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第二十六章 邂逅

 朝の病院は、診察待ちの患者が多いものだが、休診日とあって人影はなかった。時折医師と思われる白衣を着た人物や、看護師が行き来する姿が見られるのみだ。

 ナースステーションで病室の番号を聞き、海は風見と連れだって二○五号室へ向かった。

 海の手には見舞の花束がある。

 風見が、二○五号室のドアを見つけ、ノックしようとしたときだった。

 ドアが内側に開く。

 驚いて、風見が道を譲るようにドアの前から身体をよけると、ドアを潜って病室から男性が二人出てきた。

 男性の内の一人、眼鏡をかけたスーツ姿の男が軽く会釈して風見と海の前を通り過ぎて行く。

 開いたままのドアに手をかけ、海は軽くノックをすると、返事が返って来る前に部屋に入った。

「あ、紫藤君」

 狭い部屋の中、ベッドの上で半身を起していた少女が目を見開いた。

「やっほー。由香。来ちゃった」

 ひらひらと手を振って見せた風見は、ベッドの脇にある丸椅子に腰かけた。

 他に椅子はなさそうなので、その風見の横に海は立つ。

 昨日、車に撥ねられた由香は、足を骨折したものの、それに比べれば大した怪我もなかったという。由香とぶつかった車が、法定速度を守っていたことが幸いしたらしい。

 その連絡が入ったのは、今日の早朝で、それまで心配で眠れなかった二人は寝不足気味だ。

「ごめんね、わざわざ。今、お母さん着替え取りに行ってて、お茶も出せないんだけど」

 由香の頬には大きなガーゼがテープで止めてあった。

「由香。もう、本当に生きた心地がしなかったんだから。車に撥ねられるなんて、ボウっとしすぎよ」

 目を細め、風見は少し頬を膨らませた。

「ゴメン。でも、あの時は本当に焦ってて……」

 言葉の途中で、由香は唇を閉ざした。

 海は続きを促す。

「何で、焦ってたん?」

 海の声に、由香は顔を上げた。頬に手をやったのは、大きなガーゼを張った顔が気になったからだろうか。

「誰かに、つけられたの。それに、メールがきてて」

「メールって?」

 尋ねた海に、彼女は目を伏せて答えた。

「ムッコもアンナも死んだ。次は私かもって内容で。怖くて。さっき来た刑事さんに全部言ったんだけど、夕べお使いに行かされた帰りに、男の人が後ろからつけてきて、走って道路に飛び出しちゃったの」

 由香の言葉に、何やってんのよと言った後、風見は嘆息した。

「さっきの、男の人たちって刑事だったんだ」

 風見がドアの方を振り返る。

「すれ違ったの? 刑事さんと。私、刑事さんって怖い人だと思ってたけど、そんなこと無かった。私のこと、守ってくれるって」

 どこか安堵したように、由香は言った。海はそんな由香から視線をはずして、俯きがちに声を発する。

「ゴメンな、君島さん。電話かけてくれたのに、出れんくて」

「え、いいよそんな。私が一方的にかけただけだし」

 慌てたように声を上げた由香を遮るように、抑えた声音が部屋を通る。

「でも、俺を頼ってくれたんやろ? それやのに……」

 言葉を詰まらせた海に、由香は呼びかける。

「紫藤君。気にしないで。紫藤君にまで嫌な思いさせてごめんなさい」

 顔を曇らせた由香に、海は慌てた。

「嫌な思いやなんて、そんな。俺が電話出てたら、君島さん、こんなことにならずに済んだんや無いかって、思っただけやから」

 その言葉に、風見は溜息をついて海を見上げた。彼の背に平手で鋭い一発をお見舞いする。痛みに声を上げた海に、据わった目を向けた。

「何殊勝なこと言ってんの、紫藤らしくないわね。あんたがいつまでも過ぎたことをウジウジ悩んでたら、由香だって悩まなきゃならないでしょうが。ね、由香」

「う、うん」

 風見の勢いに押されて、由香が頷く。海は困った顔で下を向いて、思い出したように手にしていた花束を由香に差し出した。

「ゴメン、忘れとった。これ、お見舞い」

「ありがとう」

 とても嬉しそうに、受け取った花を抱き締める由香を見て、海も自然と笑顔になる。

「んー。アタシやっぱお邪魔だったかなぁ」

 頬を人差し指で掻きながら、声を上げた風見に、海は不思議そうな顔を見せた。

「何でやねん」

「これだよ。由香、これだよ?」

 風見が海を指さして見せる。由香はうんと頷くのみだ。

 海は久しぶりに、落ち着いた笑顔を見せる由香を見つめながら思った。刑事の言った、守ってあげるという言葉が、由香を安心させたのだろうかと。そして、自分は彼女を何一つ安心させてやれなかったという事実を思い知った。

 顔に笑顔を張りつかせながら、海の気分は沈み行く一方だった。




 日差しが容赦なく降り注いでいる。道にできた影は小さい。昼を少し過ぎたばかりだからだろう。

 海は風見と別れた後、寄り道をした。場所は由香の家へ行く通りにある公園だ。

 海はこの暑いのに元気に遊んでいる子供の姿を目の端に捉えながら、ゆっくりとした足取りで、木陰の下になっているベンチを選んで座った。

 この公園は、海が今の名字になる前に良く遊びに来ていた公園だった。

 今から、八年前。

 海はこの辺りに住んでいたのだ。

 最初に、海を引き取ってくれた両親が死ぬまでは。




 父親が殉職したのは、梅雨がもうすぐ開ける頃だったように記憶している。

 葬式の日。

 降り続ける雨のように、母親はいつまでも涙を流し続けていた。

 あまり家にはいない父だったが、仕事へ向かう大きな背中は、海に憧れを抱かせた。

 明るくて、いつも快活な笑顔を海に向けていたお父さん。

 そんなお父さんが、なぜだか目を覚まさなくて。海はお母さんに聞いたのだ。

『お父さんはどうして目を開けないの?』と。

『お父さんはもう起きないの。死んじゃったの。海はお母さんを置いていかないで』

 そう言いながら、強い力で抱きしめられたのを憶えている。

 今から思えば、もうあの頃から母親は少しずつおかしくなっていたのだろう。

 父親の死から一カ月がたった頃。母親は何も手に付かないのか、いつもどこか遠くを見つめてぼうっとしていることが多かった。そうかと思えば、突然大声で海を呼んだ。海が姿を見せるとほっとしたように抱きしめる。

 小さな海にも、母親の不安が伝わってきて、いつも母親の背を抱きしめ返した。

『大丈夫だよ。ボクはどこにも行かないよ』

 まるで決まりごとのように、いつもその言葉を母親にかける。そうすると、お母さんが笑顔になることを知っていたからだ。


 暑い、暑い日だった。


 その日、海は友達に誘われて遊びに出掛けようとした。そんな海をお母さんは引きとめた。

『お母さんを一人にしないで』

 心細そうな目をして、母はそう言った。

 このところ、母親とずっと一緒で、少し鬱屈していた海は、外へ遊びに行くことを選んだ。

『大丈夫だよ、すぐに帰るから。ちょっと遊びに行ってくるだけ。ちゃんと帰って来る。約束だよ』

 そう言ってお母さんに手を振って、海は家を出た。

 今でもこの時のことを思い出すと、海の胸は締め付けられる。

 何故、あの時外へ遊びに行くことを選んだのか。

 どうして、すぐに帰らなかったのか。

 母との会話は、あれが最後だった。

 夕方まで遊んでしまった海が家に帰った時。

 母は家で首を吊っていた。



 母親が死んだ後。

 海の家にはたくさんの大人がやってきた。お父さんの時と同じように、お葬式をやった。

 お葬式の後。黒い服を着た大人たちは、海の家で海をのけものにして話し合っていた。自分のことを話しているのは分かったけれど、皆険しい顔で、海のことなど目には入っていないようだった。

 自分の家なのに居場所がなくて、海は一人外へ出た。

 そのまま、いつも遊んでいる公園にやってきた。

 ベンチに座ると、地面に足がつかなくなる。ぶらぶらと足を揺らして、風に揺れる木々をただ眺めていた。暑くて仕方がなかったけれど、家にいるよりはましだった。

 そんな時、海に話しかけてくる人がいた。

『斎藤。こんなところで何してるんだ』

 そんな感じに話しかけられたと思う。目を上げると、大きな身体の男の人がいた。小学校の担任の先生だった。

『家にいたくなかったんだもん』

 唇を尖らせてそんな風に答えた。先生は海の頭に手をやって笑った。

『頭が熱くなってるぞ。ほら、あそこのベンチに移ろう。木で影になってるから、ここよりは涼しいぞ』

 先生に手を握られて、海は木陰の下にあるベンチに移った。

 先生に缶ジュースを貰って、海はそれを一気に飲んだ。気付かぬうちに喉が渇いていたらしい。

『どうして、家にいたくなかったんだ?』

 先生に聞かれて、海は隣に座る先生を見上げた。

『だって、ボクは邪魔なんだもん。みんなボクはいらないんだって。ボクはお父さんとお母さんの本当の子じゃないから、気持ち悪いんだって』

 聞いていた話を総合すれば、たぶんそういうことだ。先生が何か言おうとして、口を開いたが、結局そのまま口を閉ざしてしまった。何も、言葉が出なかったのかもしれない。

『お母さんも、ボクのこといらなくなったのかな』

『斎藤……』

『ボクが、早く帰るよっていったのに、遅く帰ってきたから。ボクのこと怒って、ボクをおいていったのかな』

 海は地面を見つめて、地に付かない足を振った。

『だから、待っててくれなかったのかな。ボクも連れてってくれたら良かったのに』

 大きな手が、海の頭を撫でた。

 海は地面から先生に目を移す。先生は笑顔を見せた。笑顔なのに、悲しそうな目をしていた。

『先生は、おまえのお母さんが、おまえを連れて行かなくて良かったと思ってるよ』

『なんで?』

『先生は、おまえが死んだら悲しいし、辛い』

 黙って先生を見つめる。蝉の鳴き声が聞こえてきた。風が木々を揺らし、蝉の鳴き声に交じって葉擦れの音を響かせる。

『おまえだって、お母さんが死んで悲しいだろ』

 聞かれて頷いた。先生は満足そうに頷いたあと、もう一度海の頭を撫でた。

『おまえのお母さんが死んだのは、おまえのせいじゃないよ』

 海は首を横に振った。少しだけ、涙に滲んだ目を上げる。

『でも、ボクは早く帰るってお母さんと約束したのに、約束破っちゃったんだ』

 だから。お母さんは居なくなったんだ。

 だから、お母さんはボクのこと、いらなくなったんだ。

『後悔しているなら、もう後悔しないように生きればいい』

 海の目をじっと見つめて先生は言った。海はただ、真面目な表情をした先生の顔を見つめる。

『約束を破ったのを悪かったと思っているなら、もう、約束を破らなければいい。過去を振り返ってばかりでは何も変わらない。おまえのお母さんは、きっとそれに気付かなかったんだろうな』

 海はからになった缶を両手で強く握った。音を立てて缶が小さくへこむ。先生の声が頭の上からふってくる。

『だから、おまえは、お母さんの分まで、前を向いて生きなさい。天国で見ているお父さんとお母さんが笑って過ごせるように、安心させてあげられるように。生きて行きなさい。おまえはお母さんの二の舞は踏むな』

 顔を上げて、海は小さく首を傾げた。

『なんか、よく、分かんない』

 難しい単語が入っていて、その時の海には全て理解はできなかった。ただ、先生が励ましてくれていることは分かった。先生が、海に生きていてほしいとそう思っていることは伝わった。

 海は先生を見上げてほほ笑んだ。

 『ありがとう』という、言葉とともに。




 子どもの泣き声が聞こえた気がして、海は遊具場に目を向けた。小さな子どもが、どうやら転んだようだ。母親らしき人物が子どもを宥めた後、手を引いて公園を出て行った。

 育ての親が死んだあと、自分を気にかけてくれる大人は先生くらいのものだった。

 何の因果だろう。八年前。この公園で自分を慰めてくれた先生の子どもが、亡くなっていた。

 自殺だと言われて、先生はどう思ったのだろうか。自分と同じように、暗い気分に苛まれているのだろうか。

「なあ、先生。先生は自分で言うたこと、憶えてる?」

 ここには居ない先生に向かって、海は呟いた。

 顔を上向けると、木漏れ日が海の顔に降り注いだ。


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