地下に蠢く悪意と斥候の決死圏
王都ガレリアの夜は、かつてないほどの興奮と張り詰めた緊張感に包まれていた。
その震源地は他ならぬ第二王子ルカの屋敷。
そしてその中心にいるのは……不本意ながら、俺、相川悠人だ。
「おお……!まさに神業!医神の再来だ!」
「死の淵にあった陛下をたった一杯のスープで……!」
「あの黄金に輝く液体はやはり伝説の霊薬エリクサーなのか!?」
俺の目の前で第二王子派の重鎮たちや、先ほどスープの毒見をして陥落した医師たちが涙を流しながら拝み倒している。
俺は空になった鍋とお玉を持ったまま引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
「いや、だから。ただの滋養強壮スープですって」
「ご謙遜を!ただのスープで、あのような奇跡が起きるはずがありません!」
「貴殿は……いや、ユート様は東方の秘術を極めた『伝説の薬師』様に違いない!」
「(……違う。断じて違う)」
俺は心の中で盛大にツッコミを入れた。
あれはただ美味くて栄養価が高いだけのサムゲタンだ。
王様の生命力が思ったより残っていたのと、俺の【万物鑑定】による食材選びが完璧すぎただけだ。
だが興奮状態の彼らに何を言っても無駄だった。
「ユート殿……いや、先生」
車椅子のルカがキラキラした瞳で俺の手を握りしめる。
「感謝します。貴殿のおかげで父上は持ち直した。……これで第一王子派の『呪い』という妄言も覆せる!」
ルカの純粋な感謝は嬉しい。
だが事態はそう単純ではなかった。
「……報告します!」
屋敷に飛び込んできたのは白虎の騎士ガルフだった。
彼は息を切らせ深刻な表情をしている。
「城内および城下町の様子がおかしいです。第一王子ザイード様の一派が……騒ぎ出しています」
ガルフの報告によれば王の劇的な回復は、瞬く間に王都中に広まったという。
だがその解釈は真っ二つに割れていた。
第二王子派と民衆は「救世主が現れた!」「王様が助かった!」と歓喜している。
しかし第一王子派の言い分は違った。
『第二王子ルカが怪しげな術を使う人間を引き入れた』
『王の一時的な回復はその術師による洗脳の一種だ』
『王を操り国を乗っ取るつもりだ!』
「……なるほどな」
俺はやれやれと肩をすくめた。
「まあ、そう来るよな。あっちにしてみれば自分たちのシナリオ(王の死と即位)が狂ったんだ。必死にもなるさ」
「おのれザイード……!どこまでも腐った真似を!」
ガルフが拳を震わせる。
「現在、獅子騎士団が屋敷の周囲を完全に包囲しつつあります。『危険な術師』の引き渡しを求めて……!」
「一触即発、ってわけか」
クロエが窓の外を覗き込み口笛を吹く。
「松明の数がすげえな。戦争でも始める気かよ」
「ララが追い払ってやるにゃ!あんな弱そうな兵隊、デコピンで十分だにゃ!」
ララが腕をまくる。
「待て待て。ここで暴れたら、それこそあっちの思う壺だ」 俺はララを制した。 力でねじ伏せるのは簡単だ。 だが、それでは「野蛮な侵略者」というレッテルを肯定することになる。
「(……それにこの騒ぎ。黒幕にとっては好都合だろうな)」
俺は冷ややかな思考を巡らせた。
国が混乱し、互いに憎しみ合えば合うほどあの「疫病」の主……四天王モルゴースは笑っているはずだ。
「……ユートさん」
ミミが不安そうに俺を見上げる。
「どうすればいいんでしょうか……。このままじゃ、ルカ様たちが……」
「根本を断つしかないな」
俺は静かに言った。
「王様の病気はスープで一時的に抑え込んだだけだ。原因である『発生源』を叩かないとまたすぐに再発する。それに街の病人たちも増える一方だ」
俺はルカの執務室にある王都の地図を広げた。
「ルカ殿下。この王都の水の流れ……どうなってる?」
「水?……王都の地下には、巨大な地下水路が張り巡らされている。生活排水や雨水を処理し外の川へ流すためのものだが……」
「(……やっぱりな)」
俺は地図上の地下水路のラインを指でなぞった。
貧民街、市場、そして王城。
疫病が発生している場所はすべてこの水路の上に位置している。
「病の発生源は間違いなく地下だ」
俺は断言した。
「地下水路のどこかに毒素を撒き散らす『何か』が設置されている。それをぶっ壊せば病の蔓延は止まるし、王様の呪いも解けるはずだ」
「地下水路……!しかし、あそこは迷宮のように入り組んでいる上、今は第一王子派の管理下にあるはずだ」
「だからこそ、だ」
俺は仲間たちの方を向いた。
「俺はここでルカ殿下を守る盾になる。俺がここにいれば敵の目は俺に釘付けになるからな」
いわゆる陽動だ。
「その隙に別動隊が地下に潜入し、発生源を叩く」
「……斥候任務だな」
クロエがニヤリと笑って前に出た。
「任せな。忍び込むのは得意分野だ。ドブ川の散歩なんて盗賊ギルド時代を思い出すぜ」
「わたくしも行きますわ!」
アリアが優雅に手を挙げた。
「地下……それは愛の逃避行にふさわしいシチュエーション!暗闇の中で芽生える吊り橋効果……騎士様と行けないのは残念ですが、愛のキューピッドとして道を開きますわ!」
「(……お前のそのポジティブさ、たまに尊敬するよ)」
「よし。クロエ、アリア。頼んだぞ」
俺は二人に指令を出した。
「ララとミミは俺と一緒に屋敷の防衛だ。……いいか二人とも。無理はするなよ。ヤバそうならすぐに戻れ」
「了解!」
「はいですわ!騎士様のためにドブネズミ退治に行って参ります!」
こうして、王都の命運をかけた地下水路への潜入作戦が開始された。
***
王都の地下深く。
そこは、地上の喧騒が嘘のように静まり返った闇と湿気の世界だった。
「……うぇ。臭っ」
クロエが鼻をつまみながら汚水が流れる通路を進む。
「なんだよこれ。ただの下水の臭いじゃねえぞ。なんかこう……甘ったるくて腐ったような……」
「瘴気ですわね」
アリアがいつになく真剣な表情で周囲の空気を探るように手をかざす。
「精霊たちが嫌がっています。……『痛い』『苦しい』と。この奥からとてつもなく不浄な気配がしますわ」
二人はマンホールから侵入し地下水路の奥深くへと進んでいた。
壁面には苔がびっしりと生え、足元を汚水が流れる。
決して快適な場所ではない。
「それにしても、アリア」
クロエが警戒しながら軽口を叩く。
「お前、よくこんな汚い場所に平気で入れたな。ドレスが汚れるぞ?」
「あら、心外ですわ」
アリアは精霊魔法で足元を浮かせながら(なんと器用な)涼しい顔で答えた。
「騎士様のためなら、火の中水の中、ドブの中だって平気ですわ。それに……」
アリアはふふっと笑う。
「薄暗い地下道、二人きり(今回はクロエさんですが)迫り来る危機……。これ、恋愛小説でよくある『肝試しイベント』の予行演習になりますもの!」
「……お前、ブレねえな」
クロエは呆れたように息を吐いた。
だがその実力は認めている。
アリアの【精霊探知】はクロエの【気配察知】でも捉えきれない魔力や悪意の痕跡を正確に拾ってくれるからだ。
「……ストップ」
不意にクロエが足を止めた。
「……いる」
「はい。……角の向こう。三体……いいえ、五体ですわ」
二人は視線を交わし音もなく壁に張り付いた。
角の先からブヨブヨとした足音と、何かを引きずるような音が近づいてくる。
現れたのは、ヘドロで構成されたような身体を持つ異形の魔物たちだった。
「ポイズン・スライム……いや、もっとタチが悪そうだ」
クロエが短剣を構える。
「見つかる前にやるぞ。……アリア、音を消せるか?」
「お安い御用ですわ。風よ、凪払いなさい」
アリアが指を振ると周囲の音がフッと消えた。
クロエはその静寂の中を疾走する。
「シッ!」 銀閃。
クロエの短剣が魔物の核を一瞬で斬り裂く。
音もなく魔物が崩れ落ちる。
「ふっ!」
返す刀で二体目。
三体目はアリアの放った「真空の刃」によって両断された。
「……よし。片付いた」
「お見事ですわクロエさん。その身のこなし、まるで恋する乙女が彼氏の元へ急ぐようでしたわ」
「例えが悪い!」
二人はさらに奥へと進む。
進むにつれて瘴気の濃度が増していく。
空気は重く、肌にまとわりつくような不快感がある。
「……ここだ」
水路の最深部。
かつては貯水槽として使われていたであろう巨大な空間に出た瞬間。
二人は息を呑んだ。
「……な、なんじゃこりゃ……」
空間の中央には、不気味に脈動する「肉塊」のようなものが鎮座していた。
それは、地下水路の汚泥と何かの生物の死骸、そして紫色の結晶を混ぜ合わせて作られたおぞましい「祭壇」だった。
祭壇からはドス黒い液体が絶えず滴り落ち、それが水路の水に混ざって王都全体へと流れていく。
「これが……病の発生源……!」
アリアが口元を押さえる。
「なんて……なんて禍々しい……。ここからあの呪いの毒素が作られているんですのね……!」
「……おい、アリア。あれを見ろ」
クロエが祭壇の周囲を指差した。
そこには数人のローブ姿の男たちがいた。
ガリアン大山脈で見た「深淵の苗床」の残党か、あるいは新たな狂信者たちか。
彼らは祭壇に向かって何やら呪文を唱えながら、捕らえられた獣人たち(行方不明になっていた虎族の人々だ!)を祭壇の前に引きずり出していた。
「ヒヒヒ……。素晴らしい瘴気だ」
「これなら、あと数日で王都は死の都となるだろう」
「さあ、次なる生贄を捧げよ!モルゴース様の糧となるのだ!」
「……ッ!ふざけやがって!」
クロエの目に激しい怒りの炎が宿る。
「あいつら、人を何だと思ってやがる!」
「許せませんわ……」
アリアも翡翠色の瞳を鋭く細めた。
「騎士様が守ろうとしたこの国を……こんな汚いやり方で……!」
だが、二人が飛び出そうとしたその時。
祭壇の奥の闇から、ヌルリと巨大な影が現れた。
「――おやおや。ネズミが迷い込んだか」
その声は水路の壁に反響し、二人の鼓膜を不快に震わせた。
現れたのは、ローブの男たちとは格が違う圧倒的な魔圧を放つ存在。
下半身が蛇のように長く、上半身は四本の腕を持つ異形の魔族。
「……中級……いや、上級魔族か」
クロエが冷や汗を流す。
「……ユートの旦那抜きでありゃキツイぞ」
「ですが、引けませんわ」
アリアが毅然と杖を構える。
「ここで引けばあの人たちは殺されます。それに……この毒を止めなければ、騎士様のご飯(薬膳スープ)が無駄になりますもの!」
「(……動機がそこかよ。ま、同感だけどな)」
クロエは短剣を握り直した。
「……やるか。ユートにいいとこ見せるチャンスだ」
「ええ。愛の力で、悪を浄化して差し上げましょう!」
王都の地下深く。
誰にも知られることのない闇の中で、二人の少女と病魔の眷属たちとの戦いが始まろうとしていた。
地上ではユートたちが王都の耳目を集め、地下ではクロエたちが命懸けで元凶を断つ。
二つの戦場が、今、同時に動き出した。




