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第三十五章 後悔はないのか

 後に大きく傾ぐ身体。

 背にした柵を越えそうになる。

 光が小さく悲鳴を上げた時だった。それに被せるように、第三者の声が屋上に響き渡った。


「そこまでだ。伊藤静!」

 聞き覚えのある声が聞こえたと思った瞬間。光は腕を掴まれ、後に傾いだ身体を引き戻された。

「空」

「おっす。お待たせ」

「大丈夫か? 光」

 心配げな声を上げたのは、静を羽交い絞めにしている海だった。

「出てくるのが遅いよ。おまえら」

 光は空に腕を掴まれたまま、その場に座りこむ。情けないが、力が抜けたのである。

「いやー、さすがに二人は若いだけあるな。おじさんは君たちの瞬発力にはかなわないよ」

と、この場にそぐわないのんきな声をあげて、後から姿をあらわしたのは、私市刑事であった。

「私市さんはまだ若いやないですか」

 私市に合わせて、海がのんきな声を上げた。

「ちょっと、なんなのよ、離してよ! 逃げも隠れもしないから」

 暴れ出す静をもてあまし、海は私市を見やる。私市は頷いた。

 海は静をゆっくりと離す。

「本当に乱暴ね。嫌になっちゃう」

 服をはらいながら、そんなことを言う。

「乱暴なんはおまえやないか。光を殺そうとしやがって」

「そうだそうだ。おまえおかしいよ」

 空が光を立ち上がらせながら、海の言葉に追従する。

「別に殺そうとなんてしてないわ。ちょっとじゃれあってただけじゃない」

 静の言葉に、海と空は唖然とした。光は、仏頂面をつくり、私市は顎に手をやり面白いものを眺めるように静を見つめた。

「ようそんなこと言えるな。俺たちは全部聞いててんぞ」

「そうだよ。石井さんも川崎さんも桜田さんまで殺したのがおまえだったってことをな!」

 大声を上げた空を、嫌そうに見て、静は口を開いた。

「あなたたち、入口の付近にかくれていたんでしょう? あの位置まで声が聞こえるわけないじゃない。それに、私が殺したっていう証拠がどこにあるっていうのよ!」


『ええ。殺したわ。だって、邪魔だったの。あの子たち』


 不意に上がった声に、皆の視線が集中した。その視線の先にいたのは光だった。彼の手には何かが握られている。それに付いているボタンを押すと、そこから聞こえていた声が途切れた。

「ボイスレコーダーだよ。君と僕との会話は全てここに入っている」

 光はそれを彼女が見えやすいように持ち上げた。

 静が歯噛みする。

「それから、これや」

 そう言って海が自身の携帯電話を持ち上げた。

「光に俺から電話かかってきたん憶えてるよな。あんとき、光は電話を切るふりして、本当は通話状態のままおいてたんや。だから、俺らにもお前の話は筒抜けや」

 静は冷ややかな目を海に向けた後、かすかに口の端を上げた。

「嘘よ。私が言ったのは全て嘘。ちょっとした悪ふざけよ。春名くんの推理が余りにも的外れで面白かったから、それに乗っただけ。あなたたちも御苦労なことね。こんな悪ふざけのために、隠れて聞いてたなんて」

「往生際が悪いな」

 空が声を上げた。静はそんな空に挑戦的な目を向ける。

「なら、証拠はあるの? 私がムッコとエリを殺した証拠が。証拠もないのに私を犯人扱いして……」

「伊藤さん。君、キーホルダー持ってる?」

 突然、光がそう尋ねた。

「何言って……」

「ほら、中学の修学旅行の時にお揃いで買ったキーホルダーだよ。いつも持ち歩いてるって言ってたろ」

 空は黙って光の言葉の続きを待った。いつもなら、何言っているのかと問いただしていたところであるが、空は光に事前に聞いて知っている。光の真意を。

 海も私市も口を挟まないつもりだろう。しずかに事の成り行きを見守っている。

「あのキーホルダー、爪切りになってたよね。亡くなった川崎さんの爪は片方の手だけ、切られていたんだ」

 静の眉間に皺が寄る。

「ちょうど君の腕にある傷と同じ、左側の手の爪だけがね」

「それがなんだっていうの。この傷は男に襲われたときにナイフでついた傷よ! そう言ったでしょう」

「なら、見せてくれないか? その傷を」

 静の言葉を途中で遮ったのは、私市だった。

「君のその腕の傷をみせてくれ」

 もう一度同じ内容の言葉を口にした私市は、自身の腕を使って傷のある場所を示した。

「まだ、傷はふさがっていないだろう? その傷がナイフで切られてできたものなのか、それとも爪で引っかかれてできたものなのか。見ればすぐにわかるはずだよ」

 静が自身の腕に触れた。ちょうど、以前会った時に、包帯を巻いていた場所だ。

「見せる必要なんてないわ」

「ナイフで切られた傷だってんなら、隠す必要なんてないじゃん。見せれば、疑いも晴れるぜ」

 空が静に挑発的な表情を向ける。静の顔が歪んだ。

 そんな彼女の様子に、私市は苦笑いを浮かべると口を開いた。

「もう一つ言っておく。川崎杏奈が亡くなった現場に、被害者のものではない血痕が残っていた。調べればすぐに分かるよ」

 静が驚きの表情を私市に向ける。

「それから、岸谷さんは生きてるよ」

 その言葉に、静が反射的に光に視線を向けた。大きな目をさらに見開く。

「意識を取り戻したんだ。岸谷さんはあの日、あんたに呼び出されたって証言したよ」

 空が、不機嫌を滲ませた声で告げた。

「あいつが嘘ついてるのよ。私は電話なんてしてない」

 静が声を上げる。光はいつもの無表情に戻って、静を見つめた。

「伊藤さん。君の負けだ。君は喋りすぎた。ニュースでは、川崎さんの死因を詳しくは報道されていないんだ。でも、君は死因が溺死であると知っていた。警察以外には知らない情報を知っていたんだ。事細かに殺害方法まで喋ってみせたんだよ」

「何よそれ。じゃあなんで、あなたは知ってたのよ。アンナが溺死で、爪が切られていたってこと。あなたも犯人しか知らない情報を知っていたってことでしょう。そうよ。あなたが犯人なんじゃないの? 私を陥れようとしてこんな話……」

 大きな溜息が辺りに響いた。その溜息を吐いた人物は、髪を無造作にかきながら、静に寝むそうな目を向けた。

「残念だけど。光君にあの子が溺死だったと話したのは俺だよ。まあ、爪に関しては、最初から切られていたと、分かっていたようだけど?」

 そう言って、光に視線を向ける。光はその視線を気にも留めていないように、静を見つめている。

「ほら、やっぱり。やっぱりあなたが犯人なんじゃないの? 爪が切られていたって知っていたのはおかしいじゃない」

 余裕を取り戻したかのような静の笑顔。

「ふむ。それは俺も聞きたいね」

 空は、私市の言葉に内心、どっちの味方だよと思う。

 光は一度大きく息を吐いた。

「僕は知っていたんじゃない。推測しただけだ。君の腕に傷があるのを知った時にね。もし君が犯人で、その傷は川崎さんを殺害したときについた傷だったら。君一人の犯行なら、殺害場所はあの川だろう。君一人で、誰にも見られずあの場所へ遺体を捨てたとは考えにくい。もし、殺害しようとしたときにもみ合って手に傷を負ったとしたら、爪で引っかかれた可能性が高い。もし、そうなら、君はその痕跡を消そうとするはずだ。君は、爪切りとしても使えるキーホルダーを常に持っていると言っていた。それを信じるならば、それで爪を切ったか、川の水で手を洗ったかしたんじゃないかってね。あくまで、推測の一つにすぎない。だから、空たちに確認してもらったんだ、私市さんに。可能性を一つ一つ潰す目的で」

 静は額に手をやって口を開いた。

「は、もう、ヤダ。もう否定するのも面倒くさくなっちゃった。血も残ってたなんて。すぐに抑えたつもりだったのに……当たりよ当たり。全部春名くんの推測どおりよ」

 静は大きな溜息をついた。

「はあ。しょうがないか。刑事さん、私自首します」

 あっさりと、静は告げた。先ほどまでの粘りが嘘のようだ。

 呆気にとられた一同をしり目に、静は私市に歩み寄る。

「私が、ムッコとアンナを殺しました」

「あ、そう。でも何で急に?」

 それは空も聞きたい。先ほどまで、あれほど否定していた人物とは思えないほど、あっさりと罪を認めた彼女の真意が分からなかったからだ。

「自首した方が、罪、軽くなるんでしょう」

「はぁ。そういうこと」

 間の抜けた声を上げた私市は、一度頭を掻くと、静の背を押して警察署へ行くよう促した。

「伊藤」

 海はドアを潜ろうとしていた静の背に、呼びかけた。

「おまえ、悪いとは思わへんのか? 三人に」

 静は足を止め、少し振り向くと、海に向かって口角を上げた。

「悪い? そんなの思うわけないじゃない。私は、ただ、邪魔な虫を排除しただけ。私の幸せを守るためには仕方なかったのよ」

 静はまた、ドアの方へ身体を向けると私市とともに歩き出した。

「そんなんおかしいやろ。友達殺して、幸せになんかなれるわけないやんか。絶対、絶対、後悔するで、いつか絶対後悔するからな!」

「分からない人ね。あれは友達じゃないって言ったでしょ」

「でも、石井さんも川崎さんも、君のこと友達だと言っていたよ。嫌な奴ならお金積まれても一緒にいないって、そう言っていた。少なくとも彼女たちは、君のこと友達だと思っていたよ」

「そんなの、嘘よ」

「おまえら、中学んときからずっと一緒におったんちゃうんか。嘘かどうかくらい、ほんまは分かるやろ」

 海の言葉に、静は背を向けて、小馬鹿にしたように肩をすくめてみせた。そのまま、静達の姿は見えなくなる。

 海は、両脇に下ろした拳をきつくにぎり締めた。腕が震える程、強く。

「なんでや。友達を邪魔ってなんやねん。命はそんな簡単なもんとちゃうやろ? それが、何で分からへんねん」

 海の弱々しく響いた言葉は、灰色の空へ吸い込まれて消えた。



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