峠の惨劇と、奪われた仲間
ガリアン大山脈の旅も半ばを過ぎた頃。
俺たちの連携は、あの巨岩熊との戦いを経てさらに洗練されていた。
食事班、食材収集班、それぞれの役割も板につき、過酷なはずの山越えはまるで少しスリル満点なハイキングのような様相を呈していた。
「(……よし。今日の昼は、昨日の残りの鹿肉を使ったサンドイッチでいいか)」
俺が歩きながら【並列思考】で昼食の献立を考えていたその時だった。
ザザッ!
先行して斥候に出ていたクロエが、いつになく切羽詰まった様子で崖の上から舞い戻ってきた。
その顔色は青ざめ息が上がっている。
「ユート!大変だ!」
「どうした、クロエ。魔物の群れか?」
「違う!人だ!……人が、大勢倒れてる!」
「なんだと?」
俺の目の色が、瞬時に冒険者モードから、元・勇者のそれへと切り替わる。 「場所は」 「こっちだ!すぐそこの、風の谷を抜けた先!」
俺たちはクロエの先導で急行した。
岩陰を回り込み開けた街道――といっても、岩だらけの山道だが――に出た瞬間、鼻をつく異臭に顔をしかめた。
「くっ……なんだ、この匂いは」
「腐った卵みたいな……変な匂いだにゃ」
ララが鼻を押さえる。
そこにあったのは無残に破壊された商隊の残骸だった。
荷車は横倒しになり積み荷が散乱している。
そしてその周囲には、護衛の冒険者や商人と思しき人々が数名倒れ伏していた。
だが、ただの襲撃ではない。
彼らの体は不気味な「紫色の煙」に包まれ、苦しげに呻き声を上げているのだ。
「あ……あぐ……助け……」
「……息が……でき……」
その光景を見た瞬間、俺の隣でアリアが悲鳴のような声を上げた。
「……この匂い!」
彼女はガタガタと震えながら口元を手で覆う。
「間違いありませんわ!里で感じた……あの『南西の不吉な気配』と、同じ匂いです!」
「なに?」
「大地を腐らせ、精霊たちを悲しませる……『病』の匂いですわ!」
俺は即座に状況を分析する。
(……毒か。いや、これは『瘴気』だ。それもかなり濃度の高い)
「ミミ!不用意に近づくな!全員、口と鼻を布で覆え!」
「は、はいですぴょん!」
俺たちが警戒態勢を取ったその時。
紫色の煙の奥から、くつくつという不快な笑い声が響いてきた。
「ヒヒヒ……。また獲物がかかったか」
「今日は豊作だなァ。この峠に『祭壇』を築いたのは正解だった」
煙の中から姿を現したのは、ボロボロの、しかし何処か儀式的な装飾が施されたローブを纏った数人の男たちだった。
顔は見えないが、その体からは倒れている人々を蝕んでいるのと同じドス黒い魔力が立ち昇っている。 手には血に濡れた短剣や歪な形をした杖が握られている。
明らかにただの山賊ではない。
「……貴様ら、何者だ」
俺が低く問いかけると、リーダー格と思しき一際大きな杖を持った男が嘲るように答えた。
「何者、か。知れたこと。我らは『深淵の苗床』に仕える庭師。ここを通る愚かな人間どもの命を糧に、偉大なる『瘴気の王』への供物を捧げているのだよ」
(……苗床、だと?)
俺の眉がピクリと動く。
(また、面倒なカルト集団か。ミミの故郷の手がかりを探す道中でとんだ邪魔が入ったな)
「供物だァ?ふざけんじゃねえ!」
クロエが激昂し短剣を抜く。
「あいつらをあんな目に合わせやがって!許さねえぞ!」
「ララも怒ったにゃ!お前らなんか、ぶっ飛ばすにゃ!」
ララも闘気をみなぎらせ、即座に突撃体勢に入る。
「待て!二人とも!」
俺が止めるより早く、怒りに燃えるララとクロエが飛び出した。
「おらあ!」
「疾風の如く!」
だが。
二人が男たちの周囲に漂う濃い紫色の煙の領域に踏み込んだ瞬間。
「ガハッ!?」
「う、ぐぅ……!?」
二人の動きが急激に鈍った。
まるで泥沼の中でもがくように、足がもつれその場に膝をつく。
「体が……重い……にゃ……」
「息が……力が入らねえ……」
「ヒャハハ!馬鹿な鼠どもめ!この『紫煙の結界』の中では、生ある者は等しく腐り落ちるのだ!」
リーダーが杖を振るうと、煙が蛇のようにうねり動けなくなった二人に襲いかかる。
「ララ!クロエ!」
ミミが叫ぶ。
(……チッ。状態異常エリアか。物理アタッカーには相性が最悪だな)
俺が魔法で介入しようと指を動かしかけた、その時。
「――風の精霊たちよ!その清き息吹で、淀んだ空気を吹き飛ばして!」
凛とした声が戦場に響き渡った。
アリアだ。
彼女は恐怖に震える足を懸命に踏ん張り両手を掲げていた。
「お願い!みんなを守って!」
ヒュオオオオオオオオオ! アリアの声に応えるようにつむじ風が発生し、ララとクロエの周囲にまとわりついていた紫色の煙を一気に吹き飛ばした。
「な、なにっ!?」
盗賊たちが驚きの声を上げる。
「けほっ、けほっ……!あ、ありがとう、アリア!」
「助かったにゃ!」
煙が晴れ、体の自由を取り戻した二人が慌ててバックステップで距離を取る。
「……ほう?」
リーダーの男が興味深そうにアリアを見つめた。
フードの奥でその目が爬虫類のように細められる。
「ただのエルフではないな。あの瘴気を一瞬で中和するとは……。そうか貴様、『精霊使い』か」
(……まずい)
俺は嫌な予感を覚えた。
精霊使いはこの時代では希少だ。
そしてカルト教団のような連中にとって、純粋な魔力を持つ精霊使いは格好の『生贄』となる。
「ヒヒヒ……!上玉だ!あの商人の娘たちとは比べ物にならん!」
リーダーが舌なめずりをするような声で叫ぶ。
「おい、野郎ども!あのエルフを捕らえろ!『瘴気の祭壇』のメインディッシュにしてやる!」
「させるかよ!」
クロエとララが再び前に出ようとするが、盗賊たちは一斉に煙幕を張り姿をくらます。
「どこだ!?」
「煙で見えないにゃ!」
「こっちだ、愚か者!」
声は、俺たちの背後――後衛にいるミミとアリアの方角から聞こえた。
「しまっ……!」
俺が振り返ると、地面の影から数人の盗賊が湧き出すように現れていた。
狙いはアリアではない。
一番無防備に見えるミミだ。
「ヒヒッ!まずはこの兎からだ!」
毒塗りの短剣がミミの喉元に迫る。
「ぴょん!?」
ミミは反応が遅れ防御結界が間に合わない。
「ミミちゃん!」
動いたのはアリアだった。
彼女はとっさにミミの前に飛び出しその身を盾にした。
「ぐっ……!」
アリアの肩を短剣が浅く切り裂く。
「アリアさん!」
「かかったな!」
リーダーの声が響く。
ミミを狙ったのは囮だった。
アリアが前に出た瞬間、地面に仕掛けられていた魔法陣がどす黒い光を放つ。
「拘束術式・展開!」
「きゃあああああっ!」
アリアの体から黒い鎖のような魔力が噴き出し、彼女の手足を瞬時に縛り上げた。
「き、騎士様!」
「アリア!」
俺が手を伸ばし【縮地】で一気に距離を詰める。
だが、あと一歩。
俺の指先がアリアの服にかかる直前、彼女の足元の空間が歪み黒い穴が開いた。
転移魔法だ。
「ヒハハハハ!極上の生贄、確かにいただいたぞ!」
「騎士様……お願い、ミミちゃんを……!」
アリアの悲痛な叫びと共に、彼女の姿は黒い穴の中へと吸い込まれ消えた。
後に残されたのは、リーダーの高笑いと再び静寂を取り戻した(しかし瘴気は残る)荒野だけだった。
「……ア、アリアさんが……」
ミミがへたり込む。
「わ、わたくしを庇って……」
「くそっ!逃げられた!」
クロエが地面を叩く。
「あいつら、どこに行きやがった!」
俺は、アリアが消えた虚空を表情を消して見つめていた。
(……転移の座標は、特定した)
(この山脈の地下。恐らく、奴らのアジトだ)
俺の中で、静かな、しかし灼熱のような怒りの炎が点火する。
三度の転生で俺が最も許せないこと。
それは俺の平穏を乱すことと――俺の仲間に手を出されることだ。
「……チッ」
俺は舌打ちを一つ。
その音は周囲の空気が凍りつくほどに冷たかった。
「俺の仲間に手を出すとか……いい度胸だ」
俺はミミの肩に手を置き震える彼女を落ち着かせると、ララとクロエに向かって短く告げた。
「行くぞ。……害虫駆除の時間だ」
俺たちの楽しいハイキングを邪魔し、あまつさえ俺の(食材ハンターとしても優秀な)仲間を連れ去った罪。
あの薄汚いローブの連中には、たっぷりと後悔させてやる必要がある。
俺は、【索敵】スキルを最大出力で展開し、瘴気の発生源である地下空洞へと殺気を隠すことなく歩き出した。




