第6話 さあ、働こう
……あーあ、マジで来ちまった。
昨日の時点でこうなるとは分かっていた。分かってはいたが、実際に足を運ぶと違うもんだ。
目の前にあるのは、大きな木造の建物。荷馬車が横付けされていて、男たちが忙しそうに荷を運んでいる。中からは木材を叩く音や、男たちの掛け声が響いていた。
──まさに『仕事場』って感じだ。
「ここであってるんだよな……?」
手に持った紙の地図と照らし合わせて、もう一度確認する。うん、間違いない。嫌になるほどドンピシャだ。
……はあ、気が進まねぇ。
だが、どれもこれも飯のためだ。
昨日の時点で、こんなことは覚悟していた。
俺はため息をつくと、大きく一歩を踏み出した。
倉庫の中は思ったより広かった。とはいえ物がごった返しており、通路は狭い。木材や木箱、麻袋がそこら中に積まれ、男たちが忙しそうに動き回っている。何かの仕分け作業をしているようだが、俺にはさっぱりだ。
「おう、やっぱり来たな」
唐突に声をかけられる。顔を上げると、例の胡散臭い男――ゼクスがニヤニヤ笑いながら、嬉しそうに立っていた。
「……うるせぇよ」
とりあえず一蹴。
適当に返しつつゼクスを睨むが、全く気にする様子もなく、むしろ笑みを深めやがった。
「来るとは思ってたけど、ホントに来てくれるってのは嬉しいねぇ」
「なんだ、確信してたんじゃないのかよ」
「だってお前、働きたくねぇって全力で拒否してたじゃねぇか」
「……別に、それは今も変わらん」
金さえあれば俺がこんなとこに来るはずない。ルゼさえ見つかれば、仕事が途中でも気にせずバックレるつもりだ。
ゼクスはそんな俺をじろじろと観察し、ふっと笑う。
「まあまあ、そんなツンケンすんなって。まずは……そうだな、飯でも食うか。昨日のパン一つじゃ足りてねぇだろ?」
「まあな」
「ほら、こっち来い。朝食は用意してある」
「こんなすぐ……いいのか?」
「おう。腹が減ってちゃ、まともな仕事もできねぇからな」
どうやら昨日言っていた「飯を食わしてやる」ってのは本当らしい。俺は少し迷ったが、黙ってゼクスの後をついていった。
倉庫の奥には簡易的な食堂のような場所があった。丸い木製のテーブルがいくつか並び、そこに座って飯を食っている男たちがいる。粗野な連中ばかりだが、雰囲気は悪くなさそうだ。
「おい、新入り連れてきたぞー!」
ゼクスが声をかけると、男たちがこちらを見た。
「お、あんたが新入りか?」
「ゼクスが連れてきたってことは、また面白い奴か?」
「ま、よろしく頼むぜー」
軽く挨拶されるが、俺はなんて返せばいいのか分からず、ただ頷くしかなかった。
「……よろしく」
ぎこちない返事になったが、男たちは特に気にすることなく、また飯に戻る。社交性ゼロの俺にはありがたい反応だ。
「ほら、ここに座れ」
「あ、ああ」
ゼクスがとある席を指さした。そこには今の俺にとって、豪華すぎるほどの料理が並んでいた。
「……これ、俺のか?」
「おう。食えよ。タダ飯なんて久しぶりだろ?」
──野菜のスープ、焼きたてのパン、そして干し肉の盛り合わせ。
まじか。最高か?
目の前に置かれた飯を見た瞬間、どうでもいいことは吹き飛んだ。それはもう、一心不乱にかぶりついた。
「……おいおい、お前犬かよ」
ゼクスが苦笑いしているが、無視だ無視。今は待ちに待った飯の時間だ。
「いい食いっぷりだな。たらふく、食うのは構わないが……当然、食った分は働いてもらうからな?」
「……わかってるよ」
そりゃそうだ。世の中そんなに甘くねぇ。
スープを飲み干し、俺はゼクスに尋ねる。
「で、週に何日働けばいいんだ?」
「基本、週六だな」
「しゅ、週六!?」
「当たり前だろ、仕事だぞ」
当たり前ってなんだよ、そんなの知らねえよ。
……てか、週六って普通にキツくね?
「でもまあ、そんなブラックな環境じゃねぇよ。飯と寝床は保証するし、給料もそれなりに出す。まあ、お前がまともに働けるかどうかは怪しいがな」
「……ああ、それは否定できねえな」
俺の生活スタイルを考えたら、毎日働くってだけでも地獄のように感じる。
「とりあえずやってみろよ。意外と向いてるかもしれねぇぞ?」
「向いてるって、適当言わないでくれよ」
「ま、それはやってみてからのお楽しみだな」
──お楽しみじゃねぇ、どう考えても地獄だろ。
そんな会話を交わしているうちに、朝食はほとんど食い終え、空腹も解消された。これで当分動けるだろう。
「で、お前さ」
ゼクスが俺をじっと見ながら、ぽつりと口を開く。
うわ、またなんか来るのか……?
「よくわかんねえけど、眼帯ずっとしてるよな?」
「……」
思わず手が止まる。
この話題……いつかは来ると思っていたが、まさか初日から直球で突っ込んでくるとは。
デリカシーってのを知らないのか?
「何か理由があんのか?」
「いや、ちょっとな。昔の傷だよ」
「じゃ外せよ」
「は? 嫌だよ。話聞いてなかったのか?」
「お前なぁ……」
ゼクスが呆れたようにため息をつく。
「別に気にしねぇけどよ、暑くないか?」
「暑くないっての」
「へえ、俺なら鬱陶しくて外しちまいそうだけどな」
「そうかよ、俺は外さない。ほっといてくれ」
そう、絶対に外せない。右目に宿るのは、血のように深い紅色の瞳──悪魔の証だ。
これを見た瞬間、どんな奴でも態度を変えるだろう。だから、誰にも見せない。この瞳を隠すことで、ようやく俺は普通でいられる。
「ふーん、まあいいけどよ」
ゼクスは飽きたのかそれ以上追及することなく、またすぐに話を変えた。
「んじゃ、本題の仕事の説明でもしますか」
俺は内心ほっとしながら軽く頷いた。これ以上余計な詮索をされるのは面倒だし、興味が逸れたならそれに越したことはないだろう。
ゼクスは椅子の背にもたれかかりながら、机の上の紙を適当に指で弾く。
「端的に言うと、この倉庫が最近手狭になってきてな。ガッツリと拡張することになった」
「……へぇ、拡張ね」
「けど商会の人間だけじゃ人手が足りねぇ。だからお前を雇ったってわけだ」
「なるほどな」
要するに雑用ってことだろう。面倒なことこの上ないが、それくらいならまあできるかもしれない。
俺はそう思っていたのだが。
「……でだ、お前には力仕事をやってもらう」
「え?」
思わず聞き返す。
「え?ってなんだよ。ここで働くんだろ?」
「いや、力仕事って……この俺が?」
「おう。まあ簡単なもんだ。資材運んだり組み立てたり、あとは壁を補強したりな」
「いやいやいや、無理だろ」
「何が無理なんだよ」
「俺は筋肉もないし、そんなことやったことねぇぞ」
「そのへんは大丈夫だ。言われた通りにやればいい。だいたい最初はみんな素人だっての」
「……普通に疲れるの嫌なんだけど」
「それは知らん。真面目に働け」
「……」
納得いかねぇ。そもそも働くのがダルいってのに、力仕事? 意味が分からん。
「まあ、まずはやってみろ。ほら、早速そこの資材を向こうに運んでくれ」
「……運ぶだけか?」
「そうだ。ただし、そこそこ重いぞ?」
「えぇ……」
見るからに重そうな木材が転がっている。
……あーやっぱ無理だろ。めんどくさいし。
とはいえ何もしなかったら、飯だけ食った給料泥棒って扱いされるのは目に見えてる。役立たずとか言われて追い出されでもしたら、またあの路上生活に逆戻りだ。
仕方ねぇ……
俺は木材に手をかけ、周囲をチラリと見る。
皆それなりに鍛えているのか、普通に持ち上げて運んでいた。
しかし、俺にはそんな筋力はない。持ち上げるだけで精一杯だ。魔法を使えば簡単に運べるのだが、正体を隠している以上、あまり目立ちたくもない。
……いや、バレなきゃ問題ないな。バカ正直に運ぶとか、やっぱ考えらんねえわ。
「ヘヴィリフト」
小声で呪文を唱える。
次の瞬間、手に力が宿るような感覚が広がり、ふわりと軽くなった。
よし、これならいける!
「ふんっ……!」
俺は周りを気にしながらも、なんとか運んでる風を装う。見た目は完全に持っているように見せかけて、実際は魔法で浮かせて運んでいるだけだ。
「おお!? お前、意外とやるじゃねぇか!」
ゼクスが驚いたように言う。
「……ま、まあな」
思わず内心でガッツポーズ。こんなもん、ほとんど働いてるって感覚はない。
楽して金稼ぎ、最高じゃんか。
俺はギリギリのラインでそれっぽく振る舞いながら、次々と資材を運ぶことにした。
それからも作業は続いた。
木材を運び、壁の補強を手伝い、建材を配置する。
──もちろん全部、魔法で誤魔化してるが。
それでも、周囲からの評価は上々だった。
「おいおい、思ったより体力あるじゃねぇか」
「もっとへばると思ってたぜ」
「……あ、案外いけたな」
しかし、ここで問題が生じた。俺の働きぶりを見て、連中が妙なことを言い始めたのだ。
「あいつ、結構動けるな」
「最初の割にはバテてねぇし」
「もしかして、意外とやる気あるんかな?」
「いや、それはねぇだろ」
「だよな、あの顔見てみろよ。魂抜けかけてる」
──俺の顔がそんなにやる気なさそうに見えるのかよ。いや、実際ないけど。
だが、話はそこで終わらなかった。
「でもさ、あんだけ動いてるのに、なんか疲れてる感じが薄くねぇか?」
「確かに。俺でも多少は疲れるはずだぜ」
「そういや、汗の量も少ないような……」
「……まさかあいつ、めっちゃ力あるんじゃね?」
ピクッ──
おいおい、待て待て。なんでそんな方向に話が進むんだ。このままだと、どんどん面倒な仕事を押し付けられそうなんだが?
てか魔法でサボってるのも、なんだかバレないか不安になってきた。どうにか誤魔化し続けるしかない……。
そして、長い一日が終わった。
俺は大きく息をつき、壁に寄りかかる。実際はそんな疲れてないんだが、あくまでそれっぽく見せるのが大事だ。
「よ、お疲れさん」
ゼクスが軽い調子で声をかけてきた。
「……ダルかった」
「だろうな」
ゼクスは苦笑しながら、俺を見つめる。
めっちゃ長かったし、超ダルかったのは事実だ。ニート生活の弊害か、拘束されることへの嫌悪感が凄い。明日もこれだと思うと気が狂いそうだ。
「にしても、お前すげぇな」
「……何がだよ」
「一日中動いてたのに、全然バテてねぇじゃねぇか」
「そうか?ありえんくらい疲れたぞ」
「いやいや、普通あんな運び続けてたら、今頃もっとヘロヘロになってるもんだがな……」
ゼクスは腕を組みながら、しばらく俺を観察するように眺める。そして、ふっと目を細めた。
「……お前さ、もしかして何かズルしてねぇ?」
……え、バレた?
心臓が早く鼓動を打つ。焦りが顔に出る前に、俺はすぐに言い返した。
「何言ってんだ、知らねぇよ」
「ふーん?」
ゼクスは疑わしそうに俺を見つめたが、結局、それ以上は追及してこなかった。
「ま、いいさ。とりあえず今日はゆっくり休めよ」
「……ああ」
たぶん、確証がないから深追いしないだけだろう。
こいつの目つき、なかなか鋭いな。
ゼクスは軽く手を上げ、さっさとその場を離れる。俺は深くため息をつき、宿舎へ向かった。
……魔力を使って体力を維持するのは、別に悪いことじゃない。連中も自身に強化魔法を使って、身体を動かしていた。
だが、俺はそんなレベルじゃない。魔法そのもので重いものを運び、道具も器用に扱える。さらに魔力量も人間と比べて桁違いだ。だから、切れる心配もそうそうない。
しかし俺の知る限り、ここまで魔法を使える人間は、この世界に数少ないのだ。このことが知られたら、さすがに面倒事は避けられないだろう。
そして、最悪のシナリオもある。
もし俺が悪魔だってバレたら……
やっぱり、使う魔法はほどほどにするか。