宴の裏で、蠢く悪意
勝利の熱狂が冷めやらぬ隠れ里。
獣人たちは、互いの無事を喜び合い、奇跡的な生還をもたらしてくれた「銀の兎」の姫君ミミと、謎の土木作業員こと俺、ユートを称える宴の準備に追われていた。
あちこちで焚き火が焚かれ備蓄していた食料や酒が運び出される。
悲鳴と絶望に包まれていた数時間前が嘘のように、里には明るい笑い声が満ちていた。
「おーい!ユート!どこに行くんだ?」
村の広場から離れようとした俺の背中に、クロエが声をかけてきた。
彼女の手には獣人の子供から貰ったらしい木の実が握られている。
「ちょっと野暮用だ。すぐに戻る」
俺は足を止めずに手をひらひらと振った。
「野暮用?トイレか?それとも、こっそりツマミ食いか?」
「似たようなもんだ。……少し、現場の後片付けをしてくる」
俺はそう言い残し歓喜の輪から離れた。
向かう先は先ほどまで激戦……いや、一方的な虐殺劇が繰り広げられていたあの隘路だ。
隘路に戻るとそこはまだ硝煙と焦げた肉の臭い、
そして濃密な血の臭いが充満していた。
俺が作り上げた「連鎖式落とし穴」や「串刺しゾーン」には、数え切れないほどの魔物の死骸が折り重なっている。
オーク、ゴブリン、トロール。
本来なら冒険者パーティを壊滅させるほどの脅威たちが今はただの肉塊となって静まり返っていた。
「さて……」
俺は周囲に誰もいないことを確認してから、表情を引き締めた。
いつもの「面倒くさがりな冒険者」の顔ではない。
かつて世界を三度救った、元・勇者としての冷徹な眼差しだ。
「……違和感が、ありすぎる」
俺は足元に転がっている巨大なハイオークの死体の前にしゃがみ込んだ。
こいつはララの拳によって胸骨ごと心臓を粉砕されて絶命している。
だが、俺が気にしているのは死因ではない。
「通常のスタンピードなら、魔物はパニック状態でただ盲目的に走るだけだ。だがこいつらは違った」
俺はハイオークの太い腕に手を触れスキルを発動させた。
「万物鑑定」
視界に情報の羅列が浮かび上がる。
筋肉量、骨密度、魔力残滓。
そして、死後数時間が経過しているにも関わらず未だに細胞レベルで暴走を続けている「異常な魔力」の痕跡。
「……やっぱりな」
俺の予想は確信に変わった。
このハイオークの筋肉繊維は自然な成長や鍛錬によるものではない。
外部から無理やり魔力を注入され、限界を超えて膨張させられたものだ。
いわば魔力によるドーピング。
それも、命を削るほどの過剰摂取だ。
「理性を焼き切り、闘争本能だけを極限まで引き上げられている。……これじゃあ痛みも恐怖も感じないわけだ」
俺は立ち上がり他の死体も次々と調べて回った。
ゴブリンも、ブラックウルフも、トロールも。
種族に関係なく、全ての魔物の体内から同じ波長の「魔力操作」の痕跡が見つかった。
まるで見えない糸で操り人形にされていたかのように。
「……ただの自然災害じゃない。誰かが意図的にこのスタンピードを引き起こした」
俺は隘路の奥、魔物たちが押し寄せてきた方角を睨みつけた。
森の奥深くから魔物たちを追い立て、興奮させ、この隠れ里へと誘導した「何者か」がいる。
「目的は……なんだ?」
単なる愉快犯か? いや、それにしては手が込みすぎている。
魔物を強化し、統率を取りわざわざこんな僻地の隠れ里を狙い撃ちにする理由。
俺の脳裏にミミの笑顔が浮かんだ。
そして里の獣人たちが口にしていた「銀の兎」という言葉。
「……獣人族の殲滅、か?」
かつての大崩壊で散り散りになった獣人たち。
その生き残りが集まるこの里はある意味で獣人族再興の希望だ。
それを根絶やしにしようとする悪意。
それは、俺がかつて戦った魔王軍のやり口に酷く似ていた。
「……チッ。胸糞悪い」
俺は舌打ちをした。
せっかくのスローライフだ。
美味しいものを食べて、可愛い仲間たちと旅をしてたまに人助けをして感謝される。
それくらいの平穏な日々を望んでいただけなのに。
どうしてこう、俺の行く先々には世界規模の陰謀が転がっているんだ。
「……出てきやがれ。痕跡は残ってるぞ」
俺はオーガの死体の首筋に残っていた小さな「噛み跡」のような傷を見つけた。
そこからどす黒い紫色の瘴気が糸を引くように立ち昇っている。
「……蟲、か」
俺はその瘴気の残滓を指先で拭い取り魔力で焼き払った。
ジュッ、という音と共に不快な腐臭が鼻をつく。
これはただの毒ではない。
疫病を媒介する呪詛の一種だ。
「……なるほど。見えてきたぞ」
俺の中で点と点が線で繋がる。
アークライトでミミたちを襲っていた奴隷商人。
ガリアン大山脈で遭遇した「深淵の苗床」とかいうカルト集団。
そして今回の人為的なスタンピード。
これら全ての裏に共通する「病的な」魔力の気配がある。
「……四天王。あるいは、それに準ずるクラスの魔族だな」
俺はため息交じりに立ち上がった。
厄介ごとの臭いがプンプンする。
関わりたくはない。
本当に、心底関わりたくはないのだが。
「……俺の料理番の故郷に手を出した落とし前は、つけさせてもらうぞ」
俺は死体の山に向かって、冷たく呟いた。
そして、証拠隠滅と衛生管理を兼ねて極大の【浄化魔法】と【土魔法】を同時発動させた。
「土に還れ」
ズズズズ……。
隘路の地面が波打ち数千の魔物の死骸を飲み込んでいく。
ものの数分で、地獄絵図だった隘路はただの荒れた山道へと姿を変えた。
腐臭も、血の跡も、全て大地の底へと封印された。
「……さて。宴に戻るか」
俺は何事もなかったかのように服の埃を払うと、努めて明るい表情を作り村の方へと歩き出した。
この暗い推測は、まだミミたちには伝えるべきではない。
今はただ、彼女たちが勝利の美酒に酔いしれる時間を守ってやるのが俺の役目だ。
***
一方、その頃。
ユートたちがいる隠れ里から、数キロメートルほど離れた岩山の頂上。
冷たい夜風が吹き荒れるその場所に一つの影が佇んでいた。
ボロボロのローブを纏い、その隙間から覗く肌は病的に白く所々が黒く変色している。
手には人間の背骨で作ったような歪な杖。
そしてその周囲にはブブン、ブブンと無数の羽音が不気味に響いていた。
魔王軍四天王が一角。
あらゆる病と毒を操り死を撒き散らす災厄の権化。
「疫病」のモルゴース。
彼は眼下の森を見下ろし、忌々しげに舌打ちをした。
「……チッ。失敗か」
彼が放った視線の先には、本来なら今頃魔物の大群によって蹂躙され血の海に沈んでいるはずの獣人の里があった。
だがそこからは、悲鳴の代わりに歓声が聞こえ、死の煙の代わりに煮炊きの煙が上がっている。
「計算外だ……。実に、計算外だ」
モルゴースはガリガリと自分の首筋を爪で掻きむしった。
皮膚が破れ、黒い血が滲むが彼は気にする様子もない。
「あの里には、かつての『獣人王家』の生き残りが集まっているという情報があった。放置すれば、いずれ散り散りになった獣人どもを束ね、我ら魔王軍の脅威となる。だからこそ、早めに『間引き』をしておこうと思ったのだが……」
彼が用意した計画は完璧だったはずだ。
山脈中の魔物に特殊な「寄生蟲」を植え付け、狂暴化させ里へと誘導した。
その数およそ五千。
たかが数百の獣人の戦力では数分と持たずに壊滅するはずの戦力差だった。
「だというのに……なんだ、あれは?」
モルゴースの濁った瞳が怪しく光る。
彼は使い魔である「視覚共有蟲」を通じて戦場の一部始終を見ていた。
「一人の……人間だと?」
彼の脳裏に焼き付いているのはスコップ一本で地形を変え、物理法則を無視した罠を張り巡らせ、軍勢を一方的に虐殺したあの黒髪の男の姿だ。
「落とし穴?落石?ワイヤー?……ふざけるな。あんな子供騙しの罠で、我が可愛い『蟲毒の軍勢』が、全滅だと?」
モルゴースは、苛立ちを隠せなかった。
魔法による広範囲殲滅ならまだ理解できる。
聖剣による無双なら警戒すべき勇者として認識できる。
だがあの男がやったのは、徹底的な「土木工事」による泥臭いハメ技だった。
「……人間ごときが。我が芸術的な『死の行進』を、あのような無粋な真似で台無しにするとは……」
彼は杖を握りしめ、ギリギリと歯軋りをした。
プライドの高い彼にとって自慢の策を「力」ではなく「知恵と効率」で破られたことは最大の屈辱だった。
「……相川悠人、と言ったか」
使い魔が拾った音声を反芻する。
あの男。
そしてその周りにいた、妙に鼻につく連中。
高速で動く赤髪の小娘。
馬鹿げた怪力の虎女。
生意気にも精霊を操るエルフ。
そして光魔法を操る銀の兎。
「……揃いも揃って、イレギュラーな存在ばかりだ。……特に、あの男」
モルゴースの直感が警鐘を鳴らしていた。
あの男は危険だ。
ただの冒険者ではない。
底が見えない。
今ここで、自ら手を下して始末すべきか?
モルゴースは杖を掲げ、詠唱の構えを取った。
彼の魔力が膨れ上がり、周囲の空間に猛毒の霧が発生する。
「……いや、よそう」
だが、彼はすぐに杖を下ろした。
「ここで私が動けば、奴らにこちらの存在を感づかれる。私の『本命』の計画に支障が出る」
彼は不気味な笑みを浮かべた。
口角が裂けんばかりに吊り上がる。
「まあよい。今回の件は、あくまで『余興』だ。獣人の里一つ潰せなかったところで、大勢に影響はない」
彼は視線を南の方角へと向けた。
そこには、この大陸で最も強大な国家の一つである「獣人王国ガレリア」があるはずだ。
「次の手は、王国そのものだ。……あちらの『準備』はすでに整っている」
モルゴースの手の中で一匹の美しい蝶が舞い上がった。
だが、その羽は毒々しい紫色をしており鱗粉からは疫病の瘴気が漂っている。
「ふふふ……。内側から腐り落ちる大国。同士討ちに明け暮れる愚かな獣ども。……想像するだけで、ゾクゾクするではないか」
彼は蝶を空へと放った。
蝶は、ふらふらと、しかし確実に獣人王国の方向へと飛んでいく。
「精々今のうちに勝利の美酒に酔いしれるがいい。……お前たちの旅路の先には、もっと深く、もっと絶望的な『病』が待っているのだからなァ」
モルゴースの姿が闇に溶けるように薄れていく。
最後に残ったのは、耳障りな羽音とねっとりとした悪意だけだった。
***
「おーい!ユート!遅いぞ!」
「お兄ちゃん!お肉焼けたにゃ!早くしないとララが食べちゃうにゃ!」
村の広場に戻った俺を、仲間たちの明るい声が出迎えた。
焚き火を囲み、獣人たちが歌い踊っている。
その中心には大量の料理と酒が並べられ、ララが両手に骨付き肉を持って幸せそうに齧り付いていた。 クロエは村の娘たちに囲まれて武勇伝を語っている(半分くらい盛っている気がするが)。
アリアは村の子供たちに精霊魔法で花火を見せてやり、黄色い歓声を浴びている。
そして、ミミ。
彼女は長老の隣に座り、村人たち一人一人と言葉を交わしていた。
その表情はまだ涙の跡が残っているものの、晴れやかでどこか誇らしげだった。
「あ、ユートさん!」
俺の姿を見つけたミミがパッと顔を輝かせて駆け寄ってくる。
「おかえりなさい、ユートさん!あの、みなさんが、ユートさんにお礼を言いたいって……!」
「はは。礼なんていいよ。俺はただ、仕事をしただけだ」
俺はいつもの人畜無害な笑顔を浮かべた。
「それより、ほら。主役がいないと宴が締まらないぞ」
「も、もう!主役だなんて……」
ミミが照れて頬を染める。
「恩人殿!」
長老が酒杯を持って歩み寄ってきた。
「貴殿のおかげで我らは生き延びることができた。この御恩、末代まで語り継ぎましょうぞ!」
「いや、語り継がなくていいから。……忘れてくれ、できれば」
「はっはっは!ご謙遜を!さあ、まずは一杯!」
俺は強引に酒杯を握らされ、獣人たちの輪の中に引きずり込まれた。
「カンパーイ!」
「土木の神様に乾杯だー!」
「だから土木の神様はやめろって!」
騒がしくも温かい宴。
俺は酒をあおりながら、仲間たちの笑顔を眺めた。
ララの屈託のない笑顔。
クロエの得意げな顔。
アリアの楽しそうな横顔。
そして、ミミの心からの安堵に満ちた表情。
(……まあ、いいか)
先ほど見た魔物の死体の痕跡。
丘の上から感じたねっとりとした視線。
それらの不安要素は、今この瞬間だけは胸の奥底にしまっておこう。
(四天王だろうが、魔王だろうが、関係ない)
俺は杯に残った酒を飲み干した。
もし、この笑顔を曇らせようとする奴が現れたなら。
その時は、俺が全力で徹底的に排除するだけだ。
スコップ一本で山脈を要塞に変えたように、俺の持てる全ての「力」と「知恵」を使って。
「ユートさん?どうしたんですか?難しい顔をして……」
ミミが心配そうに顔を覗き込んでくる。
俺は、ハッとして、すぐに表情を崩した。
「いや、なんでもない。……料理、美味そうだなと思って」
「ふふっ。ユートさんのお料理には敵いませんけど、里のみんなが心を込めて作ってくれました、ぴょん!」
「そうか。じゃあ、いただこうかな」
俺は差し出された皿を受け取り一口食べた。
素朴だが力強い味がした。
「……うん。美味い」
「よかったです!」
ミミが満面の笑みで答える。
その笑顔を守れたのなら、今回の「残業」も決して無駄ではなかった。
だが俺はまだ知らない。
このスタンピードが、獣人族全体を巻き込む巨大な陰謀のほんの序章に過ぎないことを。
そして、俺たちの次の目的地である「獣人王国」でさらなる面倒事……いや、運命の歯車が待ち受けていることを。
「さて、次は王国か……」
俺は夜空に浮かぶ月を見上げた。
欠けた月が、まるで何かの予兆のように怪しく輝いていた。
宴は夜が更けるまで続いた。
俺のスローライフへの道のりは、まだまだ波乱含みのようだ。




