猛る虎と嘲笑う疫病の王
地下空間に降り注いだ「ホーリー・レイン」によって、モルゴースが張り巡らせていた絶対的な瘴気の結界は消滅した。
清浄な空気が戻り視界が晴れる。
だがそれは同時に四天王という怪物の「素顔」を晒すことでもあった。
「……おのれ、小賢しい」
モルゴースが焦げたローブを払い落としながら立ち上がる。
聖なる雨で焼かれた肌はすでに再生を始めており、その背中からは濡れた昆虫のような羽が神経質に震える音を立てていた。
彼から放たれる魔力は瘴気が晴れたことでかえって鋭く濃密になっていた。
腐っても四天王。
環境の有利不利だけで勝てる相手ではない。
俺は瓦礫の上に立ち、隣で闘気を練り上げている虎の少女を見下ろした。
「ララ」
「……にゃ」
ララの視線は一点に固定されている。
目の前の、故郷を汚し仲間を傷つけた元凶へ。
「やれるか?」
「……やるにゃ」
ララはギリッと牙を鳴らした。
「あいつは……ララがぶっ飛ばすにゃ。絶対に許さないにゃ」
「いい返事だ」
俺はララの背中をバンッと強く叩いた。
「行け、ララ!お前の故郷だろ!お前の大事なミミも、家族も、みんなあいつに狙われてるんだ!」
俺の声にララの全身の毛が逆立つ。
「訓練の成果、全部ぶつけてこい!後のことは全部俺が持ってやる!」
「言われなくても、分かってるにゃあ!」
ドォン! ララが地面を蹴った。
その踏み込みだけで、地下の石畳が蜘蛛の巣状にひび割れる。
黄金の弾丸と化したララは瞬きする間にモルゴースの懐へと潜り込んでいた。
「遅い!」
「フンッ!」
ララの拳がモルゴースの鳩尾を捉える――直前。
モルゴースの姿がブレた。
いいや、違う。
彼の体から噴出した無数の「蟲」が壁となりララの拳を受け止めたのだ。
「グ、ブゥッ……!」
「単純な動きだ。獣ごときが我が結界を破れると思ったか?」
モルゴースが冷ややかな目でララを見下ろす。
蟲の壁はゴムのようにララの拳を吸い込み、その威力を殺すと同時に強烈な反発力でララを弾き飛ばそうとする。
「まだだにゃ!」
ララは空中で回転し壁を足場にして再加速する。
「虎連撃!爪牙!」
ガガガガガッ! 目にも止まらぬ連撃。
ララの拳と蹴りが雨あられのようにモルゴースを襲う。
だがモルゴースは一歩も動かない。
彼が指先を動かすだけで周囲の空間が歪み、病魔の壁がララの攻撃を全て無効化していく。
「(……硬い)」
俺は後方で腕を組みながら、冷静に戦況を分析していた。
(腐敗の障壁か。物理攻撃を受けた瞬間にその運動エネルギーを『腐らせて』拡散させている。生半可な打撃じゃあいつの本体には届かないな)
「ククク……。どうした?その程度か?」
モルゴースが嗤う。
「では、次はこちらの番だな」
彼が歪な杖を振るう。
すると空間に紫色の魔法陣が無数に展開された。
そこから放たれるのは触れた箇所から肉体を壊死させる「毒の針」。
「死滅の雨」
「ッ!?」
回避不能の豪雨。
ララが目を見開く。
空中にいる彼女に逃げ場はない。
「(……甘いな、モルゴース)」
俺は、眉一つ動かさずに指先だけで魔力を操作した。
誰にも気づかれないほどの、極小の、しかし絶対的な硬度を持つ「透明な盾」をララの軌道上に展開する。
キン、キン、キン、キキキンッ!
「にゃ!?」
ララの目の前で毒の針が見えない壁に弾かれ火花を散らした。
ララ自身も驚いているが、彼女の野生の勘は即座に「守られた」ことを理解する。
「(お兄ちゃん……!)」
ララはニヤリと笑い弾かれた針の隙間を縫って着地した。
「……何?」
モルゴースが眉をひそめる。
「なぜ当たらん?貴様の回避能力、そこまでか?」
違う。
俺が守っているからだ。
だが、俺は決して表には出ない。
あくまでララが自分の力で戦っているように見せかける。
それが彼女の成長のためであり、そして敵を油断させるための布石だ。
「ミミ!今だ!」
俺は小声で指示を飛ばした。
「ララの右足、着地と同時に『身体強化』をかけろ!」
「は、はいっ!」
後方で待機していたミミがタイミングを合わせて杖を振る。
「風の祝福を……『スピード・アップ』!」
ミミの支援魔法が正確なタイミングでララを包む。
俺の指示のおかげで、魔法の発動とララの踏み込みが0.1秒のズレもなくシンクロする。
「うおおおおおっ!」
ララの速度が限界を超えて加速した。
残像すら残さずモルゴースの死角へと回り込む。
「なっ、速い!?」
モルゴースが初めて焦りの声を上げる。
彼は咄嗟に背後へ瘴気の腕を伸ばすが、ララはすでにそこにはいない。
「(ララ、右だ。45度低く潜れ)」
俺の思考がスキル【念話】を通じてララの脳内に直接響く。
ララは迷わずに従った。
彼女が身を低くした瞬間、彼女の頭上をモルゴースの隠し武器である「見えない鎌」が通過していった。
「(!?見えているのか!?)」
モルゴースが驚愕する。
「そこだにゃああああ!」
ララががら空きになったモルゴースの脇腹に渾身の一撃を叩き込む。
ドゴッ!
「ガハッ!?」
モルゴースの体がくの字に折れ曲がり横へと吹き飛んだ。
壁に激突し瓦礫が崩れ落ちる。
「やったか!?」
クロエが身を乗り出す。
だが。 土煙の中からモルゴースがゆらりと立ち上がった。
その腹部は大きく陥没していたがブクブクと泡を立てて瞬時に再生していく。
「……痛いなァ」
モルゴースの声から余裕が消えた。
「まさか、ただの獣風情にこの私が膝をつかされるとは……」
彼の目つきが変わった。
遊びは終わりだと言わんばかりにその魔力が爆発的に膨れ上がる。
地下空間全体が再びドス黒い瘴気に塗りつぶされそうになる。
「……強いにゃ」
ララが荒い息を吐きながら構え直す。
拳がジンジンと痺れている。
手応えはあった。
だが、倒しきれない。
四天王の壁は想像以上に厚く、そして高い。
「(……ララ)」
俺の声がララの頭に響く。
「(相手は化け物だ。普通の攻撃じゃ再生速度に追いつけない)」
「(どうすればいいにゃ、お兄ちゃん……!)」
ララが心の中で叫ぶ。
「(思い出せ。お前は何のために戦ってる?誰を守りたい?)」
俺は静かに問いかけた。
ララの脳裏に景色が浮かぶ。
虐げられていた同胞たち。
涙を流していたミミ。
そして、いつも自分を信じてくれる大好きな仲間たちの顔。
「(……みんなを、守るんだにゃ。もう二度と誰も泣かせないために)」
「(そうだ。その想いだ)」
俺は戦場全体を見渡しながら、最適解を導き出す。
今のララには決定打が足りない。
だが、その「種」はすでに彼女の中で芽吹き始めている。
「(ララ。自分の殻を破れ。お前はただの格闘家じゃない。……『王』を守るための最強の盾であり矛だ)」
「……う、ううううううっ!」
ララの体から、黄金の闘気が炎のように噴き出した。
それは今までとは質の違う、より純粋でより攻撃的な輝き。
モルゴースがその光を見て目を細める。
「……なんだ、その光は。……不愉快だ」
彼は杖を掲げた。
「消えろ。塵も残さず」
「極大呪詛・『黒き死の太陽』!」
モルゴースの頭上に直径数メートルもの巨大な黒い球体が出現する。
触れるもの全てを消滅させる圧縮された死の塊。
それをララに向けて放った。
「ララちゃん!」
ミミが悲鳴を上げる。
アリアが杖を構えるが間に合わない。
だが、ララは逃げなかった。
彼女は迫りくる死の太陽を真っ直ぐに見据え一歩も引かずに腰を落とした。
「(……お兄ちゃんが、見ててくれるから)」
俺は、ララの前方にありったけの魔力を込めた多重障壁を展開した。
だが、それはあくまで「保険」だ。
この一撃を受け止め、そして打ち破るのはララ自身でなければならない。
「(行け、ララ!)」
俺の叫びと共に。
ララが咆哮した。
「――お姉ちゃんに!みんなに!手を出すなぁぁぁにゃあああ!!」
黄金の光が地下の闇を切り裂いた。




