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【#23】続々・ポーリャの森屋邸訪問:――以上の考察の結果、笙真師匠とその弟子たちの辞典に「報連相」の三文字は存在していないことが判明しました。


 先生(ししょー)に、今の一部始終を話しておくのはやめておこう。


 どのみち、この件に関して、俺達(ポーリャ)なんかより事情通なのは彼の方なんだから。


 そう思った俺は、まだキッチンでみかげさんのそばにいるレベッカに呼びかけた。


 ベッカちゃん、笙真君がそろそろ起きそうだから、二人で待っててくれる? 「スヴァルのポーリャ」は、ゆきお姉さんの様子を見てくるから、ちょっとだけお願いね。


(うん、まかせて)


 ヘヘッ、ありがと。じゃあいい子で待っててね。


 ポーリャという、この世に存在するわけもない魔法使いの女の子に押し込められている、レベッカと俺。


 身体は間違いなくレベッカのものだけど、心は二人分なので彼女に分かりやすいように冠言葉を乗せた呼び方を使って、俺だけが身体を留守にすることを告げる。


 とはいえ、EAPの単機運用だと、否が応でもバッテリーと処理能力という、超えることができない二つの壁を無視することは基本的に御法度だ。


 アプリの中で一番の食いしん坊である《ドヴォルザーク》は「レベッカのポーリャ」を帰宅までは自由に動けるようにしておかないとならないから、どうしてもそのほかの機能を制限さぜるを得ない。


 出水邸に戻るまでは、《光学迷彩(カモフラージュ)》と《蛍火(ウィル・オ・ウィスプ)》も解くわけにいかないし、食いしん坊二番手である複数視座の維持を諦めることにする。


 オーダーと同時に、二重写しだった風景が音まで含め、EAPの計器(センサ)越しのものだけに切り替わる。


 俺が未来に居たときには、視野が二つあるのがレギュラーな状態だったから、不便なはずの一つしかない景色が新鮮で、懐かしいような感じがした。


 生き物としては、こっちの方が絶対に「不自然」なはずなんだけどな。


 なんとなく自嘲気味に思いながら、あと十年もしないうちに宮代昴の母になるはずの少女の元へ、俺の意識の大半を乗せたEAPを操って急ぐ。


 廊下の(はし)にある、脱衣所のそのまたの(すみ)っこのほうで、洗面台に向かって膝を抱えて俯いている宮代ゆきの表情は、影を落とした濡れ羽色のまっすぐな前髪のせいで見通しにくかったが、元気がなさそうなのは、スマホの熱が伝わらないような離れた高みから見下ろしただけでも、一目瞭然だった。


 まず、口ずさんでる鼻歌がいけない。


 途切れ途切れになっている、「朧月夜」。


 郷愁を(いざな)うどころか、聞いている俺の方まで寂寥感とか寂寞感で胸がいっぱいになりそうな小さなハミング。


 ベッカちゃんを連れてこなくて良かった、と心から思った。


 クスンとグスンの(はざま)で鳴らされているメロディを聞かされている、俺以外の唯一の聴衆である大きな黒猫は、ゆきが与えてくれたらしいドライフードを一心不乱に貪っていた。


 鼻をすする音、ハミング、はぐはぐかりかりという小さな丸呑み気味の咀嚼音。


 最初に止んだのは、猫の噛みしめの音だった。


 ピンクの舌で前足を毛づくろいをし、ついで横っ腹を整える。


 それだけに飽き足らず、ゆきの手に口元をよせた黒猫を、反対の手のひらで少女が撫で返す。


 啜り上げるようなハミングが、止んだ。


 最後に残ったのは、彼女の手の甲に毛づくろいを仕掛けていた猫の舌が奏でるザリザリ音だけだった。


 目を上げた黒髪の少女は、狼の姿になったレベッカぐらいはありそうな、大型の猫の背中に顔を埋めて「ありがとね、アジト」と呟く。


 どうやら、気が済んだみたいだ。


 母親とはいえ、目の前で年下の女の子が半泣きになっている姿を見守ることしかできないのは、正直言って居心地がよいものではなかったので、ほっとする。


 一安心したついでに、俺は、使い魔みたいに気を利かせてきた黒猫へ、メモリを空けるためにカメラの解像度と色彩を落としたEAPで、「あなまほ」を向けてみた。


 先生が、ミフネが猫だと言っていたのが、気になっていたからだ。


 反応は、まさかの結果。「(あらは)し」の検出だった。


 猫の身体に、稼働中の魔法が纏わりついているというリザルトに、分析不可能だったミフネとは、あんまり関係はなさそうだけど、これはこれでビンゴだという思いが心の中で広がった。


 そんな俺とゆきのもとに、先生のそばで眠っていたもう一匹の猫が歩み寄ってきた。


 黒猫よりはかなり小柄だけど、やはり長毛の明るい茶色というよりも、オレンジ色の猫。


 色鉛筆画の猫にそっくりだから、こっちが「チュチュ」なんだろうなあ、と踏む。


 一応この猫も観ておこうか。


 そう思って、なんの気なしに「あなまほ」を向けると、これまた現在進行形の「顕し」の反応が戻って来た。


 俺は、心の中で存在しないはずの眉を顰めた。


 おかしい、という素直な感想が胸に浮かぶ。


 同じ使い手による、同じ種類の生来の魔法は、EAPを使ったとしても、同時に二つは(・・・・・・)成立しえない(・・・・・・)はずなんだけれど。


 成立中の「顕し」が複数? となると、使い手も複数? ゆきだけじゃなくって?


 迷子になりそうな思考を止めたのは、オレンジ猫のジャンプと奴が繰り出した前足の痺れるような一撃(ジャブ)だった。


 猫の目には、人間の可視領域の光線だけを誤魔化している《光学迷彩》は、効果がない。


 そんな当たり前の理屈を思い出し、俺は慌てて猫の爪で床に叩き落されそうになっていた、不可視の銀の筐体を天井近くまで引き上げた。


 カメラの画質をさらに落として、《蛍火》の速度を妖精級からリミットなしに切り替えると、全速力でスマホを飛翔させてレベッカと先生の元へ逃げ帰ることに決める。


 残念なことに《蛍火》はその名の通り、完全消灯ができないアプリだから、オレンジの猫が鳥肌の立つようなクリック音を出しながら身を低くしてダッシュで追いかけてくる。


 だから猫は嫌いなんだよ! ついてくんな! あっちいけバカ猫!!


 ちょこんと床に腰を下ろしたレベッカと向き合って、即席の魔法の授業を開始したばかりの先生が羽織っているパーカーのポケットにEAPを滑り込ませると、即座に《蛍火》を切り、入れ違いに《鳴神(なるかみ)》を起動させた。


 それと同時に、バッテリーの残量が三割を切ったお知らせ音(アラート)が鳴り、俺の焦りが更に煽られる。


“先生、猫、猫! その猫を早く猫を追っ払って! 俺のスマホが壊されちゃう!”


“急にどうしたわけ? いくら小型だからって、スマホがそんなにヤワなわけないんだから、落ち着きなよ。チュチュならもうポーリャちゃんが捕まえてるから、この子の気が済んでからに――ひょっとして、猫、苦手なの?”


“苦手に決まってるよ! 猫に追いかけられるのだけは昔から駄目なんだ! 電池も切れそうだからベッカちゃんを連れて、早く知恵さん()に帰ろう!”


 さすがに電池持ちを最優先にするしかなくなった俺は、吐き捨てるように《鳴神》越しに叫ぶと通話を切り上げて、《ドヴォルザーク》にアクセスした。


 猫を抱っこしているレベッカとは、手のひらの触感を絶対(ぜぇったい!)に共有しないよう、念入りに何度も設定を確認したあとで、幼女の頭に思考を戻す。


 ねえ、ベッカちゃん。そろそろ帰らない?


 出水邸への帰宅を促した俺に対する、レベッカの返事は、予想通りの内容だった。


(やだよう。まだ、ねこちゃんとあそびたいな。ゆきお姉ちゃまとも、おはなししたいから、あとにしよう?)


 だよねえ。そう言うと思った。


 俺は、頭の中で、現在の稼働状況でのEAPのバッテリーの枯渇までの予測時間を計算する。


 結果は――残り(あと)約六十五分。


 自転車で帰るんだろうし、それなら出水邸までは、二十分も見ておけばいいだろう。


 あと三十分くらいなら、ベッカちゃんに付き合っても、大丈夫かな?


 そんな胸算(むなざん)は、今しがた俺が切り上げたばかりの通話を下敷きにして、先生が始めた新米の弟子との会話に、いきなりぶち壊されることになる。


「ポテトとトワも連れて帰るから、帰りも歩きになるよ? だからそろそろ出よっか。行きだって一時間近くかかったしね」


 一時間の歩き? そんなの聞いてねえぞ? バッテリー、ギリギリじゃん!


 不安に思う俺をよそに、レベッカが思いっきり頬を膨らませる感覚が、手のひらを除いて、彼女と共有中の「上り」から伝わってきた。


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