精霊使いの初陣
ガリアン大山脈に入ってから数日が経過した。
俺たちはあの宣言通り、徹底した役割分担で過酷な(しかし快適な)旅を続けていた。
「ぴょん!ぴょん!」
俺の隣ではミミが小刀を使い、すごい勢いでジャガイモの皮を剥いている。
「ミミ、慌てるな。皮と実の間にある『宇宙』を感じろ。そこだ、そこが一番美味い層だ」
「は、はい!宇宙……感じます、ぴょん!」
(うん、だんだん俺の教えが染みてきたな)
俺とミミが『食事班』として、今日の野営準備(メインディッシュはジャガイモと岩鳥の煮込みだ)を進めていると、先行していた『食材収集班』の三人が騒がしく戻ってきた。
「おーい!ユート!ララが大物仕留めたぞ!」
クロエが肩に兎を三羽もぶら下げて口笛を吹いている。
その後ろから「えっへん!」と胸を張るララ。
その背中には、どう見ても鹿の成獣が丸ごと一頭担がれている。
「お兄ちゃん!これでお肉いっぱいだにゃ!」
「……ララ。お前それ、一人で狩ったのか?」
「にゃあ!一撃だにゃ!」
(拳聖、恐るべし……。完全にパーティーの主砲だ)
そして最後尾から、アリアが小さなカゴを大事そうに抱えてやってきた。
「騎士様!ご覧くださいまし!」
カゴの中には俺が千年前でも滅多に見なかった極上の『月光ダケ』と『陽光ベリー』がぎっしりと詰まっている。
「おお!月光ダケ!これはバターソテーにすると絶品……!陽光ベリーはソースに最適だ!」
「アリア、お前すごいな。どうやってこんな希少種ばかり……」
「ふふん。わたくしの耳にかかれば、『騎士様に早く召し上がってほしいですわ!』と叫んでいる可愛いキノコたちの声が……」
「(……うん。こいつの『耳』は、本物だ)」
「騎士様!今夜はこのわたくしが採ったキノコで愛のソテーを……」
「ああ、やるやる。ララの鹿肉のソースにも使おう」
「きゃっ!わたくしと、あの虎娘の、共同作業ですわね!」
「(なんでそうなる)」
役割分担は完璧に機能していた。
クロエの斥候能力、ララの圧倒的火力、アリアの異常な食材察知能力、そしてミミの(成長途上の)料理助手。
(……あれ?俺、いなくてもいいんじゃないか?いや、シェフ(俺)がいないと始まらないか)
俺が、この完璧なスローライフ・パーティーに満足していたその時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!
「「「「!?」」」」
突然足元から地響きのような振動が伝わってきた。
それと同時に、先行していたクロエが木の上から叫ぶ。
「ユート!下だ!谷の下から、何かデカいのが来るぞ!」
俺たちは崖っぷちから谷底を覗き込む。
「……グルルルルルル……!」
低い、腹に響く唸り声。
谷底の岩陰からゆっくりと姿を現したのは――
「……熊?」
ミミが小さく呟いた。
だがそのサイズは、俺たちが知る熊とは桁が違った。
体長は優に五メートルを超える。
そしてその毛皮は、まるでこの大山脈の岩肌そのものをそのまま身にまとったかのようにゴツゴツとした岩石で覆われていた。
俺の【万物鑑定】が、瞬時に警告を出す。
【巨岩熊】
【危険度:B+】
【特徴:非常に硬い岩石の毛皮で全身を覆う。並大抵の物理攻撃は無効化する。縄張り意識が極めて強い】
「(B+か。アークライトの騎士団なら一個小隊が全滅するレベルだな)」
「うわぁ……硬そうだにゃ」
ララが自分の拳をパチンと鳴らし、逆に目を輝かせている。
「クロエ!ララ!やるぞ!」
「おう!」
「任せるにゃ!」
クロエとララが即座に戦闘態勢に入る。
だが。
「ぎゃあああああああああああ!」
俺たちの誰よりも早く甲高い悲鳴が上がった。
「き、騎士様あああああ!」
アリアだ。
彼女はさっきまでの食材ハンターの面影はどこへやら、顔面蒼白になり腰を抜かしたようにその場にへたり込んだ。
そして這うようにして、俺の足元にしがみついてくる。
「騎士様!だ、ダメですわ!あんな岩のお化け!勝てませんわ!」
「(……おい。こいつ、戦闘はからっきしか)」
「アリア!邪魔だ!ユートから離れろ!」
「お前、戦えないのかにゃ!?」
クロエとララがアリアを睨みつける。
「だ、だって……わたくし、里では精霊とお話しするしか……!」
巨岩熊が俺たち(侵入者)を認識し、凄まじい咆哮を上げた。
「ガアアアアアアアアアア!」
「アリア」
俺は足元にしがみつくこの百五十歳の箱入り娘の頭を容赦なく掴んだ。
「ぴゃっ!?」
「お前ももう、俺のパーティーの一員だろ?」
俺はアリアの体をそのまま「盾」にするように俺の前に押し出した。
「いやあああああ!騎士様!?わたくしを『盾』に!?そ、そんな『愛』の形、本で読んだことありませんわ!」
(違う、そうじゃない)
「わ、わたくし、攻撃魔法なんて習っておりませんわ!無理です!死んでしまいます!」
アリアが涙目で必死に訴える。
巨岩熊が崖を登り始めた。
地響きが近づいてくる。
「慌てるな」
俺はパニック状態のアリアの耳元で冷静に告げた。
「攻撃じゃなくていい。お前の一番得意なことをやれ」
「と、得意なこと……?(き、騎士様と『恋』の駆け引きを……?)」
「違う。エルフの里で言ってたろ。『声を聞く』をやれ」
「え?」
「森の声を聞け」
「……!」
俺の言葉に、アリアはハッとした顔で目を見開いた。
「(……声……。騎士様は、わたくしの『耳』を……)」
アリアは震える手でぎゅっと目を閉じた。
巨岩熊はもうすぐそこまで迫っている。
「ララ、待て!アリアに合わせる!」
「むー!分かったにゃ!」
俺は突撃しようとするララを手で制した。
アリアが集中する。
「…………」
俺には聞こえない様々な声が彼女の耳に流れ込んでいるはずだ。
風の囁き。
岩の呻き。
そして目の前の巨岩熊の魂の叫び。
「(……聞こえます……聞こえますわ、騎士様!)」
アリアは、目を開けた!
その瞳にもう涙はなかった。
「風の精霊が申しております……!」
彼女は巨岩熊をまっすぐ指差した。
「――敵の右足、三秒後!足元のあの尖った岩につまずきます!」
「はあ?予言かよ!」
クロエが叫ぶ。
だが。
一秒。
巨岩熊が右足を振り上げる。
二秒。
狙いすましたかのように、その足をアリアが指差した岩場に振り下ろす。
三秒。
ゴシャアアアアアン!
「グギャアアアアア!?」
巨岩熊は、自分の全体重をかけた足が完璧な角度で岩の突起に激突し盛大にバランスを崩した。
あの巨体が、まるで子供のように崖の中腹ですってんころりんと転がったのだ。
「「「…………え?」」」
クロエ、ララ、ミミが固まった。
「……なるほどな」
俺だけがニヤリと笑っていた。
(千年前のエルロンも、これの劣化版みたいなことができた)
(こいつは、魔力で敵を攻撃するんじゃない。精霊と交信し、敵の行動、あるいは戦場の『未来』を予測する)
「(直接的な火力はゼロ。だが最高の『支援役』……いや、戦場の『制御役』か)」
俺は内心で確信した。
「(……こいつ、意外と優秀じゃないか)」
「(……い、今のは……?)」
アリア自身も自分の「予言」が的中したことに呆然としている。
「す、すごーい!アリア、今の魔法かニャ!?」
「ぐ、偶然だろ、あんなの!」
クロエが、まだ信じられないという顔で叫ぶ。
「いや」
俺は崖下に転がり落ち怒り狂って再び登り始めようとする巨岩熊を見据えアリアに告げた。
「偶然じゃない。……続けろ、アリア!お前の『声』で、あの熊を俺たちの掌の上で踊らせてやれ!」 「は、はい!騎士様!」
アリアのジョブ『精霊使い』。
その真価が問われる戦いが、今始まった。
(そして、これは、最高の連携訓練になりそうだ)
俺はこれから始まる「一方的な蹂躙」を想像し、口の端が吊り上がるのを止められなかった。




