湯けむりの中の乙女たち
「……こ、これが……温泉……?」
「お風呂……おっきな、お風呂だにゃ……」
「温かい……です、ぴょん……」
「まあ……!精霊たちの言っていた『ご褒美』とは、このことですのね……!」
ガリアン大山脈の地下洞窟。
激戦の末に発見したその場所は、まさに地上の楽園と呼ぶに相応しい光景だった。
ゴツゴツとした岩肌に囲まれた窪地には、乳白色のお湯がなみなみと湛えられている。
水面からは幻想的な白い湯気がもうもうと立ち昇り、硫黄の香りが戦いで疲弊した俺たちの鼻腔をくすぐる。
俺、相川悠人ことユートは、その光景を前にして内心で天を仰いでガッツポーズを決めていた。
(よっしゃああああああ!温泉だ!正真正銘の、天然掛け流し温泉だ!)
三度の転生を経て四度目の人生。
過去のループでは、魔王討伐というブラック労働に追われゆっくりと湯に浸かる暇などなかった。
あったとしても野営の冷たい水浴びか、宿屋の狭いタライが関の山。
だが、今は違う。
俺は自由な冒険者であり、スローライフを満喫する権利がある。
(しかも、効能ありそうな乳白色の濁り湯!切り傷、疲労回復、美肌効果!今の俺たちに、これ以上ないご褒美じゃないか!)
俺が一人で感動に打ち震えていると。
「あー!もう我慢できねえ!入るぞ!」
クロエが叫んだ。
「ララもだにゃ!泥んこベタベタは嫌だにゃ!」
ララが泥だらけの服を引っ張り始める。
「わ、わたくしも……早くサッパリしたいです、ぴょん……」
ミミが恥じらいながらも帯に手をかける。
「騎士様!共に!共に愛の泉へ!」
アリアに至っては既にボタンを二つほど外している。
彼女たちは、戦いの汚れと汗を一刻も早く落としたい一心で俺の目の前だというのに無防備にも服を脱ぎ捨てようとしていた。
「待て、待て待て待て!」
俺は慌てて両手を広げて静止した。
「お前ら、ちょっとは恥じらいってモンがないのか!俺、男だぞ!?」
クロエがキョトンとした顔で手を止める。
「は?何言ってんだユート。今更だろ。風呂敷一枚の即席風呂にも一緒に入った仲じゃねーか」
「あれはブルーシートだし、水着代わりの服着てただろ!ここは本格的な温泉だぞ!?」
「だから、脱ぐんだろ?」
「理屈は合ってるけど、順序ってもんがある!」
ララが首を傾げる。
「お兄ちゃん、見たいのかにゃ?ララ、減るもんじゃないからいいにゃよ?」
「良くない!俺の理性が減る!」
「……騎士様。焦らしプレイですのね?」
「アリア、お前は黙ってろ」
俺は大きく息を吐いて頭を切り替えた。
このまま野生児のようにドボドボと岩風呂に浸かるのも、ワイルドで悪くはない。
だが俺が求めているのは「スローライフ」であり、「文化的な休養」だ。
それに泥だらけの体でそのまま湯船に入るのは、温泉マナー的にもNGだ。
何より、年頃の娘たちが裸でキャッキャとはしゃぐ姿を直視するには俺の心臓はまだ鍛え方が足りない。
「いいか、みんな。温泉ってのは、ただお湯に浸かればいいってもんじゃない。作法と準備があってこそ、最高の癒しになるんだ」
「さほう?」
「準備?」
俺はニヤリと笑った。
「任せておけ。今からここを極上の『スパリゾート』に変えてやる」
俺は【無限収納】を発動させた。
亜空間から取り出したのは、アークライトの街で作らせておいた、特注の木材と布そして数々のバスグッズだ。
「まずは、脱衣所だ!」
俺は手際よく木の枠組みを組み立て、厚手の布を張って洞窟の一角に即席の「更衣室」を作り上げた。
「おおー!すげえ!」
「これなら、着替えが見えないにゃ!」
「次に、洗い場!」
岩風呂の手前、平らな岩場に木製の桶と椅子を五つ並べる。
そして、俺が夜なべして錬金術で精製した特製のボトルを置く。
「これは……?」
アリアが興味津々でボトルを手に取る。
「『シャンプー』と『ボディソープ』だ。森のハーブと花の蜜を配合してある。泥汚れも一発で落ちるし髪もサラサラになるぞ」
「(髪が……サラサラに……!)」
女子たちの目が一斉に輝いた。
「そして、これだ」
俺は最後に、清潔な純白の布地を全員に手渡した。
「……ユートさん、これは?」
ミミが不思議そうに布を広げる。
それはタオルよりも厚手で、体をすっぽりと覆えるような筒状の布だった。
「『湯着』だ」
「ゆぎ?」
「ああ。混浴……つまり、男女が一緒に入る時に着る専用の服だ。これを着れば恥ずかしくないだろ?」
俺の言葉に四人が顔を見合わせる。
「……ユート。お前、どんだけ準備がいいんだよ」
クロエが呆れたように、しかし嬉しそうに笑う。
「へへへ!これなら安心だにゃ!」
ララが布を体に当ててみる。
「ありがとうございます、ぴょん!これなら……ユートさんと一緒でも……」
ミミが頬を染める。
「湯着……。騎士様との、初夜の衣装ですわね!」
アリア、違う。それは違う。
「よし!準備完了だ!」
俺は腰に手を当てて宣言した。
「さあ、慌てずに。まずは『掛け湯』をして、体の汚れをしっかり落としてから入るんだぞ。いきなり湯船に入ると血圧が上がって倒れるからな」
「はーい!」
「じゃあ、俺はあっちの岩陰で待ってるから、みんなはそこの洗い場でしっかり洗ってこい。洗い終わって湯着を着たら呼んでくれ」
「分かった!行くぞ、みんな!」
「一番乗りはララだにゃ!」
四人の美少女たちは賑やかに脱衣所へと消えていった。
俺はそれを見届けてから、少し離れた岩陰――便宜上の「男湯エリア」へと移動し岩に腰掛けた。
「ふぅ……」
洞窟内に、ちゃぷちゃぷという水の音と乙女たちの楽しげな声が響き始める。
(……やれやれ。保護者ってのは楽じゃないな)
俺は手ぬぐいで自分の顔を扇ぎながら、天井を見上げた。
だが、すぐに気づいた。
洞窟は音がよく反響する。
つまり。
彼女たちの会話や水を浴びる音が、俺の居る場所まで丸聞こえなのだ。
「わぁ!なにこれ!泡がいっぱい出る!」
クロエの驚く声。
「すごいにゃ!いい匂いがするにゃ!お花の匂いだにゃ!」
ララのはしゃぐ声。
「あ、ララちゃん!こすりすぎです!優しく、こう……泡で包むように……」
ミミのお母さんのような声。
「まあ……!このとろりとした液体……まるで、騎士様の愛液のようですわ……」
「ブッ!!!」
俺は何もないところで盛大に噴き出した。
「アリア!お前、表現!表現を考えろ!」
俺のツッコミは、岩壁に虚しく吸い込まれる。
「あ、アリアさん!それ、髪につけるやつです!体じゃないです!」
「あら、そうですの?でも、全身から騎士様の好みの匂いがすればきっと今夜は……」
「そういう作戦かよ!じゃあ、ボクも貸せ!」
「ずるいにゃ!ララもいい匂いになるにゃ!」
「あわわ……みなさん、順番ですぴょん!」
(……楽しそうだな、おい)
俺は岩に背中を預け、苦笑した。
戦いの緊張感などどこへやら。
平和そのものだ。
「……ん?」
ふと、会話の内容が変わった。
「……しっかし、ミミはデカいな」
クロエの素朴な疑問のような声。
「ぴょ!?な、なにがですか!?」
「何がって、胸だよ、胸。この湯着、ミミだけサイズ違くないか?パツパツだぞ」
「そ、そんなことないです!ユートさんが選んでくれたサイズですし!」
「いや、どう見ても布が悲鳴上げてるにゃ。ララのと交換するかニャ?」
「い、いいです!これがいいんです!」
「ふふふ……。ミミさん、それは『武器』ですわよ」
アリアの妙に大人びた(中身は百五十歳だから当然か)声。
「騎士様のような殿方は、やはり包容力のある柔らかさに弱いですもの」
「ほ、包容力……?や、柔らかさ……?」
「そうですわ。この泡のように……優しく包み込んで差し上げるのです」
「……あ、泡……包む……」
(……おい、アリア。変なことを吹き込むな)
俺の額に冷や汗が流れる。
ミミが変な方向に覚醒したらどうするんだ。
「ちぇっ。ボクだって、これから成長するし」
「ララは筋肉があるから大丈夫だにゃ!カチカチだにゃ!」
「ララちゃん、女の子はフワフワの方がいいんですよ……?」
そんな、他愛のない(しかし俺にとっては心臓に悪い)ガールズトークを聞きながら俺は自分の体を洗い流す準備を始めた。
桶にお湯を汲み頭からかぶる。
「ぶはっ!」
熱めのお湯が冷えた体に染み渡る。
石鹸で、旅の垢と、返り血と、冷や汗を洗い流す。
(……ふう。サッパリした)
俺は、湯着(俺用のは腰巻きタイプだ)を身につけ準備を整えた。
まだ向こうからは「上がったよ」の声はかからない。
長風呂だな。
まあ、女子の風呂は長いものだと相場が決まっている。
俺は、先に湯船の端っこで足だけ浸かって待つことにした。
ちゃぽん。
足先から伝わる極上の熱。
「……あー。生き返る」
思わずおっさんのような声が漏れる。
硫黄の香りと、立ち込める湯気。
洞窟の天井には、発光する苔が星空のように瞬いている。
(最高だ。これだよ、俺が求めていたのは)
魔王?世界平和? 知ったことか。
俺は今、この瞬間のために生きていると言っても過言ではない。
そうやって、俺が一人、至福の時を噛み締めていると。
「……お、お待たせ……ユート」
湯気の向こうから声がした。
俺はゆっくりと振り返った。
そこには、湯着を身にまとい濡れた髪をかき上げた四人の天女……いや、仲間たちが立っていた。
「…………おお」
俺は思わず感嘆の声を漏らした。
先頭に立つクロエは、白い湯着が健康的な肌に張り付き、普段のボーイッシュな服とは違うしなやかな体のラインが露わになっている。
濡れた赤髪が、首筋に絡みついているのが妙に色っぽい。
「……な、なんだよ。ジロジロ見んな」
顔を真っ赤にしてタオルで胸元を隠している。
その隣、ララは元気いっぱいに手を振っている。
「お兄ちゃん!見て見て!ピカピカだにゃ!」
彼女の湯着は、活動的な彼女らしく少し短めにアレンジされているのか引き締まった太ももが眩しい。 虎の耳も尻尾もお湯でしっとりと濡れそぼり、普段の野生児っぽさが鳴りを潜めどこか儚げに見えるから不思議だ。
そしてミミ。
彼女は、クロエの言っていた通りだった。
俺が見繕った湯着は決して小さくはないはずなのだが、彼女の豊かな双丘が、布地を内側から押し上げ谷間を形成している。
「うぅ……。や、やっぱり、恥ずかしいです、ぴょん……」
彼女は両腕で体を隠すように縮こまっているが、その仕草が余計に強調してしまっていることに本人は気づいていない。
最後にアリア。
彼女だけは堂々としていた。
長い金髪を頭の上でまとめうなじを大胆に見せている。
湯着の着こなしもなぜか一人だけドレスのように優雅だ。
「騎士様。お待たせいたしました。……洗い立ての、わたくしたちですわ」
彼女は流し目を送りながら、艶然と微笑んだ。
(……破壊力が、高すぎる)
俺はのぼせてもいないのに頭がクラクラするのを感じた。
ここは楽園か。
それとも、理性を試される地獄か。
「……あ、ああ。みんな、さっぱりしたみたいだな」
俺は平静を装って(声が裏返らないように必死で)答えた。
「さあ、入ってこいよ。お湯加減最高だぞ」
「わーい!一番乗り!」
ララがドボンと音を立てて飛び込んでくる。
「きゃっ!ララちゃん、静かに!」
ミミが慌てて続く。
「まったく……。お邪魔するぜ、ユート」
クロエが恐る恐る足を入れる。
「失礼いたしますわ、騎士様」
アリアが、雅に滑り込んでくる。
四人の美少女が俺の周りを取り囲むように、乳白色のお湯に浸かった。
ちゃぷん、ちゃぷんとお湯が揺れそれぞれの位置に落ち着く。
「はぁ〜……」
「にゃあ〜……」
「極楽です、ぴょん……」
「素晴らしいですわ……」
全員からとろけるようなため息が漏れた。
俺は岩にもたれかかりながら、湯気越しに彼女たちの顔を見渡した。
みんな頬をピンク色に染め、うっとりと目を閉じている。
戦いの疲れも、恐怖も、全てお湯に溶けて消えていくようだ。
「……いい湯だな」
俺が呟くと、クロエが目を開けてふふっと笑った。
「ああ。最高だ。……ありがとな、ユート。こんな場所、作ってくれて」
「お兄ちゃん、大好きだにゃ!」
ララがお湯の中で俺の足にじゃれついてくる。
「ユートさん……本当に魔法使いみたいです」
ミミが尊敬の眼差し(と、潤んだ瞳)を向けてくる。
「騎士様との混浴……。この事実は、わたくしの『恋の冒険記』の記念すべき第一ページに刻まれますわ」
アリアが何か手帳のようなもの(心のメモか?)に書き込む仕草をしている。
俺は苦笑しながら、深く息を吐いた。
「……まあ、たまにはこういうのも悪くないか」
湯けむりの向こう、四人の笑顔と温かいお湯。
俺のスローライフ計画は、相変わらず騒がしくて予定調和にはいかないけれど。
この温もりだけは、何物にも代えがたい本物の宝物だとそう思えた。
「さーて!体も温まったし!ユート、背中流してやろうか?」
「えっ!ク、クロエさんがやるなら、わたくしも!」
「ララも!ララもやるにゃ!」
「わたくしは、前を流しますわ!」
「待て待て待て!落ち着け!湯船で暴れるな!」
……まあ、静かな時間は五分と持たなかったわけだが。
洞窟の秘湯には俺たちの賑やかな声が、いつまでも、いつまでも響き渡っていた。




