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【#14】エイプリルフール:レベッカのレッスン初日


 お茶を片付け、知恵さんと共に二階に上がると、先生(ししょー)が昼寝から醒めてだいぶ経っているようだった。


 ノック無しで部屋に入った俺たちを、ちらりと横目で窺ったほかは、あとはずっと掌の中の赤いEAPに向って目を落としっぱなしの彼。


 俺は、そんな彼の目前を横切って、充電ケーブルに繋がれたままでいた、俺のスマホを手に手を伸ばす。


 二時間前には触れないほどだった筐体は冷たくも温かくもない、室温と変わらぬ温度になっている。


 「ぷは。待ちくたびれたのよ。えっと⋯⋯、いまはベッカとポーリャ、どっちのなまえ?」


 早速、半分ほどの充電を終えたEAPとのリンクを再開すると、待ちわびていた様子のレベッカが水から上がったみたいな呼気の後に尋ねてきた。


「⋯⋯うっかりがないように、これからはずっとポーリャで通そう。悪いけど、俺たちが次にいいよって言うまで、ベッカちゃんのお名前はお休みだ」


「えー⋯⋯いつゆうの?」


 眉をひそめて渋る彼女に言ってやるのは、子供騙しな無責任さを、彼女の前向きさを引き出すために薄氷のような希望で覆い隠した、ちょっとだけ小狡い返事。


 いつ来るとも知れない期限に関して、嘘を告げるよりは幾分(ナンボ)かこちらの良心が痛まない言い回しではある。


「⋯⋯⋯⋯。ベッカちゃんが頑張ればすぐかもな」


「うまくできなくて、ずっとになったら、ベッカ、おなまえわすれちゃわないかしら」


 心配そうな声を、なんてことは無さそうな楽観的な口調で代替案(別の話)にすり替えてやると、すぐに彼女は俺の提案に乗っかってきた。


「俺たちが覚えておいてやるし、見たくなったらスマホにも打ち込んでおいてやるから、いつでも見られるよ。なんなら、動画も撮ってやろうか?」


「うん、とりたい!」


「OK、じゃあ笙真君もカメラ起動して」


「なんでボクのも? あとで共有でいいじゃん」


 先生に声を掛けると、視線を上げた彼から、中学生らしい心の底から面倒くさそうな口調が返ってきた。


 すかさず手を引き、彼が腰掛けていたベッドの真向かいあたりを示すと、知恵さんも俺に同調してくる。


「いいからいいから、ほらあっち行って」


「そうよ、撮ってあげなさいよ」


「師匠まで⋯⋯わかったよ、もう。仕方ないなあ」


 師の言葉に渋々と立ち上がった先生の背を押しつつ、今度はレベッカに呼びかける。


「じゃあ、ベッカちゃん、予行演習は⋯⋯まあ、なくてもいっか。――あなたのお名前は? 何歳かな?」


「レベッカ・ルキーニシュナ・ペトロワ、五しゃ⋯⋯五歳!」


「噛んじゃったから、もっかい。笙真君、聞き手交代してくれる?」


「はあ!? 昴が自分でやればよくない?」


お化け(俺なんか)の声が入ってない方が絵面的にいいだろ。ほら、頼むよ、先生」


 拝むように両手を合わせながら、小首を傾げて頼んでやると、一瞬だけ空いた間のあとに先生がレベッカへの問いを口にしてくれた。眉間には深い皺付きだけど。


「⋯⋯あなたのお名前は?」


「カメラも構えてね。俺のスマホには笙真君も映ってるから、眉間の皺はなしでよろしく!」


 ついでとばかりに、言ってやると、やけくそ気味の声が戻ってきた。


「あなたのお名前はっ? 何歳かな!?」


「レベッカ・ルキーニシュナ・ペトロワ、五歳! はやくおうちにかえれるよう、これからポーリャのおなまえで、『明かし』のお兄ちゃまに魔法を教えてもらうの!」


 ピッ! 録画停止を示す、開始の時と同じ電子音が響く。


 夜着姿のまま頰を上気させて一息に答えたレベッカだけが収まった正面からのアングルと、彼女に加えて、結局、(しか)(つら)を変えなかった先生に、微笑ましそうな顔の知恵さんを加えた三人が一斉(いっせい)に写り込む、俯瞰(ふかん)からのそれ。二台のスマホに同じ数秒間を別々の角度から切り抜いた動画が保存された。



  ◇



 実のところ、基礎の教え方なんて、魔法の種類や家によらず、そんなに変わらない。


 魔力を練って、自分の身体に生まれ備わった魔法の型通りに発現させ、それが安定するまでトライアンドエラーを繰り返すのみ。


 EAPがあれば、エラーがデータとして見やすくなるので、多少は効率的にはなっているらしいけど、基本的に、出来るようになるまでとにかく数をこなせという点では、今も昔も大差がないのだ。


 そんなわけで、レベッカの初日の練習は《二つ身(デュプレックス)》をやってみせろという、先生の一言で幕を上げた。


「じゃあ、ポーリャちゃん。まずはとりあえず、狼の姿になってみて」


 日暮れまではもう少しあるにも関わらず、障子もカーテンも閉め切った、俺が最初にこの時代で目を覚ました二間続きの日本間である。


 煌々(こうこう)と灯る電灯の下で、ポーリャと名乗ることになったばかりのレベッカの返事は、きょとんとしていた。


 その証拠に、EAP経由で見た彼女の顔には、昼間からそんなこと出来るはずがないと、くっきりと書かれている。


「? よるじゃないからなれないよ?」


「なれるはずだよ。夜に変身した時は、どんな感じだった?」


 先生の言うことは、理屈の上では、間違えていない。


 《二つ身》の使用に、時間帯は関係ないのだ。


 レベッカが変身するのが狼だから、狼男の伝承や創作物によるイメージとごちゃ混ぜになって夜になると変身してしまうという印象が先行しているだけで。


 それをどうにかするには、昼間のうちに変身することが一番効く薬ではある。


 自分の思っている型の形を、実際の型に合わせるのだから、まあ、簡単とは言い難いけれども。


「おなかがざわざわして、気がついたらおおかみだったわ」


「じゃあ、そのざわざわを再現してみよう」


「うん、⋯⋯? ⋯⋯んー! ⋯⋯わかんない!」


「もっかい」


「⋯⋯むぅ、⋯⋯っ!」


「もう一度」


「⋯⋯⋯⋯ぐ、む⋯⋯できないよう」


「そのうちできるようになるから、あと三十分間続けるよ」


「え〜⋯⋯」


「ママに迎えに来てもらいたいんでしょ? もうなしにする?」


「しないわ。がんばる」


「いいお返事。じゃあ、頑張ろう」


「⋯⋯みゅっ⋯⋯! ――ぇや! ⋯⋯、⋯⋯」


 



 ――三十分後。


「できなかったのに、すごいつか()た」


 真っ赤な顔のレベッカが尻餅をついた。


 四月は今日からだというのに、その全身は夏の炎天下で運動したのと変わらないくらい汗だくで、ちょっとしたバケツの水を頭から被ったみたいだ。


「疲れたのは、魔力を使った証拠だよ。今日はもうおしまいにしよう」


「やだ、まだやりたい」


 汗のせいで肌にべったり張り付いたナイトドレス姿のまま、眉を寄せ、いやいやと首を振る幼女。

 そういう嗜好がある人間には堪らないのかもしれないが、残念ながら俺の好みは、もっと別のところにある。


「だーめ。朝のこともあるんだから。これ以上頑張ると、本当に熱が出ちゃうよ。だから、おしまい」


 練習の終わりを告げる先生の声に、なんというか、すごく懐かしい風景だなあと思った。


 もっとも、俺の時は、阿呆かってくらいにスパルタで初日はこの十倍(ろくじかん)だったけれど。


 先生には悪いが、あれは正直言って子供心にちょっとしたトラウマになっている。昔の話とは言え。


「あせで、べたべた⋯⋯」


 そんなことをなんとなく思った俺をよそに、呟きながら、自らの肩を抱いて夕方の冷え込みの中で震え始めるレベッカ。

 

 俺と「乗り合わせ」になっている彼女の頭へ、スポーツタオルを掛けてくれた先生が、バスルームへと続く廊下を示す。


「夕方はすぐ冷えるから、早く向こうで汗拭いて着替えてきなよ。一人でできる?」


「お背中は、むりだよう。てがとどかないもん。あと、かみのけも長いからじょうずにできないの」


「師匠ー、レベッカ嬢⋯⋯じゃなかった、ポーリャちゃんの髪、洗ってあげてー?」


「はいはい。あらやだ、汗びっしょりじゃないの。頑張らせすぎよ。ポーリャちゃん、このまま知恵さんとお風呂にいきましょ」


「だっこして、()かれてあるきたくない⋯⋯」


 甘えるように両手を差し出すレベッカ。


 その身体は、仕方ないなあと相合を崩した知恵さんによって、軽々と正面から揺すりあげられてしまう。


 マジかよ。


 レベッカの汗とは違う理由の冷たい汗が背中に流れるような錯覚を覚えた俺は、既に切ってある「下り」にだけでなく、(五感)と俺をつなぐ「上り」を、大慌てで全部まとめてオフにする。



 べっ、別に風呂の様子を見たいとか見たくないとか、もしかして今、レベッカのお腹のあたりが乗っかっている柔らかいのは、知恵さんの⋯⋯!? 


 ――って、そういう話じゃなく、節度ある大人の行動ってやつ。

 ホントの、本当に、それだけだい。



  ◇



 恐る恐る、まずは触覚を戻すと、レベッカの髪に手櫛が入れられているようだった。


 続いて、聴覚。


 耳元で、ドライヤーが唸っている。


 安心して残りの「上り」全部をオンにした俺の視界に、予想通り熱風によって()き上げられている長くて癖の強いブルネットの髪が入ってきた。


 髪を梳く知恵さんの手が心地よいのか、少しウトウトしそうになっているレベッカの首筋を彼女の代わりに軽く支えてやる。


 まだ寝るなよ、せめて飯食ってからな。


 レベッカの意識にそう呼びかけたのに引き続いて、聞いてみれば、両親の元から離されてから初めての、実に二十日(はつか)ぶりの入浴だったらしい。


 五歳のくせに頑固すぎねえか、ソレ。


 そうこうしているうちに、知恵さんの手でぴかぴかにされた彼女の肌は、それこそ本当に白磁みたいな透明な血色にあふれていた。


 パッチリした大きな琥珀色の目も相まって、なんというか、《狐》や狼というよりは、育ちのいい血統書付きの白猫みたいな愛くるしさがある。


 いや、実際のところ、血筋って意味なら悪くないのだろう。


 着るもの一つ取ってもそう。


 シルクのナイトドレスなんぞを持っている五歳児が庶民なわけがない。


 先生はもちろん、もしかしたら俺よりもいいところの娘なのかもしれない。


 ⋯⋯。


 ルー・ガルーの話だって、《狐》側の反対意見を抑えるための言い訳で、本当のところは、おおかた「あなまほ回避アプリ」の対価として差し出されたとか、そんなところだろう。


 取引条件に血統のいい子女を使うなんて話、例を挙げるまでもなく、洋の東西を問わずに大昔から俺のいた時代までいくらでもありふれているのだ。


 だとしたら、《二つ身》絡みでレベッカがいくら頑張って成果を出したところで――そこまで思ったところで、俺は考えるのをやめた。


 彼女と釣り合うような年齢である、俺より一回上くらい、つまり三十歳前後の宮代家の男に関して、そういった話があったなんて、俺の知る限り、聞いたことがない。


 きっと、何かの理由でポーリャあるいはレベッカは、宮代家の(もと)を去るのだろう。


 できれば、それより先に俺が二〇五〇年に戻れたらいいのだけど。

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