箱入り娘の、運命の出会い
昨夜の「カレーライス」という名の茶色い悪魔(あるいは天使)の襲撃から一夜明け。
俺たちは、あの衝撃的な美味さと刺激を胃袋に抱えたまま、大森林地帯への旅路を再開していた。
「んんーっ!冒険って感じだにゃ!」
ララが、昨日獲った川魚の串焼き(もちろん俺特製のハーブ塩で味付け済み)の骨をしゃぶりながら、元気いっぱいに先頭を行く。
「こら、ララちゃん!骨はちゃんと埋めるですぴょん!ユートさんに教えてもらったでしょう!」
「うみゅ。分かってるにゃ!」
ミミが、母親のように(しかし小動物のように)小言を言っている。
実に平和だ。
(スローライフ、万歳)
俺は、さっそく道すがら見つけた「ツキヨタケ(ただし異世界産で毒は無く、極上の出汁が出るタイプ)」を【無限収納】に放り込みながら、この穏やかな旅路に満足していた。
三度の転生で、魔王を倒すためだけに血反吐を吐きながら荒野を駆け抜けた日々に比べたら、ここは天国だ。
「……ユート」
俺の隣を歩いていたクロエが、不意に俺の服の袖を引いた。
「ん?どうした、クロエ。腹でも減ったか?」
「ばっ!ち、違う!そうじゃなくて!」
クロエは顔を赤くしてぶんぶんと首を振る。
「……あのさ。昨日の、その……『かれー』?」
「ああ、カレーな」
「あれ、美味かった。その……ごちそうさま」
「おう」
「……で!でさ!」
「なんだよ」
「あ、あれってさ、その……ボクだけに、特別に作ってくれたりとかは……」
「しないな」
「しないのかよ!」
「全員分作る方が効率いいだろ。それに、ララとミミにも食わせてやりたいし」
「……むう」
クロエが、分かりやすく頬を膨らませる。
「……ちぇっ。まあ、いいけどさ。ユートの料理は、ボクが一番最初に味見する権利があるんだからな!昨日みたいに!」
「はいはい。毒見役、よろしく頼むよ」
「毒見じゃねーし!」
そんな、いつも通りの軽口を叩き合っていた、その時だった。
「――ストップ!」
森の少し先、木々の梢を縫うように先行していたクロエが、鋭く、しかし潜めた声で合図を送った。
俺とララ、ミミの足が訓練通りピタリと止まる。
ララは串をしまい、ミミは杖を握りしめる。
クロエが音もなく枝から舞い降りて、俺たちの前に着地した。
その表情はいつもの快活さが消え、斥候としての鋭さに満ちている。
「クロエ、どうした」
「……何か来る」
クロエは地面に片耳を当て、目を閉じて集中している。
彼女の【気配察知】スキルは、俺のスパルタ……いや、親切丁寧な指導の結果、そこらの魔物など比較にならないレベルまで研ぎ澄まされている。
「数は……複数。かなり速い。でも、魔物の足音じゃない。二つの集団だ。何かに……追われて、こっちに向かってくる!」
「追われてる?」
俺も自身の【索敵】スキルを起動する。
(……なるほど。確かに。一つは小集団……いや、単騎か?それを、五、六の集団が追ってる。どっちも人間……いや、人型だ)
クロエの索敵と俺の索敵が、ほぼ同時に同じ結論に達する。
(クロエ、本当に成長したな)
俺が内心で感心していると、クロエが「来る!」と叫んだ。
ザザザザッ!
俺たちの目の前の茂みが、激しく揺れる。
ララが「お姉ちゃん、下がって!」とミミを庇うように前に出る。
そして、茂みから文字通り転がり出てきたのは――息も絶え絶えな、一人の少女だった。
「はぁっ、はぁっ……!」
豪華な刺繍の入った、鮮やかな緑色の服。
それは泥だらけで、あちこちが引き裂かれている。
絹のように滑らかな金糸の髪は乱れ、その大きな、翡翠色の瞳には涙が浮かんでいた。
何より特徴的なのは、その長く尖った耳。
「……エルフ、だにゃ」
ララが、呆然と呟く。
少女は地面に手をついたまま、必死に息を整えようとしている。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
俺たち――人間の男(俺)と、獣人の姉妹、そして同じく人族の少女――を見て、彼女の翡翠色の瞳が驚きに見開かれる。
時が、止まった。
少女は、特に俺の顔を……いや、俺という存在そのものを何か信じられないものでも見るかのように、瞬きもせずじっと見つめている。
(……え?何?俺の顔に何か付いてる?昨日のカレーか?)
俺がそんな呑気なことを考えていると、その静寂はすぐに破られた。
「そこまでだ!」
少女が飛び出してきたのとは逆の方向から、重厚な声と共に複数の影が同じように茂みを突き破って現れた。
少女と同じ、長く尖った耳。
だが、彼らは少女とは対照的に、森の色に溶け込むような硬質的な革鎧に身を包み、精悍な弓と剣で武装していた。
そのどれもが一級品だ。
(……エルフの戦士団。それも、かなりの手練れだ)
「止まれ、アリア!」
リーダー格と思しき、厳格な顔つきをした壮年のエルフが少女に向かって低い声で命じる。
「お前を、これ以上外の世界に出すわけにはいかない!」
「長老様が、どれほどお怒りか分かっているのか!大人しく里へ戻れ!」
追いつかれた少女――アリアは、その声にビクリと肩を震わせた。
絶望が彼女の顔を覆う。
彼女は、追ってきた戦士たちと呆然と立ち尽くす俺たちを交互に見比べ、そして――
タタタッ!
何を思ったか、アリアは一目散に俺のところへ駆け寄ってきた。
そして、ガシッと。
俺の背中に隠れるように、その小柄な体で俺の服の裾を強く掴んだ。
「え、ちょっ」
「(む!)」
「(にゃ!?)」
「(ぴょ!?)」
俺の困惑と、クロエ、ララ、ミミの三者三様の(主に不機嫌な)視線が背中に突き刺さる。
「嫌です!」
アリアは俺の背中を盾にするようにして、エルフの戦士たちに向かって震えながらも甲高い声で叫んだ。 「わたくしは、もう里には戻りません!」
「何を馬鹿なことを!」
「わたくしは、外の世界が見たいのです!本で読んだ、あの素晴らしい……『恋』というものを見つけるために!」
「「「…………恋?」」」
俺、クロエ、ララ、ミミの四人の声が綺麗にハモった。
(うわぁ…………)
俺は、心の中で天を仰いだ。
(よりにもよって、一番面倒くさいパターンの家出かよ……)
三度の転生で、こういう「世間知らずな箱入り娘が、変な知識(主に恋愛小説)に感化されて暴走するパターン」は死ぬほど見てきた。
こういうタイプは理屈が通じない。
力で抑え込んでも、もっと面倒なことになる。
そして、なぜか、こういう面倒事を引き寄せる体質なんだよな……。
俺がどうやってこの場を「穏便に」「面倒なく」収めるか【並列思考】をフル回転させ始めたその時。
背中に隠れているアリアの心の声が、もし俺に聞こえていたとしたら、俺は全力でその場から逃げ出していただろう。
(ここから、アリア視点)
……ああ、なんてことでしょう! なんて、素敵な……!
里の禁書庫で見つけた、古のロマンス叙事詩。
そこに描かれていた、伝説のシーンとまったく同じ展開ですわ!
『閉ざされた塔(森)に幽閉された姫が、自由(恋)を求めて逃避行を図る』 『厳格な番人(追っ手)に捕らえられようとした、その刹那』 『運命に導かれし、異種族の騎士(運命の相手)が、姫の前に現れる』
……間違いありませんわ!
目の前にいらっしゃるこの方! 他の追っ手の殿方たちとは違う、不思議な種族(人間)の殿方! 黒い髪に、黒い瞳。
本で読んだ「異大陸の勇者」の挿絵と少し似ているかもしれません!
ああ、でもそれだけではありませんわ。
この方からは感じるのです。
不思議な……とても、懐かしくて、温かくて、全てを包み込んでくれるような巨大なオーラを!
まるで、世界樹の根本でうたた寝をしている時のような絶対的な安心感……!
間違いないわ!
この人こそが!
わたくしをこの退屈な運命から救い出し、未知なる世界へといざない、そしてあの本で読んだ胸が焦げるような、熱く激しい『恋』というものを教えてくださる……!
わたくしの『運命の騎士様』なのですね!
ああ、騎士様!
どうかこの哀れなアリアを、貴方様の愛の力でお守りください!




