【#04】ししょーがいた。ただし、中坊www
どう反応すべきかな。
疑念に続いた、一瞬の逡巡の末、俺は逃げることに決めた。
「やっ、やだもん。レベッカ、おばちゃんちなんて泊まりたくないもん! ママーッ!」
甲高く叫んで、弾かれたように俺は駆け出す。
このおばさんとちびっ子の間にある事情が、穏やかならぬものなのは間違いなさそうだし、ここは逃げの一手だろ!
⋯⋯って、なんで追ってコナインデスカ?
つうか、なんでそんな可笑しそうなの、このおばちゃん!?
逃げ出すちびっ子を追うどころか、腰を折って笑い崩れてしまった相手に、俺は幼女らしく振る舞うのをやめた。
心底怪訝な面持ちで聞くしかない。
「あのぅ、なんといいますか、よく状況がわからないんですけれど」
「〜ッ、ゴッ――――ああ、おかしかった。ごめんなさいね、何から説明しようかしら?」
たっぷり十五秒は使って、笑いを噛み殺したソバカスのおばさんは、腹筋が痙攣し過ぎたみたい。
溢れ出た涙を拭って、改めて俺に視線を据えてきた。
「でもね、その前に名前だけは変えたほうがいいのは本当のことよ。レベッカ・ルキーニシュナ・ペトロワさん――じゃないわよね。あなた、だあれ?」
「誰って言われましても⋯⋯参ったな。名乗る前に、私にも聞きたいことが山程あるんですけど」
「その意見にはボクも同感です、師匠。お茶入りましたんで、取り敢えずこっちで自己紹介からにしませんかあ?」
おばちゃんの代わりに、突然割って入った声は俺より年下と思しき少年の声。
「読み」で俺等の会話を一切合切聞いていたのだろう。
東京の宮代さんちが俺んちならさもありなん、だ。
「そうするわ。さ、貴方もどうぞ」
振り返って先程の少年に返事したおばさんに誘われるまま、俺は居間へ向かう。
◇
「改めまして、私は出水知恵といいます。こっちが弟子の――」
「宮代笙真です。はじめまして」
掘り炬燵から掛物の類を取り払った、春夏仕様の座卓。
その天板を挟んで、俺の斜め前と真正面に座った二人が名乗ったのに続いて、俺も先ほど思いついたばかりの名前で名乗り返す。
「ポーリャです。レベッカ嬢について、教えていただけると幸いなのですが? 自己紹介を持ちかけてきたのはそちらですし、教えてくれますよね?」
昴が南の空の星だから、北の空の星の中で最初に思い浮かんだ北極星を縮めて、ロシア語風の響きをまぶしただけの仮初めの名。
しゃあしゃあと告げたあとに、持ちかけてやる。
すると、宮代笙真――俺の先生の過去の姿に違いない、中学生くらいの少年――は、拍子抜けするくらいあっさりとレベッカについて答えてくれた。
「レベッカ・ルキーニシュナ・ペトロワは、ロシア系アメリカ人の魔法使いです。生まれながらに《狐の鋏》に属していましたが、今は表向き宮代家で身柄を預かるカタチとなっています。とはいえ、日本語はほとんど理解していないため、日常的なやりとりはすべて英語で、ですけどね」
「そんな女の子が急に完璧な日本語でおウチ帰るモン!――でしょ? ふふっ、笙真から事前に教えられてたから心の準備はしてたけど、貴方のお芝居と今朝までの彼女の落差が予想以上だったもんで、知恵さん、我慢しきれなかったのよ。――ごめんなさい、私ね、昔から緊張すると笑っちゃう癖があって」
思い出すと、またおかしさに耐えられなくなったらしい。
くっくと肩を震わせながら言い訳を始めた彼女に、「気にしてないから大丈夫です」と俺は返し、早く笑い止んでと目で訴える。
「師匠、微妙に台詞回しが違ってますよ」
「あらそう?」
「泊まりたくないもんっ、ですよね? ポーリャさん」
「ポーリャちゃんで構いません。一応、私の方が宮代さんより年上ですけれど、今はまあこんな形だし、ちゃんづけにしちゃってくださいね」
苦笑交じりに首肯して、続ける。
幼女の声真似する先生キモいと思ったことは、もちろん噯気にも出せるわけがないので、外見上は、真似されたことへの照れ隠しを装うために、視線を彷徨わせながら、だけれども。
「けど、おかしいな。先に日本語で話しかけてきたのって、出水さんからじゃなかったでしたっけ。そういや、事前に宮代さんから教わった、とも仰ってましたよね? それって」
「それについては、貴方のことをもっと教えていただいてからにしませんか、ポーリャさん。さっきボクと顔を合わせた時、一瞬でしたけど驚かれたでしょう? 生憎ですが、初対面で驚かれるような覚えはないんですよね、今のところは」
「⋯⋯」
「ショウ」
「師匠、悪いんですけれど、本家からそろそろ電話が来ますよ。ボクらは庭にいますから、電話が終わったら呼んでください。――大丈夫です。見えるところにはいますし、師匠の顔に泥を塗るようことには決してなりませんから。安心して家の中でお待ち下さい」
目元を和らげ、流暢な口振りで告げる先生。
きなくさそうな表情を浮かべた知恵さんに向かって、更に畳み掛けるように言い放つと、彼は俺のほうへと右手と視線を投げかけてきた。
「さ、ポーリャさんはこちらへ。雨上がりなので、水溜りには気をつけてくださいね?」