古の友は、鼻垂れ小僧
「なっ……!?」
エルフの戦士団リーダーは、尻餅をついたまま自分が握っていた剣と俺が握っている「アミガサダケ」を、信じられないという顔で交互に見ている。
森が、シンと静まり返った。
風の音だけがやけに大きく聞こえる。
「……ユート」
クロエが、呆然とした顔で俺を見ている。
「……今、キノコで……剣、受け止めた?」
「お兄ちゃん、すごい!そのキノコ、鉄より硬いんだにゃ!」
ララが目をキラキラさせてキノコを指差す。
(違う、そうじゃない。これは技術とタイミングだ。あと、このキノコは今夜のソテー用だから無事だ)
俺はアミガサダケについた土をフッと息で吹き飛ばし、何事もなかったかのようにそっと食材カゴに戻した。
あくまで偶然。
そう、偶然だ。
俺はただのFランク冒険者。持っていたキノコに、たまたま相手の剣が当たってたまたま相手が体勢を崩してこけただけ。
……うん、完璧なシナリオだ。
俺はまだ呆然としているエルフのリーダーに向かって、人畜無害な笑顔を向ける。
「さて。少しは冷静になって話を聞いてもらえるかな?」
「き、貴様……いったい何者だ!」
リーダーが恐怖と混乱が入り混じった顔で後ずさる。
他の戦士たちも、俺を(というか俺のキノコカゴを)最大級に警戒し武器を構えたまま動けないでいる。
「だから、ただの通りすがりの冒険者だって」
俺はやれやれと肩をすくめた。
(ああ、面倒くさい。本当に面倒くさい。このままだと日が暮れる。スローライフが遠のく)
三度の転生で学んだことがある。
こういうエリート意識と選民思想が凝り固まった相手には、小手先の技や説得は逆効果だ。
彼らが絶対に逆らえない「格」で、真正面から殴るのが一番早い。
俺は貼り付けた笑顔をスッと消した。
「悪いけど、俺、急いでるんだ。君たちの長老に伝言を頼めるかな?」
「長老、だと……?」
リーダーの眉がピクリと動く。
「貴様のような下等な人間に我らが長老様が会うとでも――」
「ああ、会うだろうね」
俺は相手の言葉を遮って静かに告げた。
「確か君たちの今の長老って……もう千年以上生きてるエルロンって名前だろ」
「なっ!なぜ、長老様の御名を!」
エルフたちが一斉に殺気を放つ。
(御名、ねえ。あいつが)
俺は懐かしさに思わず遠い目になる。
「ああ、今は『大長老エルロン様』とかそんな大層な呼ばれ方してるかもしれないけど」
俺はクツクツと喉の奥で笑いをこらえながら言った。
「――千年前は、みんなから“鼻垂れのエルロン君”って呼ばれてた彼にさ」
シン…………。
今度こそ、森の全ての音が消えた。
風も、鳥も、獣人姉妹の呼吸すらも。
エルフの戦士団リーダーが、石化したように固まった。
その口が、パクパクと、声にならない動きを繰り返す。
「……は?……い、ま……なんと」
「あれ?違ったか?」
俺は、わざとらしく首を傾げる。
「千年前、俺がこの森に来た時さ。あいつ、まだ若造で、精霊魔法の基礎訓練でいっつも失敗してさ。失敗するたびに、悔しくてワンワン泣いて、世界樹の根元まで走って逃げてたんだよ。その時、いつも鼻水垂らしてたから、俺が『鼻垂れのエルロン君』ってあだ名をつけたら森中に広まっちゃって」
「あ、ああ、あ」
リーダーの顔から血の気が引いていく。
「あいつ、あの頃は可愛げがあったんだけどな。最近、ちゃんと鼻かんでるか?元気にやってるかって聞いといてくれ」
「(……は、はなたれ?)」
クロエが事態を飲み込めず小声で呟いている。
「(お兄ちゃん、あのエルフさんとお友達かにゃ?)」
ララが、無邪気に首を傾げている。
「(ユートさん、すごいですぴょん……エルフさんの、昔話を……)」
ミミが、なぜか感動して目を潤ませている。
そして俺の背中に隠れているアリア。
彼女が、ガタガタと震え始めた。
(あ、アリア視点) ああ、ああ、ああ! エルロン……「鼻垂れ」……? そ、そ、そ、それは! わたくしたちエルフ族の最重要機密! 神話の時代に我ら一族を導いたとされる、初代『大長老エルロン』様の幼名! そして、その逸話! 禁書庫の最奥に封印されし『創世記・裏書』にのみ記された、一族最大の恥……いえ、秘密の伝承! そ、それを、なぜこの方がまるで昨日のことのように……!
(ユート視点に戻る)
「ひ、ひぃ……!」
エルフのリーダーがついに短い悲鳴を上げた。
「そ、その御名と……そ、その逸話を知る者は……せ、世界樹の同胞……神話の時代の……『友』のみ……」
(ああ、やっと理解したか。遅いんだよ)
俺は最後のダメ押しをすることにした。
俺は一歩前に出る。
そして、彼らエルフ族ですら、もう誰も覚えていないだろう超古代エルフ語の儀礼作法――右手を心臓の前に当て、左手で森の風を掴むように掲げ、完璧な発音で、深く、静かに会釈をしてみせた。
「――『森の友より、旧交を温めにいずれ訪ねる』と」
その言葉は、現代語ではない。
千年前、エルロンたち(当時のエルフ)が使っていた、古の、そして神聖な響きを持つ超古代エルフ語。
「あああああああああっ!」
「で、伝承は、真だった!」
「『神話の友』がお戻りになられた!」
エルフ戦士たちは今度こそ完全に恐慌状態に陥った。
彼らは持っていた剣も弓も全てその場に投げ捨てると、ガタガタと震えながらその場に五体投地――地面に這いつくばって土下座をした。
「も、申し訳ございませんでしたあああ!」
リーダーが額を地面に擦り付けながら絶叫する。
「我らは、なんと御無礼を!『友』様に対し剣を向けるなど!」
(……やりすぎた。絶対にやりすぎた)
俺はこの予想以上の反応に内心で頭を抱える。
(ただ、ちょっと脅して穏便に帰ってもらうだけのつもりだったのに。なんで土下座されてんの、俺)
「あ、いや、いいから、顔上げて」
俺は困惑しながら声をかける。
「それより、伝言頼める?」
「は、はい!承知いたしました!このまま里へ戻り大長老様へ我が命に代えてもお伝えいたします!」
「そ、それで、あちらのお方……アリア様は……」
リーダーが、俺の背後(に隠れているアリア)を恐る恐る窺う。
「ああ、彼女は……」
どうしようか。
里に返すのが一番面倒がないが、本人があれだけ嫌がっている。
それに、あの「恋」とかいう暴走っぷりを見るに、一度、外の世界を見せてやった方が本人のためかもしれない。
「……しばらく、俺が預かる。森の案内役としてちょうどいい」
「!は、ははっ!承知いたしました!『友』様が、そうおっしゃるならば!」
(ああ、もう、『友』様って言うな)
「では、我らはこれにて!」
リーダーは立ち上がると、他の戦士たちに目配せする。
彼らは投げ捨てた武器を拾うのも忘れ(いや、畏れ多くて拾えないのか)、嵐のような速さで森の奥へと撤退していった。
文字通り一陣の風のように。
「…………行った、か」
森には再び静寂が戻った。
残されたのは、俺と、ぽかんとしている仲間たち。
そして、俺の背中の服を未だにぎゅううううっと掴んでいるエルフの少女一人。
(はあああああ……)
俺は、本日何度目か分からない深いため息をついた。
(俺の、静かで平穏なスローライフ計画はどこに行ったんだ……)




