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第二十八章 別れ

 あーあ。やっちまった。

 空は自分の部屋に入り、扇風機をつけて畳の上に寝転がった。先ほどの怒りがまだ残っているせいか、少々荒っぽい動作である。外を歩いて火照った身体には、肌に当たる畳の温度が心地よい。

 扇風機の風が涼を運び、汗をかいた身体から熱を少しずつ奪っていく。そのせいというわけではないだろうが、沸騰していた頭もだんだんと冷めていった。冷めてしまうと、胸に後悔が湧きあがって来る。

 光と喧嘩してしまった。

 ただでさえ、光と海の仲がぎくしゃくしているのに、自分まで喧嘩してしまっては誰が仲裁するのか。

 空は溜息をついてしまった後で、口を手で押さえた。しまった。これでまた一つ幸せが逃げてしまった。

「やっぱ怒鳴ったのはまずかったかなー。でも、あれは光も悪いし。謝るのもしゃくだよな」

 独白した空は、腹筋を使って半身を起こす。背中に扇風機の風が当たった。

 どうすればいいか、どうしようか。そんな言葉が頭の中を占拠する。

 しばらくぼうっと座り込んでいた耳に、玄関のチャイムの音が入ってきた。

 面倒くささを顔に表した空だったが、立ちあがると扇風機を止めて、商店街の裏手に当たる玄関まで下りて行った。

 誰かを確かめもせずドアを開けた空の前に姿を現したのは、海だった。

「空、何でそんな怖い顔してるん?」

 尋ねられて、空は思わず顔に手をやった。

「え? 怖い顔してる? 俺」

「うん。めっちゃ」

 簡潔に頷く海に、空は罰の悪い表情を作った。

「さっき光と喧嘩しちゃってさ」

 海が少し目を見開いた。

「いつもしとるやん」

「いつものとちょっと違うんだよ」

 少しむきになった空に、海が微笑した。

「ああそうか。いつもはじゃれとるだけやもんな」

 空は、ふんっとそっぽを向く。

「なあ、空」

 海の呼びかけに、顔を向けた。そして、あっと思う。いつまでも海を玄関先に立たせておくのもどうかと思ったのだ。

「悪い、海。とりあえず上がれば」

 空の誘いに、海は首を横に振った。

「いや、あの、ちょっと付き合ってもらいたい所があんねんけど」

「どこ」

 短い問いに、海はどことなく暗い表情で空に目を向けた。

「先生んとこ」

「先生?」

「あ、えっと。あれや。桜田絵里の父親」

 その言葉で、先生という名詞に覚えた疑問が得心に変わった。桜田絵里の父親が海の小学校時代の担任だったと聞いたことを思い出したのだ。

「はっきりさせたいねん。先生がメールを送った犯人やったんか。犯人やったら、ちゃんと君島さんらに謝ってほしいねん」

 空はしばらく海の顔を見つめた。海の顔が余りにも辛そうに見えたからだ。学校では笑顔ばかりが目に付いていたが、最近、海は暗い表情をしていることが多い。こんなことが立て続けに起これば、それは当たり前のことなのかもしれない。だが、それだけではないような気が、空はしている。

「分かった。行こうか」

 思いを振り切るように声を出して、空はたたきに降りて靴を履いた。




 伊藤静から光の元へ連絡が来たのは、空が怒って部屋を出て行ってから三十分が過ぎた頃だった。

 かかってきた電話に出た光の耳に、すでに聞きなれてしまった少女の声が入ってきた。

『春名くん。私、どうしていいか分からなくて』

 どこか怯えたような声音。嫌な予感を覚えて、光は声を絞り出した。

「何かあった?」

『電話が来たの。相手は、ムッコとアンナを殺した犯人だって名乗ってる』

 光は息を飲んだ。それに気付いたのかどうか、静は先を続けた。

『事件の真相が知りたければ、警察には告げずに会いに来いって……男の人の声だった』

 思考回路が停止したかのように、光は言葉が出てこなかった。犯人の言うとおりにするのは危険すぎる。

「警察に、いった方がいい」

 光が声を押し出すと、少しの沈黙の後、静の言葉が耳に届く。

『やっぱり、駄目よ。私、会いに行こうと思う。警察に言ったら、もう犯人は私と接触をしてくれないかもしれない。このままうやむやになるなんて嫌。いつ殺されるかって怯えてる由香のためにも、私自身のためにも。このままじゃいけない気がするの』

「危険すぎる」

 仮に電話をかけてきた犯人が本当に、二人を殺していたのだとしたら。罠に飛び込んだ静は高い確率で命を落とすだろう。そんなこと、させられるはずもない。

 だが、静はどんなに光が説得しても自分の考えを曲げなかった。

 どうして、光の周りはこんなに、感情だけで動く人間が多いのだろう。静はもっと、賢い人間だと思っていたのに。舌打ちしたい気分だ。

「なら、僕も行くよ」

 説得するのに疲れた光は、とうとう折れた。電話の向こうで、静はためらうような気配をみせる。

『でも、危険よ』

「君ほどじゃない」

 淡々とした口調の光に、苦笑した響きの声が聞こえてくる。

『ありがとう。春名くんは優しいね』

 光は一瞬、言葉に詰まった。何の冗談だと思う。優しくないと言われ続けている人間に向かって優しいなどと。優しいという言葉を貰っていいのは、空や海のような人間であって自分ではない。

「場所は?」

 気持ちを切り替えるつもりで、努めて事務的に尋ねた光の耳に、犯人との待ち合わせ場所の住所が届いた。




 かつて、工業地帯と呼ばれていたこの場所は、たくさんの工場が立ち並んでいた。だが、この数年の間に、不況のあおりを受けていくつもの工場が閉鎖を余儀なくされていた。つぶされた工場跡地にはいくつもの住居が立ち並び、新興のベッドタウンへとその姿を変え始めている。

 その中にあっても、買い手がつかなかったのか、閉鎖された工場がそのまま残る土地もあった。

 その一つに、光は足を運んだ。光の家から電車で二駅。駅から歩いて十五分のこの場所は、閉鎖されて随分と立つのか、荒れが目立った。

 立ち入り禁止と書かれた板がはりつけられた門を横切り、フェンスで囲まれた敷地の中に建つ工場を目にする。黒っぽい壁の大きな建物だ。少し歩くと、フェンスに大きな破れ目があった。そこから、工場の敷地内に入る。コンクリートの道が割れて、そこから雑草が生えていた。

 かつて、工場だった建物は、壁の塗装が所々剥げ、はめ込まれた高い位置にある窓ガラスは割れている。

「とりあえず、中を見てくるから。伊藤さんはこの辺りに隠れて待っててくれ」

 光は門の近くの茂みに目をやり、自身の後に隠れるようにしてついてきていた少女に話しかけた。

 振りかえった光の目に、怯えたような顔の静が映る。

「でも……」

 言い淀む静に、光は少しだけ笑みを見せた。

「大丈夫だよ。中を覗くだけだから。でも、僕が十分以上戻らなかったら、君は帰って警察へ連絡してくれ」

 いいね、と念を押せば、静は頷いた。

 光は、できるだけ足音を立てないように、建物に近づいていく。

 近づくにつれて、工場へと続く扉が少し開いていることに気付いた。心臓の鼓動が、弥が上にも早まる。

 扉まで来ると、光はそっと中を覗こうとした。

 刹那。

 背後に人の気配を感じた。

 光は驚きとともに、振り返る。

 だが、振りかえった先にあるものを、光は目にすることができなかった。

 頭に強い衝撃を感じた瞬間。

 目の前が闇に包まれ、その闇に意識をも飲みこまれてしまう。

 倒れた光の横で誰かが笑った。

 光の耳に、その笑い声が届くことは、もうない。

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