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第三十一章 嘆き

 ひんやりとした、病院の中。待合室にある長椅子に腰かけていた海は、両膝に肘をおき、拳を作った手に額を乗せた。

 日はもうすっかりと沈んでいる。診療時間を終えた病院内は、申し訳程度の照明しかついておらず薄暗い。

 岸谷は今集中治療室へ入っている。手術は成功したものの、予断を許さないと医師は言った。

 怖くて、怖くて仕方なかった。

 大切な人ばかりが、海の前から消えて行く。なぜ、どうしてと思っても、答えなど出ないことを知っているのに。どうしても考えずにはいられない。

 海が大きく息を吐き出した時、近づいてくる複数の足音が耳に届いた。

「あ、海いた」

 空の声だ。そう思って、ゆっくりと顔を上げた海の目に、やはり思った通りの人物がいた。その後に、もう一人が続く。

「海、大丈夫か」

 抑揚の無い声でそう声をかけたのは、光だった。頭には包帯が巻かれている。

「それは、こっちのセリフやろ。おまえは大丈夫なんか?」

 海が自身の前に立った光を見やる。

「僕は大したことない。たんこぶができてるけど」

 光は、自分のことではないように淡々と答えた。

「なあ、帰ろうぜ」

 もう疲れたよと、空が海に声をかける。

 海は、大きく溜息をついて、先ほどと同じように手に額をつけた。空と光は戸惑ったように顔を見合わせる。

「ほんまに、先生なんやろうか」

「え? 何」

 囁くような声音だったせいだろう。聞き取れなかったのか、空が問い返す。

「ほんまに先生が、石井や川崎を殺したんやろうか」

「でも、本人が認めてたじゃん」

 空は、悲しげに顔を伏せた。海の様子に、胸を痛めたのである。海は頭を横に振った。

「でも、俺、やっぱり信じられへんねん。先生は、俺がすっごい落ち込んでる時に、俺を励ましてくれてん。俺に前を向いて生きろって言うた先生が、石井達を殺すとは思えへん。石井達の親が、自分と同じ気持ちを抱えるって分かってて、先生がそんなことするやろうか……」

 最後の方は自身に問いかけるように、海は囁いた。

 人の姿の見えないこのフロアでは、その囁きも二人の耳に届いた。

 空は一人座る海を見下ろした。顔を俯けているせいで、海の表情は分からない。

 海は相当岸谷のことを信頼していたのだろうか。先生がそんなことするわけない。そう、思いたがっているように見える。

 実際に、岸谷は絵里の名を騙ったメールを石井たちに送っていた。そう認めたのだ。それだって、彼女たちが苦しむかもしれないと分かっていてやっていたのだろうと、空は思う。それなら、岸谷が石井たちを殺していたというのもおかしいことではないはずだ。

「海、でも……」

 空が、海に呼びかけた時。光に肩を軽く掴まれて、空は口を閉ざした。光は、少し黙ってろというように、空を見る。

 彼は足をかばいながら、ゆっくりと海の横に座った。

「海、僕もそう思うよ」

 本当にそう思っているのかと問いたくなるような、淡々とした口調。海は訝しむように光に顔を向ける。

「何?」

「僕も、石井さんや川崎さんを殺したのが、あの人だとは思えない」

 空は、その言葉にえっと声を上げた。海も驚いたように目を見開く。

「何で驚くんだ」

 気分を害したように、光が眉を寄せる。

「いや、だってさ。認めてたじゃん。伊藤さんが、あんたが殺したんだって言った時にさ、岸谷さん認めてただろ? 聞いてたよな。光」

 空の脳裏に、全ては俺のせいだと言っていた岸谷の顔がよみがえる。

 光は空を見上げた。

「確かに彼は、すべて俺のせいだと言った。でも、彼は一言も自分が殺したとは言わなかった」

 その言葉に空はあっと声をあげそうになった。そう言われれば、確かにそうだと思ったのだ。光が、岸谷に、すべてとはどこまでをさすのだと聞いていたのを思い出した。

 海がじっと光に視線を注いでいる。光の次の言葉を待つように。

「彼がはっきりと認めたのは、メールの件だけだった。でも、たぶん。君島さんのあとをつけたのもあの人だと思う」

「そんな……」

 そんなことないと言おうとしたのだろう海に、黙るようにと口元で指を一本立てて見せた光は、そのまま言葉を続けた。

「海が君島さんのあとをつけたのは先生かと聞いた後、彼は全てその通りだと言っただろ。それはたぶん言葉のまんまだと思う。ただ、僕たちが思っていた意味ではなかったのかもしれない」

 僕たちが思っていた意味ではない。それはつまり、君島さんを害そうとして、彼女の後をつけた訳ではないと、そういう意味か。空が考えている横で、光はなおも言葉を続ける。

「君島さんに、メールを見せてもらったんだ」

「え? メールって悪戯メールか?」

 空の問いに、光は曖昧な言葉を呟いた。

「いや、悪戯のようで、悪戯でないような」

「意味分からん」

 光は不機嫌そうに漏れた海の言葉に苦笑した。

「ムッコも死んだ。アンナも死んだ。次はユカかも知れない。気をつけて」

「聞き覚えあるな」

 そう漏らした海の横に立っていた空は、首を捻った。

「俺知らねー。何それ」

「君島由香が事故に遭う前にきたメールの内容だよ。空が怒って病室を出た後、直接見せてもらってから、僕はおまえのあとを追ったんだ」

 空はああ、あの時ねと、呟いた。

「君島さんはあのメールを見て、怖くなったと言っていたが、あのメールはそのままの意味だったんじゃないだろうか」

「そのままの意味?」

 空が首を傾げて尋ねると、光は頷いた。

「そうだ。メールを送っていた石井さんと川崎さんが相次いで亡くなったことを知って、君島さんの身を案じて送ったものかもしれない。君島さんには脅しのように映ったようだけど」

 海は目を見開いた。空も同様に驚きの表情を作る。

「それで言うたら、先生が君島さんのあとをつけたのは、君島さんの身を案じたから?」

 海の言葉に、光は頷いた。

「その可能性が高いと思う。結果的には、逆効果になってしまったようだけど」

「そういや、君島さんが事故に会う前、危ないって男の声が聞こえたって言うとったけど、あれ、先生やったんかな」

 海は大きく息を吐き出した。片膝に肘をついて、その手に顔をうずめる。

「海?」

 光が声をかけた。

「先生は、後悔しとったんやろうな、俺みたいに。……俺、先生のこと信じたいって思っとった。でも、先生のこと、信じ切れんかった。ほんま、何やってんねやろ」

 海の声が少し震えているような気がして、空は海を見下ろす。今にも泣きだすのではないかと思ったのだ。

「君島さんが事故った時も、あの時、俺に電話くれてたのに。俺、電話でれんくて。先生とも、もっと早く話してたら、こんなことにはならなかったかもしれん。俺、ほんまに、なんでこんなに何もできへんのかな」

 辛そうに吐き出された海の言葉。その言葉を聞いて、海の横に座る光が動いた。

 海を抱きしめるように、横から手を伸ばしたのだ。

「光?」

 驚いたように身じろいだ海の耳元で、光の声が響く。

「おまえにも、できることはあるだろう」

 海に回した腕に力を込めて、光は続ける。

「少なくとも僕は、おまえと空に救われたよ。海と空がいてくれたから、僕は今ここにいるんだ」

 小さな声だったが、その言葉は海と、そして傍らに立つ空の耳にも届いた。

 海はゆっくりと片腕を光の背に回して抱き返すように力を入れた。

「ありがとう」

 囁くように海は呟いた。

 その横で、ずっと立っていた空がぐっと拳を握った。

「あー。もう無理だー」

 いきなり大声を上げた空にびっくりして、光と海は身体を離して空に目を向けた。薄暗い照明の下、空の顔を見た二人は交互に声を上げる。

「空?」

「何で泣いてんねん」

 海が突っ込んだ通り、空は大粒の涙をこぼしていた。嗚咽を漏らしながら、空は腕で流れてくる涙をぬぐった。

「だって、か、海はなんかずっと辛そうだしさ、光は、なんかいいこと言うしさ。やっと、仲直りできたんだっ、とか、色々思ったら、我慢してたのに、もう、無理だー」

 あまり要領を得ない言葉だったが、とにかく二人を見ていたら泣けてきたとそういうことだろうか。海と光はそう考えて、顔を見合わせ苦笑した。

「なんや、悪かったな。空」

「僕も、ごめん」

 謝罪の言葉を口にした二人に向かい、空は悪態をつくようにホントだよと言って口元に笑みを乗せた。涙を腕でぐいっとぬぐうと、晴々とした笑顔で二人に告げる。

「よしっ、じゃあ、海の先生の容疑を俺たちで晴らそう! 先生がこのまま殺人犯にされちゃたまんねーもんな」

 つい先ほどまで大泣きしていた空の明るい声に、呆気にとられていた二人は顔を見合わせた。

 光は気を取り直すように一つ咳払いすると、空と海を交互に見た。

「僕に一つ考えがある」

 空と海は話を聞くべく、光に身を寄せたのだった。


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