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【#20】明け三つのそうじとミニレッスン(先生はレベッカより雑!)


 作業に没頭している俺の頭の中に、また、カントリー・ロードが響いてきた。日本語じゃなくて、英語の方。


 歌っているのは、レベッカだった。


 弛緩している身体と、パラメーターを信じれば、ノンレム(深い)睡眠中なんだろうけど、そこでもまだ歌うなんて、昨日の夕方に、相当何度も歌い過ぎたせいなのかもしれない。


 まさか、不届き者を招くほど、声が響いているとは思わなかったけれど、この歌って不思議と耳に入ってくるんだよな。


 眠りのパターンが変わったのか、唐突に始まったレベッカの歌は、同じようにいきなり終わった。


 俺は、点検を終え、チルとの再接続も済ませたレベッカの「上り」と「下り」に、何の悪い兆候も見つからなかったことに安堵の息を吐く。


 いつの間にか、レベッカの眠りはレム(浅い)睡眠に移行しているらしく、EAPのカメラ越しに見た彼女の産毛に覆われた頬と口元がキュートな笑みのカーブを描いていた。


 やれやれ、どんな夢を見ているのやら。

 ⋯⋯目玉焼きの夢だろうか。


 俺の方にもだいぶ来ている眠気に、どうにか耐えながら眺めていると、「⋯⋯ママ⋯⋯」耳に届いたのは、母親を呼ぶ、同率一位が沢山いそうな世界一甘えん坊の女の子の寝言だった。


 時間は、あと少しで朝の五時。


 もしかして、先生(ししょー)もこの寝言を聞いたことがあるのかな。

 まさか、ひょっとして、俺のも?


 俺が言いかねない、しかも、あんまり先生には聞かせたくない、いくつかの言葉を想像したら、意識がシュッとなった。


 レム睡眠から、さらに覚醒に向かっていくことを示すEAP内の値を合図に、俺はレベッカに心の中で声を掛ける。


 練習のためじゃなくて、夜中にたくさん林檎ジュースを飲まされたから、彼女が洪水事件を起こさないようにだ。


 おはよう、ベッカちゃん。朝だよ。


「⋯⋯はよう、スヴァルくん」


「おはよう、ポーリャちゃん」


「トイレ、いてくゆ(・・・・)⋯⋯」


「うん、行ってきなよ」


 俺とおんなじ懸念をしていたのか、ゆきが結局帰ろうとしなかったのか、とにかく、気が付けば階下から上がってきていた宮代笙真少年が、眠そうに目をこするレベッカに返事をすると、そのまま彼女の手を引き、二階の手洗いへと導いてくれた。


 母さん(ゆき)がいないと言うことは、寝入っちゃってるってこと?


 ちゃんと、「読ま」れるように彼の目を見上げさせたレベッカの瞳越しの問いかけに、首肯が返ってきた。


 この状況であの人と鉢合わせになると、面倒。そう思ってたから、ちょっとだけ安心する。


 “狼になっていない理屈について、説明求む。”


 レベッカの左手がトイレのドアノブから離れてすぐに、LINEで入ってきた短い照会文に、なんと返そうかと思っていたら、水を流し終えて、目がきちんと覚めたレベッカからも質問がきた。


「んんん?? なんで、ショウ兄ちゃまがいるの?」


 とりあえず、優先すべきはこっちの方だな。


 それはね、昨日の不審者が、夜中にまた来たからで――、心の中で答えかけ、俺はまた言葉に詰まった。


 タイミングよくベランダ側の窓に投石があったことや、警察まで呼ばれていた辺りの事情は、まだ聞いていなかったからだ。


 詳しいことは、俺にもよくわからないんだけど、夜中に笙真君が助けに来てくれたんだよ。


 仕方がないから、正直にそれだけを答えかけのままで止まっていた言葉に繋いだ。ミフネのことはまだ判然としないので、あえて入れないでおく。


(そうなの?)


 うん、それに、笙真君だけでなく、ゆきっていうお姉さんも下にいるよ。今は寝ちゃってるみたいだけどね。


(ゆきお姉ちゃま?)


 不思議そうに尋ねてきたレベッカに対し、俺は彼女が俺の母さんであることだけを省いて紹介した。


 笙真君と同じ、知恵先生の弟子の女の子さ。トイレから出たら、聞いてみなよ。ゆきお姉さんは、セミエンの「読み」なんだけど、ベッカちゃんがフルでバイナリの魔法使いだって知ってるよ。俺が教えちゃったから。


(せみえん? ふるでばいなり⋯⋯?)


 まさかそこから説明が必要だとは思わず、俺はどうしようかと少しだけ思い悩んだ。


 《鋏》が得意と言い張るくらいだから、五歳とはいえ、少しは知識があると思ったのに、《狐の鋏(彼女の一族)》が置かれている状況は俺が思うのより深刻なのかもしれない。


 トイレにいつまでも籠もるのも、いかがかと思うし、ここはひとつ、先生の手を借りちゃおう。


 “《二つ身(デュプレックス)》の理屈の話はあとでするからさ! とりあえず、ベッカちゃんにフルセミノンとバイナリのことを簡単に教えてあげて? あと、今朝の石投げのことも。これは俺も聞きたいから”


 脳内で一気に入力し、送信ボタンを押す。

ガチャリとドアを開けたレベッカごと俺を見下ろすため、真っ赤なスマホから目を離した先生が言った。


「フルとかセミってのは、魔法の形と魔力の関係だよ。どちらかしかないのが、セミで、両方あるのがフル。なんにもないのがノンだよ。これに魔法使い(エンチャントレス)を縮めたエンをつけるんだ」


「えっと、ベッカはどれになるの?」


「魔法が使えるから、ポーリャちゃんはもちろんフル。今、ベッカって言っちゃってたから、気を付けようね、ポーリャちゃん」


 指摘されて、あっと思ったらしい。まん丸い目をして、口元を覆ったレベッカがこくんと頷く。


 素直な仕草を見せた小さな弟子に、苦笑しながら、目線の高さを合わせてくれた新米の師匠がさらに続けてくる。


「バイナリはね、使える魔法が二つの魔法使いのことを言うんだよ」


「⋯⋯⋯⋯。ポーリャは、《鋏》と《二つ身》ができるから、バイナリの、フルエン?」


「正解だよ。よく出来たね。ちなみにボクは、『読み』しか使えないから無理やりに表現するなら、ユニとかユニタリのフルかな。大抵の魔法使いは、魔法が一種類しか使えないから、普通はそう言う呼び方はしないけどね。さてと⋯⋯」


 先生はそこで一度言葉を切ると、立ち上がった。


 上半身を捻って、背後の部屋に視線を転じた彼に倣ったレベッカの琥珀色の目が、再び丸く見開かれる。


(ベッカのおへやがめちゃくちゃになってる! どうして?)


 彼女に充てがわれていた、南向きのその部屋が、飛び散った窓ガラスで、結構派手な有様になっていたからだ。


 レベッカを運んできた先生が、彼女を寝かす部屋を、彼が普段使っていた部屋へ思わず変更してしまうくらいに。


 先生は、ため息を一つ吐くと、再びこちらに向き直って口を開いた。


「とりあえず、練習の代わりに、お掃除だね。師匠が帰るまでこのままじゃあ、流石にまずいし。掃除用具は持ってきてあるから、昴も手伝ってよ」


「⋯⋯なんでそこだけ、ポーリャちゃんじゃなくて、()の名指しなわけ?」


「AIを名乗るくせに、自分でもできる説明をボクに押し付けたんだから、当たり前でしょ。さあ、やるよ」


「はーい⋯⋯」

 送ったばかりのメッセージのことを言われてしまった。


 そりゃあ、確かに頼んだのは俺だけどさ、手伝いだとか言いながら、箒と塵取りの両方を(ベッカちゃん)に渡してくるって、どういうことだよ? この面倒くさがりめ!


 心の中で思うと、半眼で睨まれた。「読み」をそういう風に使うのって、本当にどうかと思うよ、先生。





「ねえ、ショウ兄ちゃま。さっきからスヴァル君とおはなししてる、ゆきお姉ちゃまって、だあれ?」


 タイムパラドクスが心配だから、先生と知恵さん以外には、宮代昴の名前は明かしたくないと言った俺のために、魔法抑制AI「ポーリャ」の開発コードという名目で、先生がこの家の蔵書から見つけてきた「空」を意味する、昴とよく似た発音のインド神話に出てくるヴェーダ語の名詞で俺のことを呼びながら、レベッカが先生に尋ねた。


 表情筋をベッカに返してなければ、絶対にブスッとしていたに違いない心持ちで、その質問を聞かされている俺はちまちまと箒を動かしている最中だった。


 ついでに言えば、身体の持ち主であるはずのレベッカは、賑わし係しかしていない。


 先生と違って、手伝う意欲は十分認められたが、散らかっていたガラスをいきなり派手に掃き飛ばしてくれたので、以降の作業は丁重にお断りさせていただいたのだ。


 そのため、今は首から上だけが、彼女の居場所(テリトリー)である。


「ボクの母さん方の又従姉(またいとこ)だよ。さっき言ったとおり、『読み』のセミで、ボクの妹弟子なんだ。誕生日はあの子の方が少しだけ前だけどね。そうそう、今夜来るお客様も、ボクの母方の親戚だよ」


 そんな彼女の様子を見られることが絶対にないよう、ドアの所に陣取って、レベッカと話しながらゆきが上って来ないか気にしている先生は、掃除に加わるつもりはもうないみたいだ。まあ、今となっては、最初からあったのかすら怪しいもんだけど。


「床は大体いいと思うから、ベッドの上は頼めますか?」


 流石に、レベッカの身体では仕事を行うための尺が全然足りないので、先生に手を貸して欲しくて呼びかける。


「ベッド? そんなのこうして⋯⋯」


 すると彼は、今度は「読み」を省略して、俺が行って欲しかったやり方とは、まるで違うことをやってのけてくれた。


 具体的にいうと、片手で枕を持ち上げて、シーツの上で軽く揺さぶり、(はた)いた。ブランケットもおんなじようにして、こちらは失敗した。


 おかげで、綺麗にしたはずの床に、またガラス片が散らばってしまっている。やだもうこの師弟。


「⋯⋯⋯⋯やりかたが、ざつ」


 レベッカっぽい声音だけど、口にしたのは俺だ。腹が立ったので、コーラの時みたいに、レベッカの口調を真似て言ってやった。


「シーツの四隅を合わせておいて。この床が終わったら、ベランダに零して、そっちも掃くから、まだそのままにしといて下さい。やり方は、口でちゃんと説明するから、せめて聞いておいて下さいよ」


 今度こそ、宮代笙真の弟子としての素の口調に戻して告げる。うん、これなら魔法をサボったとしても、間違いなく伝わるはずだ。


 そんなこんなで、レベッカの手を使って俺が掃き清めた床に、先生がガラスの破片の大体を除いて、丸め直した寝具一式を置いて、掃除は完了。


 まだ、細かな欠片を取るための洗濯が残っているけれど、それは朝食のあとでもいいだろうし。


 そんなふうに思いながら、床に散っていた破片と、ベランダに撒いたそれらが集まった塵取りを部屋の隅へ置いた俺に、得心(とくしん)した様子で先生が言った、


「ポーリャちゃんは、小さいのに手際がいいね。流石、ボクの弟子だね」


 違うって。こいつは未来で身に付け済みの母さんと父さん仕込みの家事スキルに決まってらあ!





「――ところでさ、さっきも聞いたけど、なんでまた、今朝もここに来たの? 次は金曜日(明日の朝)って言ってたのに」


 不審者への対応は、自力でどうにかできると思っていたので、先生には知らせ(LINE)を送っていなかった俺は、気を取り直して尋ねた。


「ポーリャもどうしてか気になるわ。おしえて、お兄ちゃま」


 ほんとに就寝中だったので、俺よりもさらにほとんど何も知らないレベッカも、俺に合わせて首を傾げる。

 そんな俺たち(ポーリャ・カン)ふたり(トリー・ロード)に向かい、先生はすぐさま口を開いてきた。


「ああ、それはね⋯⋯」

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