湯上がりの夜風と、乙女の決意
「……はぁ。死ぬかと思った」
天然岩風呂から少し離れた洞窟内の開けたスペース。
俺、ユートは、そこに設営した休憩用の岩椅子にまるで燃え尽きた灰のように深く沈み込んでいた。
視線は虚空を彷徨い、口からは魂が抜け出そうなほど深い溜息が漏れている。
体はポカポカと温かい。
ガリアン大山脈の地下深くから湧き出るこの秘湯は確かに極上の泉質だった。
切り傷や打撲、そして旅の疲労を癒やす成分がたっぷりと含まれていることは俺の【万物鑑定】が保証しているし、実際に体の芯から軽くなった感覚がある。
だが。
肉体的な疲労回復と引き換えに、俺の精神力はゴリゴリと削り取られていた。
「(……なんだ、あの風呂は。地獄か。それとも天国か)」
瞼を閉じれば、先ほどの光景がフラッシュバックする。
お湯の中で絡みつくララの手足。
滑り込んできたクロエの柔らかな感触。
無防備に晒されたミミの豊満な果実。
そして、確信犯的に密着してきたアリアの艶めかしい肢体。
「(……刺激が、強すぎる)」
俺は、三度の転生を経験している。
魔王との死闘も、ドラゴンとの空中戦も、深淵の迷宮でのサバイバルもくぐり抜けてきた。
だが、裸の美少女四人に四方八方から迫られるというシチュエーションに対する耐性だけは、いつまで経ってもレベルが上がらない。
むしろ、彼女たちの魅力が増していくにつれ、俺の防御力は紙同然になっていく気がする。
「……ふぅ」
俺は、手元の木桶からキンキンに冷やした「フルーツ牛乳(異世界風)」を一口あおった。
風呂上がりの一杯。
本来なら至福の時間のはずだが、今の俺には火照った頭を冷やすための冷却水にしか思えなかった。
「……お待たせ、ユート」
岩陰から湯気を纏った四人の少女たちが戻ってきた。
俺は、極力冷静を装って顔を上げる。
だがその瞬間、俺の喉がゴクリと鳴った。
「…………っ」
そこには、破壊力抜群の光景が広がっていた。
先頭を歩くクロエは、濡れた赤髪をタオルで大雑把に拭きながら、湯着から普段着(の軽装版)に着替えていた。
だが、風呂上がり特有の血色の良さが、普段のボーイッシュな雰囲気を消し去り妙に色っぽい。
首筋に張り付いた髪の毛一筋ですら、なぜか目が離せなくなる。
「な、なんだよ。またジロジロ見て」
クロエは俺の視線に気づくと、タオルで顔を隠すように背けた。
だが、隠しきれない耳まで真っ赤に染まっているのが丸わかりだ。
その隣では、ララが虎耳をブルブルと振って水気を飛ばしていた。
「ぷはーっ!極楽だったにゃ!お兄ちゃん、お肌ツルツルだにゃ!」
ララは無邪気に俺の元へ駆け寄ってくる。
その肌は、湯上がり卵のように発光しており、健康的な弾力が視覚だけで伝わってくる。
彼女から漂う甘い石鹸の香りが、俺の鼻腔をくすぐった。
ミミは、まだ恥ずかしさが抜けないのか俯き加減で歩いてくる。
「……あ、あの、ユートさん……」
彼女は、まだ少し潤んだ瞳で上目遣いに俺を見た。
風呂での「タオル脱落事件」を思い出しているのだろう。
顔が湯気以上に赤い。
湯上がりでさらに柔らかさを増した雰囲気が、庇護欲を強烈に掻き立ててくる。
そして、アリア。
彼女だけはどこか勝ち誇ったような、艶然とした笑みを浮かべていた。
「騎士様。お待たせいたしましたわ。……ふふ、騎士様の視線が熱いですわね」
彼女はまだ少し濡れている金髪を優雅にかき上げ、わざとらしく俺の隣に腰を下ろした。
「湯冷めしてはいけませんもの。……温め合いますか?」
「(……お前な)」
俺は咳払いを一つして、全員に用意しておいたフルーツ牛乳を差し出した。
「ほら、水分補給だ。風呂上がりは脱水症状になりやすいからな」
「お!サンキュ!」
「甘くて冷たいにゃ!」
「いただきます、ぴょん」
「まあ、騎士様の手作り……愛の味ですわね」
四人はそれぞれグラスを受け取り喉を潤す。
「んぐ、んぐ……ぷはぁ!」
「おいしいにゃー!」
洞窟内に平和な音が響く。
とりあえず、カオスだった戦場の熱気は少しだけ落ち着いたように見えた。
だが。
それは、嵐の前の静けさに過ぎなかった。
「……ねえ、ユート」
最初に口火を切ったのはやはりクロエだった。
彼女はグラスの縁を指でなぞりながら、どこか拗ねたような声を出した。
「さっきの……その、風呂でのことだけどさ」
「ん?」
「あ、あれは!事故だからな!不可抗力だからな!」
クロエは急に早口になってまくし立てた。
「別に、ボクはユートに抱きつきたかったわけじゃなくて!足が滑っただけで!そ、その、変な勘違いすんなよな!」
「あ、ああ。分かってるよ。怪我がなくてよかった」
俺が努めて平静に答えると、クロエは「むぅ」と唇を尖らせた。
「……分かってんならいいけどさ。……でも」
「でも?」
「……ま、まあ、悪くは……なかった、けど」
最後の言葉は蚊の鳴くような声だった。
クロエは自分の唇をそっと指で触れ、チラリと俺を見てまたすぐに目を逸らした。
「ララは、事故じゃないにゃ!」
ララがクロエの言葉に被せるように割り込んできた。
彼女は俺の膝の上に身を乗り出し、真剣な瞳で俺を見つめる。
「ララは、お兄ちゃんとくっつきたかったんだにゃ!お湯の中、あったかくて気持ちよかったにゃ!」 「ら、ララ。近いです」
「やだにゃ!お兄ちゃんの匂い、落ち着くにゃ」
ララは俺の腕に頭を擦り付けてくる。
その純粋すぎる好意の直撃弾に俺の理性が悲鳴を上げる。
「あ、あの……!」
ミミも勇気を振り絞って声を上げた。
「わ、わたくし……その、タオルが落ちちゃって……は、恥ずかしかったですけど……」
彼女は顔を真っ赤にしながらも言葉を紡ぐ。
「でも……ユートさんがすぐに目を逸らしてくれたの……優しかったです、ぴょん。……その、嫌じゃなかったです」
(……ミミ、お前、それは反則だ)
「嫌じゃない」
という言葉の破壊力。
それはつまり受け入れているということではないか。
あの臆病だったミミが、ここまで大胆なことを言うようになるなんて。
俺がタジタジになっていると、アリアがグラスを置いてふふんと鼻を鳴らした。
「皆様、まだまだ甘いですわね」
彼女は余裕の笑みで三人を見渡した。
「騎士様はわたくしの『抱擁』に一番ドキドキしておられましたわ。あの時の心臓の鼓動……わたくしの胸にしっかりと伝わってきましたもの」
「なっ!?」
「嘘だにゃ!」
「そ、そんなこと……!」
アリアは俺の方を向きしなだれかかるように身を寄せた。
「ねえ、騎士様?わたくしの肌、どうでした?エルフの肌は、極上の絹のようだと、本には書いてありましたけれど」
「(……どこの本だよ)」
「否定なさいませんのね?やはり騎士様も男の方。わたくしの魅力には抗えないということですわね」
ピキッ。
空気が凍りついた音がした。
クロエの眉がつり上がる。
「……言わせておけば、このニワトリエルフ。調子に乗るなよ」
「そうですわよ、アリアさん!ユートさんは、困っていただけです!」
「そうだにゃ!お兄ちゃんはララのが一番よかったはずだにゃ!」
「あら?嫉妬ですの?見苦しいですわよ」
アリアは涼しい顔で煽る。
「わたくしは、ただ事実を述べたまで。騎士様との『混浴』という既成事実はもう覆りませんわ」
「既成事実……ッ!」
クロエがギリッと奥歯を噛み締めた。
その瞳にこれまでにない真剣な、いや、危険な光が宿る。
「(……負けてらんねえ。このままじゃ本当にこのぽっと出のエルフにユートを持ってかれる)」
クロエの中で何かが弾けた。
これまでは「仲間」とか「腐れ縁」とか、そんな言葉で誤魔化してきた感情。
だが、アリアという明確な「ライバル」が出現しあまつさえユートに対してあからさまなアプローチを仕掛けてくる今、そんな悠長なことは言っていられない。
「(……ボクだって。ボクだって、ユートのこと……!)」
クロエは俺をじっと見つめた。
その視線はいつもの相棒としての信頼だけではない。
もっと熱く、もっと独占欲に満ちた一人の「女性」としての視線だった。
ララもまた野生の勘で危機感を覚えていた。
「(むむむ……。お兄ちゃんを巡る戦い、激化してるにゃ。ララも、もっと『おんなのこ』として見てもらえるようにがんばらなきゃだにゃ!)」
彼女は自分の胸元を見て、それからアリアの胸元を見て悔しそうに唸った。
「(お肉……もっと食べて大きくするにゃ!)」
ミミは、アリアの言葉に動揺しつつも胸の奥で小さな炎が燃え上がるのを感じていた。
「(ユートさんは……わたくしを助けてくれた大切な方。誰にも……渡したくないです、ぴょん)」
彼女はぎゅっと杖を握りしめた。
「(お料理も、強さも、そして……女性としての魅力も。わたくし、負けません!)」
三人の少女たちの間に、バチバチと火花が散る。
それは、俺を巡る「聖戦」の狼煙だった。
アリアという起爆剤が投入されたことで、これまで絶妙なバランスで保たれていた関係性が音を立てて崩れそして再構築されようとしていた。
もちろん、「恋愛」という名の、もっと面倒でもっと激しい形へと。
「…………」
俺はその中心で、居心地の悪さに身を縮こまらせていた。
(……なんでだ。なんで風呂上がりに、こんな修羅場みたいな空気になってるんだ)
俺は助けを求めるように、洞窟の天井の裂け目から見える夜空を見上げた。
満月が静かに俺たちを見下ろしている。
「(……俺のスローライフ、遠くないか?)」
心の中で俺は盛大に呟いた。
風呂に入って、美味いものを食べて、ゆっくり寝る。
ただそれだけのことが、なぜこうも難易度が高いのか。
魔王を倒す方が、よっぽど手順が明確で楽だったかもしれない。
「さて、騎士様」
アリアが俺の顔を覗き込んで妖しく微笑んだ。
「夜は、まだこれからですわ。……今夜はどなたのテントでお休みになりますか?」
「「「ッ!?」」」」
全員の視線が俺に集中する。
まるで、獲物を狙う肉食獣のような目だ。
「(……テントは、一人用だ!俺は一人で寝る!)」
俺は心の中で叫んだが、口に出せば火に油を注ぐことは明白だった。
「あー……俺は、ここで夜風に当たりながら夜番をするよ。みんなは先に寝てくれ」
「えー!ずるいにゃ!」
「じゃあ、ボクも夜番する!」
「わたくしもです!」
「騎士様がお起きなら、わたくしも付き合いますわ!」
「だから、寝ろって言ってるだろおおおおおお!」
俺の絶叫がまたしても洞窟に響き渡る。
風呂上がりの心地よい疲労感はどこへやら。
俺の四度目の人生は、どうやら「平穏」とは程遠い美少女たちとの騒がしくも愛おしい「戦い」の日々になりそうだった。
夜風が少しだけ涼しく感じられた。
だが、俺の周りの温度は当分下がりそうになかった。




