三本杉の導きと、絶望の光景
ガリアン大山脈の地下洞窟で発見した秘湯。
そこで心身ともに癒やされ、ついでに少しばかり寿命が縮むような混浴イベント(主に俺の理性が)を乗り越えた俺たちは再び旅路についていた。
「肌がつやつやですわー。やはり、愛の混浴効果は絶大ですわね」
アリアが自分の頬をぺたぺたと触りながら、上機嫌で俺の右隣を歩いている。
「騎士様。見てくださいまし、この潤い。触ってみてもよろしくてよ?」
「遠慮しとく。それよりアリア、足元気をつけろよ。この辺りは岩場が多い」
「きゃっ! 石につまずいて、騎士様の胸に飛び込んでしまう予感!」
「予感じゃなくて願望だろ、それ」
俺は相変わらずの調子で絡んでくるアリアを適当にいなしつつ、周囲の警戒を怠らなかった。
温泉での休息は最高だったが、ここはまだ魔境の只中だ。
むしろ、温泉の硫黄の匂いで魔物を引き寄せている可能性すらある。
「むー。お兄ちゃん、アリアばっかりずるいにゃ」
左隣ではララが不満げに尻尾を揺らしている。
「ララもお肌つるつるだにゃ。触っていいにゃよ?」
「はいはい。ララの毛並みはいつも最高だよ」
「えへへ。お兄ちゃんに褒められたにゃ」
「……二人とも、少し静かにしろよ。ここは見通しが悪いんだ」
先頭を歩くクロエが、呆れたように振り返る。
「まったく。ユートもユートだ。もっとビシッと言ってやれよ」
「言ってるつもりなんだけどな……暖簾に腕押しというか、糠に釘というか」
「愛に国境はありませんわ!」
「そういうことじゃねえよ」
俺たちはそんな軽口を叩きながらも、確かな足取りで進んでいた。
目指すはミミの故郷の手がかりがあるとされる場所。
エルロンの情報によれば、この山脈を越えた先にある『月の森』だ。
最後尾を歩くミミはいつになく無口だった。
彼女は時折、立ち止まっては周囲の風景を確認し、何かを探すように視線を彷徨わせている。
その表情には期待と不安が入り混じっていた。
「……ミミ」
俺は歩く速度を少し緩めてミミの隣に並んだ。
「どうだ? 何か見覚えはあるか?」
「あ……ユートさん」
ミミはハッとしたように顔を上げた。
「……はい。景色はだいぶ変わってしまっていますけど……風の匂いが懐かしい気がします、ぴょん」 「そうか。なら方向は間違ってないな」
「はい。……でも」
ミミはぎゅっと杖を握りしめた。
「もし……誰もいなかったら。もし、もう里がなくなっていたら……」
故郷を探す旅というのは、希望への旅であると同時に残酷な現実と向き合う旅でもある。
千年前の大崩壊で散り散りになったという獣人族。
三十年前の情報では存在していたというが、今も無事である保証はどこにもない。
俺はミミの頭にポンと手を置いた。
「大丈夫だ。アリアの精霊予報でもこの先に『人』の気配があるって出てる。それに、もし何かあっても」
俺はニヤリと笑ってみせた。
「俺たちがいる。ララも、クロエも、アリアも。俺たちはもう、家族みたいなもんだろ?」
「……ユートさん」
ミミの瞳が潤む。
「……はい!そうです、ね。わたくしにはみんながいます、ぴょん!」
ミミの顔に少しだけ明るさが戻った。
その時だった。
「あっ!」
ミミが突然声を上げて走り出した。
「ミミちゃん!?」
「おい、待て!」
ミミは街道を外れ鬱蒼とした森の方へと駆けていく。
「こっちです!こっちに……ありました!」
俺たちが慌てて追いかけると、ミミは一本の巨木の根元で立ち止まっていた。
そこにあったのは奇妙な形をした大木だった。
一本の太い幹から途中できれいに三つに分かれ、天を突くように伸びている杉の木。
樹齢は数百年、いや、千年はいっているかもしれない。
「……『三本杉』です」
ミミが震える声で言った。
「小さい頃、お母様に教えてもらいました。里へ帰る時はこの大きな三本杉を目印にしなさいって……!」
「じゃあ、ここが入り口ってことか」
クロエが周囲を見回す。
「道なんてなさそうだぜ?完全に獣道だ」
「隠れ里だからな。入り口が分かりやすかったら意味がない」
俺はその三本杉を見上げた。
「よし。ミミの記憶を信じよう。ここから山道に入るぞ」
「はい!」
ミミが力強く頷く。
俺たちは街道を外れ、草木が生い茂る獣道へと足を踏み入れた。
***
山道に入ってからしばらく経った頃。
俺は妙な胸騒ぎを感じていた。
【索敵】スキルが断続的に警告音を鳴らしているのだ。
(……おかしい)
俺は眉をひそめた。
ガリアン大山脈は確かに魔物の生息域だが、これほど頻繁に反応があるのは異常だ。
しかも、その反応の数が進めば進むほど増えている。
「……ユート」
クロエが緊張した面持ちで下がってきた。
「気づいてるか?気配が多すぎる」
「ああ。さっきから小型の魔物がウヨウヨしてるな」
「避けてはいるけど、この先もっと増えそうだぜ」
「騎士様……」
アリアも顔色を悪くして俺の袖を引いた。
「森の精霊たちが……怯えていますわ。何かに追われるように、ざわめいています」
「追われている?」
「はい。『黒い波が来る』と……」
黒い波。
その言葉に俺の脳裏にある最悪のシナリオが浮かぶ。
「……ララ。鼻はどうだ?」
「んー……」
ララは鼻をヒクヒクさせ嫌そうに顔をしかめた。
「臭いにゃ。獣の臭いと血の臭い……あと、もっと嫌な腐ったような臭いが混じってるにゃ」
「腐った臭い……」
あの『深淵の苗床』の連中が使っていた瘴気か?
いや、それとは少し違う。
もっと野性的で、暴力的な気配だ。
「……警戒レベルを上げるぞ」
俺は低い声で告げた。
「ただの魔物の群れじゃない可能性がある。戦闘は極力避ける。クロエ、アリア、先導を頼む。俺が全体をカバーする」
「了解!」
「はいですわ!」
俺たちは慎重に足を進めた。
だがその慎重さを嘲笑うかのように、状況は悪化の一途をたどった。
森の木々の隙間からギラギラとした視線を感じる。
ゴブリンの甲高い笑い声。
オークの野太い唸り声。
本来なら縄張り争いをするはずの異なる種族たちが、なぜか同じ方向へ殺気立って向かっている。
「……これ、マジでやばくないか?」
クロエが冷や汗を拭う。
「そこら中にいるぞ。一歩間違えたら囲まれる」
「密度が濃くなってるな。……まるで、何かに押し出されているみたいだ」
俺は立ち止まって地面に手を当てた。
【地質調査】と【聴覚強化】を同時発動する。
ズズズ……ズズズ……。
地底から響く、微かな、しかし途切れることのない振動。
それは数え切れないほどの足音が重なり合って生まれた大地の悲鳴だった。
「……スタンピードか」
俺の呟きに全員が息を呑む。
「ス、スタンピードって……あの、魔物の大暴走ですか!?」
ミミが蒼白になる。
「ああ。何らかの原因でパニックになった魔物たちが雪崩のように押し寄せる現象だ。これだけの規模……ただ事じゃないぞ」
「で、でも、里は……この先なんです!」
ミミの声が裏返る。
「この先に……みんなが……!」
「……分かってる」
俺はミミの肩を強く掴んだ。
「落ち着け。まだ里が襲われたと決まったわけじゃない。だが、正面から突っ込むのは自殺行為だ」
俺は周囲を見渡した。
道なき道を行くしかない。
「裏通りを使う。魔物の流れから外れた崖沿いのルートだ。あそこなら木々も少なくて視界が通る。魔物に見つかりにくい」
「で、でも、あそこは道なんて……」
「道は作る。俺についてこい」
俺は先頭に立って崖の方へと向かった。
【土魔法】で足場を確保し【隠密】スキルで気配を消し、仲間たちを誘導する。
アリアが風の精霊に頼んで俺たちの臭いを消し、クロエが小石一つ落とさない慎重さで続く。
ララはミミの手を引き、不安そうな彼女を励ましている。
張り詰めた空気の中、どれくらいの時間が経っただろうか。
俺たちは魔物の群れがひしめく森を大きく迂回し、ようやく視界が開けた高台へとたどり着いた。
「……ここなら、里が見えるはずだ」
ミミが息を切らせながら崖の縁に駆け寄る。
「……あ」
その声は声になっていなかった。
絶望。
その二文字が彼女の口から漏れ出たようだった。
俺たちも彼女の視線を追って眼下を見下ろした。
そして言葉を失った。
そこにあったのは、山間にひっそりと佇む美しい隠れ里……のはずだった。
だが、今の俺たちの目に映ったのは地獄の釜の蓋が開いたような光景だった。
「……な、なんだよ、これ……」
クロエが呻く。
里を取り囲むように黒い染みが広がっていた。
いや、染みではない。
それは、おびただしい数の魔物の群れだった。
ゴブリン。
ホブゴブリン。
オーク。
ハイオーク。
巨大な棍棒を引きずるオーガ。
空を舞う怪鳥。
数千、いや、万に近いかもしれない。
ありとあらゆる魔物が混成軍となり、黒い津波となって小さな里に殺到しようとしていた。
地響きがここまで伝わってくる。
魔物たちの咆哮が空気をビリビリと震わせている。
「……嘘、です……よね……?」
ミミがその場に崩れ落ちる。
「あんな……あんなの……」
里の入り口には粗末なバリケードが築かれ、豆粒のように小さな影たちが必死に抵抗しているのが見える。
獣人の戦士たちだろう。
だが、あの圧倒的な物量を前にしては枯れ木で洪水を止めようとするようなものだ。
突破されるのは時間の問題。
いや、既に一部ではバリケードが決壊し魔物が雪崩れ込んでいるようにも見える。
「お、お兄ちゃん……」
ララが俺の服を掴む手が震えている。
「あんな数……ララの拳でも、全部は倒せないにゃ……」
「騎士様……精霊たちが、泣いています。……死の臭いが、充満していますわ……」
アリアが青ざめた顔で胸を押さえる。
俺は眼下の光景を冷静に分析しようと努めた。
(……自然発生のスタンピードじゃない)
魔物の動きが統率されすぎている。
まるで誰かが指揮を執っているかのように、一点――獣人の里――を目指して集中している。
(またか。また、何者かの意図が絡んでいるのか)
だが、今は原因を探っている場合じゃない。
このままではミミの故郷はあと数時間も持たずに地図から消える。
里の人々も、ミミの家族かもしれない人たちも、全て魔物の腹の中に消えることになる。
「……ミミ」
俺は、膝をついて震えているミミの前にしゃがみ込んだ。
「顔を上げろ」
「……ユート、さん……」
ミミの瞳からは大粒の涙が溢れ出していた。
「無理、です……。あんなの……どうしようも、ないです……。わたくしの故郷は……もう……」
絶望に塗りつぶされそうになっている彼女。
俺はその頬を両手で包み込み、無理やり俺の方を向かせた。
「諦めるな」
俺の声は、低く、しかし力強かった。
「俺がいる。ララがいる。クロエがいる。アリアがいる」
「……」
「俺たちなら、やれる。……いや、俺がやらせる」
俺は立ち上がり眼下の絶望的な光景を見据えた。
最強の元・勇者としての血が、静かに、しかし熱く滾り始める。
「ミミ。泣くのはまだ早い。君の故郷だろ?守るぞ」
俺の言葉にミミがハッとして目を見開く。
「……まも、る……?」
「ああ。今からここを、難攻不落の要塞に変えてやる」
俺は振り返り仲間たちに不敵な笑みを向けた。
「全員、準備はいいか?ここからは、スローライフ返上だ」
「……はっ。言うねえ、ユート」
クロエが、涙を拭ってニヤリと笑う。
「地獄の底まで付き合ってやるよ」
「ララも!ララもやるにゃ!あんな奴ら、ぶっ飛ばすにゃ!」
「騎士様が行くなら、わたくしも!愛の力で奇跡を起こしますわ!」
四人の闘志が一つになった。
眼下には絶望。
だが、ここには最強の希望(俺たち)がいる。
俺はミミの手を引き上げ、力強く握り返した。
「行くぞ。……大掃除の時間だ」
俺たちは、スタンピードの只中へと降り立つべく崖の縁に立った。
その背中には、もう迷いはなかった。




