敵の気配を感じ取った時のような張り詰めた緊張感。
「(……クロエ?)」
俺は焼きそばの屋台に並ぶ皆を残してそっとクロエの隣に並んだ。
「……食わないのか?あっちに美味そうなエビの串焼きがあったぞ」
俺が声をかけるとクロエはビクリと肩を震わせた。
「……っ。い、いや……ボクはいいや」
彼女の声は低く硬かった。
「ちょっと……胸焼けしそうでさ」
「そうか。……なら水でも買ってくるか?」
「いい。……それより、ユート」
クロエは足を止めた。
彼女の視線は市場の喧騒を通り越して、街の奥――貴族や豪商たちが住む区画の方角へと向けられていた。
そこには一際巨大な黄金の装飾が施された建物がそびえ立っている。
『海龍商会』の看板を掲げたこの街を牛耳る大商館だ。
「……感じるんだ」
クロエがフードの縁をギュッと握りしめる。
「この街の空気……。活気があるように見えてその裏にドロドロしたものが流れてる」
「ドロドロしたもの?」
「ああ。……欲望と、金と、そして……血の臭いだ」
クロエは忌々しげに鼻を鳴らした。
彼女の脳裏に封印していたはずの過去の記憶がフラッシュバックする。
信じていた仲間。
理不尽な濡れ衣。
そして、冷たい雨の中で投げつけられた罵倒の言葉。
『裏切り者』
『金のために仲間を売った汚い女』
『二度と俺たちの前に顔を見せるな』
あの日、彼女の居場所を奪った「何か」がこの街にはまだ根を張っている。
それどころか以前よりも大きく、深く、この街全体を飲み込むほどに肥大化している気がした。
「……あの時と同じだ」
クロエの声が震える。
「ボクを陥れた、あの『女』の……甘ったるくて吐き気がするような香水の臭いが……この風に混じってる」
俺はハッとした。
クロエの因縁。
盗賊ギルドでのトラブル。
俺はてっきりただの人間関係のもつれだと思っていた。
だが、彼女のこの反応はもっと危険なものを感知している証拠だ。
「(……四天王か?)」
俺の脳裏にガリアン大山脈でのモルゴースの言葉が蘇る。
『この国に撒いた種は我だけではない』
この商業都市にも魔王軍の手が伸びているのか。
そしてそれはクロエの過去と深く結びついているのか。
クロエは俺の方を向きフードの下からチラリと瞳を覗かせた。
その瞳はいつもの勝気な光を失い不安と恐怖に揺れていた。
「……嫌な匂いだ」
彼女は自分自身に言い聞かせるように低く呟いた。
「裏切りの匂いが……プンプンするぜ」




