秘めた想いと、旅立ちの朝
エルフの里を揺るがした俺の「出張町中華」の宴は、夜が更けても終わる気配を見せなかった。
広場では初めて味わう「ラーメン」「餃子」「チャーハン」という名の「神の食べ物」に、理性を破壊されたエルフたちが泣きながら、あるいは踊りながらまだ空の丼を掲げている。
「友様!友様!このスープは!このスープこそが、我らエルフが千年求めていた『精霊の答え』ですぞ!」
「エルロン、お前さっきから五杯目だぞ。いい加減にしないと明日の朝顔がパンパンになるぞ」
「構いませぬ!この『幸福』に比べれば顔のむくみなど!」
(……ダメだこりゃ。大長老が一番キマってる)
「お兄ちゃん!この『ぎょうざ』っての、ララ百個いけるにゃ!」
「ララ、お前も食べ過ぎだ。ほら口の周りタレだらけ」
「あ、あの、ユートさん……わたくし、『ちゃーはん』の、あの卵とご飯の……作り方教えてほしいです、ぴょん」
「ユート!ボクはあの『わんたん』!あの皮どうなってんだ!?」
「騎士様!わたくしは、あの『なると』というピンクの渦巻きに宇宙の真理を見ましたわ!」
(……はいはい。もう知らん)
俺は完全にカオスと化した宴会場(広場)をこっそり抜け出し、今夜の宿としてあてがわれたアリアの実家――長老の家の一番広いテラスへと避難した。
「はあ……疲れた」
眼下にはまだ熱狂の渦が広がっている。
月明かりが木々の葉を縫ってテラスを淡く照らしていた。
森の夜風が火照った体に心地いい。
(……情報も手に入ったし、ミミも嬉しそうだったし。結果オーライか)
俺はテラスの長椅子に深く腰掛け大きく伸びをした。
千年前も、こうやってエルロンの起こした騒動の後始末をした後一人で月を眺めていた気がする。
(変わってねえな、俺も、あいつも)
「……あの」
静寂を破り、背後から遠慮がちな、しかし透き通った声がした。
振り返るとそこに立っていたのは――
「アリア?」
俺は思わず目を疑った。
さっきまで宴の喧騒の中で目を輝かせていたエルフの少女とは、まるで別人がそこにいたからだ。
彼女はあの泥だらけだった緑の服ではなく、薄い月の光をそのまま編み込んだような、繊細な生地の寝間着――ネグリジェと呼ぶのが相応しい姿をしていた。
肩も鎖骨も、惜しげもなく晒されている。
生地は、彼女の華奢なしかし女性らしい体のラインを柔らかく包み込んでいる。
月の逆光が、そのシルエットを……ほのかに透かせていた。
「うおっ……」
俺は、三度の転生で鍛え抜いたポーカーフェイスが崩れそうになるのを必死でこらえた。
(……エルフの寝間着ってこんな破壊力高かったのか……!)
普段の元気で暴走気味な「恋する乙女」の姿とのギャップが凄まじい。
百五十歳(見た目十五歳)の無防備な色香が夜の静けさの中でやけに鮮烈だった。
アリアは俺の視線に気づいたのか、頬をわずかに赤らめもじもじと自分の足元を見ている。
「……き、騎士様も眠れないのですか?」
「あ、ああ。まあ、少し夜風に当たろうと……。アリアこそどうしたんだ?もう休んだんじゃ」
「わたくしも……その、少し頭を冷やそうと……思いまして」
(ラーメンで火照った頭、か?)
アリアはおずおずと、俺が座る長椅子の一番端にちょこんと腰掛けた。
俺との間には、まだ人が二人分は座れそうな距離がある。
(……さっきまで、ゼロ距離で腕に絡みついてきたのが嘘みたいだ)
「……今日のラーメン、美味しかったか?」
沈黙が気まずくて俺は当たり障りのない質問を投げた。
アリアはこくりと頷く。
「はい。……夢のようでした。あんなに熱くて、あんなに複雑で、あんなに……心が満たされる食べ物は、初めてでした」
「はは。そりゃ、よかった。レシピ置いていくから今度はお前が作ってみろよ」
「!はい!」
アリアは嬉しそうに顔を上げた。
だが、すぐにその表情が曇る。
「……あの。騎士様」
「ん?」
「……『うん』」
「……え?」
「『うん』……じゃなくて!」
アリアは、何かを決意したように、俺の方へ向き直った。
その翡翠色の瞳が、月の光を受けて、真剣な色を帯びている。
「わたくしが、里を飛び出して旅に出たいと思った理由……」
「……ああ。『恋』を見つけるためだったか」
俺がそう言うと、アリアは顔を真っ赤にして首をぶんぶんと横に振った。
「そ、それも!それも、本当です!本当ですけど!」
「けど?」
「……もうひとつ、大事な理由が、あるのです」
(……ほう)
俺は内心で少し驚いた。
ただの「恋愛脳」で暴走している世間知らずの箱入り娘。
そう思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。
「……聞かせてもらおうか」
俺が促すと、アリアは自分の膝の上でネグリジェの裾をぎゅっと握りしめた。
「……わたくしは、昔から……他のエルフたちよりも、少しだけ『声』がよく聞こえるのです」
「声?」
「……森の、精霊たちの声です」
(……精霊の声。エルロンの奴言ってたな。アリアは自分よりも才能がある、と)
「普通のエルフは、精霊の『気配』や『意思』をぼんやりと感じるだけです。でもわたくしは……はっきりと『言葉』として聞こえてしまうのです」
アリアは苦しそうに眉をひそめた。
「森が喜んでいる声も、風が歌う声も……でも、それだけじゃなくて」
「……」
「最近、ずっと……森の精霊たちが怯えているのです」
「怯えてる?」
「はい。『南西』から……とても不穏な気配がする、と。何かが大地を『病ませて』いる……何かがこの世界を『歪めて』いる、と……」
南西。
その言葉に俺はピクリと反応した。
(……南西。エルロンが言っていた、ミミの故郷があるという『ガリアン大山脈』の方向か)
アリアは続けた。
「わたくし、長老様(お父様)にも何度も訴えました。でも、長老様は『お前の気のせいだ』『森は平和だ』と……取り合ってはくれませんでした」
(……エルロンめ。知っていて隠してるな。あいつ千年経っても面倒事を抱え込む癖は治ってないらしい)
アリアは俺の目をまっすぐに見つめた。
「わたくしは、確かめないといけないと思ったのです。この『声』が本当にわたくしの気のせいなのか。それとも本当に、森(世界)が危ないのか」
「……」
「そんな時、騎士様たちが現れた。……そして『南西』にある獣人族の国へ向かう、と」
俺はアリアの覚悟をその瞳から感じ取った。
「恋に恋する」という無邪気な(そして、いかにも子供っぽい)理由。
それは彼女の「本当の理由」を隠すための精一杯の「嘘」であり……そして彼女自身を守るための「鎧」だったのかもしれない。
「……だからわたくしは、貴方様たちについて行きたいのです。いえ、行かなくてはならないのです。『恋』のためだけではありません。わたくしの……わたくしの『耳』がそこへ行けと叫んでいるからです!」
真剣な告白。
夜の静けさが彼女の言葉の重みを際立たせる。
(……やれやれ。とんでもない『爆弾』を、また一つ、抱え込むことになりそうだ) 「病」と「歪み」。千年前、俺が戦った「魔王」とは、また質の違う、嫌な響きだ。
俺は大きく息を吐いた。
「……分かった。事情は理解した」
「!騎士様!」
「その代わり、言っておくが」
俺はアリアの瞳を、今度は俺がまっすぐに見つめ返した。
「俺たちの旅は、お前が本で読んだような甘っちょろい『ロマンス叙事詩』じゃない。現実はもっと泥臭くて面倒で……危険だ。覚悟はあるか?」
俺の問いに、アリアは一瞬たりとも怯まなかった。 「……はい!」 彼女は力強く頷いた。
「騎士様と……貴方様たちと一緒ならば!」
その答えに、俺は思わず苦笑いが漏れた。
(……参ったな。こんな顔をされたら断れないじゃないか)
「……ふう」
俺は長椅子から立ち上がった。
「話は終わりだ。もう遅い。お前も部屋に戻れ。明日も早いぞ」
「あ……はい!」
アリアも慌てたように立ち上がる。
その表情は先ほどの真剣さから一転し、どこかほっとしたように和らいでいた。
俺はアリアに背を向け自分の部屋に戻ろうとした。
「……騎士様!」
「ん?」
俺が振り返ると。 アリアは、いつの間にか俺のすぐ目の前に立っていた。 頬をさっきのラーメンを食べた時よりも真っ赤に染めて。
「……その。さっきの理由も本当ですが……」
「……」
「……でも、『恋』をしたのも……本当ですから」
「え?」
俺が聞き返す間もなかった。
ちゅ。
俺の頬に彼女の唇が、柔らかく、そして少しだけ震えながら触れた。
森の香りと彼女の甘い匂い。
ラーメンの宴の熱気とは違う、もっと個人的な熱が俺の頬に伝わる。
「なっ……!」
アリアは俺の頬にもう一度、今度は自分の額をこつんと当ててきた。
「……うふっ」
吐息がかかる。
「おやすみなさいませ、わたくしの……『騎士様』」
彼女はそう言うと、俺が反応するよりも早くぱっと身を翻し真っ赤な顔のままテラスから部屋の中へと逃げるように走り去ってしまった。
「…………」
俺は一人、テラスに残された。
頬に残る柔らかい感触と熱。
夜風が、やけに生暖かく感じる。
(……おい)
俺は自分の頬にそっと触れた。
(……アークライトの門前でのコネットさんといい……)
(……俺の頬キスされすぎじゃないか?)
三度の転生で魔王は三体倒したが、こんな甘酸っぱい奇襲攻撃は一度も経験したことがない。
(……スローライフ、恐るべし)
俺はその夜、なんだかなかなか寝付けなかった。
***
翌朝。
エルフの里は、昨夜の「町中華ショック」からまだ覚めやらぬ興奮に包まれていた。
俺たちが広場に行くと、すでに大勢のエルフたちが集まり別れを惜しむ(というより、ラーメンのレシピを欲しがる)視線を俺に送ってくる。
「友様!本当にもう、行かれてしまうのですか!」
エルロンが、すっかり「鼻垂れ」に戻った顔で俺の袖にすがりついてくる。
「ああ。情報のおかげで目的地がはっきりしたからな」
「そ、そんな!せめて、あと百年!百年ほど滞在してわたくしにあの『出汁』の極意を……!」
「百年もいるか!それよりエルロン」
俺は広場の隅で、昨夜のレシピを必死で暗記しているエルフの料理人たちを指差した。
「レシピは渡した」
「は、はい!」
シェフ(エルフ)が緊張した面持ちで直立不動になる。
「いいか。ラーメンはスープが命だが、それだけじゃダメだ。麺との調和、具材との一体感、そして何より『食わせたい』っていう『心』だ」
「こ、心……!」
「次に俺がこの里に立ち寄る時までに、客(俺)を唸らせるような美味いラーメン、作れるようになっておけよ!」
「は、はい!師匠!」
(いつの間に師匠になったんだ)
俺はエルフたちに「じゃあな」と手を振ると仲間たちに向き直った。
「さて、行くか」
「おう!」
「はいですぴょん!」
「にゃあ!」
三人が元気よく頷く。
「……あの、騎士様」
アリアがすっかり旅支度を整えた姿で俺の隣に並んだ。 その顔は昨夜のことは何もなかったかのように清々しい笑顔だ。(……ただし、俺の右腕に、また腕を組もうとして、クロエとララの『絶対零度の視線』に阻まれて失敗していたが)
「アリアもよろしく頼むぜ」
クロエが、アリアを牽制するようにわざと俺の左腕に腕を組む。
「なっ!ずるいですわ!」
「お兄ちゃんの背中はララのだにゃ!」
ララが俺の背中に飛び乗ろうとする。
「ぴょん!わたくしは荷物を持ちます!」
ミミが慌てて俺の荷物を持とうとする。
(……ああ。また、始まった)
俺は、朝から始まった美少女たちの陣取り合戦に深いため息をついた。
「友様!どうか、ご無事で!」
エルロンと里のエルフたちが盛大に手を振っている。
「ミミの故郷の情報、確かに受け取った!借り(ラーメン)は必ず返す!」
俺は騒がしい仲間たち(という名の、くっつき虫四匹)を引き連れ、南西へと続く新たな旅路へと足を踏み出した。
俺の静かなスローライフは、今日も賑やかすぎる仲間たちと共に続いていく。




