最強勇者の胃袋掴みと、腹ペコ盗賊の陥落
「ま、待って! 待ってよ!」
森の奥へ(今夜の食材=グレート・ワイルド・ボアを求めて)消えようとする俺の背中に、ボロボロの少女――クロエの必死な声が突き刺さる。
(あー……聞こえない、聞こえない)
俺はFランク冒険者ユート。
面倒事はゴメンだ。
あの『闇蛇の牙』とかいう連中も、足止め(アキレス腱狙いのデコピン)はしておいた。
もう追っては来れまい。
俺の任務はここに関わることじゃない。
「助けてくれたんでしょ!? ねえ、待ってってば! 足が……まだ、痺れて……!」
(……チッ)
さすがに、毒にやられた女の子をこのまま森に放置していくのは、3度の人生(元・勇者)で培われた倫理観が許さなかった。
俺は盛大にため息をつき、心底面倒くさそうに振り返る。
「……はぁ。これだから、面倒事は嫌だって言ったんだ」
「ひっ……!」
俺の(素の)面倒くさがりオーラに、クロエがビクッと肩を震わせる。
(あ、やべ。地の『俺』が出かけた)
俺は慌てて、いつもの人畜無害な笑顔(バージョン2.0)に戻す。
クロエの前にしゃがみ込み、彼女がやられた足首を(あくまで事務的に)確認する。
「あ……な、何すんだよ!」
クロエが慌てて足を引っ込めようとするが、麻痺で力が入らない。
「じっとしてて。すぐ終わるから」
「え……?」
俺は、詠唱破棄で、ごくごく微弱な神聖魔法を発動させる。
3周目(剣聖)時代に覚えた、治癒魔法の応用だ。
「――【解毒】」
「(……え? いま、何か……)」
クロエが何かを呟く前に、淡い光が俺の手から彼女の足首へと流れ込む。
数秒後。
彼女の足首を蝕んでいた、あのしつこい麻痺毒の呪印が、あっけなく霧散していく。
「あ……れ……? し、痺れが……消えて……?」
クロエが驚愕に目を見開く。
俺は休む間を与えない。
どうせやるなら、一気に終わらせた方が効率的だ。
「ついでだ」
「え?」
「――【広域治癒】(※出力1%)」
俺は、彼女の全身に残っていた無数の切り傷や打撲痕にも、治癒魔法をかける。
もちろん、これも詠唱破棄だ。
クロエのボロボロだった革鎧の隙間から、切り傷が瞬く間に塞がっていく。
「な……!? な、な、な……!?」
クロエは、自分の身に起きている奇跡が信じられず、自分の腕や足を触って「痛くない」「傷が消えてる」と、完全にパニックに陥っていた。
「(よし、治療完了。これで自力で帰れるだろ)」
俺は立ち上がる。
俺の目的は、あくまで人助け(最低限)であって、これ以上関わることではない。
「それじゃ。ゴブリン退治(という名の食材調達)の途中だから」
「あ……!」
俺は今度こそ背を向け、森の奥へと歩き出す。
「ま、待って! 待ってよ! この前ギルドにいたよね!?ユートさん、だっけ!?」
「…………」
俺は振り返らず、片手だけをひらひらと振って応える。
そして、今度こそ【隠密】スキルを発動させ、完璧に気配を消し、その場から(物理的に)撒いた。
「……き、消えた……!? まるで、最初から誰もいなかったみたいに……」
後に残されたクロエはその場に呆然と座り込み、俺が消えた空間をただ見つめることしかできなかった。
「……詠唱破棄の、即時発動ヒールとキュア……? あげくに、あのBランクどもを『事故』みたいに倒して……ヘルハウンドを一瞬で……」
「(ゴクリ)……とんでもない、『達人』だ……!」
彼女の瞳に、絶望ではない別の光――「憧憬」と「執着」の炎が燃え上がったことなど、猪肉のことで頭が一杯の俺が知る由もなかった。
その後、俺は無事に(逃げた群れとは別の)『グレート・ワイルド・ボア』の極上個体(オス、3歳、脂の乗り最高)を狩り、ついでに『蜜キノコ(みりん代わり)』や『野生クレソン』など、夕食の付け合わせも完璧に採取。
最後に、依頼の目的だったゴブリンの巣を(これは本当に面倒だったので)【土属性魔法】で入り口ごと崩落させて『調査完了』とし、討伐証明の耳だけを(安全に)回収。
意気揚々とギルドに戻ったのは、日が傾きかけた頃だった。
「ユートさん! お、おかえりなさい!」
カウンターでは、俺が戻るのを今か今かと待っていたらしいコネットさんが、尻尾をブンブン振りながら(犬か)出迎えてくれた。
その狐耳は、心配でペタンと伏せられている。
「ご、ご無事だったんですね……! よかったぁ……! ゴブリンたちは……!?」
「はい、ただいまです、コネットさん。ご心配なく。巣の調査、完了しました。これが証拠です」
俺はカウンターに、ゴブリンの耳が十数個入った袋をドン、と置く。
「こ、こんなにたくさん!? もしかして、巣を……一人で……討伐したんですか!?」
「いえ、あくまで『調査』の途中で、襲ってきた数匹を返り討ちにしただけです。巣は危険そうだったので、入り口の場所だけメモしてきました」
(入り口ごと埋めたけど、嘘は言ってない)
俺が完璧な「新人Fランクムーブ」をかますと、コネットさんは「はわわ……」と両手で頬を押さえ、感嘆のため息を漏らした。
「すごい……! やっぱりユートさん、ただの新人さんじゃありません……! あのボルガさんをあしらった時も思いましたけど、本当に……その……カ、カッコいい、です……!」
(おっと、いかん。またフラグが育ちかけてる)
俺が(渋いオッサン趣味をアピールして)どうやってこの好意を逸らそうか考えていると、コネットさんは意を決したように、カウンターからグイッと身を乗り出してきた。
その豊かな胸が、カウンターに「むにゅ」と押し付けられる。
「あ、あの、ユートさん! もし、今日の晩御飯、まだなら……!」
「(うおっ、近い!)」
「また『塩辛』のお店、じゃなくて! 私が、その、ユートさんのために……お、お料理とか……! お弁当とか、作りますから!」
(手料理フラグ! これはマズい! Fランクの俺が、ギルドの看板娘の手料理なんか食べたら、ギルド中の男を敵に回す!)
俺は、どう断るか、脳内の【並列思考】をフル回転させる。
「あ、すみませんコネットさん。実は今日は、森でちょっと珍しい食材が手に入ったんで、自分で試したい料理があって……」
「え、食材……ですか?」
「はい。猪なんですけど、ちょっと特殊な調理法を試してみたくて――」
「――見つけたぜ、ユート!」
俺の言葉を遮る、鋭く、しかしどこか嬉しそうな少女の声。
ドン!と、俺の隣のカウンターが叩かれる。
そこに立っていたのは、いつの間にかギルドに戻り、服も(たぶん着替えて)綺麗にしていたあの赤毛のボクっ娘盗賊・クロエだった。
「……え?」
「キャッ! ク、クロエさん!? どうしたんですか、そんなに慌てて……って、ユートさんとお知り合いですか?」
コネットさんが、俺とクロエを交互に見て、目をぱちくりさせている。
クロエは、コネットさん(と、その豊満な胸)をジロリと一瞥すると、フン、と鼻を鳴らし、俺に真っ直ぐ向き直った。
「アンタ、やっぱりここの冒険者だったんだな! とんでもない『達人』だって、ボクは森で会った時から分かってたぜ!」
その大声に、酒場で飲んでいた冒険者たちの視線が一斉にこちらに集まる。
「(うわああああ! 最悪だ! なんでこの子、こんなに声がデカいの!?)」
俺は、ギルド中の注目を浴びながら、必死に「人違いムーブ」を試みる。
「……あの、どちら様でしたっけ? 俺はユート。Fランクの新人ですけど」
「とぼけんな!」
クロエは、俺の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄る。
(お、近い近い。この子も近いぞ)
「その声! その魔力の残り香! 間違いない! ボクの命の恩人だ! ボクの麻痺毒と怪我を、詠唱もなしに一瞬で治したくせに!」
「「「「なっ!?」」」」
ギルド内が、今度こそ完全に静まり返った。
コネットさんが「えいしょう……なし……?」と、信じられない、という顔で俺を見ている。
(全部喋るなこのボクっ娘ァァァ!)
俺が頭を抱えていると、クロエは何を思ったか、その場でいきなり俺に向かって完璧な土下座をした。
「ボクを弟子にしてくれ!」
「「「「えええええええええええええ!?」」」」
ギルド中の絶叫が、天井を揺らした。
コネットさんも「で、弟子ぃ!?」と、狐耳を限界まで逆立てている。
「(いや、だから、なんでそうなる!?)」
「それか! 用心棒に雇ってくれ! なんでもする! アンタの強さ、ボクは全部見てたんだ! あのBランク暗殺ギルドの『闇蛇の牙』を……まるで偶然みたいにいなして! あげく、ヘルハウンドを一瞬で消し炭に……!」
「(ぎゃあああ! 喋るな! 喋るなそれ以上!)
俺は、周囲の冒険者たちが「闇蛇の牙?」「ヘルハウンド?」「あのFランクが?」と、完全に俺を「ヤベェ奴」認定する視線(好奇心8割、恐怖2割)で見てくるのを肌で感じた。
スローライフ計画、2日目にして、完全崩壊の危機。
「(……逃げるしかねえ!)」
俺は、コネットさんが呆然と差し出している報酬袋をひったくる。
「すみません、コネットさん、これで失礼します! 急用思い出したんで!」
「あ、ユートさん!?」
「あ! 待て、コラァ! 逃げるなー! 師匠!!」
「(師匠って言うな!)
俺はギルド中の好奇の視線から逃れるため、全速力でギルドを飛び出し予約していた安宿へと駆け込んだ。
宿屋『旅人の羽』。
俺が借りている、一番安い屋根裏の小さな一室。
「はぁ、はぁ……撒いたか? まったく、なんであんなにしつこいんだ……」
俺はドアに鍵をかけ、荒い息を整えながら窓の外を見下ろす。
もう日はとっぷりと暮れていた。
(……ん?)
宿屋の入り口。
街灯の、ぼんやりとした明かりの下。
腕を組み、足を組み、明らかに不機顔で、宿の入り口の階段に座り込んでいる、見慣れた赤毛の少女が一人。
(嘘だろ……)
クロエだった。
俺がこの宿に入るのを、どこかで見ていたらしい。
完全に、張り込みされている。
(……マジか。あいつ、帰らない気だ)
俺は、静かにカーテンを閉める。
「……知らん。俺は知らん」
俺は自分に言い聞かせる。
「腹が減った。そうだ、料理だ。料理に集中しよう。うん」
幸い、この安宿は「自炊用の簡易キッチン(という名の暖炉)使用可」が売りだった。
俺は【無限収納】から、次々と『ブツ』を取り出していく。
(さて、と。まずは米だ。3周目で確保した『神々の穀倉地帯』のコシヒカリ(原種)。これをドワーフの『魔力釜』で……水加減はよし。【着火】)
(次はメインの『グレート・ワイルド・ボア』。見てくれ、この美しいサシ。こいつは絶対に失敗できない)
俺は、先ほど狩ったばかりの極上の猪肉を取り出し、厚めのステーキ用にスライスしていく。
(筋切りは基本中の基本。よし)
取り出したるは、ヒマラヤの『千年岩塩』と、ドワーフの『黒胡椒』。
肉の両面に、完璧な高さから振りかける。
(そして……これだ)
俺は、小さな小瓶を取り出す。
中身は、深く、艶やかな黒い液体。
(俺が3度の人生の知識を結集し、魔法で『即席醸造』した、『醤油風調味料』!)
準備は整った。
ミスリル製のフライパン(これもインベントリ常備品)を暖炉の火にかけ、猪から切り出した脂を薄く引く。
(温度は……よし、今だ!)
じゅうううううううううう!!
肉がフライパンに触れた瞬間、暴力的なまでの美味そうな音と共に、白い煙が立ち昇る。
(いい音だ……! 肉の表面が一瞬でメイラード反応を起こし、凝縮された旨味の香りが、この狭い部屋に充満する……!)
肉の焼ける匂い。
それは、生物の本能を最も強く刺激する、原始にして最強の「誘惑」だ。
俺は完璧なタイミングで肉を裏返す。
(火入れはミディアムレア。よし、完璧だ)
肉を一度フライパンから取り出し、アルミホイル(もちろん常備)で包んで休ませる。
肉汁が残ったフライパンは、洗わない。
ここへ、先ほどの『醤油風調味料』と、森で採った『蜜キノコ』の絞り汁(みりん代わり)、それに『赤ワイン(2周目で皇族から貰ったやつ)』を少々……。
ジュワアアァァァァァッ!!
(うおお……!)
醤油の香ばしさと、果実酒の甘く芳醇な香りが混じり合い、煮詰まっていくソース!
この匂いは、もはやテロだ。
グルメテロだ。
俺の理性(と食欲)が、焼き切れる寸前だった。
その匂いは、当然、狭い安宿の廊下にも漏れ出していた。
ドアの前で「(くそー、絶対に出てこないつもりか……。出てきたら、即捕まえてやる……)」と、半ばヤケクソで張り込んでいたクロエの鼻腔を、容赦なく直撃する。
「……ん?」
(……な、なんだ……? この匂い……?)
さっきまでの革の匂い、埃っぽい廊下の匂いとは、明らかに異質。
甘く、しょっぱく、そして猛烈に、食欲をそそる匂い。
(アイツ……あの部屋の中で、何してやがる……?)
クロエは、ゴクリと生唾を飲む。
そういえば、と彼女は思い出す。
昨日の仲間(裏切り者)たちとのいざこざから、今日の『闇蛇の牙』との戦闘まで、丸一日以上、まともな食事(どころか水も)口にしていない。
(くそ……ボクは、こんなに腹ペコだってのに……)
その、瞬間だった。
ぐぅぅぅぅ~~~………。
静かな廊下に、盛大に。
あまりにも盛大に、彼女の腹の虫が鳴いた。
「!?」
クロエは、顔を真っ赤にして、自分のお腹をバシッ!と叩く。
「(な、鳴るな! バカ……!)」
だが、一度意識してしまった空腹と、ドアの隙間から漏れ続ける悪魔的な匂いの追撃に、彼女の体は抗えない。
ぐうぅぅぅぅぅううううううううううううう!!
「(だ、ダメだ……! 恥ずかしい! でも……でも……!)
彼女は、まるで何かに引き寄せられるように、ユートの部屋のドアに近づく。
そして、古びたドアの、鍵穴の隙間から中の様子をそっと覗き込んだ。
(あ……!)
彼女の目に映ったのは、信じられない光景だった。
あの謎の男が、炊きたてらしい、湯気の立つ真っ白な『ご飯』を器によそい、その上に、先ほど焼いていた、完璧な焼き色の分厚い『肉』を乗せ、仕上げに、あの黒く艶やかな『ソース』をとろりとかけている場面だった。
(な……な、なんだ、あれ……。石みたいに硬い黒パンと、塩辛いだけの干し肉しか知らないボクに……あんな、宝石みたいなメシが……)
ゴクリ。 彼女が、再び生唾を飲んだ、その時。
ぐううううううううううううううい!!
先ほどとは比べ物にならない、獣の咆哮のような「腹の音」が廊下に響き渡った。
「(……ん?)」
できたての「森の恵みと猪肉の和風ステーキ丼」を前に、「いざ、実食!」と箸(もちろん自前)を構えた俺の耳が、その音を確かに捉えた。
(……今、獣の鳴き声みたいなの、聞こえなかったか?)
(いや、この音は……腹の音?)
俺は、怪訝に思いながら、ドアの方を見る。
ドアの隙間、鍵穴のあたりに動く影。
そして、今一度はっきりと聞こえた。
ぐぅぅ……きゅるるる……。
「(あ……)」
俺は全てを察した。
(あれ、クロエか。そういや、森で助けた時も『丸一日何も食ってない』みたいな顔してたな……)
あの後ギルドで俺を待ち伏せ、ここまで追いかけてきてずっと張り込み。
当然、何も食べていないだろう。
(……はぁ)
俺は、静かに箸を置く。
最強の元・勇者(3周分)も、空腹の乙女の腹の音には、勝てなかった。
(……しょうがないな)
俺は、もう一つ丼を用意すると、炊飯釜に残っていたご飯と、フライパンに残っていた(俺の夜食用の)ステーキを盛り付けソースをかける。
そしてゆっくりとドアに近づき、カチャリと鍵を開けた。
「ひゃあっ!?」
ドアをいきなり開けたことで、覗き見していたクロエが、バランスを崩して部屋の中に転がり込んできた。
「い、たタ……! って、あ、アンタ! い、今、ボクは……!」
「……そんな腹の音を鳴らされたら寝覚めが悪い」
俺は、顔を真っ赤にして慌てるクロエを見下ろし、呆れたように言う。
そして、部屋の奥のテーブルを指差す。
「ついでに、俺の作った料理が冷める。……お前も、一緒に食べるか?」
「え……?」
クロエは、俺の言葉が信じられない、という顔できょとんとする。
部屋に充満する、さっきまで彼女を拷問していた「匂い」の本体。
それが盛られた丼が、テーブルに二つ並んでいる。
「あ……う……」
彼女は、自分のプライドと、本能的な食欲と、俺への警戒心(もうほとんど無いが)の間で、激しく葛藤している。
「……い、居候……じゃなくて!」
彼女が、苦し紛れに叫んだ。
「ど、毒見だ! そう、ボクはアンタが怪しいから、毒見をしてやるだけだ! 感謝しろよな!」
(はいはい、ツンデレ乙)
俺は、そんな彼女の精一杯の強がりをスルーし、先に席につく。
「ほら、『森の恵みと猪肉の和風ステーキ丼』。熱いうちに食えよ」
「す、すてーき……どんぶり……?」
聞いたこともない単語に首をかしげながらも、クロエは、恐る恐る、しかし本能には逆らえず、もう一つの丼の前に座る。
渡された箸を、ぎこちなく握りしめる。
目の前にある、神々の食べ物(のように見える)。
真っ白で、艶々した『米』。
その上で、黒いソースを滴らせ、湯気を立てる『肉』。
(……ゴクリ)
彼女は、意を決して、肉と米を一緒に大きく口に放り込んだ。
「(!?)」
瞬間。
クロエの大きな瞳が、これ以上ないというほど見開かれる。
(な……なに、これ……!)
(肉が……柔らかい!? あの、どんなに煮込んでも硬いままだった猪の肉が、噛んだ瞬間、歯が要らないくらい、溶けた……!?)
(そして、この味……! しょっぱいのに、甘い!? それが、この『米』っていう、甘い粒と絡み合って……! 旨味が、口の中で、爆発する……!)
クロエの思考は、完全に停止した。
ただ、本能が命じるままに、箸を動かす。
かきこむ。
かきこむ。
「(うまい、うまい、うまい、うまい……!)」
夢中で丼をかきこむ彼女の目から、いつの間にか大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていた。
「う、うまい……!」
「……ん? どうした?」
「(むぐ、もぐ)……なんだこれ……! こんな美味いもん、生まれて初めて食べた……! うっ……うぐっ……!」
(あーあー、泣き出したよ。まあ、分からんでもない。3周分の俺の集大成だしな、これ)
俺は、自分の分のステーキ丼を食べながら、呆れ半分、満足感半分で、号泣しながら丼飯をかきこむ美少女盗賊を眺める。
「ゆっくり食えよ。喉、詰まらせるぞ」
「(ずびっ)……はい……(もぐもぐ)」
温かい食事。
それは、どんな治癒魔法よりも、人の心を癒す力がある。
俺の(元・勇者としての)さりげない優しさ(のつもりは無いが)と、何よりこの圧倒的な『料理』の味が、仲間に裏切られ、追われ、誰も信じられなくなっていたクロエの心の傷を、ゆっくりと、しかし確実に溶かしていく。
「……(もぐもぐ)……温かい……」
「ん?」
「……ううん。なんでもない。……ごちそうさま!」
数分後。
一粒の米も残さず、顔を涙とソースでぐちゃぐちゃにしながらも、完璧に丼を平らげたクロエが、晴れやかな顔で手を合わせた。
(完食か。まあ、気に入ってもらえたなら何よりだ) 俺は、空になった丼を片付けようと席を立つ。
(さて。で、この後どうすんだ、こいつ。満足したら帰るよな……?)
そんな俺の甘い期待は、次の瞬間見事に打ち砕かれた。
「決めたぜ、ユート!」
「(嫌な予感しかしない)」
クロエは、テーブルをバン!と叩き、決意に満ちた(なぜかキラキラした)瞳で、俺を真っ直ぐに見つめて宣言した。
「ボク、やっぱりアンタの弟子になる!」
「いや、だから、俺はFランクだって……」
「うるさい! こんな美味いメシが作れるFランクがどこにいるんだ! 師匠は師匠だ!」
「(メシが理由かよ!)」
「追い出しても無駄だぜ! 師匠が根負けするまで、毎日このドアの前で寝てやるからな! ……あ、でも、晩御飯の時間だけは、中に入れてくれてもいいぜ!」
(ちゃっかりしてんなオイ!)
俺は、天井を仰いだ。
「俺の、静かで平穏なスローライフ計画は、どこに行ったんだろうな……」
俺の(4度目の)青春と、胃袋と、平穏を賭けた戦い。
その計画に、騒がしくて腹ペコで、おまけに(たぶん)純情な、最初のイレギュラーが確定した瞬間だった。




