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【#25】ベッカちゃんと母さんの間で人知れずサンドバッグ状態の俺は回る洗濯物を眺めることしかできなかった:星の形をしたしるし

 枷と矛盾しているレベッカの《鋏》のことは、気になって仕方がなかったけれど、ゆきの目の前で、先生に問い質すわけにもいかない。


 飲み込んだばかりの疑問を、俺の心の奥へとどうにか押し込みながら、今一番の優先事項である、レベッカとの交代に向けて意識を傾けた。


 ベッカちゃん、ごめん。切るよ!


 彼女の承諾を待たず、チル魔法《ドヴォルザーク》アプリの終了をEAPに命じると、俺は、ゆきのカットソーを握り締めたまま、色を無くしていた小さな右の手のひらを開いた。


 レベッカから無理やり取り上げた鼓動が、胸の奥でズキンと騒ぎ、思わず呻きそうになる。


 子供じゃあないんだから、我慢しなきゃ。


 そんな心持ちだけで、漏れそうになる苦悶の声をどうにか耐えた。


 先ほどの《鋏》の余韻に違いない消耗の激しさを頭の中で冷静に評価しつつも、彼女の利き手が拾い上げていた、星の形をした小さな器は手離さない。


 これは捨て置いたらいけないものだと、「明かし」としての俺の直感からの警告に素直に従う。


 震えていたレベッカらしく見えるよう、不安そうな声で、はやくかえる……とだけ小さな呟きを洩らした(ポーリャ)の声を受けて、ゆきが笙真の方を振り返った。


「笙真、ポーリャちゃんが」


「先に行ってて! 魔法案件だから!」


「わかった!」


 スマホを耳に押し当てたまま答えた先生と、ゆきの短いやり取りを頭の片側で聞き流すと、俺は、バッテリーがほとんど枯渇しかけていたEAPの動力切替前カウントダウンをリンク経由で黙らせた。


 ゆきに手首を掴まれ、半分引きずられるように、あと僅かになっていた出水邸への道のりを歩く俺の足取りは、鉛みたいだった。


 心の中で怒声をあげて抵抗するレベッカをきちんと宥められないまま、ほとんど上の空でゆきと帰る短い家路。


 時間にしたら、五分もなかったはずのその距離を上手くやり過ごせた感触なんて、これっぽっちも持てなかった。


 ゆきは、ポーリャがさっきのショックで、茫然自失に陥っているとでも思ったのだろう。


 明らかに様子のおかしい五歳児を出水邸の玄関先まで引っ張ってきた少女や二匹の犬たちと一緒に、俺は知恵さんの留守宅に、靴を脱ぐのすら億劫に思いながら、上がり込む。


 先生(ししょー)のパーカーの中に残したEAPとのリンクは、通信可能距離を超えたせいで、帰り道の途中から途絶したままだった。


 チル魔法の支援なしでは表に出られないレベッカの不在を悟られないよう、口を噤んだ(ポーリャ)を心配してか、ゆきはあれこれと手を尽くしてくれている。


 彼女の手でケアされている幼い女の子のふりを続けつつも、俺の頭の中は、先生と俺のEAPが戻るまで、どうやって過ごそう? それだけでいっぱいだった。ますます焦りが募る。


 だめだ、違うことを考えないと。違うこと……。そうだ、洗濯。破片だらけのシーツが、そのまま。


 手繰り寄せた考えを、不自然に見えないようこわごわとゆきに持ち掛けると、彼女は二つ返事で応じてくれた。


  ◇


「洗うのはこれだけ?」


 俺はかかしみたいに頷いて、出かける前に残してきた、ガラスまみれの寝具を少女の手を借り、階下に運んでもらう。


 そして、現在。


 ぐるぐる回る洗濯物を、ドラム式のアクリル窓越しに見つめながら、一体全体何をしているんだろう、俺。


 そんな疑問を拭い去れないまま、星の形をしたしるしを手にして、洗濯機の前でぼんやりと立ち尽くす。


 隣にはゆき。胸の中には、ご機嫌斜めどころじゃないレベッカ。


 事故の衝撃からひと巡りできたのか、何度もアバキと罵ってくる幼女とティーンエイジャーの母親に挟まれて、本当にもうお腹いっぱい。


 ⋯⋯先生、早く帰ってきてくんないかなあ。


 そればかり願う。この姿だから仕方がないけど、満足に溜め息もつけないなんて、ちょっとだけ心が挫けちゃいそう。


 そんな俺の内心ではなく、「ポーリャの気持ち」を慮ったのだろう。


 中腰になったゆきが、内緒話を持ち掛けるみたいな口調で話しかけてきた。


「すごかったよね。さっきのポーリャちゃんの魔法ってさ」


 本当にすごすぎだよね。なんてったって、まさかの枷なしだぜ? 一瞬出掛かった本音を噛み殺しつつ、俺は小首をかしげた。


「その星、大事そうに持ってるけど、大切なものなの?」


「うん⋯⋯」


 言葉が、続かない。


 大事に思ってるのは、俺じゃなくて、レベッカの方だから分からないんだとも言えず、俺は曖昧な態度で頷くことしか出来なかった。


 そんな俺に失望したのか、胸の奥で、レベッカががるると、狼みたいな唸り声をあげた。


 ああ、もう。


「ただいま」


 玄関先から、声がした。先生だ! 一も二もなく、手毬のように俺は駆け出す。


「ショウ兄ちゃま!」


 ほんとに、五歳の子供としか思えない口調。トレースが過ぎていると自嘲気味に思いながら、息を整えるのすらもどかしかった俺は、弾んだ呼吸のまま、先生の目をじっと見あげた。


「大丈夫だった?」

「あんまりっ。でもなんとか」


 ゆきに追いつかれる前に、昴の言葉をどうにか一つだけ差し挟む。


「おかえり。早かったね?」


「そうかな。これがあった割に掛かっちゃったと思うけど」


 俺たちのいる玄関に遅れて現れたゆきに、菫青石のチャームを見せびらかしながら、先生は沈黙している銀色(ぎん)のスマホを俺の掌に押し込んできた。


「ポーリャちゃん、充電をお願いできる?」


「まかせて!」


 心の底から待ちわびていた、俺のEAP。


 宮代家の一人前の証でもある守り石を興味深げに眺め始めたゆきの注意が、ポーリャから逸れたのを好機に、俺は先生の部屋へ続く階段を駆け上がった。


  ◇


「⋯⋯⋯⋯」


 ねえ。そんなに怒らないでよ。不可抗力じゃん。


 立ち上げ直した《ドヴォルザーク》に支えられているレベッカのご機嫌を取ろうと、俺は彼女の心に語りかけた。


「おこってないもん」


「怒ってる」


「ないもん」


 それを怒っているって言うんだけどね。


 レベッカが膨らませたポーリャの頰を、先生の机の上で立て肘にした右拳で押さえながら俺は言葉を思い浮かべる。


「ないよってゆってるのに、しつこい。スヴァルくんのばか。だいっきらい」


 そこまで言う? とにかく機嫌、直してよ。


 思いながら俺は、ほっぺたから離した右手で、彼女の意志がこもった左手をそっとつつく。


 昨日見つからなかったベッカちゃんの「特別な印」なんだよね? その星ってさ。


「そうだけど」


 スマホで観てもいい?


「⋯⋯いいよ」


 ありがと。何かを飲み込むような一瞬の間を置いたあとで、レベッカは応じてくれた。


 そんな女の子に心の底からの謝意を伝えると、俺は、ケーブルに繋がれたままのEAPをマウスのように、右手でそっと握った。


 俺の意思を受けて起動した二〇五〇年版の「あなまほ」が、レベッカが掲げてくれた小さな星を、魔力の(がわ)から隈無く走査する。


 へえ、なるほど、ね。水たまりなしで、鋏が飛んだのはこういう仕掛けだったわけ⋯⋯。


 感度を最大にしたセンサ越しに流れ込んでくる示唆に富んだ情報を、頭の中で反芻しながら慎重に読み進める。


「どう? ベッカのしるしはすごいって、スヴァルくんもわかった?」


 禍々しさなど微塵も感じさせない小さな器を、窓越しの陽光に透かしながら茶々をいれてくるレベッカに対して、心の内側でそうだねと頷く。


 凭れかかってくるような彼女の気持ちをどうにかあしらって、更に解釈を継続。


 器の内側の少しだけ不純物混じりの透明な雫に反応したパラメータを慎重に紐解いてゆく。


 あれ、これって……うわあ、ナニコレ。信じらんない。速いだけじゃなくて、逆だなんて、そんな。


 最後まで読み解き終わったEAPとの比較結果を反芻しながら、俺はレベッカの形の良い眉を寄せて、呆然としたまま口を開いた。


「ベッカちゃん。このしるしって――」


「昴」


 いきなりのノック音(コン・コン)と同時に、先生の涼し気な声が鼓膜を打つ。


 驚いた俺は、レベッカと一緒になって、弾かれたビー玉みたいに振り返った。


 「読み」の魔法から心を守るためだけに存在する、宮代家の必携アプリ《基板上のバリア》を大慌てで展開する俺の目の前のドアノブが鳴いて、少年時分の宮代笙真がゆっくりと部屋の中へと踏み込んできた。

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