第1話 従者の帰りが遅すぎる
「お、遅い……」
無機質な部屋の中、俺──ノクトはベッドに寝転がっていた。一日中寝て過ごそうが、ボーッと天井を見つめてようが、ここでは誰にも文句を言われない。
つまり、最高の環境だ。
けれども、今日はどうにも落ち着かない。体勢を変えても寝返りを打っても、やはり違和感が拭えない。
その原因は分かっていた。いつもならとっくに戻ってきている俺の従者──ルゼが帰ってこないからだ。
……まあ、順を追って説明しよう。
まずこの部屋について。広さはざっと二十畳ほど。壁も天井も灰色の石材でできていて、装飾らしいものは一切ない。家具はベッドと机、それから棚だけ。あとは、食料を保存するための木箱が置かれているくらいだ。
まさに必要最低限──だが、これで十分。
むしろ、これ以上のものは不要だった。
そしてこの部屋のすぐ隣。薄い壁を隔てた向こう側には、もう一つ部屋があった。
ルゼの部屋だ。
もともと彼女は「同じ部屋で構いません。むしろ、そちらの方が……」などと言っていたが、当然のごとく却下した。
何を考えてたかは知らないが、従者といえど同室はまずいだろう。俺だって一応男なんだから。ホント、何かあったらどうするつもりだったのか……いや、何もないけどね?
とにかく、無理やりにもう一部屋作らせた結果、なんとか落ち着いたというわけだ。
──そうして出来上がったこの空間こそ、俺にとっての理想郷だ。
部屋の広さはそれなりで寝心地はバツグン。食事はルゼが運んでくれるし、誰にも邪魔されず好きなだけゴロゴロできる……!
控えめに言って、あまりにも最強だった。
正直この部屋以外の場所には、もう何の存在価値も感じない。外に出るのも面倒だし、働くなんてもってのほか。
俺の人生は、このベッドの上で完結しているのだ。
……あれ、流石に気づかれてしまったかな?
そう、俺は紛れもないニートである。しかも三年間一歩も外に出ていない、筋金入りのプロフェッショナルニートなのだ。
でも、勘違いしないでくれ。昔はそれなりに活動的だった。むしろエリートだったと言ってもいいだろう。優秀で人望もあり、それなりの評価も受けていた。
──だが、それももう昔の話。
今となっては天井を見つめていた方がマシ、という境地にまで達している。いやはや、慣れとは随分と恐ろしいものである。
そんな俺に仕え、養ってくれているのが凄腕の冒険者・ルゼだった。
彼女は月に一度は出稼ぎに行き、そこで稼いだ金で食料を買ってきてくれる。出かける時なんか「主様は気楽に待っていてくださいね」などと明るい笑顔で言い放ち、颯爽と部屋を出ていく。その身軽さというか行動力を見ていると、逆にこっちが疲れてしまうほどだ。
そして帰って来ては、働きもしない俺の世話を焼き、ご飯まで用意してくれる。まあなんとも気味が悪いくらいに、よくできた自慢の従者なのである。
……ところが、そんなルゼの帰りがやけに遅い。
彼女は冒険者ギルドに所属しており、いつも高額報酬のクエストを受注しては、サクッと片付けて帰ってくる。
普段なら余裕をもって三日、遠方へ行くとしても五日程度で帰ることが多い。けれども今回、もう一週間は経っていた。
もちろん、いつもより高難度のクエストで時間がかかっている可能性はある。想定外の仕事が舞い込んだのかもしれない。
彼女のことだから、致命的なトラブルに巻き込まれたとは考えづらいが、これだけ待たされるのは久しぶり……というか、初めてかもしれない。
「ルゼのやつ、金稼ぎに難航してるんかなあ……」
そう呟いてみたものの、そこまで焦る気にはならなかった。彼女は強いし、相当優秀な冒険者だ。大抵のことは難なく解決してしまうだろう。
だからこそ、俺はこのベッドから起き上がる気にもならない。うんうん、これは仕方がないことだ。もはやルゼが悪いとまで言っていいだろう。
「まあ、放っておいてもそのうち戻ってくるよな」
そう決め込んで、俺は再び怠惰に身を沈めるのだった。
──あれから一週間後
だが、遅い。流石に遅すぎる。ルゼのことを信じているとはいえ、こうも不在が続くと不安を拭いきれない。
加えて俺の方にも問題が出てきた。こっちの方が深刻と言っていいだろう。
……食料が着々と減ってきているのだ。
水はなんとかなるのだが、食料は自給自足できるような場所ではない。仮にできたとして、今さら俺が狩りや採集なんてのは無理だ。
三年間まともに動いていない、引きこもりニートなのだから。
「ルゼ、このままだとお前の主様が餓死するぞー。おい、おーい……」
虚しい呼びかけが、壁に反響して消えていく。今回ばかりは、本格的に何かあったのかもしれない。
うーむ、一体どうしたものか。
「食料はあとどれくらいあったっけ……」
重い腰を上げて、木箱の中身を確認する。
残るは乾燥肉が数切れ、パンが五個、あとは缶詰が一、二個あるくらいだ。これらを小食に分配すれば、あと数日はなんとかなる。
けどそれ以降は……どう考えても飢え死にコースだ。
なのに「ルゼを探しに行く」という選択肢が浮かばないのは、我ながら呆れる。彼女が帰ってくる前提で生きているので、どうにも行動する気にならないのだ。
まあ、もう少し待つことにしようか。
外に出るなんてのはまっぴらゴメン……というか無理だ。街なんて何年も行っていない。人と話すのは億劫だし、仮に行ったところで俺に何ができるのか。想像するだけで気が滅入る。
そうなると、やはり頼りになるのはルゼしかいない。ここまで人をダメにしたのだ、彼女は責任を取る義務がある。
でも、帰ってきたら少し説教しないといけないな。
ルゼはしっかりもので、無気力ニートな俺とは大違いではあるのだが、それでも誰かのもとで働く以上「報連相はしっかり守れ!」と言ってやらねば。これが一番大事なことだからな。
……はあ。まったく、世話のかかる従者なことだ。
そんな決意を胸に抱いて、俺はベッドに潜り込む。腹減りでよく眠れないが、身体を動かさない限りは多少なりとも消耗を抑えられるだろう……。
──さらに、一週間後
結論から言おう。完全に食料が尽きた。予備の分も完全に空になったのだ。終わりだ。もう終わりなのだ。
木箱の中身はすべて空っぽ。底をなめ回してみても、やっぱり何も出てきやしない。
俺は見事に詰んだのだった。
「ル、ルゼェ……どこいっちまったんだぁ……」
床にへたり込みながら、情けなく呟く。
今までは「もうちょっと待てば戻ってくる」と高をくくっていたが、ここにきて本気で焦りだす。
もしもルゼが俺を見限り、二度と帰ってこないと決めていたとしたら?そう考えると、胃がひりつくような感覚に襲われる。
……そんな可能性、いくらでもあるんだよな。
だって俺はニート。働きもせず、のうのうと暮らすだけのヒモ男だ。
主従関係はって? いやいや、あんなものはただの建前。実際のところ、なぜか彼女が善意で面倒を見てくれているだけなのだ。
俺に対する忠誠心なんて、本当は無かったのかもしれない。ただの気まぐれ、俺が死なない程度に食わせておくのが楽しかっただけとか。あるいは何か別の理由があって、利用するために傍にいただけとか──
「帰ってきてくれるなら、土下座だろうが何だってするのによぉ……」
薄暗い部屋に声だけが響く。返事なんてあるはずもなく、待てど暮らせど扉は開かない。
そしてあまり考えたくないが、もう一つの可能性。
ルゼの身に何かあったかもしれない、ということだ。もし何か不測の出来事が起きて、彼女が帰れない状況に陥っていたとしたら?もし助けを待っているとしたら?
そうなれば、残る手段は一つしかないわけで……。
「くそっ、行くしかねぇか」
本当に嫌だ。外になんて出たくなんてない。だが生き残るためには、どうにかして食料を得るしかない。
俺は重い腰を上げ、渋々と準備を始めた。
「そうだ。外に出るならあれを用意しないと……」
重要なことを思い出し、俺は部屋の一角にある小さな棚へと向かった。そこには昔の装備やちょっとした貴重品などが雑多に詰め込まれている。多くは使えそうにないガラクタだが、底のほうを探れば懐かしいものが出てきた。
一枚の黒い眼帯。
かつて地上で、素性を隠すために使っていたものだ。これがないと街には入れない。
というのも、俺にはバレるとそれなりに“まずい秘密”があるのだ。これも外に出たくない理由の一つである。
だがこれをつければ、ある程度は一般人として活動することはできるだろう。
……まあ、眼帯をしている方が目立つのでは?という気がしなくもないが。
「しかしこんなもん、まだあったんだな……」
眼帯を手に取り、じっと眺める。きっとルゼが捨てずに取っておいてくれたのだろう。
これを着けて外を歩くのはいつ以来だろうか。妙に懐かしいような、ちょっと苦いような気分が胸をかすめる。
俺はその眼帯を右目に装着した。左右の視野がずれる感覚に少し違和感を覚えるが、すぐに慣れるだろう。
そして部屋の隅に放置していた黒い剣へと手を伸ばす。かつて相棒だったはずの剣だが、今や見る影もない。手入れを怠っていたため埃を被り、刃はどこかしらくすんで見えた。
「……まあ、ないよりはマシだよな」
剣を鞘へと戻し、腰に固定する。ベルトを調整しながらその重量を確かめると、どっしりとした感触が伝わってきた。
これで、最低限の準備は整った。
「よし、あとは……やるしかねぇな」
覚悟を決めて扉に手をかける。その瞬間、鉄製の扉が音を立てて開き、湿った空気が隙間から流れ込んできた。ひんやりとした風に、俺は思わず身震いする。
──そこで待ち受けていたのは、石造りの大空間
所々に埋め込まれた魔法灯が、薄暗く石壁を照らす。足元に目を向ければ、かつての戦闘の痕跡が残る石畳。踏みしめるたび、わずかに砂がこすれる音がした。
懐かしい……いや、どこか落ち着く。
久しぶりのはずなのに、不思議と違和感はない。それどころか、胸の奥に妙な高揚感すら湧いてくる。まるで、ずっと戻ってくるのを待っていたかのような感覚。
──何を隠そう、ここはダンジョン四十九階層
外に出なさすぎて忘れかけていたが、俺はダンジョンの隠し部屋に住み着いていたのだ。